半身転生

片山瑛二朗

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第5章 第十五次帝国戦役編

第434話 勝てば途中の敗北は全部過程に置き換わる

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 仰向けになりながら背中に感じる振動は、彼に2年前の夏のことを思い出させる。
 彼は甲子園準決勝、投球練習を終えた時点でマウンドにうずくまり、そのまま降板した。
 今も似たようなものである。
 彼は撤退する公国軍の一員、第1192小隊の面々に荷馬車で搬送されている。
 彼以外はみな騎馬もしくは徒歩で、アラタの隣には衣服やテントなどが積み込まれている。
 その両脇の圧迫感が、狭い救急車の中と少しだけ被る。

 あの時、俺に【痛覚軽減】があれば、まだ投げられたのに。

 さっきからそんなことばかりを考えている。
 確かに、腕が飛んでものたうち回ることなく戦える感覚遮断系スキルをもってすれば、内側側副靭帯損傷くらいどうってことなかった。
 もちろんスキルをオフにすれば地獄のような痛みが待っている点は同じだが、試合の後の痛みならどんなに大きくても耐えられる自信があった。

 彼はまた、故障をした。
 何度繰り返してもちっとも学習しない。
 今度はより重傷で、このままいけば近い将来命に関わることになる。
 彼はまた、同じ問いの間口に立っていた。

 ——このまま何もしなければ、これ以上悪化することは無い。
 ここで前に進めば、恐らく全てを失う。
 前に進んだとして得られるものはほとんど何もなく、そんな答えの分かり切っている2択でアラタはいつも迷っている。
 きっとこれは病気なのだろう。
 分の悪い賭けをしなければ生きていけないような、ギャンブル中毒なのだろう。

「刀…………あるな」

 左手を少し動かすと、触り慣れた金属の感触が指を冷やす。
 壊れないという神の御墨付きをいただいたこの刀は、その影響なのか分解することも出来ない。
 普通刀というのは複数のパーツから構成されていて、目釘を抜くことで柄や刀身、鍔などが分離する仕組みになっている。
 それがどういうことか、アラタの刀は分解できない。
 だからなかごに刀匠の銘が刻まれているか、それすらも分からない。
 見た目は特にこれといった特徴が無く、業物には見えない。
 それでもそこそこ付き合いの長くなってきていたこの刀を、アラタは少しだけ気に入っていた。

「怒るだろうなぁ」

 彼はよく、やってはいけないことをする。
 誰かを悲しませるようなことだとか、怒らせるようなことを。
 他人の金で博打を打つし、少し前は誰彼構わず試食気分で遊びまわったりしていた。
 その度に、彼が荒れる度に、傍らには嘆き悲しむ人の影がある。
 今度は誰が怒るのか、アラタの脳裏に浮かんだのは誰の悲しそうな顔だったのか。

 アラタの手が側に置いていたポーチに伸びる。
 黒鎧は念のため装着している状況。
 刀も近くにある。

「アーキム、おいアーキム」

 そしてアラタは部下の名前を小声で呼んだ。

※※※※※※※※※※※※※※※

 いくら逃げる最中と言っても、不眠不休は現実的ではない。
 半日に1回か2回くらいは小休止を取るし、殿を務める味方の情報収集も行っていた。
 それら雑務を行うのはまだ動ける部隊、つまり第1192小隊である。

「アラタ、どこに行くんですか」

 偵察から帰って来たリャン・グエルは、人気ひとけのないところを歩くアラタに声を掛けた。
 彼は現在体調不良につき、馬車で寝ながら運ばれている最中のはず。
 それがフル装備で大地を歩いているというのだから、リャンが声を掛けたのは正解である。
 アラタはバツの悪そうな顔をした。

「戻る」

 短く言い切ったところで、珍しくリャンの眉間に皺が寄った。
 困った時の八の字眉ではなく、怒りの表情。

「また同じことを繰り返すつもりですか。大公選の時、それをやって失敗したのを忘れたんですか」

「忘れてはいない。でも、行かなきゃ」

 つい半年前の出来事だ。
 忘れようとしても忘れるものではないし、時間もほとんど経っていない。
 あんな出来事、どんな人間でも忘れるはずが無かった。
 困ったような顔をしながら、アラタはリャンに背を向けようとした。
 それを黙って見送るほど、リャンも不感症ではない。

「待ちなさい! 自惚れるな!」

「自惚れ?」

 後ろめたい気持ちが無いわけではない。
 しかし、どこから自惚れなんて感情が出てきたのか、アラタは理解できなかった。
 理解できなかったから、後ろを振り向いた。

「そうでしょうが! 自分なら戦局を変えられると思っているから! だからあなたは今も昔もたった1人で突っ走るんでしょうが!」

 リャンの言う今も昔もとは、大公選の時と今現在。
 アラタの受け取った今も昔もとは、日本にいた時と異世界に来てからの時間。
 両者に認識の齟齬があれど、アラタはすぐに認識を切り替えた。
 リャンには自分が異世界人であることを明かしていないと思い出したから。
 これは大公選の時の話をしているのだと気づいた。

「前はお前らがいた。今回は206中隊がいる」

「だからって、私たちに黙っていく理由はないでしょう!」

「アーキムには言ってある。ちゃんと分かってくれた」

「でしょうね! 彼はアラタのことが嫌いなんですよ! だから何も心配しないで送り出したんですよ!」

「かもな」

「アラタだって、引き留められないと分かっていてアーキムに話したんでしょうが! えぇ!? 違うなら違うと言ってください!」

「いや、その通りだよ。あいつなら素直に送り出してくれると思って頼んだ」

「どうしてそんなことを……」

 出会ってから約1年。
 リャンは未だにアラタのことをよく理解できていない。
 彼は訳が分からなすぎるのだ。
 やる事なす事考える事全てがメチャクチャで、自分勝手で、人のいう事を聞かず、自分の命を軽く見ている。
 アラタは、リャンからすれば宇宙人そのもの。

