半身転生

片山瑛二朗

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第5章 第十五次帝国戦役編

第447話 不眠不休

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 血煙の臭いが鼻腔を刺激し、口の中は血と泥の味で満たされている。
 頭の中には斬り殺した敵兵の断末魔がこだましていて、視界は端の方が暗くなりつつある。
 それでも兵士は戦う。
 別に誰に限った話でもなく、彼らは体が動く限り、場合によっては体が動かなくなっても戦い続けるのだ。

「ゼッ、ゼッ、ゼェッ、ゼェッ」

 ルークの喉には粘り気の強い痰が絡みついていて、呼吸をするだけでも少し苦しい。
 ペッと唾を吐けば、そこには赤いものが混じっている。
 吐血みたいな危険なものではない。
 単に口の中が切れて少し血が出ているだけだ。
第一、気管が傷ついて喀血したりすればとても戦いどころではない。

「アッ、アラタ……立て直そう」

 息も絶え絶えにルークが小さく叫ぶと、アラタも肩で息をしながら答えた。

「ハァ、ハァ、ハァアー……。そうしましょう。味方も結構削られましたね」

 敵兵と距離が出来て、彼は周囲を見渡した。
 まだ元気に戦っている公国兵もその辺に見ることが出来る。
 しかし、敵の方が元気であるのは疑いようのない事実だ。
 理由は単純、敵は開戦時と同じ面子ではないから。

 彼らの前に戦っていた第1団は数時間前に現在戦闘中の第2団と交代していて、今頃ゆっくりと休憩に入っているに違いない。
 一方公国軍は冒険者大隊がぶっ通しで戦っている、というより彼らしかこの場にはいない。
 寒さと戦いと長時間屋外に晒されたことで、アラタの唇はひび割れていた。
 亀裂からは血が滲んだ跡があって、うっすらかさぶたが形成されている。
 水を飲めば、亀裂に染みて少し痛い。
 それでも飲まねば体がいずれ動かなくなるのだから、給水を優先する。
 のどまでカラッカラに乾燥した彼の身体を水が潤していく。

「やり方を変えてきたよな」

「ですね」

 アラタたちは現在撤退の最中。
 しかし敵がしつこく追いすがるせいで未だに振り切れていない。
 以前なら下がりつつ敵を叩けばある程度で敵も引き下がっていた。
 今日もそのつもりでレイヒム大隊長は撤退の合図を出したはずだ。
 しかしうまくいかない、不思議なことに。
 戦場を俯瞰できない現場レベルでは、摩訶不思議としか言いようが無かった。

「いま何時だ?」

 時計を持っていないルークはレインに訊いた。

「14時34分です」

「まだ長いな」

 腹いせにルークが足元にある石を蹴る。
 彼の体内時計ではもう少し進んでいてくれてもよかったのだろう。
 時間が思ったより進んでないのだから、戦闘見込み時間もそれに応じて長くなる。
 普段の戦闘は、長くてもおおよそ夕方17時くらいには終わり、そこから撤収が始まる。
 仮に今日もそうだとして、あと2時間半生き残らなければならない。
 そして敵の様子が変わった件について。
 絶対、もう絶対に何か仕掛けてくるし、もし自分が敵だったならとアラタは考えを巡らせる。

「夜までに撒かないとマジでしんどいことになりそうですね」

 彼の言葉に含められるところを察したルークは、縁起でもないことを言うなと叱る。
 そう、敵が夜も戦い続けるなんて、もし本当になったらどうするんだと言いたくなる。

※※※※※※※※※※※※※※※

「レイン、いま何時だ?」

「えっと……18時10分です」

「おいおいマジかよ」

 屋外の様子、三日月+星明り。
 戦場の様子、未だ決着つかず、戦闘も終わらず。

 公国軍が下がりながら戦っていることもあって、帝国軍に一気に飲み込まれることは無かった。
 それが今日1日戦線を維持できた最大の要因だろうと人は分析する。
 確かに撤退戦は難しい、これは変わらない。
 ただ、繰り返すが帝国軍からすれば既に9割方勝敗は決している。
 勝ち戦で功績を残したい、しかし死ぬのは論外、そんな考えの中で、敵陣深くに入り込んでリスクを背負う人間がどれだけいるのだろうか。
 大多数の兵士は指示が無いと動かないし、何なら指示があってもやれ足が痛い、肩が外れた、手首をねん挫したと言って最前線から離脱しようとしてくる。
 たまに若気の至りで深入りする兵士たちもいるが、彼らが冷静な冒険者たちに解体されていく様はより一層深入りを忌避する理由になる。
 つまり、強度の低い戦闘を長時間にわたって繰り返している、そんな状況が1日中続いていたわけだ。

 いくら欠けない壊れないと言っても、刀の切れ味は最低にまで落ちている。
 武器の性能低下というよりも、使い手も含めた戦闘力が低下していると言った方が正しい。
 握力は限界に近く、刀身はべったりと付着した血脂のせいで切れが悪い。
 切れ味が悪いと敵を倒すのに余計な力を使うようになり、しんどさが倍増する。
 向かってくる敵を斬っては捨て斬っては捨て、武勇伝に聞こえるかもしれない活躍の裏には語る事すら憚られるような地獄があった。

