半身転生

片山瑛二朗

文字の大きさ
上 下
298 / 544
第4章 灼眼虎狼編

第294話 ノエルの料理教室

しおりを挟む
 例えるなら、それは頬っぺたにドッヂボールがぶつかったような軽くて重い音だった。
 もう少しまともな例えが無いかと言われると……無い。
 そもそも、この現象自体説明不可能なものなのだから、何で例えようと合っているし、完全な正解は無いのだ。

 風船が100個くらい同時に割れたような炸裂音が屋敷に響いた時、時刻は朝の4時半だった。
 リーゼは寝たままだったが、アラタとクリスは飛び上がり、武器を手にしてスキルを起動した。
 敵襲か? そう思った2人は急いで黒装束の上だけ羽織って廊下に飛び出る。
 アイコンタクトとスキル【以心伝心】でコミュニケーションを取ると、彼らは1階へと駆け降りた。
 そこで彼らが目にしたものとは…………

「何してんねん」

「ち、違うんだアラタ、これはだな、その、この粉が悪いんだ」

「クリス、もういいぞ。代わりにシルを起こしてきてくれ」

「分かった」

 アラタも黒装束を脱ぎ、寝間着の状態になる。
 白い粉と、元卵たちが床に飛散した台所で、アラタは長い長い溜息をついた。

「こうなった理由を聞こうか」

「あの、母上がパンケーキくらい作れないと苦労するって言ったから……」

「作ろうとしてこうなったと」

 コクリと頷くノエル。
 にしても何でこんな朝早くからやろうとするかなと、頭を抑えるアラタ。
 ここは笑うところかもしれないにしても、目の前の現実が笑えない。
 文字通り絶句しているアラタの元へ、寝ぼけ眼のシルが到着した。
 シルキーは家事全般を得意とする精霊として有名で、とりわけ掃除が得意である。
 しかしシルはどういうわけか、料理の方がお気に入りらしく仕事のウェイトもそちらにやや偏っていた。
 そんな聖域を粉塗れ粘液塗れにされた妖精さんは、一体どんな反応をするのか。

「…………ちょっと横になります」

 そう言って回れ右をして、部屋へと帰ろうとする。

「ちょっと待ってぇ! これ一人で掃除するのは無理だって!」

「シルはもう限界です。実家に帰ります」

「お前はこの家の子だろ!」

 アラタの制止もむなしく、登場30秒で退場してしまった。
 こうなったら腹をくくるしかないか、とアラタは諦めた。

「テーブルから片付けるから、手伝ってくれ」

「分かった」

「じゃあ雑巾取ってきて」

「うん」

 布巾を頼まれたノエルは、不注意にも粉塗れの台所の床の上を走ろうとした。
 アラタが止めようとしたが声を出す間もなく、誰でも予想できた事態が起こった。

 ステンッ、ガシャッ、ゴロゴロ、パリンパリン、バシャーッ。

 擬音だけでおおよそ何が起こったのか分かってしまうほど、この女の呪いの力は酷い。
 呪いだけでなく、元々こういう性格なのではないかと思えてくるくらい、酷い。
 ノエルは小麦粉塗れたまごまみれ、挙句に皿を割って涙目になっている。
 泣きたいのはこっちだという言葉を飲み込んで、アラタは最大限やさしく指示を出した。

「風呂に入ってきてください。洗濯物はバケツに入れておくこと」

「…………うん、ごめん」

 気落ちしたノエルを見送ると、朝ご飯まであと2時間半。

「終わるけどさぁ、しんどいなぁ」

 屋敷の台所は、厨房とギリ呼べるくらいには広い。
 アラタは朝から、ここの片づけを始めたのだった。

※※※※※※※※※※※※※※※

「みなさん、今日はクエストを受けません」

「何でですか?」

 あれだけのことがあって起きてこなかったリーゼは、いつも通り起床していつも通りの朝食の最中だった。
 そんな時に突然アラタが変なことを言い出したのだから、疑問に思うのも当然だ。

「ノエルの呪いの克服が我が家の最優先課題となったからです」

 剣聖の呪い、そして元気のないノエル、不機嫌なアラタとシルを見て、リーゼはすべてを察した。
 この人たちも自分と同じステージに上って来たのだと、同士を歓迎する始末。

