半身転生

片山瑛二朗

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第5章 第十五次帝国戦役編

第425話 兄上

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 人の目で人を見つけるというのは、案外難しい。
 人はこういう形をしている、こういう動き方をしているという学習記録が蓄積されていて、人間は自分の中の常識に照らし合わせて視覚的に他者を知覚する。
 それらはV1、つまり第1次視覚野の単一の細胞では特に意味を持たず、V2、V4と進むにつれてエッジやその組み合わせによる物体認識を行う。
 側頭葉にまで到達すればまあまあ意味のある情報になっているはずなのだが、この時点で失われているデータというのは思いのほか多い。
 その損失するデータというものの中に自分たちを組み込む術を知っていれば、敵の警戒網をすり抜けることは案外簡単に出来るものだ。

「デリンジャーは葉っぱつけ過ぎ」

「でも、アーキムさんが付けろって言うから……」

「アーキムも付けすぎ。森の精霊さんみたいになってるぞ」

 アラタは小さい時に見た某有料放送局の、ある番組キャラクターを思い出していた。
 真緑のものと黄緑色のキャラクターのあれだ。
 厳密にはあれは局のオリジナルキャラクターではなく、一般財団法人がライセンス保有しているキャラを許諾付きで登場させているわけだが、細かい話はいいだろう。
 とにかく、アーキムが真緑の方で、デリンジャーが黄緑の方とそっくりの風体をしていた。
 彼ら以外の隊員も、程度の違いはあるものの、皆一様に森林偽装を自らの身体に施していた。

 黒鎧や装備の上から草木を差し込み、顔は暗い色の布で覆い隠すか泥を塗っている。
 アラタたちは黒鎧があるから必要ないじゃないかと考えるかもしれないが、レイクタウン攻囲戦での大量戦死や、シリウス、サイロスの裏切りなど、技術が漏れている可能性は多分に考えられる。
 用心し過ぎるということはないのだ。
 にしても、アーキムの拘りは少し常軌を逸していたからこそ、こうして逆に浮いているわけだが。

「アラタ、何だその顔は」

「黒鎧あるし、汚れるの嫌だなって」

「ふざけるな、来い」

 アーキムの手には足元の泥が握られている。
 アラタも水属性の魔術で洗い流すことは容易だが、だからと言って自分から汚したくはない。

「全員、偽装解除!」

「おい、いいから来い」

「エルモ、呼ばれてるぞ」

「俺じゃねえだろ」

「この際誰でもいい。来い」

「おいおい誰かコイツ止めてくれよ」

 その後少しの間、アーキムは偽装を施す相手を求めて周囲を彷徨っていたが、やがて諦めて土を元に戻した。
 遊んでいないで集合しろとアラタが仕切る。

「ま、こうして無事に全分隊が集合できたわけだが……とりあえず各隊の状況を聞こっか」

分隊長はアラタを含めて25名、この時点で分隊長に欠員はいないことは分かる。
 顔ぶれも以前と変わらず、誰も死んでいないし再起不能にもなっていない。
 ただ、流石に中隊全員とはいかなかったようだった。
 結論から言って、隊員の数は89名になった。
 死者、脱落者が6名出たことになる。

 敵の警戒網の中をこれだけの被害ですり抜けることが出来たのだから御の字ではある。
 しかし、4人1組で絶え間なく行動しなければいけない以上、同じところに滞在できる時間も限られている。
 敵が異変に気付けば、その時点でそのエリアは無菌室になってしまう可能性があるのだ。
 ウル帝国軍の支配領域に踏み込む公国軍は、さながら体内に侵入する細菌そのもの。
 出来る限り自らの存在を隠蔽しなければならないため、遺体は敵味方を問わず目立たない場所に隠しておく。
 あとで戻る余裕は無く、戦後同じ場所に辿り着ける保証はない。
 つまり、彼らとはここで心身ともにお別れということになる。
 残念だが、死者を弔う余裕は無かった。

