半身転生

片山瑛二朗

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第5章 第十五次帝国戦役編

第333話 心が壊れてしまわぬように

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 多くの人々が入り乱れる戦場において、魔術、とりわけ体の外で魔術を行使することは非常に難しかった。
 人によってはこれを結界術とも呼ぶのだが、とにかく軍隊規模の攻防の中では魔術を使うのはそれなりに技量の必要な行為なのだ。
 アラタで言えば、雷撃、水弾、火球あたりならなんとか発動できる。
 しかし土棘の遠隔起動やコントロールが難しい風刃、上位魔術の炎槍、雷槍などは不可、炎雷なんて論外だった。
 つまり、ここコートランド川を挟んでぶつかり合った両軍の押し合いへし合いの中では、魔術に頼った戦い方は危険で、敬遠されるべきものだった。

「全員近接に絞れ。スキルがあるやつはそれも使う事。分かったら行くぞ」

 そうオーダーを出してアラタは走り始めた。
 向かうのは敵味方が入り乱れて乱戦になっている河川敷。
 その奥に先ほど一度は突撃した橋の入り口があるわけだが、今回はそこまで目指さない。
 出来る限り敵を削り、時間を稼ぎ、夜になることを待つ。
 敵が撤退したら御の字で、もし橋の上に陣取っても夜襲で橋脚を破壊する。
 そうなれば任務完了、この辺り一帯も防衛に一区切りつく。
 初めに前衛で戦うのは、第1、第2分隊である。

「キィ、リャンにつけ。カロンは俺と動くからついてこい」

「了解です!」

 このメンバーの中では比較的戦闘力が低めなリャンは、頼れる13歳児キィに任せてアラタはカロンを指名した。
 大公選の最中に一度は置いて行かれたことを根に持っていたカロンだったが、今となってはそんなこと覚えているかすら怪しい。
 あの強さに憧れたアラタが直々に指名してくれたのだから、彼は嬉々として剣を握る。

「やりましょう!」

「おう」

 小隊の中で先陣を切ったのはカロンの一太刀。
 そこまで大きくない背丈、しかし横方向にはしっかりと鍛え上げられた肉体は、重めの剣に振り回されることなく敵を唐竹割にした。
 皮の鎧では打撃や脆い剣くらいならいなすことが出来ても、本物の斬撃は捌き切れない。
 血を噴き上げて敵兵は絶命し、黒い影がその死角に入った。
 正面の敵からは見えていない。

「シッ!」

 右を向いた半身から体を回転させながら繰り出された突きは、明確な殺意を以て敵の首に突き刺さる。
 中心を確実に捉えていて、まず助からない。
 一人倒したところで次、アラタがそう視線を移しかけた時だった。

「グフッ……グゥ…………」

「マジか」

 喉元に金属の棒が貫通していて、もう助からなくて、激痛に苛まれているはずだと言うのに、一介の兵士はアラタの刀の刃から手を放そうとしなかった。
 刃物は押すか引くかしなければ切れないとよく言うが、こんなに強く握りしめたら流石に肉体は負ける。
 頸部だけではなく、両手からも少なくない量の血が流れ出ていた。
 そしてそれに見合うだけの対価を男は得て、味方に命がけで提供していた。

「……や゛…………れ゛!」

 河川敷は外周をしっかりと公国兵が固めているものの、内部は乱戦状態になっている。
 本来ならしっかりと敵味方の区別がつくように隊列を整えて敵を排除するべきなのに。
 それはなぜだったのか、アラタは現場に入ってようやく理解した。

