半身転生

片山瑛二朗

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第5章 第十五次帝国戦役編

第449話 例えば今日を生き延びたとして

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「ゴホッ、ゴホッ、ペッ」

 アラタも冒険者大隊も、分水嶺なんてとっくに超えていた。
 日夜続く敵の攻撃もとい追撃。
 初日の夜までに半壊し、アラタが所属していた第206中隊の中隊長ジーンが戦死。
 同日第32特別大隊、通称冒険者大隊の大隊長レイヒム・トロンボーンも重傷を負って戦線を離脱。
 後釜として指揮を執る人間のことを、アラタはまるで知らなかった。
 名前も顔も、何もかも初見。
 カナン公国の首都アトラで冒険者として活動し、公国の現役最高位Bランクまで昇格した彼が知らないのだ。
 冒険者大隊もいよいよ人材不足であることを隠せなくなってきている。
 指揮官不在というのもかなりまずいが、前線はもっとまずい。

「ルークさん、生きてますか」

 アラタが虚ろな目で問いかけた先には、剣を地面に突きながら片膝立ちしている兵士の姿がある。

「……ギリ、な」

 防具は血と泥に汚れ、傷口は何カ所か化膿し始めている。
 それを綺麗に洗い流すための水も、消毒するための衛生キットも、体力を回復させる食料も、何もかもが足りなかった。
 腹部に重傷を負ったレイヒムをまともに治療できないというのだから、物資不足は来るところまで来ている。
 そんな彼らが今日も辛うじて生き残ることが出来たのは、アラタやルーク、レインたちの働きのおかげと言っても過言ではない。

 前線の兵士たちは、次から次へと襲い掛かってくる帝国軍を相手に下がりながら戦った。
 彼らが通った後を帝国兵が通ると、必ず誰かが罠にかかる。
 落とし穴、仕掛け弓、落石、毒矢、倒木、何でもあり。
 ありとあらゆるものを使って徹底的な遅滞戦闘を展開する彼らを前にして、帝国兵の足が鈍くなる。
 彼らからすれば既に9割がた勝利が確定した戦争で、これから死ぬなんてバカらしくてとても受け入れられない。
 そんなマインドが帝国軍全体に蔓延していることもあって彼らは思い切り踏み込んでこようとしないのだ。
 だが、命令されれば動くし褒美が増額されれば踊らされる連中も出てくる。

「敵襲! 迎撃しつつ下がれ!」

 偵察の声が夜のミラ丘陵地帯に響き渡る。
 遠くの方から見える篝火は、帝国軍の物である。
 【暗視】系のスキルを持っていない大多数の人間はこれを頼りにして夜を戦う。
 ということは、【暗視】ホルダーの行動は少し違うことになる。

「ルークさん、レイン。行きましょう」

「おー……」

「アラタさん、もう動けないです」

 ヘナヘナと座り込んだレインの顔は青白く、手先はブルブル震えている。
 アラタはこれと同じ現象を体験したことがある。
 いわゆるハンガーノックというやつだ。
 飢餓状態、栄養不足状態とでも言うのだろうか。
 急に長距離マラソンをしたり自転車で遠出したりするとなることがあるこの症状、一口何かを食べれば治るのだが、その一口がどこにもない。
 仕方なくアラタは手持ちのポーションを飲ませようとしたが、レインはそれを拒絶する。

「飲めよ」

「それは……僕はもう限界本数を飲んでしまいました」

「大丈夫だって」

 なおも強く推し続けるアラタの手をルークが掴んだ。

「その辺にしとけ。レイン、歩けるか?」

「何とか頑張ります」

「荷馬車か馬のところまで頑張れ。俺たちは行ってくる」

「はい…………」

 座り込んだままのレインを放置してアラタとルークは前線に向かう。

「アラタ」

「なんすか?」

「俺が倒れたら見捨てていいぞ」

「なんですか気持ち悪い」

「多分だけどよ、こっから先はお前でも苦しみそうだ」

「……ルークさんがそういうなら間違いないですね」

 軽口で返したアラタ、しかしその言葉とは裏腹にルークの言葉がやや現実的であることを認めている。
 ルークがどんな意図でそれを口にしたかは置いておくとして、もし本当にそんなシチュエーションがやってきたらアラタの取る行動は決まっている。

 ——周りの敵を全員ぶっ殺して、それから助けよう。



「殺せ! 1人殺せば金貨5枚だぞ!」

「安いなぁ」

 そう呟きながらアラタは敵の喉元を斬り裂いた。
 その少し後ろではルークが敵の攻撃を躱しながら槍を突き立てている。
 金貨5枚と言えば、日本円で50万円くらい。
 頼まれて殺人をするには安い気もするが、ヒト1人の値段なんてこんなものな気がしないでもない。
 しかし塵も積もれば山となる、もしもアラタが帝国兵だったとしたら、成果報酬だけで一生分の生活費が入ってきそうなキルスコアになっているだろう。
 アラタもルークも、そんな余計な事を考えながら淡々と敵を削っていく。

「うぐっ」

 今のは経験ありかな。

「ぎゃっ」

 今のは新兵。

「おぐぅ」

 今のは……分かんないな。

 アラタは先ほどから、斬った相手がどれほどの戦歴を持つのか勝手に判断しながら戦っていた。
 防具や目の光、動き、断末魔。
 様々な情報から多角的に推理して総合的に判断する。
 一手間違えれば3秒後に死んでいるかもしれない空間内で、アラタは気が振れているのか心配になるゲームに興じている。