「再編成の必要ある人いる?」

 アラタの声に誰も手を挙げようとはしない。
 1分隊でも最大1人だけの損害だから、組み直す必要はそこまで無い。
 それより分隊長たちの興味は、あと2日間どうやって過ごすのかという点に尽きる。

「いいですか」

「リャン?」

「他の班も同じだと思いますが、食料がありません」

「現地調達しかないって話だったろ。ちょうどいいから待機中に集めよう」

「無理ですよ。敵地のど真ん中ですよ?」

「じゃあ断食すんのか?」

「それは……」

 リャンの言いたいことは分かる。
 この人数の食料を集めるとなるとかなり広範囲に、アグレッシブに捜索する必要があり、敵に発見されるリスクは跳ね上がる。
 しかし同時に、アラタが主張する通り腹が減った状態で戦ったとしても、出せる力は限られている。
 能力の低めな隊員ほどリャンに共感し、逆に分隊長たちはアラタの意見に概ね賛成だった。
 力ある者の考え方が優先されてしまうのは、どこの職場でも同じなのかもしれない。

「食料確保には自信のあるやつだけ行け。警戒、潜伏用設備の設営、作戦立案、会議、敵味方の状況把握、偵察、やることは無限にある。リャンも分かってるな?」

「はい」

「じゃあ決まりだ。最低2人組での行動厳守、交戦はなるべく避けるが危険な時は躊躇するな。離脱が困難になった時は即時自決、敵に情報を渡してはならない、いいな?」

「「「了解」」」


 戦場に広く分布している帝国軍にバレることなく、2日間の自給自足生活。
 どう考えても無理があるが、道理を引っ込めて無理を押し通すくらいのことをやってのけなければ、この先は無い。
 戦闘が無くなる代わりに、アラタたちの長く厳しい潜伏生活が始まった。

※※※※※※※※※※※※※※※

 山々に響き渡る、人の営みの音。
 それは日常的に発せられるような生活音の類ではなく、非日常の代表格、戦争の足音だった。
 11月12日、今日はカナン公国軍最後の攻撃作戦決行日。
 中隊規模に分解した公国軍が、それぞれ東にいると思われる敵軍司令部を急襲する。
 その為には、作戦決行時刻である正午までに所定の位置につけている必要があった。

 太陽が創り出す影は、徐々に徐々に面積を狭めていく。
 人間たちの真上に上り詰める最中なのだ。
 刻一刻と失われていく制限時間の中、カナン公国軍を指揮する将校たちは焦っていた。

「もう10時か」

 クラーク家次男、ケンジー・クラークは懐中時計を仕舞った。
 残り時間が少ないことは理解できたが、時刻を確認したところで現状に変化はない。

「もっと押し込め! 突破口をこじ開けるのだ!」

 騎馬を駆りつつ馬上から敵を斬りつけるケンジー少尉は、それでも尚押し寄せてくる敵兵の厚さに絶望しかけていた。
 これではとてもではないが約束の時間に間に合わないと。
 少尉は兄であるブレーバー中尉の中隊の方向をちらりと見た。
 自分の隊よりも、兄の隊の方がいくらか元気そうに見える。
 それにポジション的にも敵の壁の薄いところに集中しており、突破できる可能性もブレーバー隊の方が高く見える。

「少尉殿!」

「なんだ!」

「ベル小隊壊滅です! ロストしました!」

「残る小隊だけで戦うぞ! 少し兄上……クラーク中尉の方に隊を寄せるぞ!」

 雲霞の如く押し寄せる敵に耐えきれないと判断したのか、ケンジー少尉は隊を少し縮小し、兄の088中隊に吸収されるような形を取ろうとする。
 その結果、戦場は少し縮小し、帝国軍の包囲網は少しきつくなった。

