半身転生

片山瑛二朗

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第5章 第十五次帝国戦役編

第428話 その首寄越せ

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 剣聖ノエル・クレストは大公の娘である。
 だが残念なことに、彼女が大公シャノン・クレストの跡を継ぐことは恐らくないだろう。
 彼女は勉強やデスクワーク、頭脳労働が極端に嫌いだったから。
 向き不向きで言えば、平均以上の能力はある。
 それは生まれつきのものと、公爵家の教育によるものと、両方の成果だ。
 一人娘が跡を継がないことはまあ仕方がない、他に相応しい人間を外部から入れるしかない。

 では、彼女の今後はどうなる?
 彼女自身はずっと冒険者として生きていきたいと言うだろうが、それは現実的ではない。
 彼女は近い将来、恐らく家庭に入り、冒険者を辞め、貴族らしい生き方を半ば強制されることだろう。
 だから、彼女の両親は今だけは好きにさせている。
 ノエルが望むままに生きることが出来る時間はそう多くないから。

「リーゼ、こっちは終わったよ」

「こっちもだ」

 カナン公国首都アトラ、アトラダンジョン第4層でノエルとクリスが敵の殲滅を確認した。

「こっちも終わりました。最後の確認をしたら呼びましょっか」

 金髪の女性冒険者、治癒魔術師兼聖騎士リーゼ・クラークはノエルの幼馴染であり、お目付け役でもある。
 アラタの抜けた冒険者パーティー灼眼虎狼ビーストルビーを取り仕切るのは彼女だ。

「疲れた。お風呂入りたい」

 泥だらけ、魔物の返り血だらけのノエルが愚痴る。
 確かに一刻も早く汚れを落としたいだろう。
 綺麗な黒髪にまで血液がかかっていて、非常に不衛生だ。

 彼女たちは全部で5層あるダンジョンの内、第4層までを定期的に巡回している。
 彼女たちが巡回するとき、冒険者ギルドからお願いされるのは魔物の殲滅である。
 魔物による脅威が一定時間無いことが保証されれば、戦闘力の低い下位冒険者たちを投入することが出来る。
 そうすればダンジョンの情報収集や戦利品の回収、新たなトラップの設置など、出来ることの幅が広がるから。

 灼眼虎狼の仕事は敵性魔物の殲滅まで、残りは他の冒険者に引き継がれる。
 第4層から3層、2層、1層と登り、地上に戻って来たのは昼過ぎのことだった。
 寒くなってきたが、今日はその割に暖かい。
 きっと陽が出ているおかげだろう。
 陽気な昼下がりだというのに、アトラの街波はどこか活気がない。
 仕方がない、ウル帝国と血みどろの戦いを繰り広げているミラ丘陵地帯では今も連戦連敗なのだから。

 コートランド川での戦いでの大敗北の後、第2、第3師団の生き残りはナリリカ砦まで撤退した。
 公国は東部の広大な土地を喪失したわけだが、それで戦いは終わらない。
 そこから北のミラ丘陵地帯における、帝国軍と公国軍第1師団の激闘。
 結果は周知のとおり、公国軍の敗北。
 すでに少なくない数の人間が、この国を後にしている。

「……ここは空気が淀んでいるな」

 クリスも無表情ながら、少し思うところがありそうだ。
 ノエルはもっと顕著に出ていて、不安なのかリーゼの服の裾をそっと掴んだ。

「アラタ、大丈夫だよね?」

 この時点で、ハルツ・クラーク戦死の報告はまだ届いていない。
 彼女たちの親しい人間は、まだ誰も死んでいないと思っている。

「大丈夫ですよ、叔父様もいるんですから」

「そう……だよね」

 ノエルは未だに、アラタについていけばよかったと思っている。
 しかし仮にそうすれば、アラタがあらゆる手段を講じて彼女を戦争から遠ざけただろう。
 彼女がどんなに望んでも、彼女が戦地に赴く未来は無かった。
 ノエル自身、それを薄々理解しているから、より一層の無力感の中で日々を過ごしている。

 多くは望まないから。
 生きて帰って来てほしい。
 それだけが、数万人動員された兵士の内の、たった1人の人間に対する願い。
 リーゼはノエルの手を掴むと、もう片方の手でそっと頭を撫でた。

「大丈夫ですよ。アラタのことですから、きっと向こうでも貧乏くじを引かされているでしょうけど、それでもきっと元気にしていますよ」

「戦争なんか嫌いだ」

 ノエルの声は、街の雑踏の音の中に静かに消えていった。

※※※※※※※※※※※※※※※

「蹴散らせぇ!」

「アラタに続け!」

 正午を回り、もうすぐ1時という頃。
 ウル帝国軍司令部を目指す第088中隊と並走するのは、第206中隊。
 中隊長はアラタである。
 戦闘開始からの時間は短いものの、敵軍との衝突はすでに10回を超えていた。
 彼らはその度に気力を振り絞り、命を燃やし、敵を蹴散らし、少しずつ削られていく。
 それでも彼らは止まらない。
 彼らの最後の1人が倒れるのが先か、司令部を探し出して破壊するのが先か。
 これはそういうギャンブルだ。

「……あれ、もうねえのか」

 腰元に付けたポーチの中をまさぐり、何も感触が返ってこなかったアラタは既にポーションが枯渇したことを悟った。
 そんなに無駄遣いしたつもりはない。
 それでも単純に戦闘回数の増加に伴って、消費魔力を補うためのドーピングを敢行した結果だった。

「おい、ポーション」

「隊長、使用量を超えています」

「知るか、早く寄越せ」

 アラタのすぐそばで戦うことの多いカロンは、彼の荷物持ちとしての仕事も兼任している。
 カロンは渋々背中のリュックからポーションを5本単位にまとめた袋を2つ取り出した。
 馬上で器用なことをやってのけたカロンはそれをそのままアラタに手渡す。

「よし」

 1つをポーチへ、もう1つの封を開けて1本を飲み干す。
 直後に効果が出るわけではないが、プラシーボ効果もあったのか、体力や魔力が心なしか回復した感触を覚える。
 現時点でのポーション消費本数は11本、ガンギマリのアラタは魔術を使おうと右手を高く掲げた。

「我は熟慮する、真実を映し出す円鏡を前に——」

 詠唱魔術、炎雷。
 アラタの使う魔術の中でも、1,2を争う大技である。
 魔術詠唱を聞いた隊員たちはすぐさま距離を取り、巻き込まれることを回避する。
 術者本人は魔力によって熱や雷から保護されているが、取り巻きはそうもいかない。
 危険区域に踏み込めば、アラタの意志と関係なく炎と雷は味方にも降り注ぐことになる。

「扉は既に開かれた。幽世から狙いを定め、我が身体を触媒に、天炎百雷敵を穿て」

「炎雷!!!」

 炎雷は、遠雷から来ているという説がある。
 魔術の歴史は古く、実際に語源がなにであったのかは今のところ明らかにされていない。
 ただ、この魔術はその性質上、基本的に遠隔起動、つまり自分から少し離れた地点に雷を落とすという側面を持ち合わせていた。
 そこに求められるのは結界術的要素。
 魔術と結界術の線引きは諸説あるにしても、魔術を遠隔起動するのに必要なのが結界術であるという認識は間違いでは無い筈だ。

 アラタたちの進む方向で紙を引き裂くような音が鳴った。
 閃光が瞬いたかと思えば、今度は温風が顔を撫でる。
 恐らく爆心地は温風なんて生易しいものではなく、熱風熱波となって喉を焼いていることだろう。
 アラタが敵の後方に炎雷を撃ち込んだことで、敵の横陣が乱れた。
 この基本的な陣形は、前から後ろまでの統率の取れた集合によって圧力を保持している。
 後ろが崩れれば、まるでスプーンを入れたプリンのように簡単に崩れ落ちる。