 戦況分析とか、戦術判断とか、仲間への指示とか、そう言った難しいことを考えるには、彼の脳は疲弊し過ぎていた。
 あまりにも長時間、あまりにも過酷な環境に晒され続けた結果、男の精神はそれがニュートラルであると勝手に判断し、戦闘行為を日常生活の延長線上にあるとカテゴライズした。
 いわゆる危険環境下における正常性バイアスというやつだ。
 異常な場所に長く晒されすぎると、普通であることが異常になってしまう。
 異常な空間に適用しようとすれば、自分もいつのまにか異常になってしまっている。
 しかもそれが自分では分からないというのだから、人間というのは難しくできている。

「…………アラタ」

 乱戦の中、ルークが声をあげる。

「アラタ!」

「はい!」

 名前を呼ばれた気がした、そんな感覚を信じたアラタが返事をする。
 その声もまた、戦場の怒号の中で薄まってしまう。
 ルークは辛うじてアラタの声をキャッチしたのか、大声で叫び続ける。

「まだ動けるならカーテン出せ!」

「分かりましたぁ!」

 一つ返事で引き受けると、アラタは刀を使った斬撃をキャンセルして近くの敵を蹴り飛ばした。
 カーテンという剣技に用いるのは魔力と刀、使用準備に入ったから攻撃を中止したのだろう。
 何やら大技の準備をしていると理解して、そのまま野放しにする事なんてありえない。
 アラタに対する帝国軍の攻撃はより一層激しさを増し、彼はそれを捌きつつ魔力を練り上げる。

 かつてパーティーでのダンジョン単独制覇を成し遂げるために、最下層に鎮座する火竜の咆哮を受け止める必要があった。
 タンク兼デコイ役として正面から対峙したアラタは、持てる魔力を使い切る勢いでの高出力魔力解放という解決方法を編み出した。
 刀を介して魔力を大量放出、空中にカーテンをかけるような軌跡を描くことから『カーテン』と呼んでいる。
 溜めが必要で、魔力消費が激しい技。
 魔術で言うと、長文詠唱が必要な強力魔術といった所か。
 ……アラタの準備が整った。

「これはっ……退避! 退避ーっ!」

 現場に居合わせた帝国軍の小隊長はアラタの攻撃のヤバさを悟り、味方を逃がそうと声を嗄らした。
 しかしすぐにそれが不可能であることを悟る。
 圧倒的に押している状況で逃げろと言われたとして、それを信じて実行に移す人間が一体どれだけいるだろうか。
 もしかしたら敵による攪乱工作かもしれない。
 そう考えたら、たった1回の指示に従うのは少し違う気もする。
 だが、小隊長の指示は今聞かなければ意味がないのだ。
 小隊長の言葉が意味するところを兵士たちが理解するより早く、アラタの刀は降り下ろされた。
 仕方なく小隊長の男は自分だけでも身を伏せて生き残るための最善を尽くす。
 周囲から見れば滑稽そのものでも、命には代えられない。

 雷槍、炎雷、豪炎、轟雷。
 それらの上級魔術を使いこなすアラタが、それらの魔術を選択しないでこの技を選んだ。
 高速高威力の魔力解放、吹きすさぶ魔力は息を詰まらせ、敵の魔術を破壊し、途中で様々な形に形態を変化させ、術者であるアラタ本人ですら予測できない被害をもたらす。
 あくまでもドラゴンを戦うことを想定して開発されたもので、人間に向かって使用するなんて大それたことをした結果どうなるかなんてまるで分らない。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……ざまーみろ」

 結果、ミラの雑木林が少し剥げた。
 木々そのものを倒すには至らなかったが、葉は全て落ちて小枝をへし折る。
 ある場所では大地を抉り、ある場所では巨石を動かした。
 風属性に変化した魔力は敵を周囲ごと斬り裂き、引火した魔力は敵の体内まで焼き尽くす。
 雷属性が付与された場所ではビリビリと感電する風が吹きすさび、勢いよく巻き上げられた岩が直撃して戦死した兵士もいる。
 とにかく、アラタから帝国軍のいる方向へ向けられたカーテンは、彼らの人生の幕を閉じた。

「ハァ、ハァ……ゴホッゴホッ」

 膝をついて息を切らしていたアラタがせき込む。
 痰にはとっくの昔から赤いものが混じっていて、視界はぼやけ手足は氷水につけたみたいに冷たい。
 ブルブルと震えながら、地面が近づいてきた。

「アラタ? アラタ!」

 駆け寄ってくるルークの声が彼の中で反響する。
 撃てと言われたから撃った。
 撃ったら限界が来て倒れた。

 その程度までに単純な命令しか受け付けないほど疲労を蓄積していたアラタは、ついに倒れた。
 それを背負いながら撤退するルークはこの戦いの限界を感じつつある。
 自分たちがこれだけ戦っても、これだけ命を擦り減らしてもまるで勝てる気がしない。
 敵は次から次へと湧いてきて、味方はどんどん減っていく。
 アラタのカーテンにより大打撃を受けた帝国軍が一度下がったことで、ルークたちは命からがら撤退の流れに乗ることが出来た。
 ただ、今日生き延びた所でそれにどれほどの価値があるのだろうか。
 今日死ぬのか明日死ぬのかの違いでしかないのではないか。
 ルークにはそう思えてならない。

 戦場という場所は、普段より死を身近に感じる場所である。
 命は大切であるという非常に当たり前なことを再認識する場所であると共に、驚くほど簡単に人は死ぬという事を教えてくれる場所である。
 そんな場所では、敵味方を問わず多くの人間が死んでいく。
 せめてお前は死んでくれるなよと、背中におぶった青年の未来を憂うルーク。
 彼の願いが天に聞き入れられるのかどうかは、戦争が終わってみないと分からない。
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