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第5章 第十五次帝国戦役編
第456話 ワンオペレーション
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「タリア! トマスを頼む!」
「う、うん」
ルークは疲弊したトマスを置いておくと、また前線に戻っていく。
公国兵の数が少ないから、1人抜けるだけでも結構危険なのだ。
タリアはこれからそうするように、もう何度も味方に治癒魔術を施し続けていた。
基本的にはアラタとトマスの2トップを重点的に。
重傷者かつ戦線復帰の可能性がありそうな人間も彼女の治療を受ける。
時間も無いし、物資も無いし、何よりタリアという女性は1人しかいない。
「負傷箇所は?」
「右足を斬られた。それ以外はかすり傷だから治療しなくていい」
「魔力の残量は?」
「5割といったところだ」
「分かったわ」
今日何度目になるか分からない、タリアの仕事が始まった。
魔力を手に込めて、患者の素肌に触れる。
トマスの魔力の特徴に合うように魔力を変質させて、その上で細胞に染みわたらせるように流し込む。
治癒促進効果を魔術一辺倒で生み出すのはかなり難しく、彼女は補助のスキルを使っている。
【千里眼】と【精密操作】。
前者は名前負けしているとよく言われる。
千里先を見通せるわけではないから。
それでも患者の体の状態を的確に把握するという目的を達成するのに役に立つのだから、名前なんて正直どうでもいい。
後者は【千里眼】以上に重要だ。
魔力操作、手先の細かい操作を高精度で実現するのは並大抵の技術ではない。
彼女はスキルなしでも治癒魔術を施すことができるが、スキルを使えばより効率的に作業を行うことが出来る。
スキルがあったから治癒魔術師として一角の人物になることが出来たのか、一人前の治癒魔術師になる為にスキルが発現したのか、それは恐らく後者である。
積み上げた経験と、募る願望が能力として顕現したのだ。
「……はい、おしまい!」
「ありがとう。よし行ってくる」
止血、傷口の軽度治療、それから筋力回復に重点を置いたトマスの治療はものの5分程度で終了した。
彼は再び戦うべく武器を手に前の方へと戻っていった。
一方タリアはというと、あれだけアラタに口酸っぱくポーションをやめろと言っていたのにも関わらず、自分もポーションをがぶ飲みしていた。
それはもう人目もはばからず、口の端から僅かながら溢れる勢いで一気飲みしている。
アルコール飲料なら心配になる飲み方だ。
「プハッ。……ゴホッゲホッ」
ねっとりと喉の奥に絡みつくような粘性の高さ。
ポーションの種類や品質によっても様々なので一概には言えないが、効果の高いポーションは粘度が高い傾向にあるのは事実だ。
低級のポーションは原液を生理食塩水などで希釈している場合が多く、そうなると原液に近ければ近いほど元の特徴を反映しやすい。
アラタなんかが日常的に口にしているものはその中でも一級品の劇物で、流石にタリアもそこまで重度の依存はしていない。
ただ、2倍希釈なのか1.5倍希釈なのかくらいの違いでしかないから、彼女もだいぶ追い込まれている。
数十から百メートル程度向こうでは、今も絶えず両軍がぶつかり合っている。
徐々に公国軍が下がりながら戦っているから、支援部隊の隊員たちも徐々に後退している。
道から外れて一気に攻め立てられないように罠を敷設するのもまだ完了していないし、タリア本人や彼女の護衛も必要だ。
指揮官代理のエドモンドも全体を出来る限り俯瞰できる場所に陣取ることを考えると、支援部隊の人数も意外と多い。
タリアの護衛を任された冒険者が、見るからに体調の悪そうな彼女を気遣う。
「エドモンドに治療停止要請を出しますか?」
「いや、まだ大丈夫」
「でも、もう限界近いでしょ」
「大丈夫だって」
それ以上何も言わないでとタリアは願う。
口に出すこともできないくらいの疲労の中で、タリアは頼むから黙ってくれと思った。
分かっている、とっくに自分が限界を超えていることなんて、とっくに分かっているのだ。
それでもこうして立つことが出来ているのは、ひとえに気力以外の何物でもない。
それを外野が大丈夫か、休むかと心配すれば、堰を切ったように崩れてしまうことは分かり切っている。
だから、護衛の兵士は役立たずなのだ。
