539 / 544
第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編
第534話 家族の肖像
しおりを挟む
「……そうか。いや、なるほど、それなら我々も覚悟を決めねばな」
シャノン大公は妻のアリシアの方を見て言った。
アラタがドレイクから聞いた話によれば、脅威はウル帝国だけではない。
人類存続に対する未曽有の危機、魔王の復活。
ただ残念なことに、世界各国は実際に魔王が復活してからしか団結することが出来ない。
新型のウイルスが世界的に流行しても仲良く立ち向かうことが出来ないのだから、まあ妥当な線だろう。
とにかくカナン公国としては、公国の独立と主権を守るために帝国と渡り合う必要がある。
ただそのためだけに全ての人材を使い切るようでは先がない。
帝国に対して確固たる関係を築きつつも、次世代の戦力を育て上げて魔王討伐に備える。
魔王討伐を他の国に任せるという選択肢もなしではないが、その理論で国同士が足の引っ張り合いをすると本当に人類が滅びかねない。
「アラタ君、改めていいかな」
「なんでしょうか」
「ノエルのことを頼みたい。これは大公からの依頼であり、父親としての願いでもある」
「正気ですか」
「私は本気だ」
アラタは先ほどドレイクにやられて気が立っている。
そこにこの話題、アラタの拳が震えた。
「それは、娘を血みどろの戦いの中に放り込むという解釈で合っていますか」
「相違ない」
「…………っけんな」
ノエルに続いてノエルの父親まで、アラタの地雷を踏み抜いた。
「あんたら家族だろうが! 娘のことが大切じゃねえのかよ! 家族ってそんなもんじゃねえだろ、そんなもんなのかよ……なぁ…………」
「すまない」
「それはノエルに言ってやる言葉だろうが! 赤の他人の俺に言うくらいなら、始めっからこんな事すんなよ!」
アリシアの眼には、悲痛な表情で叫ぶアラタが映っていた。
彼が声を荒らげても護衛が部屋に入ってこないのは、予めこうなることが予測されていたから。
こうなることが分かっていたから、シャノンはアラタが大声を上げたくらいでは入ってこないように事前に言い含めてある。
「なあ! 親子だろうが!」
子供を危険な場所に送り込む親を、アラタは許さない。
自分から軍に入り、給料をもらって戦地に赴くのとはわけが違う。
そんなのを認めるわけにはいかなかった。
「アラタ君、座りたまえ」
アラタは肩で息をしながら大公を睨みつけている。
「座りたまえ」
ノエルと同じ赤い瞳に見据えられて、彼はようやく着席した。
「君は良い育ての親を持ったのだな」
「……そうです」
「確かに君からすれば、私たちが薄情に見えても仕方がないのかもしれない」
赤い瞳の持ち主は茶髪の端をネジネジと弄る。
ノエルの黒髪は母親から、赤い瞳は父親譲りだった。
「これはノエルに以前言ったことだが……」
シャノンは上半身をやや前に倒して、前傾姿勢でアラタに迫る。
「公国貴族は畑を耕さない。生まれながらにして恵まれている。ただ貴族の家に生まれたという幸運によって、我々は人並み以上の人生を謳歌する権利が与えられている」
例えばもし、ノエルが貧しい農村の出身だったのなら。
彼女はもう少し家事が出来ただろうし、その反面剣術はからきしになっていただろう。
「不平等だとは思わないかね? たかだか生まれた親と場所が違うだけで、こんなにも人生のスタートラインは違っている。スタートラインが違えば辿り着くことのできる場所だって当然違ってくる。その差がいくらになったとして、一般人よりもどれだけ遠くに行けたとして、それが貴族の価値なのか? それが人生の価値なのか? 君はどう思う?」
「俺からしたら、そんなものは遺せなければ何も意味がないです」
「それと同じさ」
シャノンは席を立つと、アラタを見降ろしながら語り続ける。
身長178cmのシャノンは比較的大柄だがアラタには劣る。
こういう時くらいしか、アラタのつむじを拝む機会と言うのは無い。
「国に尽くし、民に尽くし、国家の繁栄と安寧を何としても手に入れる。この国に住まう人間があまねく人間らしくあることのできるように、我々は身命を賭して社会秩序を守る責務がある。それは子供だろうが大人だろうが関係なく、貴族たる者の義務なのだよ」
