半身転生

片山瑛二朗

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第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編

第506話 例えば明日、貴方が死ぬとしても

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 朝食のパンの味がしない。
 オレンジのマーマレードを塗っているのに。
 一時期のアラタは、戦争経験によるPTSDで本当に味覚障害を引き起こした時期があった。
 しかし現在その症状は治まっている。
 これは一種の例えだ。

 ノエルから告白された翌日。
 まったく眠れなかったアラタはいつもより早くランニングに出かけ、いつもよりもハードな訓練をこなし、いつもより少し遅く家に戻ってきた。
 そこからシャワーを浴びて朝食を食べている最中。
 昨日の出来事が頭から離れてくれない。

 もし、というかこれが普通だと思うのだが、相手が別の家に住んでいるとしたら。
 多少自分の中で落ち着く空間と時間を確保できるし、その間に色々と感情の整理をつけることだってできる。
 ただこの家にはノエルも住んでいる。
 部屋こそ違えど、既に同棲していると言っても過言ではないのだ。
 眉を寄せながらサラダを口にしていたアラタの前に、くだんの少女が座った。
 彼女はクラス【剣聖】の呪いのせいで日常生活を自分で回すことが出来ない。
 朝食の皿を運ぼうとしようものなら皿が割れるかパンが空を舞うことになる。
 テーブルの上にシルがてきぱきとノエルの食事を並べていく。
 準備が整うまでの間、ノエルはアラタの方を見つめていた。

「アラタ、おはよ」

「……おはよう」

「好き」

「ぶふっ」

 ギリギリくちの中のものを噴き出さずに我慢したアラタは、鼻につんとくるような痛みを和らげるためにコップを手にした。

「そんなリアクションしなくてもいいじゃないか」

「あのね、ちょっと飛ばし過ぎ。落ち着いてよ」

「ヤダ」

 ニコニコしながらアラタの頼みを断ったノエルの前に朝食が出揃う。
 パン、サラダ、目玉焼き、ヨーグルト、牛乳。
 ごく一般的な朝食に思えるだろうが、戦争直後のカナン公国では豪華な食事に分類されるだろう。

「シルありがとう」

「はーい」

 薄黄色のエプロンを着た妖精は内心ホクホクだった。
 シルはアラタから生み出された妖精で、感情や知識をある程度共有している。
 大公選の期間中や戦争中はシルもかなりの体調不良を抱えていて大変だったので、今の状況には大変満足がいっている。
 絹ですようにじんわりと心の隙間から漏れ出るような、そんな濃密で甘美で芳醇な魂の雫。
 アラタから伝わってくる感情だ。
 戸惑いつつも彼がどう思っているのか、シルには丸裸だった。

 遅々として食事が進まぬアラタと、モリモリ食べるノエル。
 片方の悩みの種は、もう片方にとっての幸福の種だった。

「ねえ」

「なんでしょうか」

「父上が話をしたいって言ってるんだ。お願いできないかな」

「フッたんだしこれで勘弁してくれ……」

「ちょっと話がややこしいから一度——」

「ノエル」

 アラタの食事を摂る手が完全に停止した。

「昨日は言えなかったけど、実は俺は——」

「長生きできない?」

 アラタはなんでそのことを、という顔をしている。
 図星であることを確信したノエルは情報の出所を自ら開示していく。

「少し前にドレイク殿から聞いたんだ」

「先生……プライバシー…………」

「私はその上でアラタのことが好きだし、結婚したいよ」

「長生きできてもせいぜい30歳、それじゃ相手が——」

 顔を正面から背けたアラタの手を、ノエルは両手で握った。
 2人ともマメだらけでデコボコの手だ。

「例えば明日、アラタが死んじゃうとしてもね、それでも私はアラタのこと大好きだって伝えるよ。例えアラタが明日死ぬとしても、私は今日のアラタが大好きだから」

「なんでそんなに恥っずいこと言えるんだよ」

「アラタのことが好きだからね」

 アラタから見て、ノエルは太陽のような人だった。
 夏の日差しのようにうだるような暑さでうざったく感じることもあれば、雲に隠れてその光が届かないこともある。
 しかしこれからの季節のように柔らかな暖かさを与えてくれるというのは、それだけでありがたいことで得難いものだった。
 アラタはノエルの手を振りほどくと残りの朝食を口に詰め込んだ。

