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第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編
第530話 ルーダンの契約書
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はっきり言って、ノエルはドレイクのことが嫌いだ。
彼女が大好きで大好きなアラタのことを駒扱いし、今まで散々こき使ってきた。
そういう風にアラタを扱うことをやめろと言ったのは1回ではない。
時には大公の名前で抗議を入れたこともあるくらい、彼女はドレイクとアラタの関係性を快く思っていなかった。
そして今、再び彼女がドレイクの家を訪れていた。
「ワシのせいにせんでください。あれが望んで決めた事です」
「お前の言葉なんて聞くに値しない。事実かどうか確かめる術がないのだからな」
ノエルの要求は1つ、アラタがしようとしている何かを取りやめさせること。
その何かというのが具体的に何を指しているのか彼女は掴み切れていない。
ただアラタが屋敷を引き払うなんてのはただ事ではない。
大公選……は急だったというのもあるが、戦争に行く時ですら屋敷はそのままシルに任せていた。
まるで自分の痕跡を消そうとするその異常さを見過ごすほどノエルは馬鹿ではないし、アラタに無関心でもない。
ノエルは出された茶にも菓子にも手を付けていない。
ただドレイクの方を真っ直ぐ見据えて要求する。
「アラタは私の伴侶になる予定なんだ。他のことのためにくれてやるつもりはない」
「あやつはそう考えておらぬようじゃが?」
「それは……これからそうなる予定だから」
ドレイクは目を細めて剣聖の少女を値踏みする。
大方なにも考えずにここまでやって来たのだろうと推察し、張り合いの無さを感じる。
何も考えずに反射で動くのは確かに素早くていいことだ。
ただ現場に到着した時点でそれではいただけない。
ドレイクは少なからずこの件に関して方々から突っ込まれても大丈夫なように準備をしてきた。
アラタという超一級の戦力を国外に出した場合、国防計画も少なからず変更を余儀なくされる。
彼が抜けた穴をドレイクが何らかの手段で補填しなければ、そもそも彼は関所はおろかこの街から出ることもままならなくなる。
他にも彼の収穫してくる魔石、ダンジョン内部の環境調整、孤児院への支援、近衛局2係の制御装置、彼の果たす役割は多岐に渡る。
それを事前に1個1個丁寧に解決してようやくここまで漕ぎつけている。
ノエルとは考えの深さがまるで違う。
「ノエル様、分不相応な結婚はお互いを不幸にしますぞ」
「アラタを馬鹿にするな」
「ほれ、あなたは今アラタのことを馬鹿にした」
「はっ?」
「両者の関係性において不適格なのは、足りていないのはアラタだと考えているからの発言じゃろうて」
「そういうつもりじゃ……」
「はっきり申し上げる。ワシから見ればノエル様の方がアラタと釣り合っておらぬよ」
少し驚いて固まっているノエルをよそに、ドレイクは立ち上がってリビングを歩き回る。
くるぶしのすぐ上くらいの高さのミドルカットの靴は、ふかふかの絨毯に少し沈み込む。
「あやつは逸材じゃ。この国でいえば、今後10年出るか出ないかというレベルの素材。ワシはそれを丹念に磨き上げ、鍛え、ここまで漕ぎつけた。ノエル様には悪いが、剣聖なんぞは確率論の範疇でしかない。あれは、異世界人は確率では得られない。エクストラスキルホルダーもまた同じく。それらを兼ね備えた精強な兵士、その価値はノエル様ではいささか足りぬのう」
「そんな……アラタは物じゃ……」
「ノエル様がやつを好いているから他の一切を犠牲に出来ると考えるように、ワシはワシの目的の為ならその他一切悉くを切り捨てることが出来る。その間にどれほどの違いがありましょうか?」
「ドレイク殿、きっ貴様には愛が無い。アラタを想う心が無い。私はアラタの為なら死ねるし、自分を犠牲に出来ると断言する。対して貴様はどうだ? そうやって若い命を使い潰してその歳まで生き永らえて、その先に何を望む? そんな貴様の言葉のどこに重みが生まれる? 私はやると言ったらやる人間だ。お前なんかにアラタは絶対に渡さないし、これ以上アラタに苦しい思いはさせない」