「タリアさん、これ以上はあなたが——」
「黙ってて!」
「す、すみません」
唐突に怒鳴られた隊員が固まる。
彼は完全に善意というか、彼女を心配して聞いていただけなのだから。
彼を責めるのは違うだろう。
タリアだってそのことは分かっている。
「……ごめんなさい」
「い、いえ。何か用があればなんなりと」
そう言いつつ男が距離を取ったのと時を同じくして、別の男が寄って来た。
彼は黒い髪に黒い装備、それら全身に真っ赤な返り血を浴びて赤黒く染まっている。
アラタだ。
「タリアさん! 回復お願いします!」
気を遣われるのも嫌な時はあるが、無遠慮で無神経なのはそれはそれでムカつく。
タリアとは、治癒魔術師とは、女性とは、難儀なものだ。
やや主語が大きくなり過ぎた所で話を個人に戻すと、タリアは限界を超えている状態でアラタの治療に乗り出す必要があった。
ほとんど傷を負っていなかったトマスと比べると、アラタは非常にズタボロになっている。
彼よりもアラタの方が装備が薄いのも影響しているのだろう。
黒装束も、集団で正面からかち合っている状態では隠密効果を発揮しずらい。
何よりアラタはすでに【感知】が起動できないくらい精神的肉体的に疲弊しているのだ。
これから彼女が治療を施したところで、再びスキルをフル稼働させれば5分と保たずに戻ってくることになるだろう。
「タリアさん?」
いつも通り無茶をしてきたアラタに対して、タリアはぶつけようのないイライラを募らせる、募らせるだけ。
それをぶつけていい筈がないことは分かっているから。
アラタが戦わなければ、この戦場はとっくに崩壊しているから。
「タリアさん? どうしました?」
「別に! ほら、早く来て!」
寒空の下、しかし忙しく動き回ることで汗をかき始めたタリアは、服の袖をまくりながら治癒魔術師としての仕事に取り掛かった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「はいおしまい」
「どうもです。じゃあ行ってきます」
握力がほぼなくなっているような状況から、あと4,5ラウンドくらい戦えるまでに回復したアラタ。
彼は再び腰に刀を差すと、前線目掛けて歩き始めた。
先ほどまでの数回の治療なら、タリアは『いってらっしゃい』やら『気を付けなさい』やら何かしら声をかけてくれていた。
たまたまかもしれないが、今回それが無かったことが寂しかったのかアラタは後ろを振り向いた。
だが、こういう時のたまたまは往々にして外れる。
外れるという事は、タリアが何の声も欠けなかったことに何らかの理由があるということになる。
「……っは? タリアさん? 護衛の人! おい! タリアさん!」
地面に突っ伏したまま動かない女性の身体。
突然のことに語彙力が完全に消失して、単語レベルでしか言葉を紡ぐことが出来なくなったアラタが護衛を呼ぶ。
その声の余裕の無さに咄嗟に振り返った兵士たちも異常を察知した。
「タリアさん! どうしました!」
護衛の1人が近づき、脈と呼吸を取る。
どちらも正常で問題ない。
問題ないことはないのだが、まあ一応命に問題はないという意味である。
「どうだ!」
「呼吸も脈もあります! ただ息切れが激しい! 肺炎を起こしているかもしれない!」
息切れ=肺炎に結び付けるのは医師からすれば早計に過ぎるのだろう。
だが、一般人からすればその程度の判断しかできないのは仕方のないことだ。
とにかく一刻も早く彼女を後ろに戻す必要が出てきたという事だ。
「アラタ殿は前線へ! 急いで!」
「おう!」
「テリーはエドモンド殿に報告! 治癒魔術が使えないとなると前線を下げる必要まで出てくるぞ!」
タリアのいた場所は、前線で負傷した兵士を救護するための最前線。
従って担架程度ならその辺にいくらでも転がっている。
負傷兵を運ぶためのそれは、出来る限り迅速に丁寧に彼女を乗せて移動を開始した。
「なに!? それなら……撤退速度を上げるしかないな。指揮所を引き払うぞ。それから罠はもう間に合わない、ある分で戦い、残りはまとめて起爆する」
「了解です!」
「マジかよ。あいつどんなだった?」
「意識飛びかけてました。正直かなりヤバいです」
「だよなぁ」
数百人数千人がひしめく戦場において、最重要ピースはアラタではない。
カナン公国軍の無茶な戦いを支えていたのは、ヒーラー役のタリアだったのだ。
彼女が欠けた途端に、公国軍の圧が弱まった。