「ご馳走様」

 素早く席を立ち食器を台所に運んでいく。
 ノエルは少しきょとんとしていたが、シルは満足そうに笑っている。

「アラタ、父上の話は本当にお願い」

「分かった、分かったから少し落ち着いて」

「え~どうしよっかなぁ」

 ニヤニヤするノエルは大変幸せそうに見える。
 一方アラタはまだ心の整理がついていない状態だ。
 心が潤ってきたのに合わせてなんだか肌にも艶が出てきたシルは、階段を降りてくる音を聞いてもう1人分の朝食の準備に取り掛かる。

「おはよーございまーす」

「リーゼおはよう!」

「……おはよう」

 リビングにやって来たリーゼはその足で台所に用意された自分の食事を持ってテーブルにつく。

「どうです? いけそうですか?」

「あとちょっとかな」

 自信満々に笑うノエルを見て、アラタは台所で食器を洗いながら訂正した。

「フったんだよ。つーか人の前で堂々と話すな」

「でもその割にはアラタ、耳真っ赤ですよ?」

 リーゼに指摘されて初めて自分の耳が熱を持っていることに気付いたアラタは、急いで手で隠そうと試みた。
 しかし忘れていたのか、彼の手は泡だらけだ。
 すぐにとんでもないことになって、流し台がガチャガチャと騒がしくなる。

「ほら、もうすぐ落ちそうじゃないですか」

「……シル、あと頼んだ」

「はーい」

 ニコニコが止まらないノエルの隣で、リーゼはパンを齧りながら思った。
 ノエルと同じで案外アラタもちょろいのかもしれないと。

※※※※※※※※※※※※※※※

「何の罰ゲームだよこれ」

「確かに。告白を断ったら相手の親と面談だからな」

 アラタの罰ゲーム発言にクリスも同意する。
 その横ではノエルが頬を膨らませて抗議していた。

「アラタがオッケーって言ってくれたらすぐ入籍だったのに!」

「お前はテンポが速すぎるんだよ」

「エヘヘ」

「褒めてねー」

 アラタがクレスト家を訪れるのは初めてではない。
 大公選の期間中、特に終盤に何度も訪れ、それからも事あるごとに呼び出されては厄介ごとを押し付けられてきた。
 流石貴族、流石大公家、金払いの良さは他の追随を許さないのでお得意様であると言える。
 だが今回のような呼び出しは流石に想定外。
 厳しい戦いになることは容易に想像がつく。
 アラタは極力穏便にことが済むようにただ祈っていた。




「で、アラタ君は私の娘の申し出を断ったと」

「断ったというか……その、あの……なんといいますか、その……」

 ノエルの隣で座っているアラタの背中がみるみる小さくなっていく。
 ノエル、アラタが両隣、その向かい側に大公シャノン・クレストとその伴侶の大公妃アリシア・クレスト。
 アラタとノエルの背後にクリスとリーゼが立っていて、そのほかにもクレスト家の護衛が何名か室内にいる。
 歴戦の強者であるアラタも、流石にこの状況にはたじたじだった。

「君は私の義理の息子にはなりたくないと」

「いえ、というかお見合いを上手くいくように仕向けろって……やっぱり何でもないです」

 アラタから見れば理不尽甚だしい話だ。
 ノエルの結婚相手を決めるためにお見合いをする。
 ついては彼女は実家に帰るので諸々の準備や後片付けを依頼される。
 お見合いが上手くいかない状況を見かねて、大公はアラタにそれとなく事情を調査し報告、出来ればノエルの気持ちがお見合いに向くようにせよとまで命じられた。
 時期を同じくして緊急のクエストを受注、一時この案件から離れる。
 そして帰って来たと思ったらノエルから突然の告白、からの両親と面談開始。
 なんの冗談だと聞きたくなるような可哀想な話だ。

 大公は分かっていてイジっているのがわかる分まだましで、アラタにとって怖いのはその隣で氷のような笑みを崩さない母親の方。
 髪色と顔の面影が似ている以外、具体的には首から下のスタイルがノエルとは比べ物にならないアリシア・クレスト。
 その暴力的なまでの双丘に視線が吸い込まれそうになるのをアラタはずっと堪えている。
 アリシアの隣に夫のシャノンがいるのもそうだし、隣の絶壁さんに視線を悟られたら後で殺されかねない。
 アラタが困り果てているところで、シャノンは手を叩いた。

「はい、茶番はここまでにしようか」

 目の覚めるような一拍にアラタも少し肩の力が抜けた。

「大公様?」

「アラタ君、君は私のことを何だと思っているのだよ」

「大公様は大公様ですけど」

「私は別に君がノエルを袖にしようと告白を断ろうと一向に構わないんだよ。むしろ苦労を掛けるという申し訳なさすら感じている」

「父上!」

「どちらにせよ早急に結論を出す必要はなくて、まあ時間が解決する問題もあるだろうしそっちは本人たちに任せようと思っている」

「そうですか」

「ただ1つ、ノエルとリーゼ君と交わした約束事を除いてはね」

 あれ、なんだか雲行きが……

 両親の前に引きずり出されて困り果て、そんなに緊張しなくていいよと言われて少し和み、それからまた暗雲が立ち込める気配を察知した。
 そしてアラタの嫌な予感はよく当たる。

「お見合いの延期にはある条件があってね。君は知っていると思ったのだが……また聞いていない感じかな?」

 アラタは隣に座っているノエルの方を見た。
 いまの彼女なら見つめ返しつつ顔を近づけるくらいのことは平気でやりそうなのに、まるで彼の方を見ない。
 正反対の方を向いていて、ポニーテールにまとめたうなじが見えている。
 アラタはさらに首を捻って後ろを見た。
 クリスは何も知らない顔をしている。
 彼女はここ1週間アラタと行動を共にしていて一昨日帰って来たのだから、まあ本心なのだろう。
 問題なのはリーゼの方で、彼女もノエル同様そっぽを向いている。
 アラタは即座に理解した。
 これはまた自分が泥を被ったり苦労するやつだと。

「大公様、内容をお聞きしても?」

「まったく。2人ともちっとも変わっていないじゃないか」

 やれやれとシャノンは呆れながら内容をアラタに伝える。

「アラタ君には悪いが、近いうちにノエルとお見合いをしていた6つの家とアラタ君で模擬戦をしてもらう。君が勝てばノエルのお見合いは白紙かつ延期、相手が勝てば君を倒した家にリーゼ君が嫁ぐことになっている」

「……何でそんな約束を?」

 もう訳が分からず、純粋な疑問が口を突いて出た。

「まあ過程はともかく、クラーク家は君と心中する道を選んだということになる。健闘を期待しているよ」

「おいノエル、こっち向け」

 大公の前では『さん』か『様』付けを崩さなかったアラタが、初めて呼び捨てした。
 それは親しみを込めたものではなく、ただの怒りだ。

「な、なにかな?」

「帰ったら天井にぶら下げます」

「本気か? 正気か? ねえ、ねえってば」

 肩を揺らされてもアラタはまるで動じない。
 どうやら本気のようだった。
 ノエルは本気で吊るされかねないと、吊るされるようなことをしたと理解した。

「あの……頑張って欲しいな~なんて」

「……本当に面倒ごとだらけだよ」

 シャノンは目の前で特大の溜息をつく青年を見て、娘と一緒になるかどうかはさておき今後も苦労しそうだなとアラタを憐れんだのだった。
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