「理想論じゃな。あやつは進んで死地に飛び込む。そういう男じゃ」
「貴様がそう仕向けたんだろう!」
「そうじゃよ。ワシが育て上げた」
「っ! 貴さっ…………」
リビングを歩き回るドレイクに対して、ノエルも立ち上がり腰の剣に手がかかる。
判断の速さと向こう見ずさで言えばノエルもアラタに負けず劣らず。
【剣聖の間合い】が発動していた。
「お前は何を企んでいる、アラタに何を命令した。答えろ」
鯉口はすでに戦端を開いていて、この間合いならノエルが有利だと思われる。
ドレイクの奥の手があればこの状態からでも五分、いやそれ以上に戦えるのだが、ノエルはドレイクの底力を知らない。
彼女は自分の中で必殺の間合いを維持したまま迫る。
「答えろ!」
怒鳴るノエルと向かい合う老人は何の感情の起伏も見せない。
それはもう、静まり返る池の水面のように。
ドレイクはノエルと違い、相手の力量を完璧に把握している。
クラスの特性、スキル、剣技、魔術、魔力量、性格。
そしてこの間合い、それらを総合的に勘案した上で、彼は自分が勝つと断定した。
つまりまだまだドレイクには余裕があったのだ。
「企み……そんな大層なものはワシには無い」
「ならアラタに何を命じた!」
「そうさのう……」
ドレイクは真っ白な顎髭を撫でて思案する。
ストレートに美しく重力に引っ張られるそれは、さぞ毎日の手入れに手間と時間を使っていることだろう。
とかくクルクルしがちな顎髭をここまで美しく維持するのは中々骨が折れる。
何かを考えこむときに髭を触る癖はいつからあったのか、ドレイクは少し余計なことに気が逸れた。
確か50を超えたあたりには今よりも少し短い髭があったはずで、その頃から癖はあった。
「答えろ!」
再びノエルの怒号が聞こえてきて、ようやく老人は元の話に脳内が追いついてきた。
どうしたものか、どう答えたものか、考えど考えど最高の答えというものは出ない。
どこかで嘘をつかなければ矛盾が生じてしまうし、かといって生半可な論理ではすぐに破綻してしまう。
——まあこれも一興か。
「ここから先は他言無用に願います」
「……内容による」
「とおっしゃられてもノエル様のことじゃから約束を守れないのは初めから分かっております。ですから——」
ドレイクが杖を一振りすると、テーブルの上に1枚の紙が出現した。
手品ではなく、この世界に厳然と存在する技術を使って何もない所に紙を発生させた。
「これは?」
ひとまず剣から手を離したノエルが訊く。
「ルーダンの契約書じゃよ。知っておるか?」
「ううん」
ルーダンの契約書の外観はただの紙だった。
少し古ぼけた紙質で、濃紺のインクで契約書としての文字が記されている。
「双方合意の元に交わされ、この契約書に書かれた内容はいかなることがあっても破棄することが出来ない。つまり『ここでアラン・ドレイクから見聞きした一切を両者以外の存在に伝達、記録することを禁ずる』と、こうすれば……」
羽ペンでつらつらと条項を修正してから、血判で署名する。
はじめはただの紙でしかなく、何の効力も持たないとノエルは考えていた。
ただ今は少し違って、紙から発せられる得も言われぬ気配を感じ取っていた。
剣聖の能力をかなり強めに発動してようやく微かに感じられるかどうかといった微弱なシグナル。
でもそれは確かに存在していて、まるでマンホールを少しだけ開きその隙間からこちらを覗いているような不気味な気配を覚える。
「ルーダンとはなんだ?」
「魔の者と契約した存在の成れの果て、元は人間じゃが、今は魔物でも人間でもない。空気や土といったものといくらも変わらぬ、ただの装置じゃ」
うわぁ。
内心ノエルはドン引きだった。
ただならぬ気配の正体は魔に堕ちた人間で、ドレイクの語り口から察するにルーダンはまだ生きている。
人間として生きているわけではないというだけで、確かに生きている。
ノエルはルーダンの契約書の効力に関しては信じることにした。
アラタが元居た世界ならいざ知らず、この異世界でそういう勘は信じた方がいい。
ノエルはそれらを飲み込んだうえで、羽ペンを取った。
何も知らずに護られるのはもう嫌なのだと、そう心に決めて。
「……確かに」
ドレイクは両者の署名と血判を確認すると、ノエルにタオルを渡して紙を懐に仕舞った。
ノエルは手を拭きながらテーブルに座っている。
腹は決まったみたいだ。
「話せ」
ノエルの高圧的な態度はドレイクに対する軽蔑の表れか、それとも不安を押し殺すための虚勢か。
どちらでも構わないとドレイクは薄く笑いながら自身も席に着き、事のあらましを告げることにした。
「まずアラタのことじゃが……あやつにはウル帝国に赴いてもらい工作員として任務に従事してもらう。目的は第十六次帝国戦役の回避、これに尽きる」
「またそんなことを……どうしてアラタなんだ」
「次に、ワシが何を企んでいるのかじゃが……対して面白みが無くてすまぬが、ワシはただカナン公国に独立を守って欲しいだけじゃ。他意はない」
「真実か。誓えるか」
「もちろん。ワシはただ平和な世界を望んでおるだけじゃ。人並みに働き、老後を暮らし、そして死ぬという当たり前の日常を得ることが我が人生の目標なのじゃよ」
「……そのためにアラタの命を使わないでよ」
絞り出すように、噛み殺すように言ったノエルとは対照的に、ドレイクの口調は平坦でいつもと変わりなかった。
「契約書の効力はもう働いておる。ものは試しじゃ、ここに今の内容を書いてみなさい」
そうドレイクはノエルに契約書とは別の紙とペンを渡した。
ノエルは言われるままアラタのウル帝国潜入の件について紙に記録しようとした。
「ふんっ、くぬぅ……むぅ」
腕が動かない。
これでは書こうにも書けない。
「分かった。よく分かった」
ペンを置こうとする行為は何も邪魔されずに完結することを体験すると、ノエルはおもむろに席を立った。
「これからどうするんじゃ?」
「何とかしてアラタを任務から引き剥がす。言わなければ状況を改変する事は認められているはずだ」
「お好きになさればよろしいかと」
「そうさせてもらう」
ノエルがそのままドレイクの家を後にすると、残された老人は密かに笑う。
こんなに上手くいってもいいのかと、ノエルのちょろさとアラタの純粋さに脱帽だ。
「直線バカ同士、お似合いであることは確かじゃな」
医療が発達していない異世界で、ドレイクのような高齢男性が長生きできる確率はかなり低い。
それをこの歳まで現役で活動し続けているのだから、一癖も二癖もある人間なのは確かだろう。
役者は揃った。
舞台装置も完璧で、準備は万端。
いよいよ万難を排して公国の悲願を果たすときだ。
高尚な目的とは裏腹に、ほくそ笑むドレイクの顔は邪悪そのものだった。
彼女が大好きで大好きなアラタのことを駒扱いし、今まで散々こき使ってきた。
そういう風にアラタを扱うことをやめろと言ったのは1回ではない。
時には大公の名前で抗議を入れたこともあるくらい、彼女はドレイクとアラタの関係性を快く思っていなかった。
そして今、再び彼女がドレイクの家を訪れていた。
「ワシのせいにせんでください。あれが望んで決めた事です」
「お前の言葉なんて聞くに値しない。事実かどうか確かめる術がないのだからな」
ノエルの要求は1つ、アラタがしようとしている何かを取りやめさせること。
その何かというのが具体的に何を指しているのか彼女は掴み切れていない。
ただアラタが屋敷を引き払うなんてのはただ事ではない。
大公選……は急だったというのもあるが、戦争に行く時ですら屋敷はそのままシルに任せていた。
まるで自分の痕跡を消そうとするその異常さを見過ごすほどノエルは馬鹿ではないし、アラタに無関心でもない。
ノエルは出された茶にも菓子にも手を付けていない。
ただドレイクの方を真っ直ぐ見据えて要求する。
「アラタは私の伴侶になる予定なんだ。他のことのためにくれてやるつもりはない」
「あやつはそう考えておらぬようじゃが?」
「それは……これからそうなる予定だから」
ドレイクは目を細めて剣聖の少女を値踏みする。
大方なにも考えずにここまでやって来たのだろうと推察し、張り合いの無さを感じる。
何も考えずに反射で動くのは確かに素早くていいことだ。
ただ現場に到着した時点でそれではいただけない。
ドレイクは少なからずこの件に関して方々から突っ込まれても大丈夫なように準備をしてきた。
アラタという超一級の戦力を国外に出した場合、国防計画も少なからず変更を余儀なくされる。
彼が抜けた穴をドレイクが何らかの手段で補填しなければ、そもそも彼は関所はおろかこの街から出ることもままならなくなる。
他にも彼の収穫してくる魔石、ダンジョン内部の環境調整、孤児院への支援、近衛局2係の制御装置、彼の果たす役割は多岐に渡る。
それを事前に1個1個丁寧に解決してようやくここまで漕ぎつけている。
ノエルとは考えの深さがまるで違う。
「ノエル様、分不相応な結婚はお互いを不幸にしますぞ」
「アラタを馬鹿にするな」
「ほれ、あなたは今アラタのことを馬鹿にした」
「はっ?」
「両者の関係性において不適格なのは、足りていないのはアラタだと考えているからの発言じゃろうて」
「そういうつもりじゃ……」
「はっきり申し上げる。ワシから見ればノエル様の方がアラタと釣り合っておらぬよ」
少し驚いて固まっているノエルをよそに、ドレイクは立ち上がってリビングを歩き回る。
くるぶしのすぐ上くらいの高さのミドルカットの靴は、ふかふかの絨毯に少し沈み込む。
「あやつは逸材じゃ。この国でいえば、今後10年出るか出ないかというレベルの素材。ワシはそれを丹念に磨き上げ、鍛え、ここまで漕ぎつけた。ノエル様には悪いが、剣聖なんぞは確率論の範疇でしかない。あれは、異世界人は確率では得られない。エクストラスキルホルダーもまた同じく。それらを兼ね備えた精強な兵士、その価値はノエル様ではいささか足りぬのう」
「そんな……アラタは物じゃ……」
「ノエル様がやつを好いているから他の一切を犠牲に出来ると考えるように、ワシはワシの目的の為ならその他一切悉くを切り捨てることが出来る。その間にどれほどの違いがありましょうか?」
「ドレイク殿、きっ貴様には愛が無い。アラタを想う心が無い。私はアラタの為なら死ねるし、自分を犠牲に出来ると断言する。対して貴様はどうだ? そうやって若い命を使い潰してその歳まで生き永らえて、その先に何を望む? そんな貴様の言葉のどこに重みが生まれる? 私はやると言ったらやる人間だ。お前なんかにアラタは絶対に渡さないし、これ以上アラタに苦しい思いはさせない」
「理想論じゃな。あやつは進んで死地に飛び込む。そういう男じゃ」
「貴様がそう仕向けたんだろう!」
「そうじゃよ。ワシが育て上げた」
「っ! 貴さっ…………」
リビングを歩き回るドレイクに対して、ノエルも立ち上がり腰の剣に手がかかる。
判断の速さと向こう見ずさで言えばノエルもアラタに負けず劣らず。
【剣聖の間合い】が発動していた。
「お前は何を企んでいる、アラタに何を命令した。答えろ」
鯉口はすでに戦端を開いていて、この間合いならノエルが有利だと思われる。
ドレイクの奥の手があればこの状態からでも五分、いやそれ以上に戦えるのだが、ノエルはドレイクの底力を知らない。
彼女は自分の中で必殺の間合いを維持したまま迫る。
「答えろ!」
怒鳴るノエルと向かい合う老人は何の感情の起伏も見せない。
それはもう、静まり返る池の水面のように。
ドレイクはノエルと違い、相手の力量を完璧に把握している。
クラスの特性、スキル、剣技、魔術、魔力量、性格。
そしてこの間合い、それらを総合的に勘案した上で、彼は自分が勝つと断定した。
つまりまだまだドレイクには余裕があったのだ。
「企み……そんな大層なものはワシには無い」
「ならアラタに何を命じた!」
「そうさのう……」
ドレイクは真っ白な顎髭を撫でて思案する。
ストレートに美しく重力に引っ張られるそれは、さぞ毎日の手入れに手間と時間を使っていることだろう。
とかくクルクルしがちな顎髭をここまで美しく維持するのは中々骨が折れる。
何かを考えこむときに髭を触る癖はいつからあったのか、ドレイクは少し余計なことに気が逸れた。
確か50を超えたあたりには今よりも少し短い髭があったはずで、その頃から癖はあった。
「答えろ!」
再びノエルの怒号が聞こえてきて、ようやく老人は元の話に脳内が追いついてきた。
どうしたものか、どう答えたものか、考えど考えど最高の答えというものは出ない。
どこかで嘘をつかなければ矛盾が生じてしまうし、かといって生半可な論理ではすぐに破綻してしまう。
——まあこれも一興か。
「ここから先は他言無用に願います」
「……内容による」
「とおっしゃられてもノエル様のことじゃから約束を守れないのは初めから分かっております。ですから——」
ドレイクが杖を一振りすると、テーブルの上に1枚の紙が出現した。
手品ではなく、この世界に厳然と存在する技術を使って何もない所に紙を発生させた。
