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第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編
第526話 暗雲まみれ
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「へへーっ! お揃いだよ! お・そ・ろ・い!」
「いいですね」
「でしょ!」
朝っぱらから喧しいことこの上ないノエルだが、まあ嬉しそうなのでよしとしましょうとリーゼは口角を上げた。
ノエルの首元にはエメラルドを触媒に互いの位置情報を共有する魔道具、その片割れが掛けられていた。
「あ、アラタおはよう!」
丁度アラタが朝の訓練を終えて戻ってきたところで、3月中旬だというのにシャツ1枚になっていた。
もう少し寒かったら頭から湯気が立ち昇るくらいの運動量である。
口をモニュモニュさせながら、おさまりが悪いというかバツが悪いというか、とにかく少し気まずそうに挨拶を返す。
「……おはよう」
朝は低血圧気味なリーゼだが、これにはテンションと共に血圧も上がってしまう。
なにせ薄着のアラタの首元にも同じ首飾りが輝いていたのだから。
「アラタもペアルックなんていいですね~」
邪悪な笑みを浮かべながらイジってきたリーゼの顔を見て、どう締め上げてやろうかとアラタは頭を悩ます。
ただどうやってもリーゼが喜びそうで、仕方なく苦し紛れの言い訳をする。
「これは警備上の都合がいい優れものだから……なんだよ」
「別にぃ?」
ノエルの笑顔はあけすけで裏表がない分爽やかさを感じる。
だがリーゼのそれは何というか、人を小馬鹿にしているような感情が含まれている気がしてならないのは気のせいだろうか。
アラタは苦しいのを重々承知で首飾りをシャツの下に隠した。
「勘弁してくれ……」
ノエルとリーゼが顔を見合わせて笑ったのは想像に難くない。
※※※※※※※※※※※※※※※
客先常駐という言葉がある。
自身の所属する組織とクライアントの契約の元、自分の組織ではない別の場所で働くことだ。
雇用や契約の形式も様々なため一様に語ることはできないが、彼の場合は中々に焦げ臭いブラックな匂いが鼻腔に充満していた。
泥と、汗と、血の匂いだ。
「あのジジイ、いつか殺してやる」
薄暗い光を宿したその瞳は、血が失われていくのに合わせて徐々にその光量を減らしていた。
右手はまだ十全に動かすことが出来る。
だが、左手はもう完全にダメだ。
血を流しているわけではないものの完全に腐りかけている。
はじめは爪の間に土が入ったのかというくらい小さな黒いシミだった。
だがそれは徐々に浸食を開始し、範囲が広くなればなるほどその浸食速度を上げていく。
黒に染まった箇所は強烈な痛みと共に体を腐らせ、最終的には何も残らない。
最終的にと言うだけで、それには通常10日ほどかかるのだが。
男の流した血の出所は左腕ではない。
シックスパックに割れた腹筋の少し右側、腹斜筋の辺りだろうか。
闇に紛れるための黒い装備でもはっきりと分かるくらい流れてしまった赤い液体。
左腕の痛みも、斬り裂かれた腹部の痛みも【痛覚遮断】で耐えることが出来るが、そもそも血が足りないのではどうしようもない。
現代日本なら救急搬送して輸血をするところ、異世界であれば治癒魔術の出番である。
だが悲しいことに、彼は治癒魔術を修めていないし周りに治癒魔術を使える人間もいない。
いや、治癒魔術師どころか彼の周りに味方なんて誰もいなかった。
いるのは彼を殺そうと追って来た始末屋だけ。
「ジェン、貴様はもうすぐ死ぬ。その前に本当の主を吐け」
赤い鬼の面を付けた男は、始末屋のリーダーなのだろう。
周りの人間とは明らかに一線を画す体格、気配の鋭さ、そして目つき。
憎悪の炎を常に燃やしながら現世という地獄を生きる亡者のそれだ。
この世界、特にここウル帝国で赤鬼の面を付ける意味はただの飾りではない。
赤鬼、オーガは半人間、半魔物の亜人種である。
人との交流を避け未開拓領域深くに集落を形成して暮らしているというのが人間の共通認識だが、時折人類とぶつかることだってある。
オーガはクラスを持つしスキルも使ってくる。
