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第5章 第十五次帝国戦役編
第355話 主役は俺たちじゃない
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河川敷より後方1km地点。
ウル帝国軍を、この地点まで誘導する。
それがアラタ達河川敷に配備された部隊に課せられた至上命題。
河原で交戦を開始して、そこから戦列を崩壊させることなく下がり続け、約束の地に到達する。
それがいかに難しいことなのか、語らずとも分かっているつもりだった。
しかし、現実は簡単に想像を超えてくる。
アラタ率いる第1192小隊に限界が近づいていた。
「あ…………」
ダリルの足がもつれて、へなへなと座り込んだ。
気の抜けた声しか出てこない彼の手は震えていて、武器を持とうにもいう事を聞かず、彼の足も震えていて、立ち上がろうにもいう事を聞かない。
敵との距離はほぼ無く、一度足を止めればたちまち追いつかれる。
「おらぁ!」
無口なヴィンセントが盾で敵の攻撃から彼を護り、アラタが隙間をこじ開けるように斬撃をねじ込んだ。
あと少し遅れていたら、死んでいたのはダリルの方だった。
「あ、ありが……」
「しゃんとしろ! お前は先に戻れ!」
「はい……はい!」
ヴィンセントがポーチから素早く小さな筒を取り出し、それをダリルの腕に押し当てた。
装備が破損して露出した肌に、見えるか見えないかという程度の小さな赤い点がつく。
彼が再び走り出すことが出来たのは、気力なんていう曖昧なもののおかげではない。
アラタの師匠、アラン・ドレイク謹製で弟子も愛用している非認可劇薬ポーションを注射で打ち込んだのだ。
経口摂取よりも効果が大きく、即効性もある。
取ればたちまち体力が回復したように感じ、不安は霧散し元気溌剌、どんな苦行も笑って乗り越えられる。
ドレイクはただの自家製ポーションだと言い張っていたが、しかるべきところに検査させれば彼は逮捕されるかもしれない。
そんな非人道的劇物も、戦場なら美談になり得る。
あと少しで死ぬところだった兵士を、すんでのところで掬い上げた奇跡の妙薬があると。
とは言っても限界を超えているのには違いないので、先を走らせる。
ダリルには彼自身が安全圏まで離脱するために薬を注射したのだ。
「ヴィンセント、残りは?」
「3つです」
「いくつ使いたい?」
「最低2つは」
「おし、1個寄越せ」
剣を交えながら言葉のキャッチボールをする余裕はまだある。
そんな2人は少し下がったところで注射式ポーションの受け渡しをした。
アラタはいつの間にか刀を鞘に納めていて、素早く封を破り捨てる。
むき出しになった小型針は、かなり精巧な造りをしていて出来る限り細く作り込まれている。
金属の筒をここまで細く作り上げるには、それ相応の設備と費用と技術が必要だ。
それを西の小国が一定数用立てたのだから、カナン公国の技術力は目を見張るものがある。
注射が終わると、アラタの視界がクリアになった。
「効くなぁ」
「良くないですよ」
2人と同位置にまで下がって来たバートンは、通り過ぎるついでにアラタの薬物乱用を諫めた。
ただ、本気で言ったわけではなく茶化しただけ、そんな感じ。
迫りくる敵を前にして、アラタが刀に手をかけた。
明瞭な思考の中で練り上げられた集中力と魔力、そして鍛え上げた肉体が生み出す身体能力。
まるで太い金属の棒で作られたバネを模倣するように、体内に力をため込んでいく。
それは溢れんばかりに蓄積されて、解放されるその時を今か今かと待ち望む。
安心するといい、解放は目と鼻の先だ。
「時間を稼ぎます」
「余計な事すんな」
既に抜き打ちの体勢で構えているアラタは、左手で鞘を握り鯉口まで切っている。
あとは添えられた右手で柄を強く握り、奔らせるように抜刀するだけ。
その軌道の上に敵の身体を持ってくるだけで、大きな肉の塊はあっけなく両断されることだろう。
気合十分、準備は整った。
抜刀。
「あぎっ……くっ、ふっ」
縦向きに槍を構えて防御していたというのにこのざま、そう男は死期を悟った。
悟るとかどうとか、そんな生易しいものでは無い。
自身の身体の腹部から上と下で両断されてしまっている。