「だから実の娘を危険な環境に放り込むんですか」
「やむを得なければそういう事にもなる」
「やむを得なければ……それなら俺が帝国に行って、それから結果が出なかった時にしてください。それまではノエル様の帝国出向は見合わせてください」
アラタは勢いよく立ち上がり、一瞬シャノンの視線の高さを抜いた。
そしてすぐに彼の頭は急降下し、深々とした礼をする。
何とかしてノエルを戦いから遠ざけたい、その一心だった。
「頭を上げてくれ。そうやってくれるのは嬉しい限りだが、結果は変わらない」
「何とかなりませんか。なんとか」
立場が逆だったらと、シャノンは一定の理解を示した。
ノエルはアラタのことが好きだと大っぴらにしていて、それなら好きな人が危険なところに行くなんて彼女が簡単に受け入れるはずもなく、今のアラタのように頭を下げて再考を願うのは理解できる。
だが、アラタはノエルの告白を断っている身だ。
それでいてこの献身、シャノンはアラタに対して若干の狂気を感じずにはいられない。
「何が君をそこまでさせるのかな。少し気になるよ」
「話せば納得してくれますか」
「それは時と場合による」
望みは薄いか
そう感じつつも、彼は彼の哲学について、ポリシーについて、生き方について語る。
「俺は、謂れのない誹謗中傷を受けたことがあります。食うにも困る惨めな生活も、ほんの少しだけどあります。自分の居場所を作れず孤立したことがあります。時には居場所が壊れてなくなってしまったことがあります。自分の命よりも大切な人を喪ったことがあります。大事な仲間を守れなかったことがあります。自分の信念を曲げたことがあります」
転生の前後に関わらず、アラタの人生は失敗の連続だ。
なまじ普通の人より能力が高いゆえに、落ちる高さもより大きくなる。
かつて彼が戦いの後に血の池に沈めた相手が言っていた。
自分とアラタは似ている、自力で降りられなくなるほど高くに登ってしまうと、足を踏み外した時どうしようもなくただ落ちてしまうと。
その言葉の後も、アラタは登っては落ち登っては落ちを繰り返した。
「俺は人の悪意を知っています。あの底冷えするような冷たい目線を。自分が世界に打ちのめされてどうしようもなくなった時、ノエルは……様はいつも手を差し伸べてくれた。それがどれだけ打算を含むものだったとしても、人を助けるのは自力で助かるよりも遥かに難しく疲れることだというのに、まったくそんな表情を見せずにただ屈託のない笑顔で迎えてくれました」
「そうか、ノエルが君の役に立つことがあったのか」
「はい。俺はただ、まごうことなき善人に、ただ幸せに暮らしてほしいだけなんです。俺は空っぽだから、親がいるわけでも子がいるわけでもないから、俺がやれば話は穏便に片付くんです。家族は一緒に居なきゃ、これってそんなにおかしなことですか」
「いや、良いと思うが」
「貴族とか一般人とか、そんなのどうでもいいんです。ただ俺には時間が残されていないし、胸張って歩けるほどの誇れる過去はありません。だから、せめてまだ普通の中にいる人に普通でい続けて欲しいだけなんです。だから、ノエル様はどうかこの任務からは外してください」
「前にも言ったかもしれないが、君に対するノエルの思いも同じなんじゃないかな?」
「俺に残された時間は長くてもあと5年、誰かのために燃やしたいんです」
「生き急ぎ過ぎだ」
「それでも譲れません」
「強情だなあ」
「ノエル様にはお2人がいる。ノエル様が遺骨になって帰って来てもいいっていうんですか」
「良くはないが、覚悟しなければなるまい」
「そんなの——」
「アラタ君」
男同士、水平線まで駆けていきそうなほど進展のないやり取り。
アラタが強情で、シャノンが他に崩す手を使わないというのもある。
そんな時彼の名前を呼んだのはノエルの母アリシアだった。
「あなた、ちょっといいかしら」
「あぁ、構わないよ」
「アラタ君」
「はい」
「もし貴方が死んでしまったとして、ノエルがいずれそのことを忘れてふっきれると思う?」
「そうでないと困ります。それに、未練を引きずるのは男の方だと相場が決まっています」
