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もう言うしかない
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昼前の中途半端な時間のためか、渡り廊下を歩く人は誰もいなかった。白露は誰かに出くわさないかとビクビクしながらも、竹林のある方向に小走りで駆けていった。
柳の小径を抜けて茶室の側まで来ると、眼前に竹林が広がり心の底からホッとする。周囲を念入りに眺めて誰もいないことを確認してから、空き地にある竹の腰掛けに座った。
サラサラと川の水が流れるような葉擦れの音を聞いていくと、張り詰めた生活の中で擦り減った心が癒されていくような心地がする。
うっとりと目を閉じて風が奏でる音色を楽しんでいると、不意に人の声がパンダの耳に飛び込んできた。
「あれ、白露? 久しぶり」
「っ宇天……」
ビクッと肩を跳ねさせた白露は立ち上がり、声のした方に振り向いた。笙を抱えた宇天がこちらに歩み寄ってきて、気さくに声をかけてくる。
「元気だった? 最近の暑さには参っちゃうよね、君も涼みに来たの?」
「僕は、その。笹の葉音が好きで」
しどろもどろになりつつもなんとか答えると、宇天も先が短い耳をピクピクと動かして音を聞いているようだった。
「へえ。まあ確かに、落ち着くよね。ボクも嫌いじゃないよ、この音。笙の音色の方がもっと好きだけど」
遠慮も何もなく歩み寄ってきた宇天は、白露と人一人分の距離を開けてピタリと足を止めた。今日の白露は、皇帝の番であることを知っている秀兎が訪れる予定だからと、麒麟柄の深衣を身につけている。嫌な予感がした。
案の定服の柄を確認した宇天は目を見開き、固い声で白露に言い寄る。
「ねえ、その服の衿、よく見せて」
「い、嫌だ」
「なんで。見せてよ」
宇天は怖い顔をしながら白露に近づき、腕をつかんで袖口の刺繍を見た。見られてしまった。宇天は次に衿を確認し黒の首輪に視線をやって、信じられないと言いたげに顔を歪める。
「ねえ、どうして……皇帝一族の獣人しか許されていない図案の深衣を、白露が身につけているの?」
もう言うしかない。ごめん宇天と内心で謝りながら、覚悟を決めて事実を口にした。
「それは……僕が、琉麒の運命の番だから」
「嘘だ!」
掴んだ腕を突き飛ばすようにして離される。バランスを崩した白露は地面の上に倒れこんでしまった。憎しみがこもっているのではと錯覚するような眼光で、宇天は白露を見下ろす。
「彼の番になるのはこのボクだ! そうじゃなきゃおかしい、今まで全部全部、彼の番になるために頑張ってきたのに!」
白露は鋭い視線に射すくめられて、琉麒に術をかけられたあの時の太狼と同じように動けなかった。顔を強張らせながら鬼のような形相を見上げると、彼は地面をダンッと踏んで苛立ちを露わにする。
「なんでこんな、華族のなり損ないみたいなキミが! あり得ない! ちゃんとした番だったら公表されているはず、そうじゃないってことは卑怯な手段で皇帝様に取り入ったんでしょ!」
「違うよ、そんな」
「うるさい黙れ! もう白露の顔なんか見たくない、キミのような人が彼の番だなんて、ボクは絶対に認めない! とっととここから出ていけ、二度と顔を見せないで!」
激昂した宇天は白露を蹴ろうとしてきたので、とっさに転がって避ける。そのまま竹林の中を一目散に走り出した。がむしゃらに走ると通用門らしき場所まで出る。白露は足を止めて、ハアハアと肩で息をしながら呼吸を整えた。
「……っ、はあ、は……ごめん宇天、ごめんね……っ」
彼を傷つけてしまった。もう会わないようにしようと思っていたのに、不用意に竹林になんて行ったせいだ。彼から投げつけられた思いは、刃のように白露の心をズタズタに切り裂いた。
「ちゃんとした番じゃ、ない……」
白露にも痛いほどわかっていることだった。琉麒とはいまだに番になれていない。なる方法もわからない。こんな自分が彼の番に相応しくないってことは、白露が一番わかっている。
ここから出ていけ、二度と顔を見せないでという言葉が、頭の中に焼きついたまま離れない。胸を押さえてその場にしゃがみこんだ。