もはや手当でどうにかなるものではない。
それにしても、体が両断されたのに意識があるのは面白い、と兵士はどこか他人事である。
今際の際において、少し客観的になっているのかもしれないと男は自己分析をした。
そんなに彼が精神的余裕を抱えたまま死にゆくのには、ある理由があった。
それは、味方に全てを託して死ぬと決めて、その通りになったから。
さきほどから彼らの進撃の邪魔を続けるカナン公国軍、その中でも一際異彩を放つ化け物が一人。
こいつを排除しておかなければ、後々厄介なことになると満場一致でこの作戦が可決されていた。
そしておあつらえ向きなことに、敵は納刀して構え直している。
敵は慢心の最中にあり、彼は勝利を確信した。
自らの肉体を生贄に、捨て駒に捧げ、ブラインドに隠れた人間が彼を刺す。
貴重な毒薬まで用意したのだ、たとえかすり傷でも致命傷になりうる。
そんな風に長い長い独白の後、男の視線は後ろに向いた。
胴体が真っ二つになったのだから、力のかかり具合でそういう事もあるだろう。
反転した世界の中で、男は大海の広さを知る。
初めから作戦など通用しなかったのだと、背後で悠然と立っている男を見て理解させられた。
「65点だな」
ピッ、と刀を一振りして血を払う。
その所作があまりにも自然で、馴染んでいて、幾度も繰り返したと推察される努力の証に、ウル帝国の兵士はただひたすらに感動した。
人はここまで強くなれることが出来るのかと、ただひたすらに感心した。
現世において、彼が最後に見た景色とは、とどめを刺すはずだった仲間の亡骸だった。
仲間の手には毒付きの短剣がしかと握られている。
それをまだ健在な仲間が拾い上げてアラタへと向かっていく。
アラタの居合は、魔力と【身体強化】によって拡張されて背後の敵をも同時に両断した。
彼からしてみれば、【感知】に大きめの警戒音が鳴り響く時点でいつも以上に気を張る。
そして凝縮された時間の中においてよくよく観察してみれば、背後に隠れた敵がこれ見よがしに短剣を持っているではないか。
腰元にもっと立派な両刃の剣があるというのに。
間違いなく短剣には仕掛けがある、そう思わせるには十分すぎるスキル結果。
それが先ほどの彼の思考プロセス。
……ウル帝国の戦士は、永遠の眠りについた。
「バートン」
「なに?」
「圧が弱いな」
「これでぇ!?」
アーキムの問いかけに、バートン・フリードマンは思わず悲鳴を上げた。
さっきからもうずっと限界ぎりぎりなのに、これで敵は本気ではないとか言い始める同僚が憎らしく思えてくる。
俺はまだまだ平気だが? と言わんばかりのアーキムのすまし顔が気に食わない。
ただ、よくよく見ると彼の身体中からは汗が噴き出るように溢れているし、足元も若干ふらつき始めている。
どうやら彼も人間だったようで、先の発言はあくまでも相手を客観的に分析した結果らしい。
既にバートンには敵の圧の強さなんてものは測定不能になっていたものの、すぐ近くで敵と押し合っていたアレサンドロも同じ感想を抱く。
一人一人のパワーはともかく、集団としてのプレッシャーが少し弱いのではないか。
言われてみると確かにそんな気はする。
戦場において『そんな気がする』という予感はばかにならない。
たいていの場合、何となくというのは言語化できないレベルの微かな感覚であるだけで、確かに人間が受容している情報なのだ。
もし何かが起こっていた場合、それを見過ごして発生する損失は目を覆いたくなるほど凄惨なものになるだろう。
すぐさまアレサンドロは同僚のギャビンを通じてアラタの所に報告させる。
戦いつつ報告を受けたアラタは、彼に搭載されているスカウターで敵の圧力をチェックし始めた。
「うーん……」
どうやら感覚がバカになっているらしく、彼はこの説に懐疑的な見方をしているようだった。
隊長は特に何も感じなかった、そうギャビンがアレサンドロに伝えると、アレサンドロは再び意識を集中する。
敵が槍を繰り出す速度も、こちらの攻撃に対応して繰り出す盾も、集団的に動く練度も、どれも少し物足りない。
敵軍は今攻めに攻めていてノリノリのはずなのに。
もし敵集団の重心座標が思ったよりも後ろ側なら、陣を敷いて待ち伏せしたところで即時撤退される危険性がある。
