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第5章 第十五次帝国戦役編
第457話 砂漠の水筒
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戦の流れというのは非常に大事だ。
個人でなかなかどうこうできるものでもないし、時の運というものもある。
勿論それ以上に戦略だったり戦術だったり、兵士の数だったりが重要なのは言うまでもない。
ただ、一度できた流れを覆す事の難しさは、戦争を経験したことのない人間の想像する3倍か4倍は難しかった。
「アラタ、雷槍いけるか!?」
「すんません、結構厳しいです」
アラタは無理でも無理とは言わないので、ルークは雷槍を諦める。
現在彼らは、半ば逃走中である。
敵であるウル帝国兵と衝突して勢いを殺し、時機を見て撤退する。
それに追いすがる帝国兵の勢いが乗り切る前にまた反転して、衝突して勢いを殺す。
それを繰り返して繰り返して、徐々に徐々に撤退していくわけだが、そんな器用なことが毎回成功するわけではない。
ある時は左翼を大きく食い破られ、またある時は完全に勢いがついてしまったところから敵とぶつからなければならない。
その時の公国兵の損失と言ったら、数えるのが嫌になるくらい甚大な損失である。
前半飛ばしていたアラタに代わり、現在はトマスとカイワレがフロントを張っている。
彼らが敵の大部分を引き受けてくれるおかげで、他の冒険者たちも何とか踏みとどまって戦い続けることが出来ていた。
それにカイワレのスキル【狂化】を温存できているのも大きい。
理性を引き換えに力を得るスキル、確かに強力だ。
ただし使いどころが中々難しい。
出力の調節は問題ないので、混乱して味方は襲うことはしない。
しかしただでさえ体力、気力、魔力を大きく消耗するこのスキル、使いどころを誤れば何でもないところでカイワレという強者が離脱しかねない。
ラストエリクサー問題ではないが、現場指揮官であるトマスはカイワレのこのスキルの使いどころを悩んでいた。
まだその時ではないのではないか、もう少し耐えられるのではないか、そうやって力の使いどころを迷っている。
砂漠で死亡する人間の水筒は、大抵水が残っている。
これがラストエリクサーということだ。
早とちりして切り札を切ればその後に死ぬ。
出し渋っていたらその間に死ぬ。
そもそも適切なタイミングなんてものは、もうやってこないのかもしれない。
死んだ後に考えることがあるのなら、もしかしたらあの時スキルを使っておけばよかったのかもしれない、そんな笑えない笑い話は戦場にいくらでもある。
「おい、スキルを使う準備だけしておけ」
トマスはそう判断を見送る事しかできなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「第7中隊被害甚大の模様、一度下げますか?」
「そうだな。代わりの中隊は?」
「第2がいけます。それから第4と第11の混成が再編成をもうすぐ終えます」
「第2を出せ。4と11は便宜上第4として扱う。一度休息を取らせろ。30分後に本格稼働だ」
「了解です」
帝国軍第19大隊は、現状特にこれといった戦果を挙げることなくただ甚大な被害を出していた。
対するはアラタたち公国軍第32特別大隊の残党。
数は1000対60、彼我の差は圧倒的なはずだった。
ミラ丘陵地帯という敵地、それも道ではないところには公国軍が地雷を撒いている。
手動で起動する分撤去の際の危険性は無いに等しいが、戦闘中はただひたすらに面倒だった。
実質的に通行可能な道は整備された横幅7mほどの土の道に制限され、それが故に思うように押し切れない。
敵の特記戦力に単騎で対応できるような手駒は現状持ち合わせていなく、ダメもとで繰り出した魔術師部隊も壊滅した。
こうなると正直指揮官としては仕事がない。
仕事がないだけで打つ手がない訳ではないのがポイントなのだが、どちらも大差ない。
先ほどから大隊長殿はもう1個の大隊を率いる指揮官と協議したうえで、何の捻りもない攻撃を続けさせている。
