半身転生

片山瑛二朗

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第6章 公国復興編

第468話 1人にしないであげて

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 アラタのベッドは皺ひとつなく、綺麗なままだった。
 朝5時、彼は部屋から出ると玄関でブーツを履く。
 着慣れた黒装束に身を包み、隠密効果の付与された仮面を横に置いていた。
 刀は腰には差さず、濃紺の背負い袋に入れていた。
 立ち上がろうと踏ん張った拍子にフローリングが軋んだ。

「アラタ?」

 寝ぼけ眼で起きてきたのはシルだった。
 眠っていないアラタを除けば、この屋敷で一番の早起きである。
 彼女はこれから朝ご飯の支度や洗濯、それから彼女自身が経営する雑貨店の方に行かなければならない。
 アラタも随分と忙しい日常を送っていて、シルもそれに負けず劣らずの忙しさだった。

「おはよ。ちょっと出かけてくる」

「どこに?」

「……ハルツさん

 刀を入れた袋を背負い、仮面を手にして玄関の扉を開けた。
 年末の早朝に吹く風は、体の芯まで凍えさせるほど冷たい。

「いつ帰ってくる?」

「今日中には帰ってくるよ」

「うーん、分かった。いってらっしゃい」

「うん、行ってきます」

 バタンと扉が閉まると、シルは見えなくなったアラタの方を目を細めて見ていた。
 まるで疑わしいものを、怪しいものを見るような目で。

 シルはアラタが付けた安直な名前の通り、シルキーだ。
 シルキーは家を依り代にする妖精で、家に蓄積した魔力を媒体にして生まれる。
 魔力だけの状態から最終的に肉体を得るまでもっていくのだから、並大抵の魔力では足りない。
 大量の魔力をそれを内包できるだけの大きさの家、それとシルキーを顕現させるための願いが必要だった。
 【不溢の器カイロ・クレイ】を得て魔力量が増加し始めたアラタ。
 だが未熟な魔力制御のせいで魔力を知らず知らずのうちに周囲に撒き散らす。
 さらに迷惑な同居人による過度のストレスが、シルキーを呼び出した。

 何とも残念な動機で生まれた彼女だが、重要なのはそこではない。
 シルにとってのアイデンティティ、他のシルキーと差別化するための大切な識別票。
 それはアラタを親に持つというところだ。
 これは他のシルキーもそうだが、彼女たちの基礎スペックや発生条件はかなり似通っている。
 それだけでは彼女たちを識別することができない程に、限定的で制限の厳しい状態で生まれる。
 そんな彼女たちが一層大切にしているのは、自分を生み出した願いの持ち主、すなわち親だった。
 自分は誰の子、それがシルキーという妖精にとって最も大事な事なのだ。
 そして、そのつながりは決して精神的な物だけではない。

 魂、というと途端にうさん臭くなるのはどうしてだろうか。
 でも繋がっているのだから仕方がない。
 親のアラタとリンクを持つシルは、アラタの考えていることや精神状態をある程度汲み取ることができた。
 戦争中は距離が遠すぎて無理だった。
 でも帰って来てからは、アラタの魂をはっきりと感じている。

 平坦な、何の起伏もない心。
 どこまでも地平線が続いていて、そのほかには何もない。
 直接的な悲しさを感じることは無くても、まっさらで執着するものの無いアラタの心は、寂しく見えた。

