半身転生

片山瑛二朗

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第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編

第534話 家族の肖像

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「……そうか。いや、なるほど、それなら我々も覚悟を決めねばな」

 シャノン大公は妻のアリシアの方を見て言った。
 アラタがドレイクから聞いた話によれば、脅威はウル帝国だけではない。
 人類存続に対する未曽有の危機、魔王の復活。
 ただ残念なことに、世界各国は実際に魔王が復活してからしか団結することが出来ない。
 新型のウイルスが世界的に流行しても仲良く立ち向かうことが出来ないのだから、まあ妥当な線だろう。
 とにかくカナン公国としては、公国の独立と主権を守るために帝国と渡り合う必要がある。
 ただそのためだけに全ての人材を使い切るようでは先がない。
 帝国に対して確固たる関係を築きつつも、次世代の戦力を育て上げて魔王討伐に備える。
 魔王討伐を他の国に任せるという選択肢もなしではないが、その理論で国同士が足の引っ張り合いをすると本当に人類が滅びかねない。

「アラタ君、改めていいかな」

「なんでしょうか」

「ノエルのことを頼みたい。これは大公からの依頼であり、父親としての願いでもある」

「正気ですか」

「私は本気だ」

 アラタは先ほどドレイクにやられて気が立っている。
 そこにこの話題、アラタの拳が震えた。

「それは、娘を血みどろの戦いの中に放り込むという解釈で合っていますか」

「相違ない」

「…………っけんな」

 ノエルに続いてノエルの父親まで、アラタの地雷を踏み抜いた。

「あんたら家族だろうが! 娘のことが大切じゃねえのかよ! 家族ってそんなもんじゃねえだろ、そんなもんなのかよ……なぁ…………」

「すまない」

「それはノエルに言ってやる言葉だろうが! 赤の他人の俺に言うくらいなら、始めっからこんな事すんなよ!」

 アリシアの眼には、悲痛な表情で叫ぶアラタが映っていた。
 彼が声を荒らげても護衛が部屋に入ってこないのは、予めこうなることが予測されていたから。
 こうなることが分かっていたから、シャノンはアラタが大声を上げたくらいでは入ってこないように事前に言い含めてある。

「なあ! 親子だろうが!」

 子供を危険な場所に送り込む親を、アラタは許さない。
 自分から軍に入り、給料をもらって戦地に赴くのとはわけが違う。
 そんなのを認めるわけにはいかなかった。

「アラタ君、座りたまえ」

 アラタは肩で息をしながら大公を睨みつけている。

「座りたまえ」

 ノエルと同じ赤い瞳に見据えられて、彼はようやく着席した。

「君は良い育ての親を持ったのだな」

「……そうです」

「確かに君からすれば、私たちが薄情に見えても仕方がないのかもしれない」

 赤い瞳の持ち主は茶髪の端をネジネジと弄る。
 ノエルの黒髪は母親から、赤い瞳は父親譲りだった。

「これはノエルに以前言ったことだが……」

 シャノンは上半身をやや前に倒して、前傾姿勢でアラタに迫る。

「公国貴族は畑を耕さない。生まれながらにして恵まれている。ただ貴族の家に生まれたという幸運によって、我々は人並み以上の人生を謳歌する権利が与えられている」

 例えばもし、ノエルが貧しい農村の出身だったのなら。
 彼女はもう少し家事が出来ただろうし、その反面剣術はからきしになっていただろう。

「不平等だとは思わないかね? たかだか生まれた親と場所が違うだけで、こんなにも人生のスタートラインは違っている。スタートラインが違えば辿り着くことのできる場所だって当然違ってくる。その差がいくらになったとして、一般人よりもどれだけ遠くに行けたとして、それが貴族の価値なのか? それが人生の価値なのか? 君はどう思う?」

「俺からしたら、そんなものは遺せなければ何も意味がないです」

「それと同じさ」

 シャノンは席を立つと、アラタを見降ろしながら語り続ける。
 身長178cmのシャノンは比較的大柄だがアラタには劣る。
 こういう時くらいしか、アラタのつむじを拝む機会と言うのは無い。

「国に尽くし、民に尽くし、国家の繁栄と安寧を何としても手に入れる。この国に住まう人間があまねく人間らしくあることのできるように、我々は身命を賭して社会秩序を守る責務がある。それは子供だろうが大人だろうが関係なく、貴族たる者の義務なのだよ」

「だから実の娘を危険な環境に放り込むんですか」

「やむを得なければそういう事にもなる」

「やむを得なければ……それなら俺が帝国に行って、それから結果が出なかった時にしてください。それまではノエル様の帝国出向は見合わせてください」

 アラタは勢いよく立ち上がり、一瞬シャノンの視線の高さを抜いた。
 そしてすぐに彼の頭は急降下し、深々とした礼をする。
 何とかしてノエルを戦いから遠ざけたい、その一心だった。

「頭を上げてくれ。そうやってくれるのは嬉しい限りだが、結果は変わらない」

「何とかなりませんか。なんとか」

 立場が逆だったらと、シャノンは一定の理解を示した。
 ノエルはアラタのことが好きだと大っぴらにしていて、それなら好きな人が危険なところに行くなんて彼女が簡単に受け入れるはずもなく、今のアラタのように頭を下げて再考を願うのは理解できる。
 だが、アラタはノエルの告白を断っている身だ。
 それでいてこの献身、シャノンはアラタに対して若干の狂気を感じずにはいられない。

「何が君をそこまでさせるのかな。少し気になるよ」

「話せば納得してくれますか」

「それは時と場合による」

 望みは薄いか

 そう感じつつも、彼は彼の哲学について、ポリシーについて、生き方について語る。

「俺は、謂れのない誹謗中傷を受けたことがあります。食うにも困る惨めな生活も、ほんの少しだけどあります。自分の居場所を作れず孤立したことがあります。時には居場所が壊れてなくなってしまったことがあります。自分の命よりも大切な人を喪ったことがあります。大事な仲間を守れなかったことがあります。自分の信念を曲げたことがあります」

 転生の前後に関わらず、アラタの人生は失敗の連続だ。
 なまじ普通の人より能力が高いゆえに、落ちる高さもより大きくなる。
 かつて彼が戦いの後に血の池に沈めた相手が言っていた。
 自分とアラタは似ている、自力で降りられなくなるほど高くに登ってしまうと、足を踏み外した時どうしようもなくただ落ちてしまうと。
 その言葉の後も、アラタは登っては落ち登っては落ちを繰り返した。

「俺は人の悪意を知っています。あの底冷えするような冷たい目線を。自分が世界に打ちのめされてどうしようもなくなった時、ノエルは……様はいつも手を差し伸べてくれた。それがどれだけ打算を含むものだったとしても、人を助けるのは自力で助かるよりも遥かに難しく疲れることだというのに、まったくそんな表情を見せずにただ屈託のない笑顔で迎えてくれました」

「そうか、ノエルが君の役に立つことがあったのか」

「はい。俺はただ、まごうことなき善人に、ただ幸せに暮らしてほしいだけなんです。俺は空っぽだから、親がいるわけでも子がいるわけでもないから、俺がやれば話は穏便に片付くんです。家族は一緒に居なきゃ、これってそんなにおかしなことですか」

「いや、良いと思うが」

「貴族とか一般人とか、そんなのどうでもいいんです。ただ俺には時間が残されていないし、胸張って歩けるほどの誇れる過去はありません。だから、せめてまだ普通の中にいる人に普通でい続けて欲しいだけなんです。だから、ノエル様はどうかこの任務からは外してください」

「前にも言ったかもしれないが、君に対するノエルの思いも同じなんじゃないかな?」

「俺に残された時間は長くてもあと5年、誰かのために燃やしたいんです」

「生き急ぎ過ぎだ」

「それでも譲れません」

「強情だなあ」

「ノエル様にはお2人がいる。ノエル様が遺骨になって帰って来てもいいっていうんですか」

「良くはないが、覚悟しなければなるまい」

「そんなの——」

「アラタ君」

 男同士、水平線まで駆けていきそうなほど進展のないやり取り。
 アラタが強情で、シャノンが他に崩す手を使わないというのもある。
 そんな時彼の名前を呼んだのはノエルの母アリシアだった。