(琉麒はきっと、ちゃんとしたオメガと番になる方がいい。僕みたいに出来損ないのオメガを運命の番として迎えようとするなんて、何かの間違いだったんだ)
考えるだけで胸が痛くて苦しいけれど、それが真実のように思える。秀兎も皇帝のオメガに望まれている一番の仕事は、子どもを産むことだと言っていた。いつまで経っても発情期が来ない白露は、琉麒の番として失格だ。
唇を噛み締めながらのろのろと立ち上がり、通用門に手をかけたが、開け方がわからない。
「どうしよう……」
「おや? そこにおられるのはもしや、白露様では」
「誰っ?」
振り向くと、先ほど声をかけてきた葉家のテン獣人がいた。指先を強張らせたまま動けないでいると、彼は白露の土に塗れた衣装を見て大袈裟に嘆く。
「なんということでしょう、お召し物が汚れています。どうぞこちらへ」
「え、あ」
通用門はテン獣人がかんぬきを外せばなんなく開いた。このまま外に出ていいのだろうかと視線をさまよわせる。
門の前に見張りはいなかったけれど、遠くからこちらに向かってくる門番らしき二人組の人影が見えた。思わずテン獣人の背に隠れてしまう。
「汚れた姿を誰かに見られては恥です、速やかにここを離れなければ」
テン獣人は白露の手を引き、華車へ向かって移動した。引き手の馬獣人の屈強な体に気を取られているうちに、扉の中に引き込まれそうになり足を踏みとどまる。
「待ってください、僕は」
「お願いです白露様、どうか中に入って話を聞いてください。我が息子、宇天のことでお願いがあります」
宇天の名を聞いて、ぎくりと肩をすくめた。
(いったいどういう願い事があるんだろうか)
うかがうように視線を上げると、柔和な笑みが返ってきた。でも、目は笑っていない。
(なんだろう、嫌な予感がする)
白露を拐おうとしたイタチ獣人と同じような気配を感じて、腕を振り払おうとすると余計に強く掴まれた。
「あ、待ってったら、痛い!」
抵抗虚しく、華車の中に押し込まれてしまう。叫び声をあげようとしたが口を塞がれ、薬のような匂いを感じると共に意識が薄れていく。
(そんな……まだ、琉麒に)
お別れも言えていないのに。頭の中で言葉にする前に、世界が暗転した。
柳の小径を抜けて茶室の側まで来ると、眼前に竹林が広がり心の底からホッとする。周囲を念入りに眺めて誰もいないことを確認してから、空き地にある竹の腰掛けに座った。
サラサラと川の水が流れるような葉擦れの音を聞いていくと、張り詰めた生活の中で擦り減った心が癒されていくような心地がする。
うっとりと目を閉じて風が奏でる音色を楽しんでいると、不意に人の声がパンダの耳に飛び込んできた。
「あれ、白露? 久しぶり」
「っ宇天……」
ビクッと肩を跳ねさせた白露は立ち上がり、声のした方に振り向いた。笙を抱えた宇天がこちらに歩み寄ってきて、気さくに声をかけてくる。
「元気だった? 最近の暑さには参っちゃうよね、君も涼みに来たの?」
「僕は、その。笹の葉音が好きで」
しどろもどろになりつつもなんとか答えると、宇天も先が短い耳をピクピクと動かして音を聞いているようだった。
「へえ。まあ確かに、落ち着くよね。ボクも嫌いじゃないよ、この音。笙の音色の方がもっと好きだけど」
遠慮も何もなく歩み寄ってきた宇天は、白露と人一人分の距離を開けてピタリと足を止めた。今日の白露は、皇帝の番であることを知っている秀兎が訪れる予定だからと、麒麟柄の深衣を身につけている。嫌な予感がした。
案の定服の柄を確認した宇天は目を見開き、固い声で白露に言い寄る。
「ねえ、その服の衿、よく見せて」
「い、嫌だ」
「なんで。見せてよ」
宇天は怖い顔をしながら白露に近づき、腕をつかんで袖口の刺繍を見た。見られてしまった。宇天は次に衿を確認し黒の首輪に視線をやって、信じられないと言いたげに顔を歪める。
「ねえ、どうして……皇帝一族の獣人しか許されていない図案の深衣を、白露が身につけているの?」
もう言うしかない。ごめん宇天と内心で謝りながら、覚悟を決めて事実を口にした。
「それは……僕が、琉麒の運命の番だから」
「嘘だ!」