 シルはアラタを見送った後、急いで階段を登って一番奥の部屋の扉を開けた。
 いつも通り、何度掃除してもすぐ汚くなる汚部屋の持ち主はベッドで寝こけている。

「ノエル、ねえノエル起きて」

「んあ~ぁ、んー……」

「アラタが出て行っちゃったよ」

「えぇ!?」

 飛び起きてシルの方を見たノエルの顔は、まだ寝ぼけていてしょぼしょぼしている。
 それでも耳から入って来た言葉の衝撃に、ノエルの眠気は完全に吹き飛んだ。

「ホントか?」

「ごめんなさい。ウソ」

「えぇ……なんでぇ?」

 ノエルが困惑するのはもっともである。
 ただ、シルとしてもこの状況は放っては置けない。

「アラタがハルツさんの家に行ったの。シルは誰か一緒にいてあげた方がいいと思った」

「む、そうか」

「ノエル、アラタを1人にしないであげて」

「でも、付いてったらアラタ怒らない?」

「怒らないよ。大丈夫」

「うーん、分かった。準備してくる」

 ベッドから降りて洗面所へ向かったノエルをこれまた見送ると、シルは服や冒険者の道具が散乱した部屋を見て溜息をつく。

「これシルが片付けるの?」

※※※※※※※※※※※※※※※

 アラタの居る屋敷からハルツの家までは意外に時間がかかる。
 徒歩だと約15分くらいだろうか。
 走ったらすぐで、今のアラタなら息切れすらしないくらいの距離。
 でもまあ、だからと言って移動を全てランニングに変更する理由もない。
 人通りの少ない朝の大通りを歩きながら、アラタはふと後方に気をやった。

 ——撒くか、いや、目当てが俺だとしたら。

 後方からアラタのことを追って来たのはもちろんノエル。
 超スピードで最低限の準備だけして屋敷と飛び出してきたノエルは、アラタと違って全力疾走でここまで来ている。
 剣聖のクラスと【身体強化】の合わせ技は、最高レベルのクラスなだけあって単品の【身体強化】とは比べ物にならない出力を可能にする。
 朝っぱらから大声を出すほど無神経ではなく、アラタは少し安心する。

「アラタッ、おっおはよ」

「おはよう」

「私も一緒に行く」

「いいけど……どこに行くのか知ってるの?」

「ハルツ殿の家だろう?」

 シルか……と状況を理解したアラタ。
 今日1日の予定を考えると、追い返すか悩むところ。
 けど仮に追い返したとして、機嫌を損ねられても面倒だとアラタは考えた。

「いいよ、行こう。ただ大人しくしててね」

「分かった!」

 相変わらず間合いは確保したままなんだな、とノエルは足元を見て再確認する。
 肩に掛けられていたはずの刀はいつの間にか腰に差されていて、いつでも抜けるようになっている。
 悲しいが、これが今のアラタだ。
 ノエルはいつかこの距離を消してやると心に決めながら、アラタの2m後ろをついていくことにした。



「ノエルはここで待ってて」

「分かった」

 ハルツの屋敷は、彼の率いる冒険者パーティーの住宅も兼ねている。
 アラタの家より数段大きな敷地には、数段大きな建物が建てられている。
 母屋に離れがいくつもあって、使用人が寝泊まりする専用の建物もある。
 アラタは朝早くで警備室が無人なことを確認して、敷地に不法侵入した。
 朝5時15分、冬の寒さに負けてなければと彼はある人を探していた。

「いたいた」

 自分1人しかここに居ないはずの時間に来訪者があれば誰だって気づく。
 アラタはいま、黒装束を起動していなかった。

「どなたですか?」

「公国軍第1師団第2連隊、第32特別大隊所属のアラタです。ハルツ殿、ルーク殿、レイン殿、ジーン殿、タリア殿の件で参りました。管理人さんですよね?」

「えぇ、管理人のオズです」

 見た目は60過ぎだろうか。
 アラタの住んでいた世界とこの世界では、平均寿命が明らかに違うので判断がつかない。
 結構歳を取っているように見えても、意外と若いことが多いのだ。
 少し背中が曲がり始めた管理人のオズは、怪訝そうな目で黒一色の装備に身を包んだアラタを見た。
 まあ、それが正常な反応だろう。

「察しが悪くてすみません。本日は朝早くに何の御用で?」

「その……遺品を少しばかり。ですので奥様に渡していただければと」

「なるほど。わざわざご足労いただき本当にありがとうございます。管理人の私如きでは荷が重いですし、直接お会いになっていただいた方がよろしいかと」

「でもアポ取ってませんし」

「奥様はこの時間ならもう起きておいでです」

「マジですか」

「玄関までご案内いたします。さ、どうぞ」

 そんなつもりはなかったんだけどなとアラタは眉を曲げて困った。
 誰かに渡して終了だったのに、完全にペースを乱されてしまった。
 門をくぐりちょっとした庭園を抜けたところに正面玄関はある。
 そこは目に付くとまずいとのことで、2人は使用人たちの使う勝手口の方へと回った。

