271 / 544
第4章 灼眼虎狼編
第267話 もう謝らないで
しおりを挟む
「シル、今までごめんな。俺これからはちゃんと働くよ」
「アラタが働かなくてもシルお金持ってるもん」
「そうなの?」
「アラタがダメすぎてシルがしっかり育ったの!」
「あはは、それは頼もしいな」
「もっと父親らしくしてね」
「分かった。約束する」
玄関で待っていたシルに謝ったアラタは、そのまま部屋に戻ろうとした。
しかしそれをクリスとリーゼが引き留め、リビングに連行する。
あの場では近所迷惑も考えて一件落着と言ったが、彼女たちはもう少し話すことが残っているらしい。
「ノエルはお風呂にでも入ってきてください」
「え、でも」
「入ってきてください」
「……分かった」
笑顔だが有無を言わせぬ圧を発しているリーゼの言葉に、ノエルは素直に従って風呂に向かった。
居間に残った3人に気まずい空気が流れる。
アラタからして、ノエルは適当に言いくるめればいいと思っている節が無いことも無いが、この二人は少々厄介に感じている。
いい訳が通じないというか、そもそも話し合いの通じる相手ではないというか、頑固さを練り固めたような融通の利かなさというか、とにかくはぐらかすことが通じない。
「アラタが2人のこと石頭って考えてるー!」
隣の台所からシルの声が響いた。
それを聞いてアラタを睨む2人に、委縮する男。
向き合うことから逃げ続けていた男は、正面に対峙してしまえば随分と小さく見えた。
過度な期待が無かったと言えば嘘になる、リーゼはそう考える。
聖騎士という優れたクラスを持つ自分にとって、ノエルの護衛として彼女が果たすべき責任というのは非常に大きい。
だからアラタが加入した時、その負担を半分も明け渡したのは少し酷い話でもあった。
能力に応じて負荷を考えるのなら、当時のアラタはむしろ庇護の対象になる。
だから、リーゼも反省している。
一方クリスも、リーゼと似たようなことを考えていた。
彼女の聖騎士ほどではないがクリスも【盗賊】という便利なクラスに恵まれた才能ある人間だ。
出自こそ同情の余地があっても、人より恵まれているというのも確かな人生を歩んでいる。
そこに現れたクラスすら持たない人間。
毎日のように死線を潜り抜け、必死についてきて、いつしか抜かれた。
だが、それ故に忘れていた。
彼はまだ剣を握ってから1年も経っていない、いわば初心者なのだ。
それがどうだろう、数日で人を殺し、自身も死にかけ、挙句死亡し、それからも彼の受難は続いた。
クリスも激動の日々の中で忘れ去っていたのだ。
親も恋人も友達も、今まで持っていたすべての関係から切り離された青年は、寂しかっただろうと。
会いたかっただろう、帰りたかっただろう、また母の作る食事が食べたかっただろう。
学校にも通いたかったはずだし、恋人との日常も欲していたはずだった。
その全てを諦めさせられて、夜遊びもするなとは酷な話だ。
ノエルの金を使ってさえいなければ。
彼とて山のように反省しなければならないが、少し追い詰めすぎたと、クリスも自省した。
「何であんなことしちゃったんですか」
シルが淹れたコーヒーを飲みながら、リーゼは切り出した。
カップを手にしたアラタは答えに詰まる。
「何でだろうな」
「脳の代わりに海綿体が詰まっているのだから、何を聞いても無駄だ」
「酷くない?」
「自分的にはどう考えるんですか」
どうしても答えが聞きたいと、それはノエルがいない今の方が話しやすいだろうとリーゼはこのタイミングで聞いた。
アラタはコーヒーを一口飲むと、カップから手を離して手を組む。
少し考えると、ゆっくりと口を開いた。
「荒れ方が分からないんだ」
「荒れ方?」
「ほら、俺って真面目だし働き者じゃん?」
「全力で否定します」
「私もだ」
「聞けよ。酒も飲んだし、煙草も吸った。夜の店で散財もした。でも、それ以外にどうしたらいいかなんて、俺には思いつかなかった」
「それとノエルからお金を巻き上げることに何の関係が?」