ただ半魔物らしく強力な個体は体内に魔石を宿しているし、知能はそこまで高くない。
あくまで人間の言葉を理解できる生物の総称が亜人というだけだ。
赤鬼は集落、群れるため狩るのは容易ではない。
だが決して簡単ではないその行為を成し遂げたものにのみ、赤い鬼の面を付けることが許される。
別にオーガスレイヤーを騙ってもいいのだろうとする人間も確かにいる。
だが、赤鬼は恐怖と畏怖の象徴であり、それを倒した人間となれば自然に腕試ししてみたい人間も湧く。
そういう連中は往々にして戦闘狂であることが多く、偽物の化けの皮はすぐに剥がれる。
ジェンと呼ばれた男は、目の前の面付きがオーガスレイヤーを騙る偽物だとは思えなかった。
「早くしろ。お前にはもう時間が無い」
砂時計の砂が滑り落ちていくように、ジェンの腹から血が流れていく。
彼は自分の力で治すことも止血することも出来ず、このまま死ぬことはほぼ間違いない。
だからこそ、始末屋たちは彼が死ぬ前に情報を聞き出したかった。
救命処置をしない事から考えるに、情報収集は必須の任務ではない。
お小遣い稼ぎ、飼い主のポイント稼ぎ、単なる自己都合、理由は色々あるだろう。
ジェンは不敵な笑みを浮かべた。
「お……俺はジェン・ドゥ、だぜ。ケホッ……名無しは死人と同然、死人に口はねえのさ」
ジェンは傍らにある自分の剣を取ると、その鋒を自分の喉元に向けた。
「今しか見えないミーハー共、よく聞け。ハァ、ハァ……最終的に勝つのはバルゴ殿下だ、いつの日か愚劣な皇子に付いたことを後悔して死んでいけ。地獄で待っ——」
「聞くに堪えんな」
直刃の大剣がジェンの首元を刺し貫いた。
赤鬼の面を付けた男の一撃は、その周りにいる他の始末屋たちの眼をもってしても見切ることが出来ない程速く鋭かった。
「死体は処理しておけ。俺は殿下の所へ戻る」
「はっ」
鋒についた血を拭きとってから、剣を鞘に納める。
「あまり手駒を削りすぎるとあいつが喜びそうだな」
赤い面の奥で、男は不愉快極まりない顔をしながらその場を後にしたのだった。
「というような感じで、ジェンは死にました」
「まあ、早い話スパイだったわけでしょ? そりゃ殺されるって」
「おっしゃる通りかと。それでお話とは……?」
「銀星のアラタって知ってる?」
赤髪の男は紅茶に致死量の角砂糖を落としながら訊いた。
赤鬼の面を付けた男は首を横に振る。
「まあ君はあまり他人に興味持たないタイプだしね」
「そいつが何か?」
「僕の読みだとね、そろそろ来るんじゃないかなーって思っているわけよ。僕とアラタは親友なんだけど、帝国に来てそう簡単に感動の再会なんてガラじゃない。そこで君だ」
男は意地の悪い笑みを浮かべるとティースプーンで指差した。
「もし君が彼を見かけたら、折を見て手合わせして欲しい。もし大したことないなって思ったら殺していいから」
「そんな人を殺人鬼みたいに……」
「実際そうでしょ? オーガスレイヤー殿」
「否定はできないが…………」
「とにかく、頼んだよ」
男は口の端を三日月型に吊り上げて笑いながら、器用に紅茶を飲み干した。
せっかくの高級茶葉も馬鹿舌のせいで台無しである。
「そうそう」
赤髪の男はふと何かを思い出したように赤鬼の面の男を呼び止めた。
「なんでしょうか」
「小耳にはさんだんだけどね、もうそろそろ例の闘技場が完成するらしいよ」
「悪趣味なあれか」
「僕は良心的な仕組みだと思うけどね」
「その為に皇帝自ら能力を行使するなんてどうかしていると言っている」
「まあ、それは否定しない。闘技場マニアなのかそれともギャンブル中毒なのか、困ったものだよ」
男はティースプーンを加えたまま壁に掛けられた宝剣に手を伸ばした。
戦争から帰って来てからというもの、これを使う機会もめっきり減った。
「僕も君も、これから呼び出されることが増えるだろう。互いに持ちつ持たれつで行こうじゃないか」
「あんたが一方的に俺を利用するの間違いじゃないんですか?」
「君の願いなら出来る限り聞いてあげようと言っているわけだよ。この勇者レン・ウォーカーがね」
「それは心強い限りだ」
赤鬼の面の男はレンの戯言を真に受けるほど純粋でも馬鹿でもない。
そんなのリップサービスに決まっていて、どうせいいように使われるだけなのだろうと諦めている。
