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第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編
第522話 惚れさせなきゃ意味がない(神と呼ばれた少女9)
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バカな、ありえない。
鈍い頭痛に揺らぐ視界、内臓が逆流しそうな吐き気に襲われながら、クリスはメイソンを恨んだ。
あのクソバカ者、なんてものを作ったのだと。
敵の手にしている魔道具、夢見の姫百合は明らかに従来より出力が強くなっていた。
本来人の倫理観と理性を少しだけ下げ、その人が持つ凶暴性を少しだけ引き出すことのできる魔道具、それが夢見の姫百合だ。
ここまで広範囲かつ魔力でガードしている相手に対して、一方的に効果を押し付けられるようなものではない。
想定外の魔道具の効果により、あっという間に形勢は逆転した。
屋敷の敷地外に溢れ返る暴徒もまたこの魔道具の効果を受けて昏倒したものの、強奪した05式を身につけた7名の敵は健在だ。
その反面ノエルを守護する2係と警備隊20名はほぼ無力化され、辛うじてクリスとバートンが立っている程度。
「状況が……変わった。ノエル、おっお前は逃げろ」
クリスは膝に手を突きながら、玄関前に立つノエルに対してそう言った。
滴る脂汗が地面を濡らす中、ほんの少しだけ振り返ったクリスは不思議なものを見た。
リーゼ、ノエル両名は苦しそうにしているもののその場に立っている。
自分でさえかなりのしんどさにとても戦える状況ではないというのに、2人の状態はそれよりも遥かに良好なものだった。
全くの無傷、効果なしなら2人を魔道具のターゲットから外したと考えられなくもないが、見た感じ効果そのものはしっかり当たっている。
ただ程度が軽いのだ。
「クリス、逆です」
三叉に分かれた槍を手に、リーゼは玄関前の階段を降りた。
ノエルも剣を片手にそれに続く。
「ちょっと苦しいけど、私たちは大丈夫みたいだ」
「私とノエルがやります。クリスたちは下がっててください」
ベルフェゴールはいつの間に抜けたのか、この場から姿を消していた。
屋敷の中には非戦闘員のシルがいて、心配の必要はないが一応ラグエルもいる。
クリスが苦しむ仲間たちを引きずって後ろに下がっている間に、ノエルとリーゼは逆に前に出る。
敵7人も、半包囲を完成させているだけでクリスたちを襲う気配は見られない。
むしろどこか感動しているようにすら見える。
「リーゼ、突っ込むから援護して」
「気を付けてくださいね」
「うん」
ノエルが直刃の剣を握り締め、走り出そうとしたその時だった。
「剣聖様、お待ちを」
「待たない。お前たちはここで潰す」
「銀星のアラタを捕らえました」
一瞬ノエルの動きが止まった。
「今はまだ何もしていません。これからどうなるかはあなたの行動次第ですが」
「……嘘だな。アラタはお前らに捕まるほど弱くないし、捕まるくらいなら自爆するか自死するとんでもない男だ」
流石ノエル、アラタに対する理解の深さは片思いしているだけある。
それにクリスが先ほどアラタと会ってからここに来るまで、まだそんなに時間が経っていない。
アラタ確保の情報を敵が得るアリバイが無かった。
「もう一度言う。アラタがお前たちみたいな連中に捕まるはずがない」
「……やむを得ないか」
エミリー、クマリ教の支部でメイソンと面会していた女性が何かを諦めた。
何かと言えば、それは対話による解決だろう。
彼女が手を挙げると、仲間たちはみな05式を脱ぎ捨てる。
その下からは支部の連中と同じく濃紺の鎧が現れた。
相手もやる気らしい。
「殺しても、手足を削いでも本尊になることには変わりないでしょう」
「リーゼ! いくぞ!」