掴んだ腕を突き飛ばすようにして離される。バランスを崩した白露は地面の上に倒れこんでしまった。憎しみがこもっているのではと錯覚するような眼光で、宇天は白露を見下ろす。
「彼の番になるのはこのボクだ! そうじゃなきゃおかしい、今まで全部全部、彼の番になるために頑張ってきたのに!」
白露は鋭い視線に射すくめられて、琉麒に術をかけられたあの時の太狼と同じように動けなかった。顔を強張らせながら鬼のような形相を見上げると、彼は地面をダンッと踏んで苛立ちを露わにする。
「なんでこんな、華族のなり損ないみたいなキミが! あり得ない! ちゃんとした番だったら公表されているはず、そうじゃないってことは卑怯な手段で皇帝様に取り入ったんでしょ!」
「違うよ、そんな」
「うるさい黙れ! もう白露の顔なんか見たくない、キミのような人が彼の番だなんて、ボクは絶対に認めない! とっととここから出ていけ、二度と顔を見せないで!」
激昂した宇天は白露を蹴ろうとしてきたので、とっさに転がって避ける。そのまま竹林の中を一目散に走り出した。がむしゃらに走ると通用門らしき場所まで出る。白露は足を止めて、ハアハアと肩で息をしながら呼吸を整えた。
「……っ、はあ、は……ごめん宇天、ごめんね……っ」
彼を傷つけてしまった。もう会わないようにしようと思っていたのに、不用意に竹林になんて行ったせいだ。彼から投げつけられた思いは、刃のように白露の心をズタズタに切り裂いた。
「ちゃんとした番じゃ、ない……」
白露にも痛いほどわかっていることだった。琉麒とはいまだに番になれていない。なる方法もわからない。こんな自分が彼の番に相応しくないってことは、白露が一番わかっている。
ここから出ていけ、二度と顔を見せないでという言葉が、頭の中に焼きついたまま離れない。胸を押さえてその場にしゃがみこんだ。
(琉麒はきっと、ちゃんとしたオメガと番になる方がいい。僕みたいに出来損ないのオメガを運命の番として迎えようとするなんて、何かの間違いだったんだ)
考えるだけで胸が痛くて苦しいけれど、それが真実のように思える。秀兎も皇帝のオメガに望まれている一番の仕事は、子どもを産むことだと言っていた。いつまで経っても発情期が来ない白露は、琉麒の番として失格だ。
唇を噛み締めながらのろのろと立ち上がり、通用門に手をかけたが、開け方がわからない。
「どうしよう……」
「おや? そこにおられるのはもしや、白露様では」
「誰っ?」
振り向くと、先ほど声をかけてきた葉家のテン獣人がいた。指先を強張らせたまま動けないでいると、彼は白露の土に塗れた衣装を見て大袈裟に嘆く。
「なんということでしょう、お召し物が汚れています。どうぞこちらへ」
「え、あ」
通用門はテン獣人がかんぬきを外せばなんなく開いた。このまま外に出ていいのだろうかと視線をさまよわせる。
門の前に見張りはいなかったけれど、遠くからこちらに向かってくる門番らしき二人組の人影が見えた。思わずテン獣人の背に隠れてしまう。
「汚れた姿を誰かに見られては恥です、速やかにここを離れなければ」
テン獣人は白露の手を引き、華車へ向かって移動した。引き手の馬獣人の屈強な体に気を取られているうちに、扉の中に引き込まれそうになり足を踏みとどまる。
「待ってください、僕は」
「お願いです白露様、どうか中に入って話を聞いてください。我が息子、宇天のことでお願いがあります」
宇天の名を聞いて、ぎくりと肩をすくめた。
(いったいどういう願い事があるんだろうか)
うかがうように視線を上げると、柔和な笑みが返ってきた。でも、目は笑っていない。
(なんだろう、嫌な予感がする)
白露を拐おうとしたイタチ獣人と同じような気配を感じて、腕を振り払おうとすると余計に強く掴まれた。
「あ、待ってったら、痛い!」
抵抗虚しく、華車の中に押し込まれてしまう。叫び声をあげようとしたが口を塞がれ、薬のような匂いを感じると共に意識が薄れていく。
(そんな……まだ、琉麒に)
お別れも言えていないのに。頭の中で言葉にする前に、世界が暗転した。
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