願い? 俺がそんなものを持っていないことくらい、お前はとっくの昔に知っているだろうに。
そのまま面の男が部屋から去ると、禍々しさだけを煮詰めたような顔でレンは剣を眺める。
もうすぐ、もうすぐ望みのものが手に入る。
それをどう扱うかは自分の自由だ、いや、自由に扱わなければならないのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※
「…………死んだかの」
アラン・ドレイクのデッキには、多くのカードが伏せられている。
それはもう、1つのデッキで軍隊を1つ作れるのではないかと思えるほどに強力なカードたちだ。
だがそれも少し前までの話。
今は墓地にカードが溢れ返り、除外されたものも少なくない。
手札も、山札も、伏せカードも何もかも限界に近かった。
残っているのはコストの高いモンスターカードや魔法カードのみ、罠カードに至ってはもう残っていない。
「手駒を壊されたか」
「あぁ、まあ元々無理筋じゃった、こうなるのは時間の問題じゃったんじゃよ」
「そういう時もある。結果が出たなら早く次の手を打て」
「そうさのう……」
誰かと話しながら、ドレイクは白髪に染まった髭を撫でた。
丁寧に育ててきた甲斐もあって、今は胸よりも低い位置まで伸びている。
「何を迷っている?」
「いや、迷うべくもない」
男の眼から見て、ドレイクがそう言いつつも迷いに迷っているのは分かり切っていた。
ドレイクという男はそこまで隠し事が上手くない。
昔から詰めが甘く、非情になり切れないのが彼の欠点だ。
その点自分は完璧だと男は自負している。
旧友の頼みだと、彼はドレイクに提案する。
「手を貸してやろうか?」
「おぬしが? 誰に?」
「次の駒を鍛えてやってもいいと言ったんだ」
「壊す気じゃろう、おぬし」
「それは相手次第だ」
「ダメじゃ」
「そうかい」
「おぬしは引っ込んでおれ。この件についてはワシのやり方でやらせてもらう」
彼が甘い性格をしていることを知っているように、頑固なことも知っている。
ここいらが引き際かと、男は出口に立った。
「まあいいさ、力が借りたくなれば呼ぶといい。俺はそれをゆるりと待つさ」
蝶番の残響だけが、やけに長く続く。
公国の盾、賢者アラン・ドレイクの覚悟が試されようとしていた。
「いいですね」
「でしょ!」
朝っぱらから喧しいことこの上ないノエルだが、まあ嬉しそうなのでよしとしましょうとリーゼは口角を上げた。
ノエルの首元にはエメラルドを触媒に互いの位置情報を共有する魔道具、その片割れが掛けられていた。
「あ、アラタおはよう!」
丁度アラタが朝の訓練を終えて戻ってきたところで、3月中旬だというのにシャツ1枚になっていた。
もう少し寒かったら頭から湯気が立ち昇るくらいの運動量である。
口をモニュモニュさせながら、おさまりが悪いというかバツが悪いというか、とにかく少し気まずそうに挨拶を返す。
「……おはよう」
朝は低血圧気味なリーゼだが、これにはテンションと共に血圧も上がってしまう。
なにせ薄着のアラタの首元にも同じ首飾りが輝いていたのだから。
「アラタもペアルックなんていいですね~」
邪悪な笑みを浮かべながらイジってきたリーゼの顔を見て、どう締め上げてやろうかとアラタは頭を悩ます。
ただどうやってもリーゼが喜びそうで、仕方なく苦し紛れの言い訳をする。
「これは警備上の都合がいい優れものだから……なんだよ」
「別にぃ?」
ノエルの笑顔はあけすけで裏表がない分爽やかさを感じる。
だがリーゼのそれは何というか、人を小馬鹿にしているような感情が含まれている気がしてならないのは気のせいだろうか。
アラタは苦しいのを重々承知で首飾りをシャツの下に隠した。
「勘弁してくれ……」
ノエルとリーゼが顔を見合わせて笑ったのは想像に難くない。
※※※※※※※※※※※※※※※
客先常駐という言葉がある。
自身の所属する組織とクライアントの契約の元、自分の組織ではない別の場所で働くことだ。
雇用や契約の形式も様々なため一様に語ることはできないが、彼の場合は中々に焦げ臭いブラックな匂いが鼻腔に充満していた。
泥と、汗と、血の匂いだ。
「あのジジイ、いつか殺してやる」