決死の勢いで公国兵が戦ってくるせいで、帝国兵は散々な目に遭わされている。
次々と部隊が損壊したという報告が上がってきて、指揮官はその悉くを何の感情の揺れも見せずに対処していく。
大きな損害を被った部隊は他の部隊に吸収、再編成を急ピッチで行いながら、負荷の大きい兵士たちのフォローも忘れない。
しっかり中盤に配置換えを行わせたうえで、中隊もしくは小隊長に部隊のマネジメントを徹底させる。
指示に従っていればいずれ勝てるのだから、いま最も恐れるべきは部下たちが命令に従わなくなることだった。
一見無意味に見える突撃命令に、辟易としていて機嫌の悪さを隠しきれていない兵士も大勢いる。
それでも彼らが脱走兵にならないのは、偏にこの戦争が帝国軍の勝利で終わることが半ば約束されているからだろう。
すでに公国東部の少なくない土地を手中に収めてウル帝国は、この勢いのままミラ丘陵地帯を完全に強奪する気でいる。
そうなれば戦った自分たちに対する褒章もたんまり出るはず、兵士たちはそんな甘言に乗せられて戦いを続けていた。
「ふむぅ」
大隊を率いる大尉殿は、少しわざとらしく息を吐いた。
頭の中で何を考えているのかは分からないが、その緑がかった黒色の双眸は両軍の兵士がぶつかり合う最前線を捉えている。
もう今日ここで命を燃やし尽くすような戦いぶりを見せる公国兵に対して、我が方の何と不甲斐ないことか。
兵士が死を恐れてどうするのだと、大尉は溜息をついた。
かくいう彼も士官学校からのキャリアスタートなので、あんな地獄みたいな最前線に送られたことはない。
だから戦闘中の兵士たちの心情を窺い知ることが出来ないのだろう。
誰だって勝ち戦で死にたくないし、死ぬにしても死にざまくらいは選ばせてほしい。
間違っても鬼のように強い敵の刃にかかって、腸を引きずり出されて頭蓋骨を味方に踏みつぶされるような死に方はごめんだ。
遠目から、大尉のいる辺りからではそこまで細かく戦闘の様子は見えない。
ぶつかっているな、苦戦しているな、味方の数が減ってきたな、それくらいしか分からない。
「少尉」
大尉はやや垢抜けた爽やかな青年を階級で呼んだ。
直属の部下らしい。
「はい」
「200預けたらあれを突破できるか」
「いやいや、ご冗談を。命が足りませんゆえ」
「はは、だな」
温室育ち組2人は顔を見合わせて笑った。
流石に声をあげて笑うのはまずいので表情だけ。
その様が非常に気味が悪く、醜悪だったのを現場に居合わせた兵士は今でもよく覚えている。
比較的安全圏から指示を下す人間がこんな有様では、死んだ現場の兵士たちも浮かばれないと小石を蹴る。
ただ覆りようのない階級と家柄の差に打ちのめされて、分相応な生き方を模索するだけだ。
兵士の心が少し離れた事なんて露知らず、2人の雑談は続く。
「ま、大尉殿があれだけ負荷をかけているのです、そろそろ決壊するのでは?」
「そうだな。私は本当に秒読みが近いと思う。5分に銀貨2枚だ」
「では私は3分以内に3枚」
「ということは3分以上5分以内で私の勝ちだな」
「違いますよ、3分ちょうどなら私の勝ちです」
「そこは上官に従ってだな」
「勝負ごとに階級は関係ありません。さあ待ったなし!」
ふざけつつも本当に銀貨を取り出した将官に対して、またも現場の兵士は苛立つ。
遊んでんじゃねえよと一発ぶん殴りたいが、そんなことをしたら軍法会議ものだ。
軍法会議の為に法廷まで引きずり出されたらまだいい方で、戦争のどさくさに紛れて背中からグサリということも普通にあり得る。
日頃から気に入らなかった奴を殺すには、戦場はおあつらえ向きすぎたから。
大人数でごった返していて、時に敵味方入り乱れての乱戦になることもある。
そうなると流石に味方同士で争っている場合ではないが、何事も事故ということはあり得る。
そこまで考えが及ぶと、一兵卒は感情を殺してただの環境音として聞くに堪えない2人の会話を聞き流し続けるのだった。
「少尉、2分すぎたぞ」
「その時計、時間は合っていますか?」
「時刻ならまだしも、5分計測するのに誤差なんてないに等しいだろう」
「確かに」
少しまずいかと少尉は唇をかみしめる。
銀貨3枚は惜しくないし、銀貨2枚プラスアルファもそこまで欲しい訳ではない。
ただちょっとした刺激が欲しかっただけ。
徐々に時計が時間を刻み、秒針が3週目を終えようとしている。
それでもアラタたちはまだ懸命に戦いを続けている。
「時間だ」
「くそっ。でも大尉殿、5分経過すればこの勝負は無効ですよね?」
「あぁ、経てばな」
大尉は伊達に大尉ではない。
もっと言えば、大隊を率いる尉官というのはかなり珍しい。
階級の昇進が間に合わなくても、彼なら大丈夫だろうという現場の信頼が無ければこのケースはあり得ない。
そんな彼の予測はある種の経験則と学校で学んだ確固たるメソッドの組み合わせから来ている。
つまり、非常に高い確率で戦況を見通すことが可能になるという事だ。
「アラタ!?」
「すんません、ちょい厳しいです」
膝が抜けたようによろけ、生まれたての小鹿のように震えている。
刀を杖代わりにしなければ立つのも厳しいほど。
たまらずアラタを後ろに下げるが、彼の代わりを務めることのできる人間はここにいない。
複数人で代替しようにも、そもそも公国兵の数が足りない。
「見ろ! 完璧なんて存在するはずがないのだ! 4分54秒! 私の勝ちだ!」
非常に不愉快かつムカつく話だが、帝国の大尉は相対する公国軍の限界を的確に言い当ててみせた。
職場において嫌われることはさほど重要ではない。
性格がどんなに合わなかろうと、能力を認められれば自由を得ることができるのが職場である。
勿論円滑なコミュニケーションは大事だし、その要素を抜きに語る事なんて許されない。
それでも、部下たちが血を流している時に賭けごとに興じるような上司でも、有能ならついていきたいと考えるのが人間だ。
「第5中隊を出せ! 第4にも急いで準備を整えさせろ! ここで一気に片を付ける!」
遊びモードから一気に本気に切り替えた指揮官の豹変っぷりに、周りも少し押される。
ただ的確な指示だけが頭の中に妙にクリアに残っていて、兵士たちはその指示を実行するためだけに動き始めた。
「少佐、いや中佐……それとも大佐か? グスタフ大佐……悪くない」
イェール・グスタフ大尉は、夢の中で一気に3階級昇進を夢見ている。
アラタたちが彼の夢の肥やしになるのか、それとも腹を食い破って光を見つけるのか、帝国戦役最後の戦いも終盤に差し掛かろうとしていた。
個人でなかなかどうこうできるものでもないし、時の運というものもある。
勿論それ以上に戦略だったり戦術だったり、兵士の数だったりが重要なのは言うまでもない。
ただ、一度できた流れを覆す事の難しさは、戦争を経験したことのない人間の想像する3倍か4倍は難しかった。
「アラタ、雷槍いけるか!?」
「すんません、結構厳しいです」
アラタは無理でも無理とは言わないので、ルークは雷槍を諦める。
現在彼らは、半ば逃走中である。
敵であるウル帝国兵と衝突して勢いを殺し、時機を見て撤退する。
それに追いすがる帝国兵の勢いが乗り切る前にまた反転して、衝突して勢いを殺す。
それを繰り返して繰り返して、徐々に徐々に撤退していくわけだが、そんな器用なことが毎回成功するわけではない。
ある時は左翼を大きく食い破られ、またある時は完全に勢いがついてしまったところから敵とぶつからなければならない。
その時の公国兵の損失と言ったら、数えるのが嫌になるくらい甚大な損失である。
前半飛ばしていたアラタに代わり、現在はトマスとカイワレがフロントを張っている。
彼らが敵の大部分を引き受けてくれるおかげで、他の冒険者たちも何とか踏みとどまって戦い続けることが出来ていた。
それにカイワレのスキル【狂化】を温存できているのも大きい。
理性を引き換えに力を得るスキル、確かに強力だ。
ただし使いどころが中々難しい。
出力の調節は問題ないので、混乱して味方は襲うことはしない。
しかしただでさえ体力、気力、魔力を大きく消耗するこのスキル、使いどころを誤れば何でもないところでカイワレという強者が離脱しかねない。
ラストエリクサー問題ではないが、現場指揮官であるトマスはカイワレのこのスキルの使いどころを悩んでいた。
まだその時ではないのではないか、もう少し耐えられるのではないか、そうやって力の使いどころを迷っている。
砂漠で死亡する人間の水筒は、大抵水が残っている。
これがラストエリクサーということだ。
早とちりして切り札を切ればその後に死ぬ。
出し渋っていたらその間に死ぬ。
そもそも適切なタイミングなんてものは、もうやってこないのかもしれない。
死んだ後に考えることがあるのなら、もしかしたらあの時スキルを使っておけばよかったのかもしれない、そんな笑えない笑い話は戦場にいくらでもある。
「おい、スキルを使う準備だけしておけ」
トマスはそう判断を見送る事しかできなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「第7中隊被害甚大の模様、一度下げますか?」
「そうだな。代わりの中隊は?」
「第2がいけます。それから第4と第11の混成が再編成をもうすぐ終えます」
「第2を出せ。4と11は便宜上第4として扱う。一度休息を取らせろ。30分後に本格稼働だ」
「了解です」
帝国軍第19大隊は、現状特にこれといった戦果を挙げることなくただ甚大な被害を出していた。
対するはアラタたち公国軍第32特別大隊の残党。
数は1000対60、彼我の差は圧倒的なはずだった。
ミラ丘陵地帯という敵地、それも道ではないところには公国軍が地雷を撒いている。
手動で起動する分撤去の際の危険性は無いに等しいが、戦闘中はただひたすらに面倒だった。
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次々と部隊が損壊したという報告が上がってきて、指揮官はその悉くを何の感情の揺れも見せずに対処していく。
大きな損害を被った部隊は他の部隊に吸収、再編成を急ピッチで行いながら、負荷の大きい兵士たちのフォローも忘れない。
しっかり中盤に配置換えを行わせたうえで、中隊もしくは小隊長に部隊のマネジメントを徹底させる。
指示に従っていればいずれ勝てるのだから、いま最も恐れるべきは部下たちが命令に従わなくなることだった。
一見無意味に見える突撃命令に、辟易としていて機嫌の悪さを隠しきれていない兵士も大勢いる。
それでも彼らが脱走兵にならないのは、偏にこの戦争が帝国軍の勝利で終わることが半ば約束されているからだろう。
すでに公国東部の少なくない土地を手中に収めてウル帝国は、この勢いのままミラ丘陵地帯を完全に強奪する気でいる。
そうなれば戦った自分たちに対する褒章もたんまり出るはず、兵士たちはそんな甘言に乗せられて戦いを続けていた。
「ふむぅ」
大隊を率いる大尉殿は、少しわざとらしく息を吐いた。
頭の中で何を考えているのかは分からないが、その緑がかった黒色の双眸は両軍の兵士がぶつかり合う最前線を捉えている。
もう今日ここで命を燃やし尽くすような戦いぶりを見せる公国兵に対して、我が方の何と不甲斐ないことか。
兵士が死を恐れてどうするのだと、大尉は溜息をついた。
かくいう彼も士官学校からのキャリアスタートなので、あんな地獄みたいな最前線に送られたことはない。
だから戦闘中の兵士たちの心情を窺い知ることが出来ないのだろう。
誰だって勝ち戦で死にたくないし、死ぬにしても死にざまくらいは選ばせてほしい。
間違っても鬼のように強い敵の刃にかかって、腸を引きずり出されて頭蓋骨を味方に踏みつぶされるような死に方はごめんだ。
遠目から、大尉のいる辺りからではそこまで細かく戦闘の様子は見えない。
ぶつかっているな、苦戦しているな、味方の数が減ってきたな、それくらいしか分からない。
「少尉」
大尉はやや垢抜けた爽やかな青年を階級で呼んだ。
直属の部下らしい。
「はい」
「200預けたらあれを突破できるか」
「いやいや、ご冗談を。命が足りませんゆえ」
「はは、だな」
温室育ち組2人は顔を見合わせて笑った。
流石に声をあげて笑うのはまずいので表情だけ。
その様が非常に気味が悪く、醜悪だったのを現場に居合わせた兵士は今でもよく覚えている。