「あなた、ちょっといいかしら」

「あぁ、構わないよ」

「アラタ君」

「はい」

「もし貴方が死んでしまったとして、ノエルがいずれそのことを忘れてふっきれると思う?」

「そうでないと困ります。それに、未練を引きずるのは男の方だと相場が決まっています」

「じゃあノエルはいずれ切り替えられると」

「まあ、時間はかかるかもしれませんが」

「そうね……私なら夫が亡くなっても何とかやっていける気がするわ」

「アリシア!?」

 突然の死んでも大丈夫宣言に戸惑いを隠せないシャノン。
 大公の威厳なんてどこかに放り捨ててしまったのか、慌てふためいている。

「アリシアはずっと好きでいてくれるよね!? 他の男は気にならないよね!? ね!? ね!?」

「少し黙っていて」

「…………はい」

「ノエル、アラタ君が死んでしまったらきっとすごく悲しむわ。大公選の前に一度あったわよね?」

 アラタとクリスは大公選の混乱の中、一度死刑宣告を受けていてドレイク謹製の身代わりを使って難を逃れている。

「まあ、一応」

 少し後ろめたい記憶を思い出して、アラタの表情がほんの少し後ろに傾いた。

「自分の気持ちに自覚的になった今、今度本当に死んでしまったら、ノエルは本当に立ち直れなくなると思うのだけれど」

「それはまあ、何とかなるかと」

「それは確信? それとも希望?」

「希望です」

「じゃあ聞いてみましょうか」

 アリシアは立ち上がると、ツカツカと歩いてドアを開けた。
 そこには05式隠密兵装を身につけて気配を消していたノエルの姿が。

「俺のっ……じゃないか。クリスか?」

 アラタは自分の手元に装備があることを確認すると、サイズ感から女性用に作られたものだと推察した。
 2係の中で女性はクリス1人、そういうことだろう。
 ノエルは黒のフードを脱ぎ去ると、ドアの前でもじもじしている。

「ノエル、真剣に答えなさい。アラタ君がいなくなっても大丈夫? 死んじゃったらちゃんと切り替えて結婚できる?」

「出来ない」

「そんなことになるくらいなら?」

「私が帝国に行く。私も帝国に行ってアラタを助ける」

「お2人とも、そういうつもりみたいですよ」

 アリシアはシャノンとアラタに対してそう言ってのけた。
 05式の裾をギュッと掴んで離さないノエルの表情に嘘偽りは無さそうだ。
 アラタがいかにノエルの安全を心配しようと、危険から遠ざけようとしようと、そういう問題ではないのだ。

「アラタが居ないと寂しいよ」

「アラタ君、娘を頼みたい」

 直立するアラタの前でシャノンが頭を下げた。
 この国の最高権力者がである。
 続いてアリシア、それから少し遅れてノエル。
 3人家族そろってアラタにお願い事だ。
 娘を頼むと。

「……寂しいって、おのれはウサギか」

「お願い。頑張るから」

「…………少し考えさせてください」

「いいとも。ただ、ノエルを連れて帰ってもらえれば幸いだ」

「何ででしょうか」

「使用人も少し減らしていてね。ノエルがいると仕事が回り切らなくなってしまう」

 アラタはノエルに対してどこまでもポンコツなんだと呆れた。
 ただ、そうでなくても何らかの理由を付けてきたのだろうなとも思っている。
 この辺りが引き際だ。

「分かりました。ノエル様、行きましょうか」

「うん!」

 根負けしたアラタがノエルを連れて退出した。
 それを見送ったアリシアは、アラタの中に以前とは少し異なるものを見た。
 それはどす黒く悪臭を放つヘドロの中にあって、何の捻りもなくただ真っ直ぐに光り輝く小さな光。

「今度は何が見えた?」

「風穴、あるいは…………トンネルの出口、かしら?」

「それは良かった」
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