「じゃあノエルはいずれ切り替えられると」
「まあ、時間はかかるかもしれませんが」
「そうね……私なら夫が亡くなっても何とかやっていける気がするわ」
「アリシア!?」
突然の死んでも大丈夫宣言に戸惑いを隠せないシャノン。
大公の威厳なんてどこかに放り捨ててしまったのか、慌てふためいている。
「アリシアはずっと好きでいてくれるよね!? 他の男は気にならないよね!? ね!? ね!?」
「少し黙っていて」
「…………はい」
「ノエル、アラタ君が死んでしまったらきっとすごく悲しむわ。大公選の前に一度あったわよね?」
アラタとクリスは大公選の混乱の中、一度死刑宣告を受けていてドレイク謹製の身代わりを使って難を逃れている。
「まあ、一応」
少し後ろめたい記憶を思い出して、アラタの表情がほんの少し後ろに傾いた。
「自分の気持ちに自覚的になった今、今度本当に死んでしまったら、ノエルは本当に立ち直れなくなると思うのだけれど」
「それはまあ、何とかなるかと」
「それは確信? それとも希望?」
「希望です」
「じゃあ聞いてみましょうか」
アリシアは立ち上がると、ツカツカと歩いてドアを開けた。
そこには05式隠密兵装を身につけて気配を消していたノエルの姿が。
「俺のっ……じゃないか。クリスか?」
アラタは自分の手元に装備があることを確認すると、サイズ感から女性用に作られたものだと推察した。
2係の中で女性はクリス1人、そういうことだろう。
ノエルは黒のフードを脱ぎ去ると、ドアの前でもじもじしている。
「ノエル、真剣に答えなさい。アラタ君がいなくなっても大丈夫? 死んじゃったらちゃんと切り替えて結婚できる?」
「出来ない」
「そんなことになるくらいなら?」
「私が帝国に行く。私も帝国に行ってアラタを助ける」
「お2人とも、そういうつもりみたいですよ」
アリシアはシャノンとアラタに対してそう言ってのけた。
05式の裾をギュッと掴んで離さないノエルの表情に嘘偽りは無さそうだ。
アラタがいかにノエルの安全を心配しようと、危険から遠ざけようとしようと、そういう問題ではないのだ。
「アラタが居ないと寂しいよ」
「アラタ君、娘を頼みたい」
直立するアラタの前でシャノンが頭を下げた。
この国の最高権力者がである。
続いてアリシア、それから少し遅れてノエル。
3人家族そろってアラタにお願い事だ。
娘を頼むと。
「……寂しいって、おのれはウサギか」
「お願い。頑張るから」
「…………少し考えさせてください」
「いいとも。ただ、ノエルを連れて帰ってもらえれば幸いだ」
「何ででしょうか」
「使用人も少し減らしていてね。ノエルがいると仕事が回り切らなくなってしまう」
アラタはノエルに対してどこまでもポンコツなんだと呆れた。
ただ、そうでなくても何らかの理由を付けてきたのだろうなとも思っている。
この辺りが引き際だ。
「分かりました。ノエル様、行きましょうか」
「うん!」
根負けしたアラタがノエルを連れて退出した。
それを見送ったアリシアは、アラタの中に以前とは少し異なるものを見た。
それはどす黒く悪臭を放つヘドロの中にあって、何の捻りもなくただ真っ直ぐに光り輝く小さな光。
「今度は何が見えた?」
「風穴、あるいは…………トンネルの出口、かしら?」
「それは良かった」
シャノン大公は妻のアリシアの方を見て言った。
アラタがドレイクから聞いた話によれば、脅威はウル帝国だけではない。
人類存続に対する未曽有の危機、魔王の復活。
ただ残念なことに、世界各国は実際に魔王が復活してからしか団結することが出来ない。
新型のウイルスが世界的に流行しても仲良く立ち向かうことが出来ないのだから、まあ妥当な線だろう。
とにかくカナン公国としては、公国の独立と主権を守るために帝国と渡り合う必要がある。
ただそのためだけに全ての人材を使い切るようでは先がない。
帝国に対して確固たる関係を築きつつも、次世代の戦力を育て上げて魔王討伐に備える。
魔王討伐を他の国に任せるという選択肢もなしではないが、その理論で国同士が足の引っ張り合いをすると本当に人類が滅びかねない。
「アラタ君、改めていいかな」
「なんでしょうか」
「ノエルのことを頼みたい。これは大公からの依頼であり、父親としての願いでもある」
「正気ですか」
「私は本気だ」
アラタは先ほどドレイクにやられて気が立っている。
そこにこの話題、アラタの拳が震えた。
「それは、娘を血みどろの戦いの中に放り込むという解釈で合っていますか」
「相違ない」
「…………っけんな」
ノエルに続いてノエルの父親まで、アラタの地雷を踏み抜いた。
「あんたら家族だろうが! 娘のことが大切じゃねえのかよ! 家族ってそんなもんじゃねえだろ、そんなもんなのかよ……なぁ…………」
「すまない」
「それはノエルに言ってやる言葉だろうが! 赤の他人の俺に言うくらいなら、始めっからこんな事すんなよ!」
アリシアの眼には、悲痛な表情で叫ぶアラタが映っていた。
彼が声を荒らげても護衛が部屋に入ってこないのは、予めこうなることが予測されていたから。
こうなることが分かっていたから、シャノンはアラタが大声を上げたくらいでは入ってこないように事前に言い含めてある。
「なあ! 親子だろうが!」
子供を危険な場所に送り込む親を、アラタは許さない。
自分から軍に入り、給料をもらって戦地に赴くのとはわけが違う。
そんなのを認めるわけにはいかなかった。
「アラタ君、座りたまえ」
アラタは肩で息をしながら大公を睨みつけている。
「座りたまえ」
ノエルと同じ赤い瞳に見据えられて、彼はようやく着席した。
「君は良い育ての親を持ったのだな」
「……そうです」
「確かに君からすれば、私たちが薄情に見えても仕方がないのかもしれない」
赤い瞳の持ち主は茶髪の端をネジネジと弄る。
ノエルの黒髪は母親から、赤い瞳は父親譲りだった。
「これはノエルに以前言ったことだが……」
シャノンは上半身をやや前に倒して、前傾姿勢でアラタに迫る。
「公国貴族は畑を耕さない。生まれながらにして恵まれている。ただ貴族の家に生まれたという幸運によって、我々は人並み以上の人生を謳歌する権利が与えられている」
例えばもし、ノエルが貧しい農村の出身だったのなら。
彼女はもう少し家事が出来ただろうし、その反面剣術はからきしになっていただろう。
「不平等だとは思わないかね? たかだか生まれた親と場所が違うだけで、こんなにも人生のスタートラインは違っている。スタートラインが違えば辿り着くことのできる場所だって当然違ってくる。その差がいくらになったとして、一般人よりもどれだけ遠くに行けたとして、それが貴族の価値なのか? それが人生の価値なのか? 君はどう思う?」
「俺からしたら、そんなものは遺せなければ何も意味がないです」
「それと同じさ」
シャノンは席を立つと、アラタを見降ろしながら語り続ける。
身長178cmのシャノンは比較的大柄だがアラタには劣る。
こういう時くらいしか、アラタのつむじを拝む機会と言うのは無い。
「国に尽くし、民に尽くし、国家の繁栄と安寧を何としても手に入れる。この国に住まう人間があまねく人間らしくあることのできるように、我々は身命を賭して社会秩序を守る責務がある。それは子供だろうが大人だろうが関係なく、貴族たる者の義務なのだよ」
「だから実の娘を危険な環境に放り込むんですか」
「やむを得なければそういう事にもなる」
「やむを得なければ……それなら俺が帝国に行って、それから結果が出なかった時にしてください。それまではノエル様の帝国出向は見合わせてください」
アラタは勢いよく立ち上がり、一瞬シャノンの視線の高さを抜いた。
そしてすぐに彼の頭は急降下し、深々とした礼をする。
何とかしてノエルを戦いから遠ざけたい、その一心だった。
「頭を上げてくれ。そうやってくれるのは嬉しい限りだが、結果は変わらない」
「何とかなりませんか。なんとか」
立場が逆だったらと、シャノンは一定の理解を示した。
ノエルはアラタのことが好きだと大っぴらにしていて、それなら好きな人が危険なところに行くなんて彼女が簡単に受け入れるはずもなく、今のアラタのように頭を下げて再考を願うのは理解できる。
だが、アラタはノエルの告白を断っている身だ。
それでいてこの献身、シャノンはアラタに対して若干の狂気を感じずにはいられない。
「何が君をそこまでさせるのかな。少し気になるよ」
「話せば納得してくれますか」
「それは時と場合による」
望みは薄いか
そう感じつつも、彼は彼の哲学について、ポリシーについて、生き方について語る。
「俺は、謂れのない誹謗中傷を受けたことがあります。食うにも困る惨めな生活も、ほんの少しだけどあります。自分の居場所を作れず孤立したことがあります。時には居場所が壊れてなくなってしまったことがあります。自分の命よりも大切な人を喪ったことがあります。大事な仲間を守れなかったことがあります。自分の信念を曲げたことがあります」
転生の前後に関わらず、アラタの人生は失敗の連続だ。
なまじ普通の人より能力が高いゆえに、落ちる高さもより大きくなる。
かつて彼が戦いの後に血の池に沈めた相手が言っていた。
自分とアラタは似ている、自力で降りられなくなるほど高くに登ってしまうと、足を踏み外した時どうしようもなくただ落ちてしまうと。
その言葉の後も、アラタは登っては落ち登っては落ちを繰り返した。
「俺は人の悪意を知っています。あの底冷えするような冷たい目線を。自分が世界に打ちのめされてどうしようもなくなった時、ノエルは……様はいつも手を差し伸べてくれた。それがどれだけ打算を含むものだったとしても、人を助けるのは自力で助かるよりも遥かに難しく疲れることだというのに、まったくそんな表情を見せずにただ屈託のない笑顔で迎えてくれました」
「そうか、ノエルが君の役に立つことがあったのか」
「はい。俺はただ、まごうことなき善人に、ただ幸せに暮らしてほしいだけなんです。俺は空っぽだから、親がいるわけでも子がいるわけでもないから、俺がやれば話は穏便に片付くんです。家族は一緒に居なきゃ、これってそんなにおかしなことですか」
「いや、良いと思うが」
「貴族とか一般人とか、そんなのどうでもいいんです。ただ俺には時間が残されていないし、胸張って歩けるほどの誇れる過去はありません。だから、せめてまだ普通の中にいる人に普通でい続けて欲しいだけなんです。だから、ノエル様はどうかこの任務からは外してください」
「前にも言ったかもしれないが、君に対するノエルの思いも同じなんじゃないかな?」
「俺に残された時間は長くてもあと5年、誰かのために燃やしたいんです」
「生き急ぎ過ぎだ」
「それでも譲れません」
「強情だなあ」
「ノエル様にはお2人がいる。ノエル様が遺骨になって帰って来てもいいっていうんですか」
「良くはないが、覚悟しなければなるまい」
「そんなの——」
「アラタ君」
男同士、水平線まで駆けていきそうなほど進展のないやり取り。
アラタが強情で、シャノンが他に崩す手を使わないというのもある。
そんな時彼の名前を呼んだのはノエルの母アリシアだった。
「あなた、ちょっといいかしら」
「あぁ、構わないよ」
「アラタ君」
「はい」
「もし貴方が死んでしまったとして、ノエルがいずれそのことを忘れてふっきれると思う?」
「そうでないと困ります。それに、未練を引きずるのは男の方だと相場が決まっています」
「じゃあノエルはいずれ切り替えられると」
「まあ、時間はかかるかもしれませんが」
「そうね……私なら夫が亡くなっても何とかやっていける気がするわ」
「アリシア!?」
突然の死んでも大丈夫宣言に戸惑いを隠せないシャノン。
大公の威厳なんてどこかに放り捨ててしまったのか、慌てふためいている。
「アリシアはずっと好きでいてくれるよね!? 他の男は気にならないよね!? ね!? ね!?」
「少し黙っていて」
「…………はい」
「ノエル、アラタ君が死んでしまったらきっとすごく悲しむわ。大公選の前に一度あったわよね?」
アラタとクリスは大公選の混乱の中、一度死刑宣告を受けていてドレイク謹製の身代わりを使って難を逃れている。
「まあ、一応」
少し後ろめたい記憶を思い出して、アラタの表情がほんの少し後ろに傾いた。
「自分の気持ちに自覚的になった今、今度本当に死んでしまったら、ノエルは本当に立ち直れなくなると思うのだけれど」
「それはまあ、何とかなるかと」
「それは確信? それとも希望?」
「希望です」
「じゃあ聞いてみましょうか」
アリシアは立ち上がると、ツカツカと歩いてドアを開けた。
そこには05式隠密兵装を身につけて気配を消していたノエルの姿が。
「俺のっ……じゃないか。クリスか?」
アラタは自分の手元に装備があることを確認すると、サイズ感から女性用に作られたものだと推察した。
2係の中で女性はクリス1人、そういうことだろう。
ノエルは黒のフードを脱ぎ去ると、ドアの前でもじもじしている。
「ノエル、真剣に答えなさい。アラタ君がいなくなっても大丈夫? 死んじゃったらちゃんと切り替えて結婚できる?」
「出来ない」
「そんなことになるくらいなら?」
「私が帝国に行く。私も帝国に行ってアラタを助ける」
「お2人とも、そういうつもりみたいですよ」
アリシアはシャノンとアラタに対してそう言ってのけた。
05式の裾をギュッと掴んで離さないノエルの表情に嘘偽りは無さそうだ。
アラタがいかにノエルの安全を心配しようと、危険から遠ざけようとしようと、そういう問題ではないのだ。
「アラタが居ないと寂しいよ」
「アラタ君、娘を頼みたい」
直立するアラタの前でシャノンが頭を下げた。
この国の最高権力者がである。
続いてアリシア、それから少し遅れてノエル。
3人家族そろってアラタにお願い事だ。
娘を頼むと。
「……寂しいって、おのれはウサギか」
「お願い。頑張るから」
「…………少し考えさせてください」
「いいとも。ただ、ノエルを連れて帰ってもらえれば幸いだ」
「何ででしょうか」
「使用人も少し減らしていてね。ノエルがいると仕事が回り切らなくなってしまう」
アラタはノエルに対してどこまでもポンコツなんだと呆れた。
ただ、そうでなくても何らかの理由を付けてきたのだろうなとも思っている。
この辺りが引き際だ。
「分かりました。ノエル様、行きましょうか」
「うん!」
根負けしたアラタがノエルを連れて退出した。
それを見送ったアリシアは、アラタの中に以前とは少し異なるものを見た。
それはどす黒く悪臭を放つヘドロの中にあって、何の捻りもなくただ真っ直ぐに光り輝く小さな光。
「今度は何が見えた?」
「風穴、あるいは…………トンネルの出口、かしら?」
「それは良かった」
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
私を裏切った相手とは関わるつもりはありません
みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。
未来を変えるために行動をする
1度裏切った相手とは関わらないように過ごす
【完結】浮気者と婚約破棄をして幼馴染と白い結婚をしたはずなのに溺愛してくる
ユユ
恋愛
私の婚約者と幼馴染の婚約者が浮気をしていた。
私も幼馴染も婚約破棄をして、醜聞付きの売れ残り状態に。
浮気された者同士の婚姻が決まり直ぐに夫婦に。
白い結婚という条件だったのに幼馴染が変わっていく。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
異世界で焼肉屋を始めたら、美食家エルフと凄腕冒険者が常連になりました ~定休日にはレア食材を求めてダンジョンへ~
金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
辺境の町バラムに暮らす青年マルク。
子どもの頃から繰り返し見る夢の影響で、自分が日本(地球)から転生したことを知る。
マルクは日本にいた時、カフェを経営していたが、同業者からの嫌がらせ、客からの理不尽なクレーム、従業員の裏切りで店は閉店に追い込まれた。
その後、悲嘆に暮れた彼は酒浸りになり、階段を踏み外して命を落とした。
当時の記憶が復活した結果、マルクは今度こそ店を経営して成功することを誓う。
そんな彼が思いついたのが焼肉屋だった。
マルクは冒険者をして資金を集めて、念願の店をオープンする。
焼肉をする文化がないため、その斬新さから店は繁盛していった。
やがて、物珍しさに惹かれた美食家エルフや凄腕冒険者が店を訪れる。
HOTランキング1位になることができました!
皆さま、ありがとうございます。
他社の投稿サイトにも掲載しています。
引退した嫌われS級冒険者はスローライフに浸りたいのに!~気が付いたら辺境が世界最強の村になっていました~
微炭酸
ファンタジー
嫌われもののS級冒険者ロアは、引退と共に自由を手に入れた。
S級冒険者しかたどり着けない危険地帯で、念願のスローライフをしてやる!
もう、誰にも干渉されず、一人で好きに生きるんだ!
そう思っていたはずなのに、どうして次から次へとS級冒険者が集まって来るんだ!?
他サイト主催:グラスト大賞最終選考作品
悪徳領主の息子に転生したから家を出る。泥船からは逃げるんだよォ!
葩垣佐久穂
ファンタジー
王国南部にあるベルネット領。領主による重税、圧政で領民、代官の不満はもはや止めようがない状態へとなっていた。大学生亀山亘はそんな悪徳領主の息子ヴィクターに転生してしまう。反乱、内乱、行き着く先は最悪処刑するか、されるか?そんなの嫌だ。
せっかくのファンタジー世界、楽しく仲間と冒険してみたい!!
ヴィクターは魔法と剣の師のもとで力をつけて家から逃げることを決意する。
冒険はどこへ向かうのか、ベルネット領の未来は……
好き勝手スローライフしていただけなのに伝説の英雄になってしまった件~異世界転移させられた先は世界最凶の魔境だった~
狐火いりす@商業作家
ファンタジー
事故でショボ死した主人公──星宮なぎさは神によって異世界に転移させられる。
そこは、Sランク以上の魔物が当たり前のように闊歩する世界最凶の魔境だった。
「せっかく手に入れた第二の人生、楽しみつくさねぇともったいねぇだろ!」
神様の力によって【創造】スキルと最強フィジカルを手に入れたなぎさは、自由気ままなスローライフを始める。
露天風呂付きの家を建てたり、倒した魔物でおいしい料理を作ったり、美人な悪霊を仲間にしたり、ペットを飼ってみたり。
やりたいことをやって好き勝手に生きていく。
なぜか人類未踏破ダンジョンを攻略しちゃったり、ペットが神獣と幻獣だったり、邪竜から目をつけられたりするけど、細かいことは気にしない。
人類最強の主人公がただひたすら好き放題生きていたら伝説になってしまった、そんなほのぼのギャグコメディ。
婚約破棄されて異世界トリップしたけど猫に囲まれてスローライフ満喫しています
葉柚
ファンタジー
婚約者の二股により婚約破棄をされた33才の真由は、突如異世界に飛ばされた。
そこはど田舎だった。
住む家と土地と可愛い3匹の猫をもらった真由は、猫たちに囲まれてストレスフリーなスローライフ生活を送る日常を送ることになった。
レコンティーニ王国は猫に優しい国です。
小説家になろう様にも掲載してます。
魔力ゼロの出来損ない貴族、四大精霊王に溺愛される
日之影ソラ
ファンタジー
魔法使いの名門マスタローグ家の次男として生をうけたアスク。兄のように優れた才能を期待されたアスクには何もなかった。魔法使いとしての才能はおろか、誰もが持って生まれる魔力すらない。加えて感情も欠落していた彼は、両親から拒絶され別宅で一人暮らす。
そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。
HOTランキング&ファンタジーランキング1位達成!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる