半身転生

片山瑛二朗

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第4章 灼眼虎狼編

第273話 時はゆるりと流れゆく

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「ドバイ、久しぶりだな」

 そう言いながらアラタは一頭の馬を撫でる。
 言葉だけ聞くと紛らわしいかもしれない。
 ただ、アングロアラブ種の馬に『ドバイ』という名前を付けただけなのが実情だが、何も知らない人が聞けばUAEの一国に再訪したのかと思う。

「アラタ、これも持って行って」

「誰に渡せばいい?」

「キヨコさんだ。カーター殿に言えばわかる」

「オッケー。じゃあ行ってくる」

 アラタは荷物を載せ終わると、ひらりと馬にまたがる。
 体高はかなりあるサラブレッド的風貌をしているこの馬だが、異世界人基準の身体能力なら難なく上がることが可能だ。
 アラタは今日から少しの間帰省休暇にはいる。
 一応表向きはこのようになっているが、あながち間違いでもないだろう。
 ノエルたちも、ハルツも、ドレイクも、シャーロットも、誰も彼もアラタにとっては生きていくのに必要な繋がりであるだけで、家族ではない。
 カーターの家族も血は繋がっていないが、右も左も分からないアラタに親切にしてくれた彼らの方がアラタの距離感は近かった。
 だからこれは、彼にとって帰省になる。
 ノエルはアラタの後ろ姿を見送ると、すぐに稽古に戻ろうとする。

「一緒に行かなくて良かったんですか?」

「私がついてったらアラタに余計な気を遣わせてしまう」

「……分かっているんですね」

「リーゼ、それは失礼だとは思わないのか?」

「うふふ、全然思いませんよ」

「失礼!」

 負傷したからナーバスになったかと思いきや、いつも通りのノエルでクリスはほっとした。
 その反面、この問題児をアラタ無しでフォローしなければならないのだと思うと、出来る限り帰省期間は短く済ませてほしいと、彼女はアラタに願ったのだった。

※※※※※※※※※※※※※※※

 街道を駆け抜ける馬、ドバイの足は速い。
 さほど荷物を積んでいないのが大きいのだろう。
 アラタも乗馬には慣れていて、余計な負荷はかなり少ない。
 このペースなら目的地のレイテ村まで3日というところか。
 その間、アラタは絶えずハルツの言葉を思い出していた。

 こう在りたいという願望が、生きる指針になる。

 文字にしてしまえばなんてことはない、当たり前のことだ。
 しかし言葉とは、言語とはコミュニケーションツールであり、それ故に使用者によって意味が変わる。
 東京都の山奥に住む人と、京都に長く住む人が、『にぎやかでいいね』というのは内包された意味が異なる。
 前者は言語通りの意味だが、後者は煩いという意味だ。
 ハルツに言われたという事実が、アラタが真剣にその言葉に、考えに向き合うことを助けている。
 アラタは少し手綱を緩め、それに呼応するようにドバイが加速する。

 何がしたいか。
 昔は甲子園で優勝したかった。
 プロ野球選手になりたかった。
 みんなの期待に応えたかった。
 大切な人を守り抜きたかった。
 けれども、そうなれなかった。

 悔しさや憎しみ、悲しみはいつまでも彼の心中に巣を作って獲物がやってくるのを待っている。
 苦い思い出は、彼の魔力に乗ってどこまでも伸びていく。
 けれど、それだけではない。

『でも、これからまた大切なものが増えてきて、アラタを幸せにしてくれるはずだから、一緒に頑張ろうよ。私がアラタの大切なものを探してあげるから』

 ノエルは嘘をつかない。
 しょうもないこととかは別にして、本当に重要な時に本心を偽るようなことはしない。
 アラタは自分が嘘だらけの人間だからだろうか、他人の嘘や本心に敏感になっている。
 間違いなく心の底から出てきた言葉は、自分を救ってくれたと笑う。

 ゴミみたいな人生、ゴミみたいな世界、ゴミみたいな過去、ゴミみたいな未来、ゴミみたいな……何だろう。
 俺は俺が許せなくて、嫌いで、殺してやりたいくらい憎んでいる。
 でも、それだけではない。
 他に何があるのか、今はまだ言語化できないけど、それを探しにレイテ村に帰るんだ。
 今度こそドラゴンを倒せるようになるために。
 今度こそ足を引っ張らないように。
 今度こそ役に立てるように。

 久しぶりの一人の時間、アラタには自分と向き合う時間が山のように与えられた。
 その一瞬たりとも無駄にすることなく、彼はレイテ村に到着する。
 そして、今一度原点を見つめ直すことで、何かを得ることが出来るのだろうか。
 そうであれば、ノエルたちも送り出した甲斐があるという物だ。

※※※※※※※※※※※※※※※

「馬の音だ」

 それに気づいたのは、村の外にある畑で作業をしていたエイダンだった。
 彼は村長カーターの息子で、アラタに剣術の稽古をつけた初めての人物だ。
 森の中から続く道から、馬が飛び出してきて、それに乗っている人間を見て驚いた。
 社交辞令的に帰って来いと言ったが、もう帰ってくることは無いと思っていた人がそこにいたから。

「アラッ、お、親父!」

 エイダンは握っていたハサミを放り捨てて、近くにいるはずの父親を捜して走り始めた。
 そして話は彼らの家に移っていく。
 ちょうど一息つこうと考えていたところに、来た客の馬をどこかに繋がなくてはいけない。
 一度家に帰るのが最も利口だ。

「何か月ぶりだ? 随分とまあ……少し大きくなったか」

 そう言いながら肩を叩くカーターと叩かれるアラタは久々に帰郷して再開した父子そのものに見える。
 アラタは黒装束ではなく、普通の普段着を着てこの村にやって来た。
 八咫烏のことを知らなくても、黒一色の服装は相手に威圧感を与えかねない。
 刀は持っているが、それ以外余計な武装は無し、本当に休みに来たのだ。

「急に押しかけてすみません。ちょっと休みを貰ったので久しぶりに会いに来ました」

「嬉しいなあ、おい! まあいい。午後の仕事を手伝ってくれ」

「分かりました。なんでも言ってください」

 そして再び畑に戻る。
 エイダンの母ハンナ、妹のレイナは少し遠くの街に出かけていると言い、家には男しかいないとカーターは笑った。

「母さんも休暇中ってわけだ。アラタと同じだな」

「てっきり出ていかれたのかと思いましたよ」

「おまっ、あのなあ。まあいいか」

「アラタは首都に行って何をしていたんだ?」

 エンドウ豆を収穫しているエイダンは、追加の籠を補充してきたアラタに訊く。
 一言二言で語り尽くせないアラタは、端的に要約した。

「悪人と戦ってた、かな」

「なんだそれ。悪人って……まあいいか」

 親子そろって『まあいいか』が口癖なのか、エイダンはそれ以上踏み込んでこない。
 彼からすればありがたい話だが、同時にそれでいいのかとも思う。
 そこを乗り越えてでも、何かを探しに戻って来たんじゃないのか。
 だから原点に返って来たんだろうと、アラタは本当のことを言おうとする。

「俺、本当は……………………」

 それ以上言葉が出てこない。
 言わなければならないのに、それ以上口が動かない。
 この優しい人たちに向かって、お前らは人殺しを助けたのだと、そう通達することが怖い。
 幻滅されることが、過去の自分たちの善意を踏みにじってしまった自分のありのままの姿を伝えることが、単純に怖い。

「すみません。なんでもないです」

「いいさ、話したくなれば話せばいい」

 そう言って作業を続けるカーターのことをアラタは見ることが出来なかった。
 それからも農作業は続き、収穫時期の野菜を採取した。
 中には魔力を蓄えすぎて暴れ始めるものもあって、アラタはこの時とばかりに活躍した。
 結界を起動すれば野菜がどこかに行方不明になることも無いし、今のアラタなら迫りくる野菜に掠りすらしない。
 エイダン、カーターともにアラタの助けを必要としていなかったが、アラタは自分の方が強くなったことを悟った。
 だから偉くなったわけでも何でもないが、剣術の稽古をつけてもらっていたころには戻れないと実感させられる。

 楽しくは、なかった。

「今日はここまでにしよう。2人も帰っているはずだ」

 カーターの判断で、その日の作業は終わりとなる。
 農作業メインのレイテ村において、詳細な時間設計は意味をなさない。
 野菜や家畜の機嫌が何より大事なこの空間で、人間の都合は後回しにされがちだ。
 3人は農作業具を持ち家路につく。
 途中村人たちにも挨拶をして回り、少しの間逗留する旨を伝えた。
 レイテ村の住人たちは基本的に朗らかで優しく、よそ者を歓迎してくれる。
 それが久しぶりに帰ってきた客人ともなれば、話を聞きつけてわざわざカーターの家まで来てくれる人までいる。
 良くも悪くも、人同士のつながりが密なのは田舎の方なのだ。
 井戸の水をお湯に変換し、水浴びならぬお湯浴びをする。
 家庭に風呂がないこの村らしい光景だ。
 アラタも例に洩れず汚れを落としていた。
 彼はここ数日野宿で体を洗えていない。

「傷、増えたんだな」

「あんまし見るなよ」

 ボロボロの体を見せつけたい人間はそういないだろう。
 汚いのもそうだが、何より心配を掛けたくない。

「後で剣の稽古しようぜ」

「…………あぁ」

 ハンナとレイナが帰宅したのは、もう少しで日没する夕方のことだった。
 玄関に知らない人の荷物が置いてあって、ガハハと笑う父の声。
 ハンナは誰か来ていると一瞬で理解した。
 しかしそれが誰かまでは分からない。
 村長である夫の元には結構な頻度で来客があるから、それ自体は特別珍しくないのだ。
 ただし、今回だけは特別だった。
 鍛えられた長身で黒髪の、娘のレイナが良く懐いていた優しい人。
 それが彼女のアラタに対する印象である。

「お邪魔してます」

「わぁ! アラタだ! ここに住むの?」

 随分久しぶりの再会だというのに、レイナは相変わらずアラタのことが大好きみたいで駆け寄っていく。
 微笑ましい光景だが、その後ろでエイダンが拳を握り締めている。
 シスコンも大概にしてほしいとアラタは思っているが、レイナに抱き着かれているこの状況ではいい訳がしづらい。

「レイナちゃん久しぶり。ちょっと背伸びた?」

「うん! レイナ今日お出かけしてきたの!」

「そうかそうか。それは良かった」

 子供特有の脈絡のなさがアラタには面白くて、思わず笑った。
 少しだけ、心が洗われた気がした。
 それから食事の時間になり、今までのことをそれとなく話す。
 しかし相変わらず肝心の所は伏せたまま、家族たちもそれに踏み込もうとしない。
 そして、夜になる。

「レイナに近づく悪い虫は潰しとかないとな」

「シスコンも大概にせえよ。ロリシスコン」

 実に9か月ぶりの稽古が始まる。
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