ここから先大けがをしたら治せないし、魔力の消耗を回復させる手段もポーション以外になくなる。
前線で敵と激烈な切り結び方をしているアラタ、トマス、カイワレも戦い方を変えざるをえない。
帝国軍は何が起こったのか把握していないが、何かが起こったことは把握している。
自然と指揮官のもつ指揮棒が奮えた。
武者震いだ。
「全軍! これより10分間全力で突撃を繰り返せ! ここで決めるぞ!」
「ざけんな! お前ら! 全力で止めにかかるぞ!」
ルーク、トマスが必死に周りを盛り立てて踏ん張り続ける。
彼らのさらに前で戦うのは、共にスキル【狂化】を持つ冒険者2人。
敵の衝撃を食い止め、少し下がり、また衝突し、少し下がり、矢を撃ち魔術攻撃を行い、そしてまた少し下がる。
後方のタリアの様子を知ることはできない。
続報が無いから、回復したという事は無さそうだ。
大きな支えの喪失感の中で戦う彼らにも、限界点は加速して近づいてきていた。
「ぐっ……」
「トマスさん!?」
「大丈夫! 前を見ろ!」
ふとアラタの気持ちが切れた。
彼は元々一流のスポーツマンで、流れやモチベーション、集中力といったものの管理方法を人より心得ている。
人は感情を持つから、油断するから、だから細心の注意を払って集中力を切らさないようにと、そう心掛けてきた。
しかし、長時間にわたる命のやり取りの中で、ほんの一瞬だけ緩んでしまった。
ふと視線が下の方に吸い寄せられると、ガクガク震える己の膝が目に入る。
その少し上にはブルブル震える拳が、気づけば腕にも力が入らない。
腰回りは酷く痛み、背中が筋肉の使い過ぎで出力が下がっている。
まずい、そう考えてしまうこと自体がまずい。
切り替えようと意識的にスイッチを入れようとしたアラタは、己の限界を悟る。
この状態から回復することはできない。
タリアはもう倒れたのだから。
その事実を思い出して、たまらなく体が重くなった。
「アラタ!」
無防備なアラタに攻撃した帝国兵をルークが捌いた。
その援護のおかげでアラタは我を取り戻す。
「あっ……すいません」
「全て現実だ。受け入れて乗り越えて適応しろ」
「はい」
「正念場だ、斬り抜けるぞ」
先に堕ちたのは治癒魔術師タリア。
彼らはこれから、今持つ体力だけで敵に挑むことになる。
鉄壁が崩れようとしていた。
「う、うん」
ルークは疲弊したトマスを置いておくと、また前線に戻っていく。
公国兵の数が少ないから、1人抜けるだけでも結構危険なのだ。
タリアはこれからそうするように、もう何度も味方に治癒魔術を施し続けていた。
基本的にはアラタとトマスの2トップを重点的に。
重傷者かつ戦線復帰の可能性がありそうな人間も彼女の治療を受ける。
時間も無いし、物資も無いし、何よりタリアという女性は1人しかいない。
「負傷箇所は?」
「右足を斬られた。それ以外はかすり傷だから治療しなくていい」
「魔力の残量は?」
「5割といったところだ」
「分かったわ」
今日何度目になるか分からない、タリアの仕事が始まった。
魔力を手に込めて、患者の素肌に触れる。
トマスの魔力の特徴に合うように魔力を変質させて、その上で細胞に染みわたらせるように流し込む。
治癒促進効果を魔術一辺倒で生み出すのはかなり難しく、彼女は補助のスキルを使っている。
【千里眼】と【精密操作】。
前者は名前負けしているとよく言われる。
千里先を見通せるわけではないから。
それでも患者の体の状態を的確に把握するという目的を達成するのに役に立つのだから、名前なんて正直どうでもいい。
後者は【千里眼】以上に重要だ。
魔力操作、手先の細かい操作を高精度で実現するのは並大抵の技術ではない。
彼女はスキルなしでも治癒魔術を施すことができるが、スキルを使えばより効率的に作業を行うことが出来る。
スキルがあったから治癒魔術師として一角の人物になることが出来たのか、一人前の治癒魔術師になる為にスキルが発現したのか、それは恐らく後者である。
積み上げた経験と、募る願望が能力として顕現したのだ。
「……はい、おしまい!」
「ありがとう。よし行ってくる」
止血、傷口の軽度治療、それから筋力回復に重点を置いたトマスの治療はものの5分程度で終了した。
彼は再び戦うべく武器を手に前の方へと戻っていった。
一方タリアはというと、あれだけアラタに口酸っぱくポーションをやめろと言っていたのにも関わらず、自分もポーションをがぶ飲みしていた。