そうなればまさに働き損、ハリスが死んだ意味もなくなってしまう。
確実に敵を勢い付かせ、動きを加速させる必要があった。
それも狙いを看破されないように、自然に。
「ギャビン、もう一度隊長の所に行ってくれ」
「なんて言う?」
「それは——」
「ダメだ。って言いたいところなんだけどなあ」
いつの間にか刀を仕舞い、槍に持ち替えていたアラタは敵と距離を取りながら戦っていた。
間合いが広い分、小規模の魔術なら行使できるスペースがあった。
槍で様子を窺い、矢などの遠距離から仕掛けてくるなら土壁を使用して凌ぐ。
こちらの方が疲れずに済んだ。
そんな彼は、ギャビンの提案を受けて頭を抱えている。
先ほどは事態を飲み込めなかったアラタだが、徐々に圧が弱まるのを感じていた。
確かに少し及び腰で、このままでは即座に反転されて逃げ切られる恐れがある。
自分たちという餌にもう少し食いつかせる必要を感じていた。
「隊長、時間がありません。お願いします」
「責任を取ろうとしても取れる類じゃねーぞ」
「承知の上です」
「……はぁ」
これから起こる、起こすことを考えると、憂鬱で仕方ないようだ。
アラタは腰元に付けていた仮面を取りだした。
それを見てキィも何かを察し、同じような仮面を取りだす。
そんなものは黒鎧のセットには含まれておらず、周囲は戦いながら混乱していた。
「隊長?」
「全員、黒鎧をフル起動。戦線から離脱する」
「正気かよ!」
「エルモ黙れ」
直属の上司であるアーキムに諫められ、渋々エルモも装備の効果を発動させた。
この乱戦の中、20名近い兵士たちが突然姿を消したとしたら。
ぽっかりと空いたスペースに入り込むことが出来たとしたら。
第1192小隊の両端にいた友軍はえらいことになる。
正面と側面の2方向への対応を突如として迫られることになり、崩壊は必定。
現場の指揮官は直ちに対応しなければならない。
「下がれ! 間を詰めろ! ……は?」
一瞬自分でも何を言っているのか分からなくなる。
そうしなければならないのは目の前に広がる現実が教えてくれるから間違いないとしても、そこに至る過程がおかしい。
今までこんなに開けた場所があったのなら、敵はとっくに来ていたはずだし、しかし今まで誰がここを抑えていたのか、何か大切なことを忘れている気が……しかしそれどころではない。
一瞬にして味方を大混乱の中に突き落とした滞在人たちは、現地から後方50mの位置に来ていた。
中々に酷いことをしたという自覚はある。
「これ、認識阻害というより催眠系魔道具だな」
「一応分類上は4種、つまり認識阻害だ」
「嘘だぁ」
「エルモまじで黙れ。無駄口を叩くな」
「えっアラタだって……はい、すいませんでした」
彼だけが叱責されるのは、日頃の行いだろう。
アラタや周りの人間たちに罪悪感が生まれる代わりに、帝国軍が公国軍を押し込む流れは出来た。
どうやらアラタ達の戦いぶりが敵の士気を低下させていたらしい。
彼らが抜けて戦力差が減ると、敵は息を吹き返したように戦い始めた。
それを見る彼らの表情は複雑そのもの。
ただ、目的は完遂した。
そろそろ計画の最終段階に移行する場所だ。
「全員、補給を取っておけ。こっからはノンストップだ」
隊長の指示の下、彼らは手早く栄養補給を済ませる。
水を飲み、非常食を齧り、ポーションを飲み干す。
全て元通りとはいかなくても、それ相応に体力回復を実現する。
そんな中、戦場に音楽隊の演奏が響いた。
世界を滅ぼす天使のラッパである。
もっとも、破壊する世界はウル帝国軍の世界のみだが。
「聞け! 公国の勇者たちよ!」
丘の上にて大音量で叫ぶのはアイザック・アボット大将。
彼を知らない人は突然おっさんが演説を始めたと思うだろう。
「憎き侵略者共は、我らが策にまんまと嵌った! あとはこれを撃滅するのみ! さあ立ち上がれ! 奮起せよ! この平野を帝国軍の墓場にしてやるのだ!」
その声に呼応するように、何度も練習したかのような完璧なタイミングで、帝国軍の後方以外すべての方向から突如公国兵が姿を現した。
整然と居並ぶ立ち姿は、満タンの体力と際限無しの戦闘意欲を感じずにはいられない。
自分たちの状況を帝国兵が理解するころには、詰みの状態だ。
「全軍反転! 帝国軍を撃滅せよ!」