「フゥ、ブフッ、ゴホッ、レイン、これ着ろ」

「黒装束ですか…………?」

 半分眠りそうな顔をしながら聞き返す。
 もう疲れで頭が回っていないみたいだ。

「早くしろ。ルークさん、【気配遮断】でドロンします、準備してください」

「ちょっと待て、俺はそんなスキル持ってな——」

「息を殺して離脱します」

 【気配遮断】を使えば、戦場からのエスケープが簡単に成功する。
 レインはスキルを持っていないので代替としてアラタの持つ魔道具の黒装束を使う。
 ルークもスキルを持っていないが、まあ何とかしてくれとのお達し。
 アラタはルークが【気配遮断】を保持している前提で話を進めていた感じがするが、この辺は勘違いなのか脳に栄養が足りていないのか。
 いずれにせよ、筋肉も脳も限界が近かった。
 アラタが一時離脱の判断を下したのは正解だったと言える。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」

「アラタさん、これどうすれば?」

「着て、少しでいいから魔力流しとけ。隠密系スキルの魔術効果が得られる」

 レインに黒装束のケープを貸し出したアラタの残りの装備は、ケープと同じ素材の黒シャツに手甲、ズボン、ブーツである。
 中に鎖帷子を着込んで防御力を確保しているだけで、非常に心もとない。
 それでも戦い続けるものだから、彼の身体には余計な傷が増えている。
 防具で防げたはずの攻撃、黒鎧なら傷一つつかないというのに、今のアラタの身体にはいたるところに赤黒い切れ目が入っている。
 本人はそこまで気にしていなくても、治癒魔術師のタリアに診せたらきっとカンカンに怒るに違いない。
 もっと身体を大切にしなさいと。
 そんな彼女は治癒魔術師故に後方支援に回っていて主戦場には顔を出さず、パーティーメンバー残りの1人のジーンはアラタやルークの代わりに第206中隊を率いて指示を出している。

「おいアラタ、隠れるときは俺にも黒装束くれよ」

「ヤですよ。ルークさん隠密行動問題ないでしょ」

「どうだかなあ」

 【気配遮断】モドキを操る男、ルーク。
 先日の夜間戦闘でもそうだったが、彼は【暗視】スキルを持っている。
 【感知】も持っている。
 だが【気配遮断】は少し怪しい。
 これはスキルと言ってもいいのか? 単に影が薄いだけなのでは? かくれんぼが得意なだけなのでは? その領域から脱却できずにいるのだ。
 アラタはそれもスキルでしょうと言い、黒装束を貸そうとしないがそれは少し困る。
 未完成なスキル程怖いものはないから。
 しかしこれ以上黒装束の替えもない状態で、アラタの出来る行動にも限界がある。
 見つかったら見つかった時だと腹をくくって行動するしかないのだ。

 彼ら3人は乱戦から少し離れた雑木林の中に潜伏している。
 戦術的に重要な場所でもないので、わざわざ敵が向かってくる可能性はゼロに近い。
 今も戦い続けている味方には度々申し訳ないと手を合わせながら、3人は適度にサボり続けている。
 そうでもしないととても生き残る事なんて出来ないから。

 今日はなんか調子がいいと息巻いていた兵士は、1時間程度が経過したあたりから極端に動きが悪くなり順当に戦死した。
 体力管理はしっかりと、そう意識して戦っていたように見える兵士たちは、敵の勢いに飲まれて姿が消えた。
 たまに後ろに下がりつつ、省エネで1日中戦っていた兵士も今しがた死亡した。

 そうではない、それらは全て間違っているとアラタたちは叫びたかった。
 しかしそうしなかった。
 理由は分かり切っている、全員がサボったら戦線が崩壊するから。
 アラタたちがサボることが出来るのは、他の誰かが尻ぬぐいをしてくれるからなのだ。

 アラタは強い、ルークも、レインも。
 それこそ冒険者の中でも群を抜いている。
 ただ、個人では軍隊規模の戦闘で戦い抜けない。
 遮二無二しゃにむに我武者羅がむしゃらに戦い続けるだけでは、戦場ですり潰される戦闘コストの1つになってしまう。
 アラタたちに求められている仕事はそれではない。
 重大な局面、他に誰もついていけないような強大な敵を前にして、それを受け持ち撃破することが求められる。
 平時もまた重いものを背負っている。
 敵を斬って、斬って、斬りまくる。
 死ぬことなく斬り続けるのだ。

 どこかで死ねば、その後敵を殺すことは出来ない。
 だから戦略的に体力を管理して、その為なら味方の兵士が死ぬことも受け入れなければならない。
 気の合う冒険者も、実力を認めていたライバルも、一緒に食事をして酒を酌み交わした既知の友人でさえも、アラタは見捨てて自分の命を取らなければならない。
 もしアラタがここで死ねば、明日以降彼が殺すはずだった帝国兵が味方を傷つける。
 アラタたちは再びレインの荷物から補給品を分配して休憩を取る。
 傷口を水で洗い流し、包帯を巻く。
 ポーションを飲み、軟膏を塗り、出血箇所を止血する。
 捻挫や骨折と思しき箇所は固定して、その上で戦えるように配慮する。
 いつまで戦闘が続くのか分からないから、継戦能力を残しておくのだ。

「そろそろ行きますか」

 アラタが立ち上がり、刀を腰に差す。

「だな。ただ、いつまで続くんだ? 埒が明かねえ」

「もしかしたら、ずっとかもですね」

「レイン、怖いこと言うんじゃねーよ」

 ルークは冗談めかして反応したが、アラタは無反応でムスッとしている。
 怒っているのではなく、考えているのだ。
 レインが言ったケースがあり得るのかどうかを。

「……マジかもな」

「アラタ、正気か?」

 黙ってゆっくりと頷く。
 敵は24時間戦いを続けるつもりかもしれなくて、その場合こちらは不眠不休で相手をしなければならない。
 その絶望的な状況を、現実的な可能性として検討しなければならない現状は、公国軍の絶望的立ち位置を表しているとも言えた。
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