「はい!」
一直線に突っ込むノエルの速さは人外のそれに達している。
【身体強化】と剣聖の補助を使って加速したのだ。
そしてある所でノエルは【身体強化】を解除する。
敵を5mの位置に付けたところでスキルをオフにして、剣1本で勝負を挑んだ。
「人数差で圧し殺せ!」
エミリーの指示に従い、敵が多角的に襲ってくる。
リーゼから見れば、ノエルの正面の敵以外は皆射程に入っていた。
「いきますよーっ!」
氷槍は実体を伴いつつも魔術的攻撃力の高い優れた魔術だ。
盾などの物理的な防御を粉砕もしくは吹き飛ばすほどの威力を持ちつつ、風陣や雷陣といった魔力の結界に対しても効果を発揮する。
氷属性を得意とするリーゼの十八番で、アラタがコピーできない数少ない魔術だ。
リーゼは氷槍を同時並列に2発発射、それからおまけとばかりに水弾を多数撃ちだした。
攻撃魔術だけではなく治癒魔術までアラタが習得してしまったせいで影が薄くなりがちな彼女だが、複数属性の魔術を同時に展開可能な術師というのはアトラの街にも数えるほどしかいない。
どうも大公陣営の戦力に偏りが見られる気がする中、ノエルに近づく不届き者共にリーゼの怒りが降り注いだ。
「なぜあいつまで動けるんだ!」
「奴は聖騎士だ、可能性はあがっていただろ!」
霞む視界の中で、クリスはやはりそうかと納得した。
剣聖、聖騎士は無事で、盗賊の自分と軽戦士のバートンがギリギリ立てる状態、残りは軒並みダウンという状況から、ある仮説が提案される。
敵の使用した魔道具、夢見の姫百合はクラスの恩恵で跳ね返すことが出来るのではないかというものだ。
確かにそれなら説明がつく。
敵が問題なさそうに見えるのは彼らが優れたクラスの使い手なのか、それとも初期設定や使用範囲に対して安全圏にいたという説が妥当だろう。
とにかくクラス盗賊のクリスがフラフラしている中、剣聖は得意戦法に出ていた。
「ぐぅ、スキルが……」
「【剣聖の間合い】だ! 魔術もスキルも使用不能だぞ!」
「遅い!」
一瞬の遅れを見逃さず、ノエルの剣が敵の鎧を切り裂いた。
一応鎧も金属でできているのだが、とクリスは驚きと呆れの感情を同時に抱く。
そんなことが出来るのはどこぞのクラスを持たない異世界人だけでいい。
というかアラタは【身体強化】と魔力による攻撃力の底上げをしてようやくできるかどうかというところなので、魔力も碌に使わずほぼ剣聖のクラスの補助だけでそれをやってのけるノエルの方が数段おかしい。
左の肩口に深めの傷を受けた敵は味方のカバーを受けて即座に撤退する。
ノエルは援護してきた敵をまた浅く斬りつけ、その隙間からリーゼの魔術攻撃が敵を削ぐ。
7対2で思いのほか2人の方が有利なこの状況、クマリ教徒たちの手腕が問われる。
「剣聖様は神を信じておいでですか」
エミリーの問いかけに応えるか迷うノエル、ただ時間を稼げばクリスたちが回復して有利になるかもしれないと話に乗ることにした。
「いるらしいな」
「なにか恩恵を得られましたか」
「特に何も」
「おっしゃる通り、多くの人が漠然と信じている神なんてそんなものなのです。困った人を助けることもなければ善人を気に掛けることすらしない。それでは意味がないのです、だから人は現人神を必要としているのです。剣聖様にはその資格があるというのに、何を縛られているのですか!」
「言っていることが分からない」
「クラスの恩恵を制御し、あまねく全ての人に神の加護が行きわたるようにするのです。クラスに恵まれなかったから不遇に過ごすこともなくなり、クラスで呪いを付与されたがゆえに周りから恐れられることもなくなる。そんな世界の為にぜひともあなたの力が必要なのです」
エミリーは武器を収めると、その手をノエルに向かって差し出した。
「あなただって覚えがあるはず、その手で大事なものを傷つけたことが、後悔したことがあるはず!」