「つえーな。2個分隊下がるぞ!」

 まだ一合交戦しただけでも、あまり深く入り込むべきではないと察知した彼から指示が飛ぶ。
 その声は奥にいて全体の指揮を統括しているテッドにも届いた。

「緊急! 第3、第4分隊突撃!」

「「おぉ!」」

 捨て身のホールドで自身をここに留め置こうとしている敵兵に対して、アラタは右手に刀を握ったまま左手でナイフを抜いた。
 しっかりと魔力で強化を施したそれは、ガードに出した敵の右手ごと顔面を斬りつける。
 名もなき敵兵の双眸から光が消えて、眼に激痛が走り始めた時にはアラタは腹部に中段蹴りを入れていて、たまらず刀から手が離れた。
 その間にいち早くリャンとキィは離脱しかけていて、一番遅いアラタが敵に捕まりかけた時だった。

「引き受ける!」

「任せた」

 デリンジャー率いる第3分隊と、テッドの代わりにカイが率いる第4分隊が間に割り込んだ。
 これにて一度交代だ。

「結構出来る奴がいるから気を付けろ。あまり深入りせず外周を削って回れ」

「分かりました!」

 元気よく返事をしたカイは短めの槍で交戦に入る。
 普段はもう少し長めのものを用いていて、騎馬していた時は数メートルあるようなものを使っていたはず、とアラタはカイの工夫に感心した。
 想定される交戦距離によって槍の長さを変えるのは非常に大切だが、間合いが変わる分誰にでも出来る技能ではない。
 高い空間認識能力と様々な間合いの武器を熟練させるに至る訓練と研鑽が必要だった。
 何はともあれ、アラタたちは脱出に成功、初めから敵が強いと分かっている分第3、第4分隊も問題なく戦えている。
 時間稼ぎが目的なのだから、のらりくらりで十分なのだ。

「アラタ、大丈夫ですか」

 べったりと血の付いた刀を拭いているところに、リャンがやって来た。

「俺は平気。そっちは?」

「まだ敵とぶつかる前に撤退命令でしたから。おかげさまで無事です」

「あいつら結構やるわ。技量は大したことないけど首に刀が突き刺さって握り返してくるのは想定外だった」

「腐っても帝国兵ですからね」

「強いの?」

「まあ、逆らえば命はないですし、武功を認められれば家族が楽な暮らしを出来ますから」

 そう帝国軍の内情を説明するリャン・グエルという男は、元はウル帝国からカナン公国に潜入してきた工作員だった。
 アラタとクリスの2人組だった黒装束に負けて捕らえられたことでこちらに付いたが、彼の家族は今も帝国領に住んでいる。
 もっとも、彼らグエル族は自治区という名目で帝国領南部に追いやられているわけだが。