「おい、ベル」

 オズはザ・使用人といった様子の制服に身を包んだ女性に声をかけた。
 名前はベルというらしい。

「どうされました?」

「至急奥様を起こしてここに連れてこい。帰還兵殿が遺品を持ってきてくださった」

「まあそれは……すぐに」

 トントン拍子に話が進んでいく状況は少し怖いこともある。
 アラタは心配になってオズに話しかけた。

「やっぱり俺が渡すのは……奥様にも負担がかかるでしょうし」

「クラーク家は武門の家柄です。乗り越えてこそですよ」

「管理人さんまでガチムチなんですね」

「えぇ、クラーク家の人間ですから」

 ハルツにも皮肉は通じなかったなとアラタは心の中で思い出し笑いをしていた。
 腹を抱えて笑うというより、懐かしいものを見てほほ笑む感じだ。
 もう2度と戻ってこない、暖かい日常風景だ。

 2人が勝手口に回り込んだ時には、ベルがそこで待っていた。
 もう1人の女性をアラタは見たことがある。
 ハルツの配偶者、メアリー・クラークだ。
 こんな時間に叩き起こされて、どこの馬の骨とも知れない人間に引き合わされた割に、彼女の表情はしっかりとしていた。
 流石にメイクをしている時間は無くすっぴんだが、十分綺麗だ。

「あなたは……アラタ君。アラタ君だったのね」

「第206中隊でハルツさんにお世話になりました、冒険者のアラタです」

 クラーク家直系の人間は全員金髪にしなければならないルールでもあるのか、メアリーも例に洩れず薄い金色の髪をしていた。
 アダム・クラーク中将が少しくすんだ金色で、ハルツやリーゼは純粋な金髪、そこから見ると少し明るいのがメアリーの髪色だった。
 アラタはポーチから汚れた袋を取り出して、頭を下げながら差し出した。

「ご主人を守ることができず、本当に申し訳ありませんでした。ハルツさん以外の方も悉く失い、申し開きのしようもありません」

 メアリーは無言でアラタの差し出した袋を受け取ると、口紐を緩めて中を見た。
 冒険者証、ペンダント、武器の装飾の一部、その他雑多な物。
 彼女はその中から銀色に光る何かを見つけて、それを手に取った。

 Harz & Mary

 そう刻印が入った指輪だった。
 ハルツの遺体はアトラまで移送されてきたので必ずしもアラタが持っている意味は無かったが、ルークが彼に持っているように指示した。
 今にして思えば、必ず生きて帰れというメッセージだったのかもしれない。
 指輪の効果か定かではなくとも、アラタは帰って来た。
 だから結果的に、指輪も戻って来た。
 メアリー夫人はリングをぎゅっと握り締めて涙をこらえる。

「国のために戦っていただき、誠にありがとうございました。お疲れさまでした」

 所々言葉に詰まりながらも彼女はアラタにそう伝えた。
 伝え終わったところで、彼女は勝手口の前に崩れ落ちる様に座り込んだ。
 夫だけではない。
 この屋敷にはルークも、レインも、ジーンも、タリアも住んでいたのだ。
 その全員が戦死したという現実を改めて突き付けられて平気なはずがない。
 オズはそれが武家の宿命だと言っていたが、アラタには少し厳しすぎる様に思えなくもない。
 アラタはその場で再び一礼し、踵を返す。

「失礼しました」

 見送りは結構と断りを入れ、アラタは1人門のところまで戻って来た。
 鉄格子の外ではノエルが彼の戻ってくるのを1人待っている。

「お待たせ」

「大丈夫だった?」

「うん」

「これからどこに行くの?」

「クラーク家の本家。無理して来なくてもいいよ」

「ううん、リーゼもいるし、行く」

 ——帰れって言ったつもりだったんだけどな。

 なおもすれ違いは続いていく。
 ノエルは言葉の裏を取れるような器用な人間ではない。
 それはアラタも承知していたはずなのに、アラタは彼女に対して密かなストレスを蓄積しつつあるのだった。
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