「ノエル、聞いちゃいけません。次で決めましょう」
「待って」
「ノエル!」
リーゼの制止はもっともだ。
ノエルが向こうにほだされたり抱き込まれたりすれば、アラタがどんな顔をするか分かったものではない。
まあ、『また馬鹿がやらかしやがって』とでも文句を垂れながら救出に向かうことは容易に想像できる。
それはそれとして、ノエルを止めようとしたリーゼだが彼女は止まりそうにない。
「私がクマリ教に協力したとして、アラタはどうなる?」
「あなたが望むならそばに仕えさせましょう。噂通り好いているのなら結婚しても良いでしょう。そうさせるだけの力が剣聖様にはあるのです」
「アラタと結婚…………」
ノエルの脳内には幾度となくシミュレーションしてきた2人の生活がありありと浮かんでいる。
それはもう、垣間見るだけであまりの甘ったるさにブラックコーヒーが飲みたくなるほどの甘美な世界が。
だが、ノエルという女性は厄介な人間だ。
アラタに言わせれば、あれこれ注文が多くわがままですぐ気が変わるし何より頭が悪い。
平気で非効率なやり方に拘り、その結果欲しいものを取り逃すことも少なくない。
「さ、私たちと共にまいりましょう」
「ノエル!」
クマリ教のエミリーたちは分かっているのか、リーゼからの射線をノエルの身体で切っている。
手を出そうにも、ノエルの意思と行動が必要だった。
その陰でクリスも動き出そうと【気配遮断】を起動しようとしたが、どうにもうまくいかない。
ノエルの【剣聖の間合い】は流石に効果範囲外だから、恐らく夢見の姫百合の副作用か体調不良によるスキル障害が発生しているようだった。
何より、喉からムカデが出てきそうな吐き気の中では何もできない。
じわじわとクマリ教の魔の手がノエルを手中に収めようとしている。
こんな時にあの男は何をしているのだとリーゼはアラタに縋った。
だがノエルは知っている。
それは、アラタを待つのは、頼るのは間違っているのだと。
そうではない、アラタが自分を頼ってくれるくらいしっかりとしたところを見せて、アラタが心を休める場所を作ってあげて、信頼してもらえる立場になって、そうやって1つ1つ階段を登っていくことが大事なのだと知っている。
いつか夢見た夫婦になるまでの階段を、アラタと共に登るのだ。
「解釈違いだな」
「え?」
意識の間を通すように振り抜かれた一刀は、エミリーの差し出した手をバッサリと斬り落とした。
「ぐっ」
返す剣は躱されたが、間違いなく重傷である。
「ぐぁ……ぐぅぅう! 貴様!」
エミリーを庇うように教徒が立ちふさがり、ノエルは血濡れの剣を引っ提げて相対する。
「結婚させる……だからダメなんだ。アラタが私のこと大好きになってくれて、もう我慢ならないから結婚してくれって言ってくれるような人に私がならなきゃ意味が無いんだ。アラタにばかり苦しい思いをさせない、背負うものは半分コしなやいけないんだ。人を斬った業も、誰かの死を願う醜悪さも、そういう苦しいものから何から何まで全部ぜんぶ、私がアラタを惚れさせるんだ。神がどうとか、現人神とか、クラスとか、剣聖とか、そんなことで私を縛ろうとするな」
そう言いながらノエルが剣を構えた瞬間、彼女の中でピタリとはまるものがあった。
剣の柄を握る掌が、柄に刻まれた模様にぴったりとフィットした感触。
腕とその先の手指、そこからさらに自分の体の延長にあるように剣の鋒を感じる。
まさに剣と体が一体化した瞬間だった。
ノエルは『いける』と思い、そのビジョンは敵であるクマリ教徒ですら認識していた。
「て、撤った——」
「遅いよ」
瞬きするよりも速く、ノエルの剣が敵全員を打ち据えた。
断ち切るわけでもなく、叩き潰してもいない。
慈悲深いことに、全員峰打ちだ。
もしこの一撃で脳挫傷や頭蓋骨骨折による脳出血を引き起こしていなければ、彼らは命拾いしたことになる。