「それで公国人を殺すなら話になんねえよ」

「まったくです。しかし——」

「なに?」

「アラタが川で戦っていた時に私たちが請け負っていた兵とは質が違います。多分中央軍が混じっているのではないでしょうか」

「中央ってちゃんと訓練された兵士ってこと?」

 アラタの質問にリャンは頷いた。

「方面隊は兵役や農村からの徴兵が主ですが、中央軍はほとんどが職業軍人です」

「なるほどなぁ。ハルツさんの話じゃ中央からの応援はほぼないって話だったけど」

「本気だという事じゃないですか?」

 この橋を取るために、その言葉が抜けていたが、無くても会話は成立する。

「第1分隊準備ィ!」

 全体を統括しているテッドから叫び声が上がった。
 そろそろ一巡したみたいだ。

「行くか。第1分隊用意!」

「第5、第1分隊突撃!」

 そしてアラタは再突撃した。

※※※※※※※※※※※※※※※

「テッド、動けるのは誰だ」

「隊長、キィ、カロン、アーキム、エルモ、ダリル、ヴィンセント、ハリス、エリックのえーと…………9名、自分入れて10名です」

 テッドは見かけによらずスパルタなのかもしれないと思った。

 アラタから見て、いま名前が挙がった自分以外の8人のうち、限界をすでに超えているのは4人ほどいた。
 キィ、カロン、ダリル、ハリスは限界を突破していた。
 かくいう自分も中々の疲弊具合、とても今夜暗闇に乗じて橋を壊す余力はない。
 それに、この場を留めるだけでもかなり体力を使ってしまっていた。
 相変わらず魔力はたっぷり残っているが、肝心の身体が使い物にならない。
 ローテーションの休憩中も河原に落ちている石を拾っては、【身体強化】で底上げされた膂力で敵めがけて投げていたアラタ。
 当初は130km/h以上出ていた彼の球速も、徐々に下がり110km/hを下回った辺りでやめることにした。
 あとは突撃、交代、休憩をひたすらに繰り返すだけ。
 そろそろ陽が傾いてきたが敵の攻撃は終わりそうにない。
 第1192小隊の体力の限界が近いのは確かだが、元々配置されていた防衛隊の限界も考慮してやらねばならない。
 かなりの人数が死傷し、乱戦だから倒れた人間を回収することも出来ない。
 そうしている間に一人、また一人と助かるはずだった命が消えていく。
 小隊は軽傷のみで戦線を長期離脱するような人は誰もいない。
 それでも疲弊しきった彼らを伴っての攻撃は限界に思えた。

 時刻は午後6時半。

 アラタは小隊長として、特殊部隊として、特別な、替えの利かない任務をその身に請け負う責任ある立場として、決断を迫られていた。
 本来ならば、彼はもっと早くにこの決断をする必要があった。
 部下が疲弊する前に、全員で夜の攻撃を行うことが可能な時に、作戦の成功率と秤にかけて、決断すべきだった。
 すなわち、攻撃を中止して戦闘から離れ、夜に備えて体力を温存するという決断を。

 一般の兵卒にはできない任務を受けているのだから、彼らの損失はある程度許容してでも任務を優先しなければならない。
 今彼がこうして小隊を率いて戦い、体力をすり減らした後、橋の破壊任務が失敗に終わりましたでは死んだ魂が浮かばれない。
 そんなことならもっと沢山味方が死んだとしても、休んで任務を成功させてほしかったと、誰もが言うことだろう。
 そんなこんなで御託を一通り並べてみたものの、それは中々難しい判断であるし、全ては後の祭り、たらればでしかない。
 いま現実として小隊の人間が半分以上戦闘不能になっているこの状況で、それでも出来る限り早期に敵兵の供給ラインである橋を落とす必要がある。
 どうやってやるかは一度練り直しを余儀なくされて、持ち帰らざるを得ない。
 とりあえずアラタは場当たり的に指示を出した。

「撤退だ。1192小隊、帰るぞ」

「了……解、です」

「まだ動ける奴は肩を貸してやってくれ」

 そう言いながら、アラタはリャンの肩を担いだ。
 血を流しているものの、命に別状はなく手当すれば翌日戦線復帰可能だ。

「今日は疲れました」

「まだ任務が残っている。悪いと思ってるけどな」

「スキルだけならいくらか使えますから、お供しますよ」

「助かる」

「しかし……」

 肩を貸しているアラタにかかる体重が、少し増えた気がした。

「沢山死んでしまいましたね。敵味方関係なく」

「そうだな。これからも大勢死ぬんだろう」

「悲しいことに、ですね」

「俺らだってその片棒を担いでいるんだ、立派な悪人だよ」

「そう、ですね」

 アラタとクリスがかつて所属し、大公選の動乱の中で2人以外全員が殉職した幻のレイフォード家実働部隊、特殊配達課。
 特配課の教えの中で最も重要なものは、『心に鎧を』だ。
 あれは決して格好いいスローガンを作ったわけでもなく、中二心に従って作られたわけでもない。
 血で血を洗う戦いの日々の中で、心が壊れてしまわないように課長のノイマン・レイフォードが部下を気遣って作った掟。
 それは場所を変えても、確かに必要とされていた。

 優しさで人を救えるとは限らないが、優しさはいつか自分を傷つける。

 アラタはこの心優しき同僚が精神的ダメージを受けているのを目の当たりにして、自分は倒れる事の無いように、再び心を守る為の鎧を身につけ、本心を隠すための仮面をかぶり始めたのだった。
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