 ——残り1時間半、そろそろ時間が厳しくなってきたか。

 激戦続きの未完成大隊、それを率いるケンジー少尉の中でタイムリミットが着実に近づいてきた。
 こちらの数が200足らずなのに対して、敵の数は少なく見積もっても500はくだらない。
 さらに敵がこちらを取り囲みつつあるとなれば、戦いの分が悪いのはある意味当然の帰結である。
 彼らの他に敵司令部を目指しているのは、アダム・クラーク中将の3個中隊と冒険者を中核とする4個中隊、あとは自分たち2個中隊。
 どれかが欠けてしまうことは承知の上でも、200もの兵士たちがここで脱落すると作戦は一気に難しいものになる。
 それは誰もが理解できている簡単な事なのだが、解決する労力はひたすらに大きい。

「中尉殿! 次の指示を!」

 ——これが軍か、これが戦争か。

「……皆、私と共に死んでくれるか」

 大歓声の中、小さな声で絞り出すように呟いた彼の声は、部下たちの中でも物理的に近い人間にしか聞こえなかった。

「なんと?」

「中隊長殿?」

「これより我々は、敵正面に突撃し血路を開いて第088中隊を目的地に送り届ける。だから、私と共に死んではくれまいか」

 今度ははっきりと言った。
 聞き間違いの余地はない、確かに聞いた。

「このままでは全員この場に釘付けになり、目的を達成することは出来ない。カナン公国正規軍の我々がだ。冒険者に頼ってどうする。国を守るのは我々の仕事なのだぞ。どうだ、皆の者」

 この時代、軍は必ずしも食い詰めた人間の駆け込み寺というわけではなかった。
 クラーク家のように、武功で成り上がった一族一門というのは意外に多く、彼らの家に連なるものやその関係先の人間が軍人職に就くことが多かったのだ。
 彼らは貧乏ではない、軍以外で生きていけないわけではない。
 ただ、自分たちは国民を守る盾なのだと教えられて幼少期を過ごしてきた。
 彼らの存在意義が、今一度問われているのだ。

「力を貸せ、我が部下たち」

「……当然です。少尉殿」

「あぁ、まったくもってその通り」

「やりましょう!」

 100名から80名ほどまでに減少した部下たちの中で、さらにケンジー少尉に近い人間たちが声をあげる。
 それはたちまち確定情報となって、中隊全体に伝播した。
 敵も、味方も、恐らく気付いているだろうが、止められるものなら止めてみろと言いたい。
 それほど覚悟を決めた、命を捨てた兵士は強い。

「総員! 錐型になって正面突撃!」

「「「おぉぉぉおおお!!!」」」

 土石流のような人の流れ。
 竹を割ったように、一切の障害物を無視するように、ただ真っ直ぐに駆け抜ける兵士たち。
 戦闘で浮いた駒が獲られるのは常識であるからして、彼らも例外ではなくすぐに敵に捕まった。
 それでも、正規軍としての意地が彼らに力を与えてくれる。

「突き抜けろぉ!」

「少尉殿! 見えました!」

「兄上ェ!」

 ケンジー少尉は血染めの剣を握ったまま振り返り、兄を呼んだ。

「何をしている! ここで潰れる気か!?」

 ケンジーの089中隊がこじ開けた風穴から、088中隊が駆け抜けていく。
 そこで、指揮官のはずのブレーバーは一瞬立ち止まり、弟のことを怒鳴りつけていた。

「今生のお別れです、兄上」

「全員で突破するぞ! 来い!」

「私はここで敵を食い止めます。あと1時間と少し、必ず間に合わせてください」

「しかし……!」

「兄上! クラーク家はこんなところで負けてはならないのです!」

「……………………っ!」

「次期当主なら! 切り捨てる強さも持て!」

「……別れの言葉は言わない」

「それでいい。兄上はそれでいいのです」

「088! 全速力で突き進むぞ!」

 血路は長くはもたない。
 道を支えていた第089中隊の兵士たちが1人、また1人と道端に倒れていくにつれ、通路は狭まっていく。
 結局、道が開いたのはほんの数分だけの出来事だった。

「さあ、ここからが正念場だ」

 敵に088中隊を追撃させてはならない。
 クラーク家次男、ケンジー・クラークの大仕事が、一足早く幕を開けた。
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