「嬉しそうだな」

「い、いえ。そんなことありませんよ?」

「まあいーや。今日は1日こいつノエルをしごいて、何とかする」

「また曖昧なゴールを」

「じゃあクリスが決めろよ」

「そうだな、台所に進入禁止とかでいいんじゃないか?」

「それじゃ臭いものに蓋なんだよ」

「じゃあお前たちだけで何とかしろ。私は手伝わない」

「別にいーし。クリスもこいつらの陰に隠れてるけど飯作るのへたくそなの知ってるかんな?」

「ふん」

 とりあえず1人脱落なのは決定として、今日のオーダーが出る。

「食べ終わったら台所集合。いいな?」

 こうして、恐怖の料理教室が開催される運びとなった。

「まず目玉焼きから」

「簡単すぎじゃないですか?」

「じゃあリーゼ作ってみろよ」

「いいですよ? 油をひいて卵を落として塩コショウをふりかけて~」

「失格!」

「何でですか!」

「俺はソース派だ」

「理不尽すぎます!」

 不毛すぎる言い争いが始まったので、取り残されているノエルにシルがやり方を教えていく。

「油をひいて」

「うん」

 ドバっと投入されたそれを見てシルは体をびくつかせてフライパンを奪取した。
 すぐにシンクに不要分の油を流し、再度火にかける。

「これくらいで大丈夫。シルが見てるから今度は卵を割って」

「うん」

 パキャッと可哀そうな音を立てて、卵は粉々になった。
 こんな時のために床にはシートが敷かれていて、汚しても平気だ。

「……ごめん」

「こ、こんなこともあろうかと割った卵を用意してありました~!」

 3分クッキングのように、途中まで行程を進めてあった具材をノエルに手渡す。
 落としてしまわないように慎重に慎重を重ねて、シルからノエルの手に開封済みの卵が渡る。

「それをフライパンにゴー!」

「うん」

 流石にこれは問題なかったのか、無事に卵は熱せられ始めた。
 これで一安心、と思った矢先、ノエルはどこから用意したのかベーコンの塊を持ち出す。

「何しているの?」

「一緒に入れたい」

「アレンジはまだ早いでしょ!」

 怒られたノエルはしゅんとしている。
 でもこれでいいとシルは確信していた。
 本命はベーコンを斬り損ねて包丁が舞う、次点でベーコンを塊ごと投入する。
 最悪は想像すらしたくない。
 あとは水を入れて蓋をして、少し蒸らす。
 アラタとリーゼが目玉焼きの味付けについて言い争っている間に、シルの手で目玉焼きが完成した。
 いや、ノエルは何もしてないじゃないかと後で気付く一同。
 まず卵を粉砕してしまう時点で、この料理はノエルには早かったらしい。

「次だ次!」

 続いて用意されたのは、すでに作業済みの生地とアンコ。
 和菓子の代表格、どら焼きだ。
 難しいのは生地を焼くところまでで、あとは思い思いに好きなだけ餡を乗せればよいという、何とも初心者向きな料理。
 生地を焼くところまでは何とか成功までこぎつけて、何事もなくガワが焼きあがった。

「勝ったな」

「ですね」

 早くも勝利を確信するアラタとリーゼ。
 しかし、シルだけは油断していなかった。
 剣聖の呪いがそんなに甘いわけがないと、シルキーは知っているから。

「好きなだけ包んでいいぞ」

「うん、これなら私でも……」

 余談だが、アラタはスキルを出しっぱなしにしている時が多い。
 常に気を張っているというわけではなく、スキルを成長させるためと魔力量を増やすための練習だ。
 だから、こんな家の中でも【痛覚軽減】、【敵感知】は常にオンにしている。
 そしてもう一つ、アラタの【敵感知】はそろそろ変化の時を迎えようとしていた。
 敵意を向ける存在を感知するだけではなく、危険予知のような性能の片鱗を垣間見せ始めたのだ。

「なんか焦げてない?」

 アラタの頭の中に、アラートが鳴る。
 危険源はノエルの手に握られたどら焼きらしきもの。

「おいおいおぉい!」

 シルを抱き寄せて覆いかぶさった次の瞬間、まだ熱いアンコがアラタの首元に着陸した。

「あっつぅ!」

「うわわわぁアラタ! ごめん!」

 手元でどら焼きが炸裂したノエルも熱さを感じているはずだったが、それよりも先にアラタとリーゼへの心配が勝った。
 シルは無傷だとしても、2人は思い切り熱々のアンコを浴びてしまった。

「大丈夫か!? その、ごめ——」

「くくく」

「うふふ」

「あはは! 破裂したぞ!」

「ふふっ、バーンって、パァーンってなりましたよ。あーお腹痛い!」

「酷いぞ二人とも!」

 あまりにも現実離れした呪いの力は、一周回って面白くもある。
 何がどうなったらどら焼きが爆発するのか、一度科学的に検証してみた方が良いのかもしれない。
 しばらく笑い転げていた2人は、笑い疲れたところでようやく息を落ち着かせることが出来た。