ドサドサと敵が倒れ行く中、自然体で剣を持ったノエルはリーゼの方を見て笑った。
「アラタを探しに行かなくちゃね!」
ニシシと笑う少女を見て、つられてリーゼも笑った。
「もう、気を抜いちゃだめですよ」
「知ってる!」
鈍い頭痛に揺らぐ視界、内臓が逆流しそうな吐き気に襲われながら、クリスはメイソンを恨んだ。
あのクソバカ者、なんてものを作ったのだと。
敵の手にしている魔道具、夢見の姫百合は明らかに従来より出力が強くなっていた。
本来人の倫理観と理性を少しだけ下げ、その人が持つ凶暴性を少しだけ引き出すことのできる魔道具、それが夢見の姫百合だ。
ここまで広範囲かつ魔力でガードしている相手に対して、一方的に効果を押し付けられるようなものではない。
想定外の魔道具の効果により、あっという間に形勢は逆転した。
屋敷の敷地外に溢れ返る暴徒もまたこの魔道具の効果を受けて昏倒したものの、強奪した05式を身につけた7名の敵は健在だ。
その反面ノエルを守護する2係と警備隊20名はほぼ無力化され、辛うじてクリスとバートンが立っている程度。
「状況が……変わった。ノエル、おっお前は逃げろ」
クリスは膝に手を突きながら、玄関前に立つノエルに対してそう言った。
滴る脂汗が地面を濡らす中、ほんの少しだけ振り返ったクリスは不思議なものを見た。
リーゼ、ノエル両名は苦しそうにしているもののその場に立っている。
自分でさえかなりのしんどさにとても戦える状況ではないというのに、2人の状態はそれよりも遥かに良好なものだった。
全くの無傷、効果なしなら2人を魔道具のターゲットから外したと考えられなくもないが、見た感じ効果そのものはしっかり当たっている。
ただ程度が軽いのだ。
「クリス、逆です」
三叉に分かれた槍を手に、リーゼは玄関前の階段を降りた。
ノエルも剣を片手にそれに続く。
「ちょっと苦しいけど、私たちは大丈夫みたいだ」
「私とノエルがやります。クリスたちは下がっててください」
ベルフェゴールはいつの間に抜けたのか、この場から姿を消していた。
屋敷の中には非戦闘員のシルがいて、心配の必要はないが一応ラグエルもいる。
クリスが苦しむ仲間たちを引きずって後ろに下がっている間に、ノエルとリーゼは逆に前に出る。
敵7人も、半包囲を完成させているだけでクリスたちを襲う気配は見られない。
むしろどこか感動しているようにすら見える。
「リーゼ、突っ込むから援護して」
「気を付けてくださいね」
「うん」
ノエルが直刃の剣を握り締め、走り出そうとしたその時だった。
「剣聖様、お待ちを」
「待たない。お前たちはここで潰す」
「銀星のアラタを捕らえました」
一瞬ノエルの動きが止まった。
「今はまだ何もしていません。これからどうなるかはあなたの行動次第ですが」
「……嘘だな。アラタはお前らに捕まるほど弱くないし、捕まるくらいなら自爆するか自死するとんでもない男だ」
流石ノエル、アラタに対する理解の深さは片思いしているだけある。
それにクリスが先ほどアラタと会ってからここに来るまで、まだそんなに時間が経っていない。
アラタ確保の情報を敵が得るアリバイが無かった。
「もう一度言う。アラタがお前たちみたいな連中に捕まるはずがない」
「……やむを得ないか」
エミリー、クマリ教の支部でメイソンと面会していた女性が何かを諦めた。
何かと言えば、それは対話による解決だろう。
彼女が手を挙げると、仲間たちはみな05式を脱ぎ捨てる。
その下からは支部の連中と同じく濃紺の鎧が現れた。
相手もやる気らしい。
「殺しても、手足を削いでも本尊になることには変わりないでしょう」
「リーゼ! いくぞ!」
「はい!」
一直線に突っ込むノエルの速さは人外のそれに達している。
【身体強化】と剣聖の補助を使って加速したのだ。
そしてある所でノエルは【身体強化】を解除する。
敵を5mの位置に付けたところでスキルをオフにして、剣1本で勝負を挑んだ。
「人数差で圧し殺せ!」
エミリーの指示に従い、敵が多角的に襲ってくる。
リーゼから見れば、ノエルの正面の敵以外は皆射程に入っていた。
「いきますよーっ!」
氷槍は実体を伴いつつも魔術的攻撃力の高い優れた魔術だ。
盾などの物理的な防御を粉砕もしくは吹き飛ばすほどの威力を持ちつつ、風陣や雷陣といった魔力の結界に対しても効果を発揮する。
氷属性を得意とするリーゼの十八番で、アラタがコピーできない数少ない魔術だ。
リーゼは氷槍を同時並列に2発発射、それからおまけとばかりに水弾を多数撃ちだした。
攻撃魔術だけではなく治癒魔術までアラタが習得してしまったせいで影が薄くなりがちな彼女だが、複数属性の魔術を同時に展開可能な術師というのはアトラの街にも数えるほどしかいない。
どうも大公陣営の戦力に偏りが見られる気がする中、ノエルに近づく不届き者共にリーゼの怒りが降り注いだ。
「なぜあいつまで動けるんだ!」
「奴は聖騎士だ、可能性はあがっていただろ!」
霞む視界の中で、クリスはやはりそうかと納得した。
剣聖、聖騎士は無事で、盗賊の自分と軽戦士のバートンがギリギリ立てる状態、残りは軒並みダウンという状況から、ある仮説が提案される。
敵の使用した魔道具、夢見の姫百合はクラスの恩恵で跳ね返すことが出来るのではないかというものだ。
確かにそれなら説明がつく。
敵が問題なさそうに見えるのは彼らが優れたクラスの使い手なのか、それとも初期設定や使用範囲に対して安全圏にいたという説が妥当だろう。
とにかくクラス盗賊のクリスがフラフラしている中、剣聖は得意戦法に出ていた。
「ぐぅ、スキルが……」
「【剣聖の間合い】だ! 魔術もスキルも使用不能だぞ!」
「遅い!」
一瞬の遅れを見逃さず、ノエルの剣が敵の鎧を切り裂いた。
一応鎧も金属でできているのだが、とクリスは驚きと呆れの感情を同時に抱く。
そんなことが出来るのはどこぞのクラスを持たない異世界人だけでいい。
というかアラタは【身体強化】と魔力による攻撃力の底上げをしてようやくできるかどうかというところなので、魔力も碌に使わずほぼ剣聖のクラスの補助だけでそれをやってのけるノエルの方が数段おかしい。
左の肩口に深めの傷を受けた敵は味方のカバーを受けて即座に撤退する。
ノエルは援護してきた敵をまた浅く斬りつけ、その隙間からリーゼの魔術攻撃が敵を削ぐ。
7対2で思いのほか2人の方が有利なこの状況、クマリ教徒たちの手腕が問われる。
「剣聖様は神を信じておいでですか」
エミリーの問いかけに応えるか迷うノエル、ただ時間を稼げばクリスたちが回復して有利になるかもしれないと話に乗ることにした。
「いるらしいな」
「なにか恩恵を得られましたか」
「特に何も」
「おっしゃる通り、多くの人が漠然と信じている神なんてそんなものなのです。困った人を助けることもなければ善人を気に掛けることすらしない。それでは意味がないのです、だから人は現人神を必要としているのです。剣聖様にはその資格があるというのに、何を縛られているのですか!」
「言っていることが分からない」
「クラスの恩恵を制御し、あまねく全ての人に神の加護が行きわたるようにするのです。クラスに恵まれなかったから不遇に過ごすこともなくなり、クラスで呪いを付与されたがゆえに周りから恐れられることもなくなる。そんな世界の為にぜひともあなたの力が必要なのです」
エミリーは武器を収めると、その手をノエルに向かって差し出した。
「あなただって覚えがあるはず、その手で大事なものを傷つけたことが、後悔したことがあるはず!」
「ノエル、聞いちゃいけません。次で決めましょう」
「待って」
「ノエル!」
リーゼの制止はもっともだ。
ノエルが向こうにほだされたり抱き込まれたりすれば、アラタがどんな顔をするか分かったものではない。
まあ、『また馬鹿がやらかしやがって』とでも文句を垂れながら救出に向かうことは容易に想像できる。
それはそれとして、ノエルを止めようとしたリーゼだが彼女は止まりそうにない。
「私がクマリ教に協力したとして、アラタはどうなる?」
「あなたが望むならそばに仕えさせましょう。噂通り好いているのなら結婚しても良いでしょう。そうさせるだけの力が剣聖様にはあるのです」
「アラタと結婚…………」
ノエルの脳内には幾度となくシミュレーションしてきた2人の生活がありありと浮かんでいる。
それはもう、垣間見るだけであまりの甘ったるさにブラックコーヒーが飲みたくなるほどの甘美な世界が。
だが、ノエルという女性は厄介な人間だ。
アラタに言わせれば、あれこれ注文が多くわがままですぐ気が変わるし何より頭が悪い。
平気で非効率なやり方に拘り、その結果欲しいものを取り逃すことも少なくない。
「さ、私たちと共にまいりましょう」
「ノエル!」
クマリ教のエミリーたちは分かっているのか、リーゼからの射線をノエルの身体で切っている。
手を出そうにも、ノエルの意思と行動が必要だった。
その陰でクリスも動き出そうと【気配遮断】を起動しようとしたが、どうにもうまくいかない。
ノエルの【剣聖の間合い】は流石に効果範囲外だから、恐らく夢見の姫百合の副作用か体調不良によるスキル障害が発生しているようだった。
何より、喉からムカデが出てきそうな吐き気の中では何もできない。
じわじわとクマリ教の魔の手がノエルを手中に収めようとしている。
こんな時にあの男は何をしているのだとリーゼはアラタに縋った。
だがノエルは知っている。
それは、アラタを待つのは、頼るのは間違っているのだと。
そうではない、アラタが自分を頼ってくれるくらいしっかりとしたところを見せて、アラタが心を休める場所を作ってあげて、信頼してもらえる立場になって、そうやって1つ1つ階段を登っていくことが大事なのだと知っている。
いつか夢見た夫婦になるまでの階段を、アラタと共に登るのだ。
「解釈違いだな」
「え?」
意識の間を通すように振り抜かれた一刀は、エミリーの差し出した手をバッサリと斬り落とした。
「ぐっ」
返す剣は躱されたが、間違いなく重傷である。
「ぐぁ……ぐぅぅう! 貴様!」
エミリーを庇うように教徒が立ちふさがり、ノエルは血濡れの剣を引っ提げて相対する。
「結婚させる……だからダメなんだ。アラタが私のこと大好きになってくれて、もう我慢ならないから結婚してくれって言ってくれるような人に私がならなきゃ意味が無いんだ。アラタにばかり苦しい思いをさせない、背負うものは半分コしなやいけないんだ。人を斬った業も、誰かの死を願う醜悪さも、そういう苦しいものから何から何まで全部ぜんぶ、私がアラタを惚れさせるんだ。神がどうとか、現人神とか、クラスとか、剣聖とか、そんなことで私を縛ろうとするな」
そう言いながらノエルが剣を構えた瞬間、彼女の中でピタリとはまるものがあった。
剣の柄を握る掌が、柄に刻まれた模様にぴったりとフィットした感触。
腕とその先の手指、そこからさらに自分の体の延長にあるように剣の鋒を感じる。
まさに剣と体が一体化した瞬間だった。
ノエルは『いける』と思い、そのビジョンは敵であるクマリ教徒ですら認識していた。
「て、撤った——」
「遅いよ」
瞬きするよりも速く、ノエルの剣が敵全員を打ち据えた。
断ち切るわけでもなく、叩き潰してもいない。
慈悲深いことに、全員峰打ちだ。
もしこの一撃で脳挫傷や頭蓋骨骨折による脳出血を引き起こしていなければ、彼らは命拾いしたことになる。
ドサドサと敵が倒れ行く中、自然体で剣を持ったノエルはリーゼの方を見て笑った。
「アラタを探しに行かなくちゃね!」
ニシシと笑う少女を見て、つられてリーゼも笑った。
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