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第二章
20話
しおりを挟む「はあ、はあ、はっ……も、無理ぃ」
額から流れた汗が鼻筋を通る感触が気持ち悪い。息が限界まで上がって、心臓もドクドク鳴ってうるさい。俺はついに足を止めた。
「もう限界かユール! では休憩だ!!」
「はあーっ」
「お疲れ様っスユール様! お水どうぞ」
「あ、ありがとう……」
レオからもらった水をゴクゴクと一気飲みする。ふーっ、生き返る……
もう暦の上では夏になっている。流石に激しい運動をすると汗だくになっちゃうな。
ザスが俺の背中を思いきり叩いて健闘を讃えてくれた。だから痛いって、いい加減俺が弱っちいってことをわかってくれよ。
「ザス、それ痛い」
「なんだって!? そうか……気をつけよう」
本気で驚いてるな……今まで全く気づいてなかったんだなやっぱり。まあ言ってなかったし、わかんなくてもしょうがないか。
「ユール様、こっちのベンチに座りましょう」
「ああ、ありがとうレオ」
なにくれとなく気を遣ってくれるレオのお言葉に甘えて、俺はベンチに腰かけた。足がガックガクだわ……疲れたー。
「ユール、先週より走距離が延びたのではないか!? この調子だ!」
「ああ、がんばるよ」
ザスは気持ちのいい笑顔で俺を励ましてくれた。
こいつらのお陰でなんとか俺の筋トレは続いていると言っても過言じゃない。一人じゃこんな辛いこと続かないしな、ザスレオコンビ様々だ。
俺が走るのにつきあっていたレオも薄く汗をかいている。ごくりと水を飲んだ彼は、思いついたように俺に話しかけた。
「そうだユール様、フレンのやつ南の神殿に移動になったそうっスね」
「ああ、そうなんだ。フレンは結界編みには向いていなかったから、直接結界の側で魔力を注ぐ任務に就くことになったらしい」
そう、ミカエルの采配で表向きの移動理由はそうなっている。まあ、あながち嘘でもないんだが。
俺が手錠で拘束されフレンが助けにきた事件はそれ自体なかったことになり、嫉妬したガレルに部屋に軟禁されていたってことになっている。
つまりフレンはただ配置換えされただけって扱いだ。貴族間の噂ではどうなっているかは知らんけど……フォルテオ辺りが上手いことガレルや俺の不利にならないように噂を誘導してくれてる気がする。
おかげで俺の周りは静かなまま、平穏に過ごせている。
前に俺に魔力測定をねだってきたヤツが話しかけてきたことがあったけど、そのくらいだ。
側にいたザスが一言声をかけて肩を叩くと、大袈裟に痛がって逃げていった。だからザスはいいかげん力加減を覚えた方がいいと思うぞ。
レオは自身の赤毛をくしゃりと撫でて、少し言いづらそうにしながらも言葉を重ねた。
「その、残念だったっスね。フレンのこと気に入ったから側に置きたいって、ユール様言ってたっスから」
「そうだったね。でももういいんだ。フレンが楽しく仕事できて、ちゃんと毎日を平穏に過ごせて時々文通できたらそれで満足だよ僕は」
「そうなんスか?」
「うん」
「……そっすね、俺もちょっと寂しいけど、アイツが元気でやってりゃそれでいいっス!」
レオは吹っ切れたように腰に手を当てて朗らかな笑顔を見せた。
隼人の気持ちを聞いた以上、フレンの側にはいられないからなあ……
てかあいつ、この前届いた手紙で、新しい俺の教育担当者がやばかわいい、運命の出会いかもしれないって興奮してたんだけど、切り替え早すぎねえ?
フレンの手紙を思いだして微妙な顔になっていた俺を見て、レオは俺が無理していると思ったのかこんな提案をしてくれた。
「その、フレンじゃなくても誰か他にもユール様の気にいるヤツがいるかもしれないっスから、また町に出かけます?」
「いいね、ぜひまた行こう」
「では俺もつきあおう!」
最早俺の専属護衛となりつつある二人と和気藹々と話をして盛り上がった。
部屋に戻って風呂場で汗を洗い流しさっぱりしたところで、部屋に来客があった。
聞き覚えのある名前だったのでマシェリーに通してもらう。
「ユール様、お久しぶりでございます。私は王太子殿下の侍女、リリアです。覚えておいででしょうか?」
「ああ、覚えてるよ。この前クリストバル兄上の手紙を渡してくれたね」
リリアは人好きのする笑顔でふわりと笑った。うちのマシェリーとは大違いの愛想の良さだ。
……違うんだマシェリー、俺はお前の有能さに助けられてるし十分働きに満足してるからな? だからそんな目で見ないでくれ。
この前の魔力測定あたりから俺の異変に気づきはじめたマシェリーの無言の視線が痛い。俺はマシェリーから意識を逸らしてリリアの話に集中した。
「覚えていてくださり光栄でございます。つきましては、急なお誘いではございますが王太子殿下がユール様とお話されたいとのことで……この後お時間をいただくことは可能でしょうか?」
なんの用なんだ兄様よ……こ、今度こそ怒られるのか? ガレルやフォルテオに俺の行動が筒抜けだったんなら、クリストバルだって俺のやらかしを逐一知ってても不思議じゃない。
「……わかった、行くよ」
俺は覚悟を決めてリリアについていくことにした。
唇を引き結んだ俺をチラリと見たリリアは少し考える素振りをして、やんわりと笑みを浮かべる。
「そんなに固くならずとも、悪い知らせではないと思いますわ」
「そうなのか?」
「はい」
よくわからないながらもリリアを追いかけると、やがてクリストバルの執務室に着いた。
「王太子殿下、ユール様をお連れしました」
「入れ」
長兄の低い声が聞こえて、護衛によって開けられた扉の中に滑りこんだ。
ドキドキしながらクリストバルの表情をうかがうと、彼はいつも通り眉間に皺を寄せながら出迎えてくれた。
……いっつも眉間に皺よってっから、怒ってるのかそうじゃないのかわからん!
「よく来たな。茶を出すからそこに座れ」
「は、はい」
言われるままに来客用らしきソファーに腰かけると、クリストバルは立ち上がり向かい側の椅子に腰かけてくる。
…….めっちゃ見られてる。顔が怖いんだが……なあ、やっぱ怒ってるのか? 怒られんのか? 俺。
用意されたお茶を口に含んだクリストバルは話しはじめた。
「……もう問題は解決したようだな」
問題……やっぱ一連の事件について耳に入ってるっぽいな。俺はできるだけ殊勝な態度でいようと背筋を伸ばした。
「は、はい。ミカエル兄様の采配で無事に事態は収束しました」
クリストバルの眉間の皺が深くなる。や、やっぱ怒ってる!?
「しかし今回の騒動をややこしくしたのもミカエルだろう。次になにかあれば私に声をかけろ」
あ、どっちかっていうとミカエルに怒ってるっぽい。俺は内心ホッと胸を撫で下ろす。
「わかりました」
「それとだな……」
なにか言いかけて黙りこくるクリストバル。
な、なんだよ? 今度こそ説教か?
なぜかリリアが慈愛に満ちた視線でヤツを見守っているのが視界の端に映った。
「……パンのお土産をもらった。例を言う。素朴な味で、庶民はこのような物を日常的に食べているのかと参考になった」
「……っ、それはよかったです……」
リリアは嬉しそうにうんうんと頷いている。ああ、マシェリーからリリアにパンがお裾分けされて、それをクリストバルが食べたのかな。いきなりなんの話かと思ったわ。
そこに前触れもなく扉を開けて乱入者が現れた。
「やあ兄さん、事後処理の書類はこれで完璧だ、確認してくれ……ユールじゃないか、久しぶり!」
「ミカエル兄様!」
彼は長い足で俺に素早く寄ってくると、白金の髪を遠慮なく撫でた。
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