比較的安全圏から指示を下す人間がこんな有様では、死んだ現場の兵士たちも浮かばれないと小石を蹴る。
ただ覆りようのない階級と家柄の差に打ちのめされて、分相応な生き方を模索するだけだ。
兵士の心が少し離れた事なんて露知らず、2人の雑談は続く。
「ま、大尉殿があれだけ負荷をかけているのです、そろそろ決壊するのでは?」
「そうだな。私は本当に秒読みが近いと思う。5分に銀貨2枚だ」
「では私は3分以内に3枚」
「ということは3分以上5分以内で私の勝ちだな」
「違いますよ、3分ちょうどなら私の勝ちです」
「そこは上官に従ってだな」
「勝負ごとに階級は関係ありません。さあ待ったなし!」
ふざけつつも本当に銀貨を取り出した将官に対して、またも現場の兵士は苛立つ。
遊んでんじゃねえよと一発ぶん殴りたいが、そんなことをしたら軍法会議ものだ。
軍法会議の為に法廷まで引きずり出されたらまだいい方で、戦争のどさくさに紛れて背中からグサリということも普通にあり得る。
日頃から気に入らなかった奴を殺すには、戦場はおあつらえ向きすぎたから。
大人数でごった返していて、時に敵味方入り乱れての乱戦になることもある。
そうなると流石に味方同士で争っている場合ではないが、何事も事故ということはあり得る。
そこまで考えが及ぶと、一兵卒は感情を殺してただの環境音として聞くに堪えない2人の会話を聞き流し続けるのだった。
「少尉、2分すぎたぞ」
「その時計、時間は合っていますか?」
「時刻ならまだしも、5分計測するのに誤差なんてないに等しいだろう」
「確かに」
少しまずいかと少尉は唇をかみしめる。
銀貨3枚は惜しくないし、銀貨2枚プラスアルファもそこまで欲しい訳ではない。
ただちょっとした刺激が欲しかっただけ。
徐々に時計が時間を刻み、秒針が3週目を終えようとしている。
それでもアラタたちはまだ懸命に戦いを続けている。
「時間だ」
「くそっ。でも大尉殿、5分経過すればこの勝負は無効ですよね?」
「あぁ、経てばな」
大尉は伊達に大尉ではない。
もっと言えば、大隊を率いる尉官というのはかなり珍しい。
階級の昇進が間に合わなくても、彼なら大丈夫だろうという現場の信頼が無ければこのケースはあり得ない。
そんな彼の予測はある種の経験則と学校で学んだ確固たるメソッドの組み合わせから来ている。
つまり、非常に高い確率で戦況を見通すことが可能になるという事だ。
「アラタ!?」
「すんません、ちょい厳しいです」
膝が抜けたようによろけ、生まれたての小鹿のように震えている。
刀を杖代わりにしなければ立つのも厳しいほど。
たまらずアラタを後ろに下げるが、彼の代わりを務めることのできる人間はここにいない。
複数人で代替しようにも、そもそも公国兵の数が足りない。
「見ろ! 完璧なんて存在するはずがないのだ! 4分54秒! 私の勝ちだ!」
非常に不愉快かつムカつく話だが、帝国の大尉は相対する公国軍の限界を的確に言い当ててみせた。
職場において嫌われることはさほど重要ではない。
性格がどんなに合わなかろうと、能力を認められれば自由を得ることができるのが職場である。
勿論円滑なコミュニケーションは大事だし、その要素を抜きに語る事なんて許されない。
それでも、部下たちが血を流している時に賭けごとに興じるような上司でも、有能ならついていきたいと考えるのが人間だ。
「第5中隊を出せ! 第4にも急いで準備を整えさせろ! ここで一気に片を付ける!」
遊びモードから一気に本気に切り替えた指揮官の豹変っぷりに、周りも少し押される。
ただ的確な指示だけが頭の中に妙にクリアに残っていて、兵士たちはその指示を実行するためだけに動き始めた。
「少佐、いや中佐……それとも大佐か? グスタフ大佐……悪くない」
イェール・グスタフ大尉は、夢の中で一気に3階級昇進を夢見ている。
アラタたちが彼の夢の肥やしになるのか、それとも腹を食い破って光を見つけるのか、帝国戦役最後の戦いも終盤に差し掛かろうとしていた。
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