薄暗い光を宿したその瞳は、血が失われていくのに合わせて徐々にその光量を減らしていた。
右手はまだ十全に動かすことが出来る。
だが、左手はもう完全にダメだ。
血を流しているわけではないものの完全に腐りかけている。
はじめは爪の間に土が入ったのかというくらい小さな黒いシミだった。
だがそれは徐々に浸食を開始し、範囲が広くなればなるほどその浸食速度を上げていく。
黒に染まった箇所は強烈な痛みと共に体を腐らせ、最終的には何も残らない。
最終的にと言うだけで、それには通常10日ほどかかるのだが。
男の流した血の出所は左腕ではない。
シックスパックに割れた腹筋の少し右側、腹斜筋の辺りだろうか。
闇に紛れるための黒い装備でもはっきりと分かるくらい流れてしまった赤い液体。
左腕の痛みも、斬り裂かれた腹部の痛みも【痛覚遮断】で耐えることが出来るが、そもそも血が足りないのではどうしようもない。
現代日本なら救急搬送して輸血をするところ、異世界であれば治癒魔術の出番である。
だが悲しいことに、彼は治癒魔術を修めていないし周りに治癒魔術を使える人間もいない。
いや、治癒魔術師どころか彼の周りに味方なんて誰もいなかった。
いるのは彼を殺そうと追って来た始末屋だけ。
「ジェン、貴様はもうすぐ死ぬ。その前に本当の主を吐け」
赤い鬼の面を付けた男は、始末屋のリーダーなのだろう。
周りの人間とは明らかに一線を画す体格、気配の鋭さ、そして目つき。
憎悪の炎を常に燃やしながら現世という地獄を生きる亡者のそれだ。
この世界、特にここウル帝国で赤鬼の面を付ける意味はただの飾りではない。
赤鬼、オーガは半人間、半魔物の亜人種である。
人との交流を避け未開拓領域深くに集落を形成して暮らしているというのが人間の共通認識だが、時折人類とぶつかることだってある。
オーガはクラスを持つしスキルも使ってくる。
ただ半魔物らしく強力な個体は体内に魔石を宿しているし、知能はそこまで高くない。
あくまで人間の言葉を理解できる生物の総称が亜人というだけだ。
赤鬼は集落、群れるため狩るのは容易ではない。
だが決して簡単ではないその行為を成し遂げたものにのみ、赤い鬼の面を付けることが許される。
別にオーガスレイヤーを騙ってもいいのだろうとする人間も確かにいる。
だが、赤鬼は恐怖と畏怖の象徴であり、それを倒した人間となれば自然に腕試ししてみたい人間も湧く。
そういう連中は往々にして戦闘狂であることが多く、偽物の化けの皮はすぐに剥がれる。
ジェンと呼ばれた男は、目の前の面付きがオーガスレイヤーを騙る偽物だとは思えなかった。
「早くしろ。お前にはもう時間が無い」
砂時計の砂が滑り落ちていくように、ジェンの腹から血が流れていく。
彼は自分の力で治すことも止血することも出来ず、このまま死ぬことはほぼ間違いない。
だからこそ、始末屋たちは彼が死ぬ前に情報を聞き出したかった。
救命処置をしない事から考えるに、情報収集は必須の任務ではない。
お小遣い稼ぎ、飼い主のポイント稼ぎ、単なる自己都合、理由は色々あるだろう。
ジェンは不敵な笑みを浮かべた。
「お……俺はジェン・ドゥ、だぜ。ケホッ……名無しは死人と同然、死人に口はねえのさ」
ジェンは傍らにある自分の剣を取ると、その鋒を自分の喉元に向けた。
「今しか見えないミーハー共、よく聞け。ハァ、ハァ……最終的に勝つのはバルゴ殿下だ、いつの日か愚劣な皇子に付いたことを後悔して死んでいけ。地獄で待っ——」
「聞くに堪えんな」
直刃の大剣がジェンの首元を刺し貫いた。
赤鬼の面を付けた男の一撃は、その周りにいる他の始末屋たちの眼をもってしても見切ることが出来ない程速く鋭かった。
「死体は処理しておけ。俺は殿下の所へ戻る」
「はっ」
鋒についた血を拭きとってから、剣を鞘に納める。
「あまり手駒を削りすぎるとあいつが喜びそうだな」
赤い面の奥で、男は不愉快極まりない顔をしながらその場を後にしたのだった。
「というような感じで、ジェンは死にました」
「まあ、早い話スパイだったわけでしょ? そりゃ殺されるって」
「おっしゃる通りかと。それでお話とは……?」
「銀星のアラタって知ってる?」
赤髪の男は紅茶に致死量の角砂糖を落としながら訊いた。