それはもう人目もはばからず、口の端から僅かながら溢れる勢いで一気飲みしている。
アルコール飲料なら心配になる飲み方だ。
「プハッ。……ゴホッゲホッ」
ねっとりと喉の奥に絡みつくような粘性の高さ。
ポーションの種類や品質によっても様々なので一概には言えないが、効果の高いポーションは粘度が高い傾向にあるのは事実だ。
低級のポーションは原液を生理食塩水などで希釈している場合が多く、そうなると原液に近ければ近いほど元の特徴を反映しやすい。
アラタなんかが日常的に口にしているものはその中でも一級品の劇物で、流石にタリアもそこまで重度の依存はしていない。
ただ、2倍希釈なのか1.5倍希釈なのかくらいの違いでしかないから、彼女もだいぶ追い込まれている。
数十から百メートル程度向こうでは、今も絶えず両軍がぶつかり合っている。
徐々に公国軍が下がりながら戦っているから、支援部隊の隊員たちも徐々に後退している。
道から外れて一気に攻め立てられないように罠を敷設するのもまだ完了していないし、タリア本人や彼女の護衛も必要だ。
指揮官代理のエドモンドも全体を出来る限り俯瞰できる場所に陣取ることを考えると、支援部隊の人数も意外と多い。
タリアの護衛を任された冒険者が、見るからに体調の悪そうな彼女を気遣う。
「エドモンドに治療停止要請を出しますか?」
「いや、まだ大丈夫」
「でも、もう限界近いでしょ」
「大丈夫だって」
それ以上何も言わないでとタリアは願う。
口に出すこともできないくらいの疲労の中で、タリアは頼むから黙ってくれと思った。
分かっている、とっくに自分が限界を超えていることなんて、とっくに分かっているのだ。
それでもこうして立つことが出来ているのは、ひとえに気力以外の何物でもない。
それを外野が大丈夫か、休むかと心配すれば、堰を切ったように崩れてしまうことは分かり切っている。
だから、護衛の兵士は役立たずなのだ。
「タリアさん、これ以上はあなたが——」
「黙ってて!」
「す、すみません」
唐突に怒鳴られた隊員が固まる。
彼は完全に善意というか、彼女を心配して聞いていただけなのだから。
彼を責めるのは違うだろう。
タリアだってそのことは分かっている。
「……ごめんなさい」
「い、いえ。何か用があればなんなりと」
そう言いつつ男が距離を取ったのと時を同じくして、別の男が寄って来た。
彼は黒い髪に黒い装備、それら全身に真っ赤な返り血を浴びて赤黒く染まっている。
アラタだ。
「タリアさん! 回復お願いします!」
気を遣われるのも嫌な時はあるが、無遠慮で無神経なのはそれはそれでムカつく。
タリアとは、治癒魔術師とは、女性とは、難儀なものだ。
やや主語が大きくなり過ぎた所で話を個人に戻すと、タリアは限界を超えている状態でアラタの治療に乗り出す必要があった。
ほとんど傷を負っていなかったトマスと比べると、アラタは非常にズタボロになっている。
彼よりもアラタの方が装備が薄いのも影響しているのだろう。
黒装束も、集団で正面からかち合っている状態では隠密効果を発揮しずらい。
何よりアラタはすでに【感知】が起動できないくらい精神的肉体的に疲弊しているのだ。
これから彼女が治療を施したところで、再びスキルをフル稼働させれば5分と保たずに戻ってくることになるだろう。
「タリアさん?」
いつも通り無茶をしてきたアラタに対して、タリアはぶつけようのないイライラを募らせる、募らせるだけ。
それをぶつけていい筈がないことは分かっているから。
アラタが戦わなければ、この戦場はとっくに崩壊しているから。
「タリアさん? どうしました?」
「別に! ほら、早く来て!」
寒空の下、しかし忙しく動き回ることで汗をかき始めたタリアは、服の袖をまくりながら治癒魔術師としての仕事に取り掛かった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「はいおしまい」
「どうもです。じゃあ行ってきます」
握力がほぼなくなっているような状況から、あと4,5ラウンドくらい戦えるまでに回復したアラタ。
彼は再び腰に刀を差すと、前線目掛けて歩き始めた。
先ほどまでの数回の治療なら、タリアは『いってらっしゃい』やら『気を付けなさい』やら何かしら声をかけてくれていた。
たまたまかもしれないが、今回それが無かったことが寂しかったのかアラタは後ろを振り向いた。
だが、こういう時のたまたまは往々にして外れる。
外れるという事は、タリアが何の声も欠けなかったことに何らかの理由があるということになる。
「……っは? タリアさん? 護衛の人! おい! タリアさん!」
地面に突っ伏したまま動かない女性の身体。
突然のことに語彙力が完全に消失して、単語レベルでしか言葉を紡ぐことが出来なくなったアラタが護衛を呼ぶ。
その声の余裕の無さに咄嗟に振り返った兵士たちも異常を察知した。
「タリアさん! どうしました!」
護衛の1人が近づき、脈と呼吸を取る。
どちらも正常で問題ない。
問題ないことはないのだが、まあ一応命に問題はないという意味である。
「どうだ!」
「呼吸も脈もあります! ただ息切れが激しい! 肺炎を起こしているかもしれない!」
息切れ=肺炎に結び付けるのは医師からすれば早計に過ぎるのだろう。
だが、一般人からすればその程度の判断しかできないのは仕方のないことだ。
とにかく一刻も早く彼女を後ろに戻す必要が出てきたという事だ。
「アラタ殿は前線へ! 急いで!」
「おう!」
「テリーはエドモンド殿に報告! 治癒魔術が使えないとなると前線を下げる必要まで出てくるぞ!」
タリアのいた場所は、前線で負傷した兵士を救護するための最前線。
従って担架程度ならその辺にいくらでも転がっている。
負傷兵を運ぶためのそれは、出来る限り迅速に丁寧に彼女を乗せて移動を開始した。
「なに!? それなら……撤退速度を上げるしかないな。指揮所を引き払うぞ。それから罠はもう間に合わない、ある分で戦い、残りはまとめて起爆する」
「了解です!」
「マジかよ。あいつどんなだった?」
「意識飛びかけてました。正直かなりヤバいです」
「だよなぁ」
数百人数千人がひしめく戦場において、最重要ピースはアラタではない。
カナン公国軍の無茶な戦いを支えていたのは、ヒーラー役のタリアだったのだ。
彼女が欠けた途端に、公国軍の圧が弱まった。
ここから先大けがをしたら治せないし、魔力の消耗を回復させる手段もポーション以外になくなる。
前線で敵と激烈な切り結び方をしているアラタ、トマス、カイワレも戦い方を変えざるをえない。
帝国軍は何が起こったのか把握していないが、何かが起こったことは把握している。
自然と指揮官のもつ指揮棒が奮えた。
武者震いだ。
「全軍! これより10分間全力で突撃を繰り返せ! ここで決めるぞ!」
「ざけんな! お前ら! 全力で止めにかかるぞ!」
ルーク、トマスが必死に周りを盛り立てて踏ん張り続ける。
彼らのさらに前で戦うのは、共にスキル【狂化】を持つ冒険者2人。
敵の衝撃を食い止め、少し下がり、また衝突し、少し下がり、矢を撃ち魔術攻撃を行い、そしてまた少し下がる。
後方のタリアの様子を知ることはできない。
続報が無いから、回復したという事は無さそうだ。
大きな支えの喪失感の中で戦う彼らにも、限界点は加速して近づいてきていた。
「ぐっ……」
「トマスさん!?」
「大丈夫! 前を見ろ!」
ふとアラタの気持ちが切れた。
彼は元々一流のスポーツマンで、流れやモチベーション、集中力といったものの管理方法を人より心得ている。
人は感情を持つから、油断するから、だから細心の注意を払って集中力を切らさないようにと、そう心掛けてきた。
しかし、長時間にわたる命のやり取りの中で、ほんの一瞬だけ緩んでしまった。
ふと視線が下の方に吸い寄せられると、ガクガク震える己の膝が目に入る。
その少し上にはブルブル震える拳が、気づけば腕にも力が入らない。
腰回りは酷く痛み、背中が筋肉の使い過ぎで出力が下がっている。
まずい、そう考えてしまうこと自体がまずい。
切り替えようと意識的にスイッチを入れようとしたアラタは、己の限界を悟る。
この状態から回復することはできない。
タリアはもう倒れたのだから。
その事実を思い出して、たまらなく体が重くなった。
「アラタ!」
無防備なアラタに攻撃した帝国兵をルークが捌いた。
その援護のおかげでアラタは我を取り戻す。
「あっ……すいません」
「全て現実だ。受け入れて乗り越えて適応しろ」
「はい」
「正念場だ、斬り抜けるぞ」
先に堕ちたのは治癒魔術師タリア。
彼らはこれから、今持つ体力だけで敵に挑むことになる。
鉄壁が崩れようとしていた。
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