「ノエルはガキンチョだから、なんかむかついた。ちょっとからかってやるくらいのつもりで金くれって言ったら案外ちょろくて、そのまま……」
「クリス、この男酷くないですか?」
「知ってる」
何を今更、そう彼女は言っていた。
確かに素行は悪くもないが、特段良くもない。
規範意識の低さが時折こうして悪さすることもあるのが彼だ。
「アラタも同じ事されたら嫌でしょ。反省してください」
「反省してる」
「だといいがな」
「してるよ。本当に」
目を伏せてコーヒーカップに目を落としているアラタを見ていると、なんだかこっちが悪者みたいに思えてくる。
だからリーゼは質問を変えた。
「レイフォード卿がいないのは寂しいですか」
アラタの握るカップが揺れて、中身が零れそうになった。
そのさざ波が落ち着くのを待って、アラタは答える。
「今まで経験したことないくらい、寂しいよ」
「その、一緒に過ごしたことはあるんですか。その……あの……」
直接口に出すことを躊躇する彼女の問いを、アラタはそれとなく解した。
要するに、彼女と寝たことはあるのか聞きたいらしい。
それが好奇心から来ているのか、何か重要な意味があるのか分からないアラタは、ありのままの真実を答える。
「無いよ。後悔してる」
「似たような人を指名していたのはそういう理由ですか?」
2人には隠し事は出来ないらしい。
アラタがなびく女性の好みまで把握されているとなると、文句も言いたくなる。
「おま…………マジでさぁ、プライバシー」
「あんなことするアラタが悪いです」
「それはそうだけどさ。そうだな、俺が悪かった。でも、少しくらい許してくれてもいいでしょ。もう二度と会えないんだから、少しくらいいいだろ」
「まぁ、私はいいですけど」
「私も興味ない」
「じゃあいいだろ。ほっといてくれよ」
「そうはいきません。ノエルが嫌がってますから」
なんでそこでその名前が出るんだ、とアラタはコーヒーを口にしようとして、すでにカップの中身が空になっていることに今気づいた。
「過保護すぎる」
「ヤリチンは私も好きじゃないです」
「はぁ、窮屈で苦しいよ」
「苦しいのはノエルの方ですよ。良かれと思って渡してたお金で女遊びですから」
「だから反省してるって」
「ノエルは見た目まんま寂しがり屋なんです。それに普通の学校にも通ってませんから、友達も少ないんですよ」
「それは俺のせいじゃないだろ」
「でも仲間です。分かってあげてください」
「遊んでいてもいいじゃん。俺は気にしない」
シルがお代わりを淹れている間にも話はヒートアップする。
アラタもだいぶ調子が出てきた。
「それは男の論理ですよ。私は結構気にします。知らない人と体を重ねているなんてショックじゃないですか」
「知ってる方がショックだろ」
確かに、と頷いているクリスはもう役に立ちそうにないので、リーゼは一人で戦うことにした。
目の前のこの男は本当に、さっきまであんなにボロカスに怒られていたのにすぐこれだ。
話題の切り替えがうまいというか、話がすぐ脱線するというか、とにかく肩透かしを食らっている気分になる。
「本当に反省してます?」
「してるって言ってんだろ」
「じゃあ言葉にしてください」
「は?」
「何を反省して、どうするのか。ノエルのことをどう思っているのか、ここで言ってください」
「意味わかんね」
「いいから」
命令口調の嫌な金髪巨乳だと、アラタはリーゼの顔を一瞥してすぐにまた目を逸らした。
アラタは真っ直ぐ見つめられることが苦手になりつつある。
正面から向き合うことが怖くなりつつある。
それでも、考えを口にしなければならないときはある。
今みたいに。
「貰った金で遊んで悪かったよ、反省してる。これからは控えるし冒険者頑張るよ。ノエルは……そうだな、裕福な家庭で、剣聖なんてクラスに恵まれて、親から愛されてて、仲間に囲まれてて、いつも楽しそうで、それが少し羨ましかった。俺は、あいつに嫉妬してたのかもしれない。あいつは俺の持っていないものを、失くしたものを全部持ってたから。だから少し意地悪してやろうって……反省してる」
口に出してみると、いくらか胸のあたりが軽くなったことに彼は驚いた。
そんな風に思ってたのかと自分にびっくりさせられるような言葉も出て、己を見失っていたことに今更気づく。
それを一言一句逃さず聞いたリーゼはにっこりと笑って、彼ではなくその後ろに声を飛ばした。
「だそうですよ」
ドアの外には、いつの間にかノエルが立っていた。
警戒を怠ったアラタのミスだし、彼女が風呂に立ってから随分と時間も経過している。
こうなったのは必然だったのかもしれない。
バツが悪そうにアラタは後ろを向いた。
「聞くなよ」
風呂上がりのノエルは石鹸のような匂いを振りまきながら、アラタの頬に手を当てる。
そっと添えるように、優しく触れる。
生きていることを確かめるように、マメだらけの手を当てた。
「私の周りにいてくれる仲間にはアラタもいるんだよ。いつも楽しそうに見えたのなら、それはアラタが戻って来てくれたからだよ。それくらい分かってよ、仲間でしょ」
「……ごめん」
「こうしてギュッとすると、アラタの体温が伝わってくる。アラタも私の体温が分かるだろう?」
「まあ、一応」
風呂上がりのノエルはアラタよりもポカポカしていて温度が高い。
「私は剣聖だから、もう少し色んなことが分かる。例えばその人の強さとか、何を考えているとか、他にもいろいろ。アラタは私が何考えているかわかる?」
「全然わからん」
「もうっ。私はね、アラタに笑ってほしいと思っているんだ。確かにその……あぁいったのもダメじゃないけど、それは違うじゃないか。普通に生きて、ふと楽しいことがあって、ここに居てよかったって思って、満たされて笑ってほしい」
アラタはそう言い終わったノエルを引き剥がし、少し考える。
石鹸の香りが鼻につく。
いい匂いのはずなのに、それが鼻につく。
「怖えーよ。俺には無理だ。いなくなったらって考えたら、そんなの無理だ」
「私はいなくならないから、恐れないで。近づくことから逃げないで。私だってアラタに避けられたら悲しいよ」
「ごめん」
「謝ってばっかり」
「仕方ないだろ。謝る事したんだから」
台所で洗い物をしている音が居間まで聞こえてくる。
水を流している音は不規則で、テレビを見ていたなら不快に思うかもしれない。
ただ今は、会話の声とそれ以外に音は流れていない。
食器を見つめているシルは、もうそこまで心配していなかった。
ノエルがアラタをハグした後から、彼の心に暖かい小さな玉みたいなものが見えたから。
それは誰の心にもあるけど、ふとしたことで消えてしまう脆い光。
でも、消えてしまったらまた人から分けてもらえばいいだけの話だ。
彼はもう一人ではないのだから。
「もう謝らないで。代わりに何々をするって約束して」
「何かってなんだよ」
「それは……ご飯を一緒に食べるとか、遊びに行くとか、クエストに行くとか、もっと小さなことでもいい。お風呂洗ってくれるとか、ご飯作ってくれるとか、部屋片づけてくれるとか」
「自分でやれ」
「ダメ。埋め合わせなんだから少しは譲歩して」
随分と弱くなった己の立ち位置を悲観して、屋敷の持ち主を溜息をつく。
「はぁ、分かったよ」
「そしたらね、今後は私がお返しするの」
「は? それじゃ意味ないだろ」
「ううん、意味はあるよ。そうやって誰かのために何かをする事で、心が満たされるんだ。空いた穴が塞がっていくの」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ。だから騙されたと思って試して。もし嘘だったらその時は怒っていいよ。そしたら怒ったアラタをなだめて、もっと幸せでいっぱいにするから。そしたらまた今度返してくれればいいから」
「……分かった。今度からやってみるよ」
「今からやって。とりあえず私に何か返して」
「とりあえずこれで」
そう言ってアラタは自身の財布をノエルに渡した。
そういうことじゃないのにな、とクリス、リーゼ、シルは頭を抑える。
「そういうことじゃないのに。まあいいや」
一応中身を確認するノエル。
もし自分が貸していた額よりオーバーしていたら、流石に受け取る気になれないのが彼女のいいところだ。
そんなノエルの手が止まった。
「ねえアラタ、私いくら貸したっけ?」
「トータルで金貨1枚くらい?」
「金貨2枚、銀貨4枚、銅貨22枚だ」
「足りた?」
「銅貨しか入っていないじゃないか! 一体いくら使ったんだ!」
「あはは、ノエルのくれたお金なんて全然残ってないよ。全部使っちゃった」
普通に生きて、ふと楽しいことがあって、満たされて笑ったアラタの首元にノエルの剛腕が迫る。
だが、アラタも随分と変わった。
ひらりと身をかわして部屋を後にしようとする。
「お風呂入る。風呂場にまで追っかけてきたらセクハラで訴えるからな」
「あっ待て! もぉぉおお!」
せっかくいい感じで終われそうだったのにとクリスは呆れた目で見送った。
リーゼも、シルも同様で、このどうしようもないボンクラ男が本当に反省しているのか疑念の目で見送った。
それでも、少しは変わったのだろうと、逃げ去るアラタの横顔を見て3人とも願うことにした。
そうでなければノエルが報われないから。
「もー。本当に分かったのかなぁ」
そう言いつつもノエルの顔は笑っていて、これからいいことが待っていることを予感させるには十分なものだった。
「アラタが働かなくてもシルお金持ってるもん」
「そうなの?」
「アラタがダメすぎてシルがしっかり育ったの!」
「あはは、それは頼もしいな」
「もっと父親らしくしてね」
「分かった。約束する」
玄関で待っていたシルに謝ったアラタは、そのまま部屋に戻ろうとした。
しかしそれをクリスとリーゼが引き留め、リビングに連行する。
あの場では近所迷惑も考えて一件落着と言ったが、彼女たちはもう少し話すことが残っているらしい。
「ノエルはお風呂にでも入ってきてください」
「え、でも」
「入ってきてください」
「……分かった」
笑顔だが有無を言わせぬ圧を発しているリーゼの言葉に、ノエルは素直に従って風呂に向かった。
居間に残った3人に気まずい空気が流れる。
アラタからして、ノエルは適当に言いくるめればいいと思っている節が無いことも無いが、この二人は少々厄介に感じている。
いい訳が通じないというか、そもそも話し合いの通じる相手ではないというか、頑固さを練り固めたような融通の利かなさというか、とにかくはぐらかすことが通じない。
「アラタが2人のこと石頭って考えてるー!」
隣の台所からシルの声が響いた。
それを聞いてアラタを睨む2人に、委縮する男。
向き合うことから逃げ続けていた男は、正面に対峙してしまえば随分と小さく見えた。
過度な期待が無かったと言えば嘘になる、リーゼはそう考える。
聖騎士という優れたクラスを持つ自分にとって、ノエルの護衛として彼女が果たすべき責任というのは非常に大きい。
だからアラタが加入した時、その負担を半分も明け渡したのは少し酷い話でもあった。
能力に応じて負荷を考えるのなら、当時のアラタはむしろ庇護の対象になる。
だから、リーゼも反省している。
一方クリスも、リーゼと似たようなことを考えていた。
彼女の聖騎士ほどではないがクリスも【盗賊】という便利なクラスに恵まれた才能ある人間だ。
出自こそ同情の余地があっても、人より恵まれているというのも確かな人生を歩んでいる。
そこに現れたクラスすら持たない人間。
毎日のように死線を潜り抜け、必死についてきて、いつしか抜かれた。
だが、それ故に忘れていた。
彼はまだ剣を握ってから1年も経っていない、いわば初心者なのだ。
それがどうだろう、数日で人を殺し、自身も死にかけ、挙句死亡し、それからも彼の受難は続いた。
クリスも激動の日々の中で忘れ去っていたのだ。
親も恋人も友達も、今まで持っていたすべての関係から切り離された青年は、寂しかっただろうと。
会いたかっただろう、帰りたかっただろう、また母の作る食事が食べたかっただろう。
学校にも通いたかったはずだし、恋人との日常も欲していたはずだった。
その全てを諦めさせられて、夜遊びもするなとは酷な話だ。
ノエルの金を使ってさえいなければ。
彼とて山のように反省しなければならないが、少し追い詰めすぎたと、クリスも自省した。
「何であんなことしちゃったんですか」
シルが淹れたコーヒーを飲みながら、リーゼは切り出した。
カップを手にしたアラタは答えに詰まる。
「何でだろうな」
「脳の代わりに海綿体が詰まっているのだから、何を聞いても無駄だ」
「酷くない?」
「自分的にはどう考えるんですか」
どうしても答えが聞きたいと、それはノエルがいない今の方が話しやすいだろうとリーゼはこのタイミングで聞いた。
アラタはコーヒーを一口飲むと、カップから手を離して手を組む。
少し考えると、ゆっくりと口を開いた。
「荒れ方が分からないんだ」
「荒れ方?」
「ほら、俺って真面目だし働き者じゃん?」
「全力で否定します」
「私もだ」
「聞けよ。酒も飲んだし、煙草も吸った。夜の店で散財もした。でも、それ以外にどうしたらいいかなんて、俺には思いつかなかった」
「それとノエルからお金を巻き上げることに何の関係が?」
「ノエルはガキンチョだから、なんかむかついた。ちょっとからかってやるくらいのつもりで金くれって言ったら案外ちょろくて、そのまま……」
「クリス、この男酷くないですか?」
「知ってる」
何を今更、そう彼女は言っていた。
確かに素行は悪くもないが、特段良くもない。
規範意識の低さが時折こうして悪さすることもあるのが彼だ。
「アラタも同じ事されたら嫌でしょ。反省してください」
「反省してる」
「だといいがな」
「してるよ。本当に」
目を伏せてコーヒーカップに目を落としているアラタを見ていると、なんだかこっちが悪者みたいに思えてくる。
だからリーゼは質問を変えた。
「レイフォード卿がいないのは寂しいですか」
アラタの握るカップが揺れて、中身が零れそうになった。
そのさざ波が落ち着くのを待って、アラタは答える。
「今まで経験したことないくらい、寂しいよ」
「その、一緒に過ごしたことはあるんですか。その……あの……」
直接口に出すことを躊躇する彼女の問いを、アラタはそれとなく解した。
要するに、彼女と寝たことはあるのか聞きたいらしい。
それが好奇心から来ているのか、何か重要な意味があるのか分からないアラタは、ありのままの真実を答える。
「無いよ。後悔してる」
「似たような人を指名していたのはそういう理由ですか?」
2人には隠し事は出来ないらしい。
アラタがなびく女性の好みまで把握されているとなると、文句も言いたくなる。
「おま…………マジでさぁ、プライバシー」
「あんなことするアラタが悪いです」
「それはそうだけどさ。そうだな、俺が悪かった。でも、少しくらい許してくれてもいいでしょ。もう二度と会えないんだから、少しくらいいいだろ」
「まぁ、私はいいですけど」
「私も興味ない」
「じゃあいいだろ。ほっといてくれよ」
「そうはいきません。ノエルが嫌がってますから」
なんでそこでその名前が出るんだ、とアラタはコーヒーを口にしようとして、すでにカップの中身が空になっていることに今気づいた。
「過保護すぎる」
「ヤリチンは私も好きじゃないです」
「はぁ、窮屈で苦しいよ」
「苦しいのはノエルの方ですよ。良かれと思って渡してたお金で女遊びですから」
「だから反省してるって」
「ノエルは見た目まんま寂しがり屋なんです。それに普通の学校にも通ってませんから、友達も少ないんですよ」
「それは俺のせいじゃないだろ」
「でも仲間です。分かってあげてください」
「遊んでいてもいいじゃん。俺は気にしない」
シルがお代わりを淹れている間にも話はヒートアップする。
アラタもだいぶ調子が出てきた。
「それは男の論理ですよ。私は結構気にします。知らない人と体を重ねているなんてショックじゃないですか」
「知ってる方がショックだろ」
確かに、と頷いているクリスはもう役に立ちそうにないので、リーゼは一人で戦うことにした。
目の前のこの男は本当に、さっきまであんなにボロカスに怒られていたのにすぐこれだ。
話題の切り替えがうまいというか、話がすぐ脱線するというか、とにかく肩透かしを食らっている気分になる。
「本当に反省してます?」
「してるって言ってんだろ」
「じゃあ言葉にしてください」
「は?」
「何を反省して、どうするのか。ノエルのことをどう思っているのか、ここで言ってください」
「意味わかんね」
「いいから」
命令口調の嫌な金髪巨乳だと、アラタはリーゼの顔を一瞥してすぐにまた目を逸らした。
アラタは真っ直ぐ見つめられることが苦手になりつつある。
正面から向き合うことが怖くなりつつある。
それでも、考えを口にしなければならないときはある。
今みたいに。
「貰った金で遊んで悪かったよ、反省してる。これからは控えるし冒険者頑張るよ。ノエルは……そうだな、裕福な家庭で、剣聖なんてクラスに恵まれて、親から愛されてて、仲間に囲まれてて、いつも楽しそうで、それが少し羨ましかった。俺は、あいつに嫉妬してたのかもしれない。あいつは俺の持っていないものを、失くしたものを全部持ってたから。だから少し意地悪してやろうって……反省してる」
口に出してみると、いくらか胸のあたりが軽くなったことに彼は驚いた。
そんな風に思ってたのかと自分にびっくりさせられるような言葉も出て、己を見失っていたことに今更気づく。
それを一言一句逃さず聞いたリーゼはにっこりと笑って、彼ではなくその後ろに声を飛ばした。
「だそうですよ」
ドアの外には、いつの間にかノエルが立っていた。
警戒を怠ったアラタのミスだし、彼女が風呂に立ってから随分と時間も経過している。
こうなったのは必然だったのかもしれない。
バツが悪そうにアラタは後ろを向いた。
「聞くなよ」
風呂上がりのノエルは石鹸のような匂いを振りまきながら、アラタの頬に手を当てる。
そっと添えるように、優しく触れる。
生きていることを確かめるように、マメだらけの手を当てた。
「私の周りにいてくれる仲間にはアラタもいるんだよ。いつも楽しそうに見えたのなら、それはアラタが戻って来てくれたからだよ。それくらい分かってよ、仲間でしょ」
「……ごめん」
「こうしてギュッとすると、アラタの体温が伝わってくる。アラタも私の体温が分かるだろう?」
「まあ、一応」
風呂上がりのノエルはアラタよりもポカポカしていて温度が高い。
「私は剣聖だから、もう少し色んなことが分かる。例えばその人の強さとか、何を考えているとか、他にもいろいろ。アラタは私が何考えているかわかる?」
「全然わからん」
「もうっ。私はね、アラタに笑ってほしいと思っているんだ。確かにその……あぁいったのもダメじゃないけど、それは違うじゃないか。普通に生きて、ふと楽しいことがあって、ここに居てよかったって思って、満たされて笑ってほしい」
アラタはそう言い終わったノエルを引き剥がし、少し考える。
石鹸の香りが鼻につく。
いい匂いのはずなのに、それが鼻につく。
「怖えーよ。俺には無理だ。いなくなったらって考えたら、そんなの無理だ」
「私はいなくならないから、恐れないで。近づくことから逃げないで。私だってアラタに避けられたら悲しいよ」
「ごめん」
「謝ってばっかり」
「仕方ないだろ。謝る事したんだから」
台所で洗い物をしている音が居間まで聞こえてくる。
水を流している音は不規則で、テレビを見ていたなら不快に思うかもしれない。
ただ今は、会話の声とそれ以外に音は流れていない。
食器を見つめているシルは、もうそこまで心配していなかった。
ノエルがアラタをハグした後から、彼の心に暖かい小さな玉みたいなものが見えたから。
それは誰の心にもあるけど、ふとしたことで消えてしまう脆い光。
でも、消えてしまったらまた人から分けてもらえばいいだけの話だ。
彼はもう一人ではないのだから。
「もう謝らないで。代わりに何々をするって約束して」
「何かってなんだよ」
「それは……ご飯を一緒に食べるとか、遊びに行くとか、クエストに行くとか、もっと小さなことでもいい。お風呂洗ってくれるとか、ご飯作ってくれるとか、部屋片づけてくれるとか」
「自分でやれ」
「ダメ。埋め合わせなんだから少しは譲歩して」
随分と弱くなった己の立ち位置を悲観して、屋敷の持ち主を溜息をつく。
「はぁ、分かったよ」
「そしたらね、今後は私がお返しするの」
「は? それじゃ意味ないだろ」
「ううん、意味はあるよ。そうやって誰かのために何かをする事で、心が満たされるんだ。空いた穴が塞がっていくの」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ。だから騙されたと思って試して。もし嘘だったらその時は怒っていいよ。そしたら怒ったアラタをなだめて、もっと幸せでいっぱいにするから。そしたらまた今度返してくれればいいから」
「……分かった。今度からやってみるよ」
「今からやって。とりあえず私に何か返して」
「とりあえずこれで」
そう言ってアラタは自身の財布をノエルに渡した。
そういうことじゃないのにな、とクリス、リーゼ、シルは頭を抑える。
「そういうことじゃないのに。まあいいや」
一応中身を確認するノエル。
もし自分が貸していた額よりオーバーしていたら、流石に受け取る気になれないのが彼女のいいところだ。
そんなノエルの手が止まった。
「ねえアラタ、私いくら貸したっけ?」
「トータルで金貨1枚くらい?」
「金貨2枚、銀貨4枚、銅貨22枚だ」
「足りた?」
「銅貨しか入っていないじゃないか! 一体いくら使ったんだ!」
「あはは、ノエルのくれたお金なんて全然残ってないよ。全部使っちゃった」
普通に生きて、ふと楽しいことがあって、満たされて笑ったアラタの首元にノエルの剛腕が迫る。
だが、アラタも随分と変わった。
ひらりと身をかわして部屋を後にしようとする。
「お風呂入る。風呂場にまで追っかけてきたらセクハラで訴えるからな」
「あっ待て! もぉぉおお!」
せっかくいい感じで終われそうだったのにとクリスは呆れた目で見送った。
リーゼも、シルも同様で、このどうしようもないボンクラ男が本当に反省しているのか疑念の目で見送った。
それでも、少しは変わったのだろうと、逃げ去るアラタの横顔を見て3人とも願うことにした。
そうでなければノエルが報われないから。
「もー。本当に分かったのかなぁ」
そう言いつつもノエルの顔は笑っていて、これからいいことが待っていることを予感させるには十分なものだった。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
悪役貴族の四男に転生した俺は、怠惰で自由な生活がしたいので、自由気ままな冒険者生活(スローライフ)を始めたかった。
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
俺は何もしてないのに兄達のせいで悪役貴族扱いされているんだが……
アーノルドは名門貴族クローリー家の四男に転生した。家の掲げる独立独行の家訓のため、剣技に魔術果ては鍛冶師の技術を身に着けた。
そして15歳となった現在。アーノルドは、魔剣士を育成する教育機関に入学するのだが、親戚や上の兄達のせいで悪役扱いをされ、付いた渾名は【悪役公子】。
実家ではやりたくもない【付与魔術】をやらされ、学園に通っていても心の無い言葉を投げかけられる日々に嫌気がさした俺は、自由を求めて冒険者になる事にした。
剣術ではなく刀を打ち刀を使う彼は、憧れの自由と、美味いメシとスローライフを求めて、時に戦い。時にメシを食らい、時に剣を打つ。
アーノルドの第二の人生が幕を開ける。しかし、同級生で仲の悪いメイザース家の娘ミナに学園での態度が演技だと知られてしまい。アーノルドの理想の生活は、ハチャメチャなものになって行く。
転生幼女のチートな悠々自適生活〜伝統魔法を使い続けていたら気づけば賢者になっていた〜
犬社護
ファンタジー
ユミル(4歳)は気がついたら、崖下にある森の中にいた。
馬車が崖下に落下した影響で、前世の記憶を思い出す。周囲には散乱した荷物だけでなく、さっきまで会話していた家族が横たわっており、自分だけ助かっていることにショックを受ける。
大雨の中を泣き叫んでいる時、1体の小さな精霊カーバンクルが現れる。前世もふもふ好きだったユミルは、もふもふ精霊と会話することで悲しみも和らぎ、互いに打ち解けることに成功する。
精霊カーバンクルと仲良くなったことで、彼女は日本古来の伝統に関わる魔法を習得するのだが、チート魔法のせいで色々やらかしていく。まわりの精霊や街に住む平民や貴族達もそれに振り回されるものの、愛くるしく天真爛漫な彼女を見ることで、皆がほっこり心を癒されていく。
人々や精霊に愛されていくユミルは、伝統魔法で仲間たちと悠々自適な生活を目指します。
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第二章シャーカ王国編
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
「魔王のいない世界には勇者は必要ない」と王家に追い出されたので自由に旅をしながら可愛い嫁を探すことにしました
夢幻の翼
ファンタジー
「魔王軍も壊滅したし、もう勇者いらないよね」
命をかけて戦った俺(勇者)に対して魔王討伐の報酬を出し渋る横暴な扱いをする国王。
本当ならばその場で暴れてやりたかったが今後の事を考えて必死に自制心を保ちながら会見を終えた。
元勇者として通常では信じられないほどの能力を習得していた僕は腐った国王を持つ国に見切りをつけて他国へ亡命することを決意する。
その際に思いついた嫌がらせを国王にした俺はスッキリした気持ちで隣町まで駆け抜けた。
しかし、気持ちの整理はついたが懐の寒かった俺は冒険者として生計をたてるために冒険者ギルドを訪れたがもともと勇者として経験値を爆あげしていた僕は無事にランクを認められ、それを期に国外へと向かう訳あり商人の護衛として旅にでることになった。
といった序盤ストーリーとなっております。
追放あり、プチだけどざまぁあり、バトルにほのぼの、感動と恋愛までを詰め込んだ物語となる予定です。
5月30日までは毎日2回更新を予定しています。
それ以降はストック尽きるまで毎日1回更新となります。
異世界でのんびり暮らしてみることにしました
松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。
悠々自適な転生冒険者ライフ ~実力がバレると面倒だから周りのみんなにはナイショです~
こばやん2号
ファンタジー
とある大学に通う22歳の大学生である日比野秋雨は、通学途中にある工事現場の事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまう。
それを不憫に思った女神が、異世界で生き返る権利と異世界転生定番のチート能力を与えてくれた。
かつて生きていた世界で趣味で読んでいた小説の知識から、自分の実力がバレてしまうと面倒事に巻き込まれると思った彼は、自身の実力を隠したまま自由気ままな冒険者をすることにした。
果たして彼の二度目の人生はうまくいくのか? そして彼は自分の実力を隠したまま平和な異世界生活をおくれるのか!?
※この作品はアルファポリス、小説家になろうの両サイトで同時配信しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる