上 下
7 / 43

運命との出会い

しおりを挟む
 絨毯が厚手だったので膝が痛くならずに済んでよかったと呑気な感想を抱いていると、芳しい香りが鼻先をくすぐる。

 あまりにも魅力的な伽羅の香りにつられて、白露は顔を上げてしまう。

 玉座には麒麟獣人の皇帝が座している。貴色である黄金色の髪と立派な黒角を持つ彼は、目を見開いて白露を凝視していた。

(あ、いけない。勝手に顔を上げてはいけないのだった)

 黒いパンダの耳も顔と一緒に伏せて恭順を示す。辺境出身の白露でも、皇帝がどれほど高貴な存在かわかる。どうか怒っていませんようにと祈りながら沙汰を待った。

 衣擦れの音と共に周囲がざわめく。前方向から誰か近づいてきているけれど、まさか皇帝様が来ているのだろうか。ドキドキしながら金の刺繍が美しい絨毯の模様を眺めていると、赤い紐で編まれた黒靴が目の前で止まった。

「顔を上げて」

 涼やかな声が耳朶をくすぐり、促されるままそっと上を見た。豪奢な金の髪と共に青玻璃の瞳が目に飛び込んでくる。白露が今までに見たことがないくらいに美しい人だった。

(なんて綺麗なんだろう……天の国に住む神様のように神々しい人だ)

 声もなく見つめあっていると、皇帝の薄い唇が信じられないといった様子でわななく。そして次の瞬間には華やかに綻んだ。

「ようやく見つけた、私の運命の番よ」
「運命の番……僕が?」

 皇帝の一言を受けて、周囲の兵や重鎮達のざわめきがより大きくなった。立派な髭を蓄えた虎獣人が皇帝に尋ねる。

「皇上、誠に間違いはございませぬか」
「ああ、間違いない。この少年だ」

 白く形のいい手が白露の前に差し出される。戸惑っていると手を取られて、起立するように促された。立ち上がるとちょうど目の前に皇帝様の鎖骨がある。緩やかに波を描く金の髪が一房、胸の前にかかっていた。

 目線を上げると、眩しいくらいの美貌が白露を一心に見つめていた。その瞳に吸い込まれそうな気分になりながらも見つめ返す。

(この人、すごくいい匂いがする。嗅いでいるだけでうっとりして、夢を見ている気分になれちゃうような匂い……)

 伽羅の香りが脳髄まで染み込み、複雑に混ざりあった天上の香りが、白露の体中を包み込んでいるかのような錯覚を起こした。

 すんすんと本能のままに香りを吸っていると、皇帝は白露の首筋に顔を近づけてくる。

(わ、近い……!)

「匂いが薄いな、発情期が来ていないのか」

 運命の番に会うとすぐに発情期を迎えるのかもと思っていたが、どうやら何も起こらなかったらしい。

 固くなった肩の力が抜けると同時に、眉尻もへにょりと落ちる。残念なような安心したような、なんとも言えない気分だった。

 皇帝は一度体を離すと、優しい口調で白露に語りかけた。

「我が名は琉麒りゅうき。私の唯一無二の番よ、貴方の名前を教えてくれないか」

 大切な者を扱うような優しげな視線を向けられて、トクトクと胸が高鳴りだす。

「白露です」
「春の雪解けのような柔らかな響きの名前だね。貴方によく似合っている」

 秀麗な顔に親しみを滲ませた琉麒は、白露の手を引いて移動しはじめた。

「私の部屋に案内しよう。虎炎こえん、太狼、後は任せた」
「はっ! 心得ました」
「え、ちょっと待ってくださいよ皇上」

 焦った声が背中から追いかけてくるが、琉麒は白露にだけ視線を注ぎながら謁見室を出ていこうとする。白露も琉麒に見惚れながら彼についていった。

 琉麒は涼しげな声音に熱を織り混ぜながら、白露の黒耳にそっと耳打ちする。

「貴方のことをもっと知りたい。私に全てを見せてくれないか」
「見せる? えっと、聞いてくれたらなんでもお答えします、皇帝様」
「そのような他人行儀な話し方をしないでおくれ、愛しい人。貴方と私は番になるのだから。琉麒と呼んで、白露」
「琉麒……」
「そう、それでいい」

 甘い声で口説かれて、夢見心地で足を進める。気がつくと装飾彫りと金細工が施された立派な扉の前に来ており、腰を抱かれてそのまま入室した。どうやらここが皇帝様の居室らしい。

 琉麒は部屋の前に立っていた護衛に、番と交流するから誰も入れないようにと伝える。命令を聞き入れた門番の手によって、扉がしっかりと閉じられた。赤い天幕と飾り紐で装飾された豪華な寝台に、連れられるままに腰掛ける。

 皇帝は息がかかりそうな至近距離で白露の黒い瞳に焦点を当てた。青玻璃の宝石細工のような瞳が眼前に迫る。熱に浮かされたような声音で琉麒はそっと告白した。

「白露、私は君に出会える日をずっと待ち望んでいた」
「そうなんですか? 光栄です琉麒」

 頬を紅潮させながらそう答えた白露だったが、皇帝の目の下に隈があることに気づいた。そっと指先でなぞるとくすぐったそうに笑われる。

「どうした?」
「酷い隈ですね」

 よく見ると顔色も蝋のように白く、体調が悪いのではないかと心配になる。琉麒はなんでもなさそうに告げた。

「ああ、三日寝ていないからね」
「三日も⁉︎ 大変ですね、今すぐ寝た方がいいですよ。僕が子守唄を歌ってあげます」
「子守唄? いや、そのようなもので寝かしつけられる歳ではないのだが」

 琉麒は白露の言葉に困惑の表情を浮かべていたが、白露が靴を脱いで寝台に乗り上がりぽんぽんと膝を叩くと、同じように靴を脱ぎはにかみながら膝の上に頭を乗せた。

「ふ、このように甘やかされて心地よく感じるのは久方ぶりだ」
「琉麒はおいくつなんですか?」
「今年で二十八になった」
「そうなんですね、僕より十歳も大人だ」

 そんな大人の人の頭を膝の上に乗せたのは初めてだ。格子窓から差し込む午後の日の光を浴びてキラキラ輝く金の髪や金色の耳、黒く立派な麒麟角に見惚れていると、腰に回った手が白露の帯を引っ張りはじめた。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

既成事実さえあれば大丈夫

ふじの
BL
名家出身のオメガであるサミュエルは、第三王子に婚約を一方的に破棄された。名家とはいえ貧乏な家のためにも新しく誰かと番う必要がある。だがサミュエルは行き遅れなので、もはや選んでいる立場ではない。そうだ、既成事実さえあればどこかに嫁げるだろう。そう考えたサミュエルは、ヒート誘発薬を持って夜会に乗り込んだ。そこで出会った美丈夫のアルファ、ハリムと意気投合したが───。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】運命の番に逃げられたアルファと、身代わりベータの結婚

貴宮 あすか
BL
ベータの新は、オメガである兄、律の身代わりとなって結婚した。 相手は優れた経営手腕で新たちの両親に見込まれた、アルファの木南直樹だった。 しかし、直樹は自分の運命の番である律が、他のアルファと駆け落ちするのを手助けした新を、律の身代わりにすると言って組み敷き、何もかも初めての新を律の名前を呼びながら抱いた。それでも新は幸せだった。新にとって木南直樹は少年の頃に初めての恋をした相手だったから。 アルファ×ベータの身代わり結婚ものです。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

処理中です...