「はー面白かった」

「ある程度予想はしていましたけど、ここまで来るともう……最高ですね」

「リーゼ!」

 プンプンしているノエルを片手で制しながら、彼女はまだ少し笑っている。
 一足先に立ち直ったアラタが、リーゼに先を促した。

「おい、そろそろ本題に入ろう」

「ふふ、そうですね」

 アラタから1冊の冊子を受け取ると、それをぱらぱらとめくった。
 この本は非常に高額で、希少で、ノエル以外にはほとんど役に立たない代物だった。
 それもこれも、ウル帝国ひいてはキングストン商会に伝手を持つアラタだからこそできたプレゼントだ。

「剣聖の呪いは、第3段階までの制御の可否に関わらず発動し、一生消えることは無い。しかし、クラスを保持する人間にとっての効果対象は個人差があり、それぞれに検証を行うことでクラスとの最適な付き合い方を模索することが出来る」

 本に書かれていた最初のページの1段落目を読み終えると、ひとまず閉じた。
 先人の記録が、ノエルを助けてくれる。

「さあ、解呪を始めようか」

 屈託のない笑顔で笑ったアラタの顔は、優しくて、温かかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悠々自適な転生冒険者ライフ ~実力がバレると面倒だから周りのみんなにはナイショです~

こばやん2号
ファンタジー
とある大学に通う22歳の大学生である日比野秋雨は、通学途中にある工事現場の事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまう。 それを不憫に思った女神が、異世界で生き返る権利と異世界転生定番のチート能力を与えてくれた。 かつて生きていた世界で趣味で読んでいた小説の知識から、自分の実力がバレてしまうと面倒事に巻き込まれると思った彼は、自身の実力を隠したまま自由気ままな冒険者をすることにした。 果たして彼の二度目の人生はうまくいくのか? そして彼は自分の実力を隠したまま平和な異世界生活をおくれるのか!? ※この作品はアルファポリス、小説家になろうの両サイトで同時配信しております。

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

復讐完遂者は吸収スキルを駆使して成り上がる 〜さあ、自分を裏切った初恋の相手へ復讐を始めよう〜

サイダーボウイ
ファンタジー
「気安く私の名前を呼ばないで! そうやってこれまでも私に付きまとって……ずっと鬱陶しかったのよ!」 孤児院出身のナードは、初恋の相手セシリアからそう吐き捨てられ、パーティーを追放されてしまう。 淡い恋心を粉々に打ち砕かれたナードは失意のどん底に。 だが、ナードには、病弱な妹ノエルの生活費を稼ぐために、冒険者を続けなければならないという理由があった。 1人決死の覚悟でダンジョンに挑むナード。 スライム相手に死にかけるも、その最中、ユニークスキル【アブソープション】が覚醒する。 それは、敵のLPを吸収できるという世界の掟すらも変えてしまうスキルだった。 それからナードは毎日ダンジョンへ入り、敵のLPを吸収し続けた。 増やしたLPを消費して、魔法やスキルを習得しつつ、ナードはどんどん強くなっていく。 一方その頃、セシリアのパーティーでは仲間割れが起こっていた。 冒険者ギルドでの評判も地に落ち、セシリアは徐々に追いつめられていくことに……。 これは、やがて勇者と呼ばれる青年が、チートスキルを駆使して最強へと成り上がり、自分を裏切った初恋の相手に復讐を果たすまでの物語である。

エラーから始まる異世界生活

KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。 本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。 高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。 冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。 その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。 某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。 実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。 勇者として活躍するのかしないのか? 能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。 多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。 初めての作品にお付き合い下さい。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

元勇者パーティーの雑用係だけど、実は最強だった〜無能と罵られ追放されたので、真の実力を隠してスローライフします〜

一ノ瀬 彩音
ファンタジー
元勇者パーティーで雑用係をしていたが、追放されてしまった。 しかし彼は本当は最強でしかも、真の実力を隠していた! 今は辺境の小さな村でひっそりと暮らしている。 そうしていると……? ※第3回HJ小説大賞一次通過作品です!

公国の後継者として有望視されていたが無能者と烙印を押され、追放されたが、とんでもない隠れスキルで成り上がっていく。公国に戻る?いやだね!

秋田ノ介
ファンタジー
 主人公のロスティは公国家の次男として生まれ、品行方正、学問や剣術が優秀で、非の打ち所がなく、後継者となることを有望視されていた。  『スキル無し』……それによりロスティは無能者としての烙印を押され、後継者どころか公国から追放されることとなった。ロスティはなんとかなけなしの金でスキルを買うのだが、ゴミスキルと呼ばれるものだった。何の役にも立たないスキルだったが、ロスティのとんでもない隠れスキルでゴミスキルが成長し、レアスキル級に大化けしてしまう。  ロスティは次々とスキルを替えては成長させ、より凄いスキルを手にしていき、徐々に成り上がっていく。一方、ロスティを追放した公国は衰退を始めた。成り上がったロスティを呼び戻そうとするが……絶対にお断りだ!!!! 小説家になろうにも掲載しています。  

処理中です...