「どうして! どうして自分1人で抱え込もうとするんですか!」

「1人じゃない。だから安心しろ」

「そういうことではない!」

 今までに聞いた事の無いほど大きなリャンの声。
 騒ぎになっても人が集まらないのは、アーキムがコントロールしているからなのだろう。
 アーキムのアラタに対する感情はさておき、命令に忠実なのは褒められるべき点だ。

「アラタ、全員で行くべきです。それならまだ引き下がれる」

「いや、無理。俺だけでいい」

「なぜ?」

「お前らには帰ってから頼みたいことがある」

「じゃあ、なぜ自分でやらないんですか」

「俺はこっち、お前らはあっち。適材適所で行こうってこと」

「意味が分かりません」

「アーキムが知っている。聞き分けろ。でないと」

 休んでいたおかげか、いくらか顔色が回復したアラタは、左手で鞘を掴んだ。
 右手で柄を握ってしまえば、もう後戻りはできそうにない。
 今はまだその余地を残しているが、リャンが意にそぐわない行動を取れば即座に刀を抜くことだろう。

「卑怯ですよ」

「何とでも言え。とにかく俺は行く」

 柄から手を離すと、アラタはフードを被った。
 初期ロットの黒鎧ではない。
 むしろ古い、アラタが特配課の頃から着用していたケープだ。
 エヴァラトルコヴィッチを討ち取った戦いで、アラタの黒鎧は一部修復不可能なレベルで損壊した。
 それを補うために、一部スペア状態になっている。
 性能的に劣化は免れないが、それでも問題ないのは彼の技量のおかげ。
 ただ見送る事しかできないリャンは、【魔術効果減衰】しか能がない自分を恨んだ。
 もう少し戦えるのなら、消耗しているアラタくらい止めることが出来たかもしれない。
 それならそれでアーキム辺りが近くに控えていて、こちらの邪魔をするくらいはしそうなものだが。
 どちらにせよ、アラタの意志は通ってリャンの意志は拒絶された。
 たとえ仲間内だろうと、強権を振るえるのは常に強者だけである。

「アラタ」

「あ?」

「アラタは一体、いつからそんな感じなんですかね」

「さぁ……分からない」

 それだけ言うと、アラタは隊列から離れて反対方向へと歩き出したのだった。



 何で1人で突っ走るのか。
 そんなの俺だって知らねえよ。
 仲間を頼ればいい?
 確かにそうかもしれない。
 でも、それが間違っているかもしれない。
 俺のことは俺が責任を持つけれど、他の誰かの人生の責任まで面倒を見れないんだよ。
 だから置いていく、さよならする、そういうもんだろ。

 アラタは小走りになった。
 進む方向から歓声が聞こえてきたから。
 くすねてきたポーションを摂取して、また魔力を底上げする。

 後悔しない選択なんて、今までの人生で一度も経験したことがない。
 どんなに些細な選択でも、大なり小なり絶対に反省することはあったし、それはきっと今後も変わらないんだろう。
 今更どうにかしようなんて無理だし、虫が良すぎるし、人生そんなに都合よく進まないことはもうわかってる。
 俺が何かをするときは、大抵後ろ向きな理由だ。
 失いたくない、負けたくない、苦しみたくない、逃げたくない。
 得たい、勝ちたい、喜びたい、向かいたい、じゃないんだよ。
 今回も、見捨てられないだけだ。
 助けたいじゃなくて、見捨てられないだけ。

 ハルツさんに頼まれた……気がした。
 あの人血で溺れてたから何も聞こえなかったし、喋れたとしてもそんなこと言わない。
 多分あの人は、幸せに暮らせくらいのことしか言わない。
 だから、これは俺のダメな性格のせいだ。
 損切りすることが出来ないから、俺はこうしてダラダラと。

 アラタの眼が、公国兵の姿を捉えた。
 そのもう少し先には帝国兵の姿もある。
 今はひたすら逃げているのか、公国軍の後ろは散々に食い破られている。
 アラタが刀を抜いた。
 鈍く光る銀色の刃は、戦争中に吐き出しそうになるくらい血を吸った。
 本来なら刀身は暗く陰り、人斬りの相が出ることだろう。
 しかし壊れない刀は、そんな使い手の色までも変更不可なのである。
 いつだって太陽のように光り輝く刀身。
 それは美術館に飾られているかの如く、美しいの一言に尽きる。

 逃げたら後悔する。
 進んでも後悔する。
 でもここで進まなかったら、今までの自分の選択が間違いだったと認めることになるような気がして、怖くて逃げることが出来ない。
 俺は俺が間違っていたと、そう認めることが出来ない。
 まだ勝負の途中だから。
 最終的に勝てば途中の敗北は全部過程に置き換わる。

「角度を付けて、燃やし尽くせ」

 火属性魔術、豪炎。
 魔力を燃料に広範囲に火炎をまき散らすそれは、周囲から酸素を奪い去り無力化する効果もついてくる凄惨な魔術。
 そんな魔術を放てるのは、公国軍の中でも1桁しかいない。

「アラタ…………ッ!」

 タリアは見知った黒髪長身の男を見て唇を噛んだ。
 ビンタなんかで済ますものかと心に決めて、タリアはひとまず帝国兵を蹴散らすべく前に出たのだった。
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