ウル帝国軍を、この地点まで誘導する。
それがアラタ達河川敷に配備された部隊に課せられた至上命題。
河原で交戦を開始して、そこから戦列を崩壊させることなく下がり続け、約束の地に到達する。
それがいかに難しいことなのか、語らずとも分かっているつもりだった。
しかし、現実は簡単に想像を超えてくる。
アラタ率いる第1192小隊に限界が近づいていた。
「あ…………」
ダリルの足がもつれて、へなへなと座り込んだ。
気の抜けた声しか出てこない彼の手は震えていて、武器を持とうにもいう事を聞かず、彼の足も震えていて、立ち上がろうにもいう事を聞かない。
敵との距離はほぼ無く、一度足を止めればたちまち追いつかれる。
「おらぁ!」
無口なヴィンセントが盾で敵の攻撃から彼を護り、アラタが隙間をこじ開けるように斬撃をねじ込んだ。
あと少し遅れていたら、死んでいたのはダリルの方だった。
「あ、ありが……」
「しゃんとしろ! お前は先に戻れ!」
「はい……はい!」
ヴィンセントがポーチから素早く小さな筒を取り出し、それをダリルの腕に押し当てた。
装備が破損して露出した肌に、見えるか見えないかという程度の小さな赤い点がつく。
彼が再び走り出すことが出来たのは、気力なんていう曖昧なもののおかげではない。
アラタの師匠、アラン・ドレイク謹製で弟子も愛用している非認可劇薬ポーションを注射で打ち込んだのだ。
経口摂取よりも効果が大きく、即効性もある。
取ればたちまち体力が回復したように感じ、不安は霧散し元気溌剌、どんな苦行も笑って乗り越えられる。
ドレイクはただの自家製ポーションだと言い張っていたが、しかるべきところに検査させれば彼は逮捕されるかもしれない。
そんな非人道的劇物も、戦場なら美談になり得る。
あと少しで死ぬところだった兵士を、すんでのところで掬い上げた奇跡の妙薬があると。
とは言っても限界を超えているのには違いないので、先を走らせる。
ダリルには彼自身が安全圏まで離脱するために薬を注射したのだ。
「ヴィンセント、残りは?」
「3つです」
「いくつ使いたい?」
「最低2つは」
「おし、1個寄越せ」
剣を交えながら言葉のキャッチボールをする余裕はまだある。
そんな2人は少し下がったところで注射式ポーションの受け渡しをした。
アラタはいつの間にか刀を鞘に納めていて、素早く封を破り捨てる。
むき出しになった小型針は、かなり精巧な造りをしていて出来る限り細く作り込まれている。
金属の筒をここまで細く作り上げるには、それ相応の設備と費用と技術が必要だ。
それを西の小国が一定数用立てたのだから、カナン公国の技術力は目を見張るものがある。
注射が終わると、アラタの視界がクリアになった。
「効くなぁ」
「良くないですよ」
2人と同位置にまで下がって来たバートンは、通り過ぎるついでにアラタの薬物乱用を諫めた。
ただ、本気で言ったわけではなく茶化しただけ、そんな感じ。
迫りくる敵を前にして、アラタが刀に手をかけた。
明瞭な思考の中で練り上げられた集中力と魔力、そして鍛え上げた肉体が生み出す身体能力。
まるで太い金属の棒で作られたバネを模倣するように、体内に力をため込んでいく。
それは溢れんばかりに蓄積されて、解放されるその時を今か今かと待ち望む。
安心するといい、解放は目と鼻の先だ。
「時間を稼ぎます」
「余計な事すんな」
既に抜き打ちの体勢で構えているアラタは、左手で鞘を握り鯉口まで切っている。
あとは添えられた右手で柄を強く握り、奔らせるように抜刀するだけ。
その軌道の上に敵の身体を持ってくるだけで、大きな肉の塊はあっけなく両断されることだろう。
気合十分、準備は整った。
抜刀。
「あぎっ……くっ、ふっ」
縦向きに槍を構えて防御していたというのにこのざま、そう男は死期を悟った。
悟るとかどうとか、そんな生易しいものでは無い。
自身の身体の腹部から上と下で両断されてしまっている。
もはや手当でどうにかなるものではない。
それにしても、体が両断されたのに意識があるのは面白い、と兵士はどこか他人事である。
今際の際において、少し客観的になっているのかもしれないと男は自己分析をした。
そんなに彼が精神的余裕を抱えたまま死にゆくのには、ある理由があった。