「これは?」
ひとまず剣から手を離したノエルが訊く。
「ルーダンの契約書じゃよ。知っておるか?」
「ううん」
ルーダンの契約書の外観はただの紙だった。
少し古ぼけた紙質で、濃紺のインクで契約書としての文字が記されている。
「双方合意の元に交わされ、この契約書に書かれた内容はいかなることがあっても破棄することが出来ない。つまり『ここでアラン・ドレイクから見聞きした一切を両者以外の存在に伝達、記録することを禁ずる』と、こうすれば……」
羽ペンでつらつらと条項を修正してから、血判で署名する。
はじめはただの紙でしかなく、何の効力も持たないとノエルは考えていた。
ただ今は少し違って、紙から発せられる得も言われぬ気配を感じ取っていた。
剣聖の能力をかなり強めに発動してようやく微かに感じられるかどうかといった微弱なシグナル。
でもそれは確かに存在していて、まるでマンホールを少しだけ開きその隙間からこちらを覗いているような不気味な気配を覚える。
「ルーダンとはなんだ?」
「魔の者と契約した存在の成れの果て、元は人間じゃが、今は魔物でも人間でもない。空気や土といったものといくらも変わらぬ、ただの装置じゃ」
うわぁ。
内心ノエルはドン引きだった。
ただならぬ気配の正体は魔に堕ちた人間で、ドレイクの語り口から察するにルーダンはまだ生きている。
人間として生きているわけではないというだけで、確かに生きている。
ノエルはルーダンの契約書の効力に関しては信じることにした。
アラタが元居た世界ならいざ知らず、この異世界でそういう勘は信じた方がいい。
ノエルはそれらを飲み込んだうえで、羽ペンを取った。
何も知らずに護られるのはもう嫌なのだと、そう心に決めて。
「……確かに」
ドレイクは両者の署名と血判を確認すると、ノエルにタオルを渡して紙を懐に仕舞った。
ノエルは手を拭きながらテーブルに座っている。
腹は決まったみたいだ。
「話せ」
ノエルの高圧的な態度はドレイクに対する軽蔑の表れか、それとも不安を押し殺すための虚勢か。
どちらでも構わないとドレイクは薄く笑いながら自身も席に着き、事のあらましを告げることにした。
「まずアラタのことじゃが……あやつにはウル帝国に赴いてもらい工作員として任務に従事してもらう。目的は第十六次帝国戦役の回避、これに尽きる」
「またそんなことを……どうしてアラタなんだ」
「次に、ワシが何を企んでいるのかじゃが……対して面白みが無くてすまぬが、ワシはただカナン公国に独立を守って欲しいだけじゃ。他意はない」
「真実か。誓えるか」
「もちろん。ワシはただ平和な世界を望んでおるだけじゃ。人並みに働き、老後を暮らし、そして死ぬという当たり前の日常を得ることが我が人生の目標なのじゃよ」
「……そのためにアラタの命を使わないでよ」
絞り出すように、噛み殺すように言ったノエルとは対照的に、ドレイクの口調は平坦でいつもと変わりなかった。
「契約書の効力はもう働いておる。ものは試しじゃ、ここに今の内容を書いてみなさい」
そうドレイクはノエルに契約書とは別の紙とペンを渡した。
ノエルは言われるままアラタのウル帝国潜入の件について紙に記録しようとした。
「ふんっ、くぬぅ……むぅ」
腕が動かない。
これでは書こうにも書けない。
「分かった。よく分かった」
ペンを置こうとする行為は何も邪魔されずに完結することを体験すると、ノエルはおもむろに席を立った。
「これからどうするんじゃ?」
「何とかしてアラタを任務から引き剥がす。言わなければ状況を改変する事は認められているはずだ」
「お好きになさればよろしいかと」
「そうさせてもらう」
ノエルがそのままドレイクの家を後にすると、残された老人は密かに笑う。
こんなに上手くいってもいいのかと、ノエルのちょろさとアラタの純粋さに脱帽だ。
「直線バカ同士、お似合いであることは確かじゃな」
医療が発達していない異世界で、ドレイクのような高齢男性が長生きできる確率はかなり低い。
それをこの歳まで現役で活動し続けているのだから、一癖も二癖もある人間なのは確かだろう。
役者は揃った。
舞台装置も完璧で、準備は万端。
いよいよ万難を排して公国の悲願を果たすときだ。
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