「んっ」

 炎雷を撃ち終えたアラタの喉に、何か異物が引っかかった。

「アーキム、ちょっとやっといて」

「分かった」

 アラタは手綱を少し引いて減速し、中隊の中に隠れる。

「ゴホッ」

 煙草を吸った直後のような、キレの悪い痰。
 灰でも混じっていそうなほどじゃりじゃりした排泄物は、かなり濃い鉄分の味を含んでいる。
 アラタは顔を横に向けて唾を吐き捨てると、口元に付いたそれを服の裾で拭った。

「まだってくれよ……」

「隊長! ビンゴです!」

 砂漠の中で真珠を見つけたようなカロンの声を聞き、アラタはここが正念場だと奮起した。

※※※※※※※※※※※※※※※

「近いですね」

「そんなことは分かっている。黙って馬を走らせろ」

「はっ」

 馬と馬車、どちらが速いか議論の余地はない。
 この場合、馬が受け持つ重量物の総量は統一して議論することに意味はない。
 人間と鞍を載せるだけなのか、それとも荷台を引かせるのか、前提条件にこれだけの違いがあるからだ。
 とにかく、帝国軍司令部を引き払ったエヴァラトルコヴィッチ中将の乗った馬車は、先を急いでいた。

 かなり近い位置で落雷、先ほどの音が敵の魔術攻撃だと報告が入ったのは今さっきのことだ。
 すぐ近くまで敵が来ている、そう考えると、背中に冷たいものが伝うのを中将は感じていた。
 念のため偽装した馬車を2台、それぞれ別々の道を走らせて、敵に追いつかれるリスクを下げておく。
 さらに、いくつもの防衛ラインは未だ健在で、彼らの退却を助けてくれる手筈になっている。
 損害度外視で敵を徹底的に叩く作戦を実行したのは彼ら司令部だが、よもや自分たちが度外視される羽目になるなんて夢にも思わなかっただろう。

「もっと急げ。声が近くなってきている」

「すでに全速力です」

 蹄の音が鳴る。
 馬車を引く馬の足音とは、ピッチが違う。
 ついでにストライドも違うので、結果走行速度がまるで違う。
 そこに込められる騎手の感情は、憎悪一択。
 親しいものを殺された、国を侵された、自分たちの日常を壊された、そして、この期に及んでまだ自分たちの蛮行を正当化しようとする敵に対する純度100%の憎悪。
 先頭を駆ける男は、敵の防衛ラインを次々と破壊してエヴァラトルコヴィッチに迫る。

「敵が来ました!」

「食い止めろ! 貴様ら、死んでも通すな!」

 逃げながら言われてもどうも乗らない。
 そんな基本的な人間の情動すら、彼は忘却してしまったのだろうか。

「止められるわけねえだろ」

 アラタは敵を斬り捨てながら呟いた。
 彼の攻撃を防いだとしても、後ろを走る中隊に屠られて即死だ。
 敵も槍を構え、馬防柵や罠を使い、道をデコボコにして妨害を図っている。
 しかし、つい先ほど司令部の馬車が通ったわけだから、何事もなく通過できるルートというのは確かに存在する。

 第206中隊の馬術を甘く見てはいけない。
 彼らの突破力を過小評価してはならない。
 彼らの怨念の深さと、執念と侮ってはならない。

 いよいよ近づいてきて、それでも尚止められない状況にエヴァラトルコヴィッチ中将は絶叫した。

「私を守れ! 帝国兵としての責務を遂行しろ!」

「だったらてめーが戦え! そしてその首寄越せ!」

 追いかけられる恐怖とプレッシャーは、人馬からエネルギーをごっそり奪う。
 箱根駅伝で背後にぴったりと付けられると途中でバテてしまうのと同じ理屈だ。

「全員! こいつらはここで確実に殺す!」

 青年は、荷台に飛び移るべく足元を確認し始めた。
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