それは、味方に全てを託して死ぬと決めて、その通りになったから。
さきほどから彼らの進撃の邪魔を続けるカナン公国軍、その中でも一際異彩を放つ化け物が一人。
こいつを排除しておかなければ、後々厄介なことになると満場一致でこの作戦が可決されていた。
そしておあつらえ向きなことに、敵は納刀して構え直している。
敵は慢心の最中にあり、彼は勝利を確信した。
自らの肉体を生贄に、捨て駒に捧げ、ブラインドに隠れた人間が彼を刺す。
貴重な毒薬まで用意したのだ、たとえかすり傷でも致命傷になりうる。
そんな風に長い長い独白の後、男の視線は後ろに向いた。
胴体が真っ二つになったのだから、力のかかり具合でそういう事もあるだろう。
反転した世界の中で、男は大海の広さを知る。
初めから作戦など通用しなかったのだと、背後で悠然と立っている男を見て理解させられた。
「65点だな」
ピッ、と刀を一振りして血を払う。
その所作があまりにも自然で、馴染んでいて、幾度も繰り返したと推察される努力の証に、ウル帝国の兵士はただひたすらに感動した。
人はここまで強くなれることが出来るのかと、ただひたすらに感心した。
現世において、彼が最後に見た景色とは、とどめを刺すはずだった仲間の亡骸だった。
仲間の手には毒付きの短剣がしかと握られている。
それをまだ健在な仲間が拾い上げてアラタへと向かっていく。
アラタの居合は、魔力と【身体強化】によって拡張されて背後の敵をも同時に両断した。
彼からしてみれば、【感知】に大きめの警戒音が鳴り響く時点でいつも以上に気を張る。
そして凝縮された時間の中においてよくよく観察してみれば、背後に隠れた敵がこれ見よがしに短剣を持っているではないか。
腰元にもっと立派な両刃の剣があるというのに。
間違いなく短剣には仕掛けがある、そう思わせるには十分すぎるスキル結果。
それが先ほどの彼の思考プロセス。
……ウル帝国の戦士は、永遠の眠りについた。
「バートン」
「なに?」
「圧が弱いな」
「これでぇ!?」
アーキムの問いかけに、バートン・フリードマンは思わず悲鳴を上げた。
さっきからもうずっと限界ぎりぎりなのに、これで敵は本気ではないとか言い始める同僚が憎らしく思えてくる。
俺はまだまだ平気だが? と言わんばかりのアーキムのすまし顔が気に食わない。
ただ、よくよく見ると彼の身体中からは汗が噴き出るように溢れているし、足元も若干ふらつき始めている。
どうやら彼も人間だったようで、先の発言はあくまでも相手を客観的に分析した結果らしい。
既にバートンには敵の圧の強さなんてものは測定不能になっていたものの、すぐ近くで敵と押し合っていたアレサンドロも同じ感想を抱く。
一人一人のパワーはともかく、集団としてのプレッシャーが少し弱いのではないか。
言われてみると確かにそんな気はする。
戦場において『そんな気がする』という予感はばかにならない。
たいていの場合、何となくというのは言語化できないレベルの微かな感覚であるだけで、確かに人間が受容している情報なのだ。
もし何かが起こっていた場合、それを見過ごして発生する損失は目を覆いたくなるほど凄惨なものになるだろう。
すぐさまアレサンドロは同僚のギャビンを通じてアラタの所に報告させる。
戦いつつ報告を受けたアラタは、彼に搭載されているスカウターで敵の圧力をチェックし始めた。
「うーん……」
どうやら感覚がバカになっているらしく、彼はこの説に懐疑的な見方をしているようだった。
隊長は特に何も感じなかった、そうギャビンがアレサンドロに伝えると、アレサンドロは再び意識を集中する。
敵が槍を繰り出す速度も、こちらの攻撃に対応して繰り出す盾も、集団的に動く練度も、どれも少し物足りない。
敵軍は今攻めに攻めていてノリノリのはずなのに。
もし敵集団の重心座標が思ったよりも後ろ側なら、陣を敷いて待ち伏せしたところで即時撤退される危険性がある。
そうなればまさに働き損、ハリスが死んだ意味もなくなってしまう。
確実に敵を勢い付かせ、動きを加速させる必要があった。
それも狙いを看破されないように、自然に。
「ギャビン、もう一度隊長の所に行ってくれ」
「なんて言う?」
「それは——」
「ダメだ。って言いたいところなんだけどなあ」
