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座敷わらし、上京する
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鬱蒼とした森のトンネルを抜け、故郷の山の景色が遠ざかっていく。「座敷わらし」がいなくなったあとの旅館の末路を思えば、少し胸が苦しくなったが。もしも最後の客が悦子でなければ、自分は今頃消えていたのだ。
これはきっと必然だったのだと、ハルキは自分自身に言い聞かせる。
山の中を走っていた車は、いつの間にか高速道路に乗って、背の高いコンクリートの建物だらけの場所を走っていた。こんな景色を見るのも、いつぶりだろうか。
一度死んでしまった人生。せっかくなら、最後は思うように生きてみよう。そう思ったら、車の窓を通して目に映る風景すべてが宝石のように輝いて見えた。
チラリと、華奢な手で車のハンドルを握り、上機嫌で鼻歌を奏でる悦子の横顔を盗み見る。
すり減ったハルキの心を射抜いた彼女の瞳は、都会のネオンを反射してキラキラと輝いて、とても美しかった。
じっと彼女をみていると、ないはずの心臓が脈を打つような感覚がする。これがもしかして、「恋」ってやつなのだろうか。
ほのかに芽生えたこの感情を、果たしてそう呼んで良いのかはまだよくわからない。
––––だって、恋をしたことがないのだもの。
だからまずは、この感情がなにかを確かめるために、悦子の横で毎日を過ごしてみたいと、ハルキは思った。
「そういえばあなた、私と話してなにかやりたいことが見つかったの? 私の願いを手伝ってくれるっていうのは、ついでみたいなものでしょ。本当はやりたいことが見つかったから、外に出る気になったんじゃあないの」
ハンドルを握り前を向いたまま、悦子はそうハルキに問うた。
さすが、鋭い。しかし今ハルキが考えていることを正直に話してしまえば、警戒されて距離を取られてしまうかもしれない。
「うん、見つかったよ。今は内緒だけど、そのうち悦子さんにも話してあげるね」
「そう。なにか悪巧みをしているわけではないでしょうね?」
「そ、そんなわけないじゃないか」
「……怪しいわね。まあ、いいけど」
◇◇◇
「ねえ、ちょっと」
「どうしたの、悦子さん」
「どうもこうもないわよ。もうウチに着いたんだから、さっさとどこへでも行きなさいよ。あ、ちゃんといい人見つけたら、報告にはきなさいよ」
「えっ、僕悦子さんの家に住むつもりでいたんだけど」
「……はああ?」
マンションの地下駐車場に着いたハルキたちは、車の中で向き合っていた。ハルキは旅館でのやりとりで、悦子の家に住むことを了承してもらったつもりでいたのだが。どうやら彼女はそういうつもりではなかったらしい。
「ついてっていいって、言ったよね。それに悦子さんに合う人を見つけるには、まず、悦子さんについて知らないと。それに、悦子さんの家を拠点にした方が、効率がいいでしょ。誰かいい人がいた時に報告するにも」
「そりゃまあ、そうだけど……」
旅館で話していた時から思っていたが、この人は相当短気な人らしい。「効率」と聞いて、急に受け入れモードに入った悦子を見て、ハルキはこっそりほくそ笑んだ。
「とりあえず、降りましょう」
車のエンジンを切り、悦子はハルキの目の前にある物入れを開こうとして、助手席に手をつき----気づいた。
「えっ。あれ?」
「ああっ、悦子さんったら、ずいぶんと積極的……」
座席についたはずのその手は。ちょっと言うのが憚られるハルキの体の部位に触れていた。
女の子っぽく黄色い悲鳴のひとつでも上げるのかと思いきや。悦子は、恥じらいよりも先に事実を確かめることに意識がいったらしい。大きな目をこれ以上ないくらい見開いたまま、ハルキの顔や肩にもペタペタ触っている。
「あなた、実体があるじゃない! なんで? どういうこと? 他の人にも今は見えるの?」
----僕の冗談はスルーですか。
悦子にガシガシ触られて乱された着物を整えながら、ハルキは咳払いをしつつ、彼女の疑問に答える。
「僕、幽霊じゃないもの。座敷わらしってあやかしだよ? 幽体になったり実体になったりできるに決まってるでしょ。もちろん実体になってる時は他の人にも見えるよ。幽体の場合は、完全に気配を消すこともできるし、宿で見てもらったみたいに、透けた状態で人の前に姿を現すこともできるよ」
そう答えると、悦子は鬼気迫る表情でハルキに食ってかかった。
「そんなあやかし界の常識持ってこられても、知らないわよ! だいたい、見えたら困るのよ。私が若い男をお持ち帰りしたみたいに見えるじゃない!」
「お持ち帰りしたのは事実でしょ? その若い男が『座敷わらし』ってだけで」
ハルキの言葉を聞いて彼女は絶句した。他人からも見える以上、そして彼女がハルキを家に招き入れることを承諾した以上、側から見たらそれは事実だった。
「で、でもっ」
「いいじゃない。普通連れて帰れないよ? 座敷わらし。座敷わらしっていうのは、気に入った人や建物にしかいつかないんだよ。だからどんなに頼まれたとしても、お引越しすることなんて滅多にないんだ。願いを叶える力は使えないけど、僕が悦子さんの家に住み着いている限り、多少は幸福のご利益もあるはずだし」
悦子は眉間を顰めつつ、ため息をついた。
「……もう、あなたと言い合いするのに疲れたわ。とりあえず一旦幽体に戻って! 実体で出歩くつもりなら、着るものは早急に見繕うようにするから」
「はあい」
これ以上彼女の反感を買えば、前言撤回されて追い出されてしまうかもしれない。屁理屈をこねるをやめて、ハルキは大人しく幽体へとスイッチを切り替えた。
悦子の住むマンションは、晴海という場所にある高層マンションだった。死んで座敷わらしになってからはずっと旅館の中に引きこもっていたので、ハルキは外の世界のことをあまりよく知らない。せいぜい旅館のテレビで見た情報くらいが現代社会に関する知識のすべてだった。
座敷わらしになる前も山間部に住んでいて、体も弱かったので、海を見ることなく死んでしまった。高層マンションからのぞむ都会と海の風景は、ハルキにとっては竜宮城に来たくらいの衝撃だった。
「すごいねえ、悦子さん! 僕、こんな景色初めて見たよ! この世のものとは思えない!」
「すでにあなたがこの世のものではないけど」
「さすが悦子さん、ツッコミも辛辣だね」
ハルキの切り返しを聞いているのかいないのか、悦子は荷物を片付けていた。使わなかった旅行カバンの中身を元の場所に戻すらしい。
「ねえあなた、名前はあるの? ここにしばらく住むなら、ずっと『あなた』って呼ぶのもなんだか変だわ」
「あ、そっか。名乗ってなかったっけ。昔の新婚夫婦みたいで、『あなた』っていうのも僕は好きだけど」
「ふざけないで」
ふふ、とハルキが笑うと、悦子は苛立ちを眉間にためていた。これは早めに答えないと怒られそうだ。
「僕の名前はハルキだよ。どんな漢字か学ぶ前に死んじゃったから、漢字は覚えてない。苗字はサエグサ」
「三枝荘の三枝は苗字から取ってるのね。じゃあ、あなたのことは今日から、『ハルキ』って呼ぶわ」
ハルキ。そう呼ばれて、肌があわだった。
誰かに名前を呼ばれるのはいつぶりだろうか。大好きだった両親がつけてくれた、大事な大事な自分の名前。
彼女に名前を呼ばれた刹那、吹けば消えてしまいそうだった命の灯火が、途端に火力を増したような感覚があった。曖昧になっていた世界との境界線が、くっきりしていく気がする。
----人のためばかりに命を燃やすうち、僕は自分の名前さえ不確かになっていたんだな。
「『座敷わらしさん』、じゃなくて、名前で呼んでもらうっていいものだねえ」
「……なによ。ずいぶん嬉しそうじゃない。名前で呼んでもらえるのがそんなに嬉しいわけ?」
「そりゃあねぇ」
「ちなみにあなた、いくつなの。見た目だけなら、大学生くらいに見えるけど」
「んー、没後五十年は経ってるから、座敷わらしになってからの年齢で数えるなら五十歳くらいじゃない? 小学校低学年の時に亡くなってるはずだから、生前の年齢もいれたら、五十代中盤くらいじゃないかなぁ」
「あなた、その見た目で……私の二倍の年齢なわけ?! おっさんじゃない!」
「お、おっさん……?!」
せっかく名前を呼ばれて上機嫌だったのに。ハルキはひっそりと傷ついた。
これはきっと必然だったのだと、ハルキは自分自身に言い聞かせる。
山の中を走っていた車は、いつの間にか高速道路に乗って、背の高いコンクリートの建物だらけの場所を走っていた。こんな景色を見るのも、いつぶりだろうか。
一度死んでしまった人生。せっかくなら、最後は思うように生きてみよう。そう思ったら、車の窓を通して目に映る風景すべてが宝石のように輝いて見えた。
チラリと、華奢な手で車のハンドルを握り、上機嫌で鼻歌を奏でる悦子の横顔を盗み見る。
すり減ったハルキの心を射抜いた彼女の瞳は、都会のネオンを反射してキラキラと輝いて、とても美しかった。
じっと彼女をみていると、ないはずの心臓が脈を打つような感覚がする。これがもしかして、「恋」ってやつなのだろうか。
ほのかに芽生えたこの感情を、果たしてそう呼んで良いのかはまだよくわからない。
––––だって、恋をしたことがないのだもの。
だからまずは、この感情がなにかを確かめるために、悦子の横で毎日を過ごしてみたいと、ハルキは思った。
「そういえばあなた、私と話してなにかやりたいことが見つかったの? 私の願いを手伝ってくれるっていうのは、ついでみたいなものでしょ。本当はやりたいことが見つかったから、外に出る気になったんじゃあないの」
ハンドルを握り前を向いたまま、悦子はそうハルキに問うた。
さすが、鋭い。しかし今ハルキが考えていることを正直に話してしまえば、警戒されて距離を取られてしまうかもしれない。
「うん、見つかったよ。今は内緒だけど、そのうち悦子さんにも話してあげるね」
「そう。なにか悪巧みをしているわけではないでしょうね?」
「そ、そんなわけないじゃないか」
「……怪しいわね。まあ、いいけど」
◇◇◇
「ねえ、ちょっと」
「どうしたの、悦子さん」
「どうもこうもないわよ。もうウチに着いたんだから、さっさとどこへでも行きなさいよ。あ、ちゃんといい人見つけたら、報告にはきなさいよ」
「えっ、僕悦子さんの家に住むつもりでいたんだけど」
「……はああ?」
マンションの地下駐車場に着いたハルキたちは、車の中で向き合っていた。ハルキは旅館でのやりとりで、悦子の家に住むことを了承してもらったつもりでいたのだが。どうやら彼女はそういうつもりではなかったらしい。
「ついてっていいって、言ったよね。それに悦子さんに合う人を見つけるには、まず、悦子さんについて知らないと。それに、悦子さんの家を拠点にした方が、効率がいいでしょ。誰かいい人がいた時に報告するにも」
「そりゃまあ、そうだけど……」
旅館で話していた時から思っていたが、この人は相当短気な人らしい。「効率」と聞いて、急に受け入れモードに入った悦子を見て、ハルキはこっそりほくそ笑んだ。
「とりあえず、降りましょう」
車のエンジンを切り、悦子はハルキの目の前にある物入れを開こうとして、助手席に手をつき----気づいた。
「えっ。あれ?」
「ああっ、悦子さんったら、ずいぶんと積極的……」
座席についたはずのその手は。ちょっと言うのが憚られるハルキの体の部位に触れていた。
女の子っぽく黄色い悲鳴のひとつでも上げるのかと思いきや。悦子は、恥じらいよりも先に事実を確かめることに意識がいったらしい。大きな目をこれ以上ないくらい見開いたまま、ハルキの顔や肩にもペタペタ触っている。
「あなた、実体があるじゃない! なんで? どういうこと? 他の人にも今は見えるの?」
----僕の冗談はスルーですか。
悦子にガシガシ触られて乱された着物を整えながら、ハルキは咳払いをしつつ、彼女の疑問に答える。
「僕、幽霊じゃないもの。座敷わらしってあやかしだよ? 幽体になったり実体になったりできるに決まってるでしょ。もちろん実体になってる時は他の人にも見えるよ。幽体の場合は、完全に気配を消すこともできるし、宿で見てもらったみたいに、透けた状態で人の前に姿を現すこともできるよ」
そう答えると、悦子は鬼気迫る表情でハルキに食ってかかった。
「そんなあやかし界の常識持ってこられても、知らないわよ! だいたい、見えたら困るのよ。私が若い男をお持ち帰りしたみたいに見えるじゃない!」
「お持ち帰りしたのは事実でしょ? その若い男が『座敷わらし』ってだけで」
ハルキの言葉を聞いて彼女は絶句した。他人からも見える以上、そして彼女がハルキを家に招き入れることを承諾した以上、側から見たらそれは事実だった。
「で、でもっ」
「いいじゃない。普通連れて帰れないよ? 座敷わらし。座敷わらしっていうのは、気に入った人や建物にしかいつかないんだよ。だからどんなに頼まれたとしても、お引越しすることなんて滅多にないんだ。願いを叶える力は使えないけど、僕が悦子さんの家に住み着いている限り、多少は幸福のご利益もあるはずだし」
悦子は眉間を顰めつつ、ため息をついた。
「……もう、あなたと言い合いするのに疲れたわ。とりあえず一旦幽体に戻って! 実体で出歩くつもりなら、着るものは早急に見繕うようにするから」
「はあい」
これ以上彼女の反感を買えば、前言撤回されて追い出されてしまうかもしれない。屁理屈をこねるをやめて、ハルキは大人しく幽体へとスイッチを切り替えた。
悦子の住むマンションは、晴海という場所にある高層マンションだった。死んで座敷わらしになってからはずっと旅館の中に引きこもっていたので、ハルキは外の世界のことをあまりよく知らない。せいぜい旅館のテレビで見た情報くらいが現代社会に関する知識のすべてだった。
座敷わらしになる前も山間部に住んでいて、体も弱かったので、海を見ることなく死んでしまった。高層マンションからのぞむ都会と海の風景は、ハルキにとっては竜宮城に来たくらいの衝撃だった。
「すごいねえ、悦子さん! 僕、こんな景色初めて見たよ! この世のものとは思えない!」
「すでにあなたがこの世のものではないけど」
「さすが悦子さん、ツッコミも辛辣だね」
ハルキの切り返しを聞いているのかいないのか、悦子は荷物を片付けていた。使わなかった旅行カバンの中身を元の場所に戻すらしい。
「ねえあなた、名前はあるの? ここにしばらく住むなら、ずっと『あなた』って呼ぶのもなんだか変だわ」
「あ、そっか。名乗ってなかったっけ。昔の新婚夫婦みたいで、『あなた』っていうのも僕は好きだけど」
「ふざけないで」
ふふ、とハルキが笑うと、悦子は苛立ちを眉間にためていた。これは早めに答えないと怒られそうだ。
「僕の名前はハルキだよ。どんな漢字か学ぶ前に死んじゃったから、漢字は覚えてない。苗字はサエグサ」
「三枝荘の三枝は苗字から取ってるのね。じゃあ、あなたのことは今日から、『ハルキ』って呼ぶわ」
ハルキ。そう呼ばれて、肌があわだった。
誰かに名前を呼ばれるのはいつぶりだろうか。大好きだった両親がつけてくれた、大事な大事な自分の名前。
彼女に名前を呼ばれた刹那、吹けば消えてしまいそうだった命の灯火が、途端に火力を増したような感覚があった。曖昧になっていた世界との境界線が、くっきりしていく気がする。
----人のためばかりに命を燃やすうち、僕は自分の名前さえ不確かになっていたんだな。
「『座敷わらしさん』、じゃなくて、名前で呼んでもらうっていいものだねえ」
「……なによ。ずいぶん嬉しそうじゃない。名前で呼んでもらえるのがそんなに嬉しいわけ?」
「そりゃあねぇ」
「ちなみにあなた、いくつなの。見た目だけなら、大学生くらいに見えるけど」
「んー、没後五十年は経ってるから、座敷わらしになってからの年齢で数えるなら五十歳くらいじゃない? 小学校低学年の時に亡くなってるはずだから、生前の年齢もいれたら、五十代中盤くらいじゃないかなぁ」
「あなた、その見た目で……私の二倍の年齢なわけ?! おっさんじゃない!」
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