赤鬼の面を付けた男は首を横に振る。
「まあ君はあまり他人に興味持たないタイプだしね」
「そいつが何か?」
「僕の読みだとね、そろそろ来るんじゃないかなーって思っているわけよ。僕とアラタは親友なんだけど、帝国に来てそう簡単に感動の再会なんてガラじゃない。そこで君だ」
男は意地の悪い笑みを浮かべるとティースプーンで指差した。
「もし君が彼を見かけたら、折を見て手合わせして欲しい。もし大したことないなって思ったら殺していいから」
「そんな人を殺人鬼みたいに……」
「実際そうでしょ? オーガスレイヤー殿」
「否定はできないが…………」
「とにかく、頼んだよ」
男は口の端を三日月型に吊り上げて笑いながら、器用に紅茶を飲み干した。
せっかくの高級茶葉も馬鹿舌のせいで台無しである。
「そうそう」
赤髪の男はふと何かを思い出したように赤鬼の面の男を呼び止めた。
「なんでしょうか」
「小耳にはさんだんだけどね、もうそろそろ例の闘技場が完成するらしいよ」
「悪趣味なあれか」
「僕は良心的な仕組みだと思うけどね」
「その為に皇帝自ら能力を行使するなんてどうかしていると言っている」
「まあ、それは否定しない。闘技場マニアなのかそれともギャンブル中毒なのか、困ったものだよ」
男はティースプーンを加えたまま壁に掛けられた宝剣に手を伸ばした。
戦争から帰って来てからというもの、これを使う機会もめっきり減った。
「僕も君も、これから呼び出されることが増えるだろう。互いに持ちつ持たれつで行こうじゃないか」
「あんたが一方的に俺を利用するの間違いじゃないんですか?」
「君の願いなら出来る限り聞いてあげようと言っているわけだよ。この勇者レン・ウォーカーがね」
「それは心強い限りだ」
赤鬼の面の男はレンの戯言を真に受けるほど純粋でも馬鹿でもない。
そんなのリップサービスに決まっていて、どうせいいように使われるだけなのだろうと諦めている。
願い? 俺がそんなものを持っていないことくらい、お前はとっくの昔に知っているだろうに。
そのまま面の男が部屋から去ると、禍々しさだけを煮詰めたような顔でレンは剣を眺める。
もうすぐ、もうすぐ望みのものが手に入る。
それをどう扱うかは自分の自由だ、いや、自由に扱わなければならないのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※
「…………死んだかの」
アラン・ドレイクのデッキには、多くのカードが伏せられている。
それはもう、1つのデッキで軍隊を1つ作れるのではないかと思えるほどに強力なカードたちだ。
だがそれも少し前までの話。
今は墓地にカードが溢れ返り、除外されたものも少なくない。
手札も、山札も、伏せカードも何もかも限界に近かった。
残っているのはコストの高いモンスターカードや魔法カードのみ、罠カードに至ってはもう残っていない。
「手駒を壊されたか」
「あぁ、まあ元々無理筋じゃった、こうなるのは時間の問題じゃったんじゃよ」
「そういう時もある。結果が出たなら早く次の手を打て」
「そうさのう……」
誰かと話しながら、ドレイクは白髪に染まった髭を撫でた。
丁寧に育ててきた甲斐もあって、今は胸よりも低い位置まで伸びている。
「何を迷っている?」
「いや、迷うべくもない」
男の眼から見て、ドレイクがそう言いつつも迷いに迷っているのは分かり切っていた。
ドレイクという男はそこまで隠し事が上手くない。
昔から詰めが甘く、非情になり切れないのが彼の欠点だ。
その点自分は完璧だと男は自負している。
旧友の頼みだと、彼はドレイクに提案する。
「手を貸してやろうか?」
「おぬしが? 誰に?」
「次の駒を鍛えてやってもいいと言ったんだ」
「壊す気じゃろう、おぬし」
「それは相手次第だ」
「ダメじゃ」
「そうかい」
「おぬしは引っ込んでおれ。この件についてはワシのやり方でやらせてもらう」
彼が甘い性格をしていることを知っているように、頑固なことも知っている。
ここいらが引き際かと、男は出口に立った。
「まあいいさ、力が借りたくなれば呼ぶといい。俺はそれをゆるりと待つさ」
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