いつの間にか刀を仕舞い、槍に持ち替えていたアラタは敵と距離を取りながら戦っていた。
間合いが広い分、小規模の魔術なら行使できるスペースがあった。
槍で様子を窺い、矢などの遠距離から仕掛けてくるなら土壁を使用して凌ぐ。
こちらの方が疲れずに済んだ。
そんな彼は、ギャビンの提案を受けて頭を抱えている。
先ほどは事態を飲み込めなかったアラタだが、徐々に圧が弱まるのを感じていた。
確かに少し及び腰で、このままでは即座に反転されて逃げ切られる恐れがある。
自分たちという餌にもう少し食いつかせる必要を感じていた。
「隊長、時間がありません。お願いします」
「責任を取ろうとしても取れる類じゃねーぞ」
「承知の上です」
「……はぁ」
これから起こる、起こすことを考えると、憂鬱で仕方ないようだ。
アラタは腰元に付けていた仮面を取りだした。
それを見てキィも何かを察し、同じような仮面を取りだす。
そんなものは黒鎧のセットには含まれておらず、周囲は戦いながら混乱していた。
「隊長?」
「全員、黒鎧をフル起動。戦線から離脱する」
「正気かよ!」
「エルモ黙れ」
直属の上司であるアーキムに諫められ、渋々エルモも装備の効果を発動させた。
この乱戦の中、20名近い兵士たちが突然姿を消したとしたら。
ぽっかりと空いたスペースに入り込むことが出来たとしたら。
第1192小隊の両端にいた友軍はえらいことになる。
正面と側面の2方向への対応を突如として迫られることになり、崩壊は必定。
現場の指揮官は直ちに対応しなければならない。
「下がれ! 間を詰めろ! ……は?」
一瞬自分でも何を言っているのか分からなくなる。
そうしなければならないのは目の前に広がる現実が教えてくれるから間違いないとしても、そこに至る過程がおかしい。
今までこんなに開けた場所があったのなら、敵はとっくに来ていたはずだし、しかし今まで誰がここを抑えていたのか、何か大切なことを忘れている気が……しかしそれどころではない。
一瞬にして味方を大混乱の中に突き落とした滞在人たちは、現地から後方50mの位置に来ていた。
中々に酷いことをしたという自覚はある。
「これ、認識阻害というより催眠系魔道具だな」
「一応分類上は4種、つまり認識阻害だ」
「嘘だぁ」
「エルモまじで黙れ。無駄口を叩くな」
「えっアラタだって……はい、すいませんでした」
彼だけが叱責されるのは、日頃の行いだろう。
アラタや周りの人間たちに罪悪感が生まれる代わりに、帝国軍が公国軍を押し込む流れは出来た。
どうやらアラタ達の戦いぶりが敵の士気を低下させていたらしい。
彼らが抜けて戦力差が減ると、敵は息を吹き返したように戦い始めた。
それを見る彼らの表情は複雑そのもの。
ただ、目的は完遂した。
そろそろ計画の最終段階に移行する場所だ。
「全員、補給を取っておけ。こっからはノンストップだ」
隊長の指示の下、彼らは手早く栄養補給を済ませる。
水を飲み、非常食を齧り、ポーションを飲み干す。
全て元通りとはいかなくても、それ相応に体力回復を実現する。
そんな中、戦場に音楽隊の演奏が響いた。
世界を滅ぼす天使のラッパである。
もっとも、破壊する世界はウル帝国軍の世界のみだが。
「聞け! 公国の勇者たちよ!」
丘の上にて大音量で叫ぶのはアイザック・アボット大将。
彼を知らない人は突然おっさんが演説を始めたと思うだろう。
「憎き侵略者共は、我らが策にまんまと嵌った! あとはこれを撃滅するのみ! さあ立ち上がれ! 奮起せよ! この平野を帝国軍の墓場にしてやるのだ!」
その声に呼応するように、何度も練習したかのような完璧なタイミングで、帝国軍の後方以外すべての方向から突如公国兵が姿を現した。
整然と居並ぶ立ち姿は、満タンの体力と際限無しの戦闘意欲を感じずにはいられない。
自分たちの状況を帝国兵が理解するころには、詰みの状態だ。
「全軍反転! 帝国軍を撃滅せよ!」
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そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。
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