半身転生

片山瑛二朗

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第3章 大公選編

第234話 ちょろい男

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 ノエルが地下に降りて来た時とは違う意味で、最悪な気分だ。

 涙を拭きながら、目の前でニコニコしているノエルを見ながら、アラタは後悔した。
 彼とて一人の人間で、人並みの羞恥心という物は持ち合わせている。
 人前で泣くことには抵抗があるし、その相手がノエルとなれば、もうどこまで言いふらされてしまうか分かったものでは無い。
 しばらくぶりにまともな会話をしたが、アラタの中でノエルという人間はおしゃべりで何でもかんでも話してしまう、大阪のおばちゃん的性格だと思われていた。
 それが事実かどうか、今後明らかになるとして、彼に向けて右手を差し出す。

「これは?」

「ん!」

「はい」

 とりあえずアラタは手を出し、握り返してみる。
 ニコニコだったノエルの顔はさらに笑みが溢れ、満面の笑みで、

「これからよろしく!」

 なんていうものだから、彼の顔からも自然と笑みがこぼれた。

「あぁ、改めてよろしく」

 ——軽薄な男だな、と自分で思う。
 あんなことがあって、もう死にたくなって、誰とも関わりたくなかったのに、こうして誰かと繋がっている。
 結局、思い切り感情を吐き出してしまえば、意外と何とかなってしまう、俺はそんな人間だ。
 泣きじゃくって、それで済んでしまうくらいの想いだったんだろうか。
 ……いや、それは違う。
 まだエリーはここにいる。
 あの誓いは嘘じゃない。
 嘘にするつもりもない。
 ただ、前を向かなきゃいけないと、ノエルこいつが気付かせてくれた。
 それだけは、感謝しよう。
 だから、引きこもることはもうやめるよ。

「どうしたんだ?」

「…………いや、何でもない」

「早く行こう! リーゼも待ってる!」

 ノエルは一足先に階段を駆け上がり、上でアラタのことを呼んでいる。
 彼女が1階に着いた時、彼はまだ一段目に足をかけた所だった。
 ふと、足元がおぼつかない感覚に襲われる。
 ふわりと浮き上がって、宙に投げ出されたような。
 自分の力ではどうしようもなく、あとは落ちていくだけ。
 まるで、エリザベスを斬ったあの時のように。

「………………怖いな」

 一段目に足を置き、二歩目が出ない。

「アラター?」

 ノエルは先で待っている。
 彼の方を向いて待っている。
 それに応えないと、今すぐ向こうに行かなければならないことは分かっている。
 だが、怖い。
 なんだかとても怖いことをしようとしている気がして、心も体も、前に進んでくれない。
 近くに居たら、ふとした瞬間にいなくなってしまいそうで、その瞬間に立ち会うのが、やっぱり怖い。
 仲を取り戻して、また一から始めようと意気込んでみても、それがうまくいくのなら初めから仲違いなんてしていない。

 俺は、やっぱり——

「何してるんだ、早く行くぞ!」

 優しくではない。
 そっとでもない。
 どちらかというと、ガシッ、ガッ、むんず、そんな感じ。
 クラスの力にものを言わせて、見た目よりずっと強い膂力でもってアラタの手を掴む。

「階段が登れないのか? おんぶするか?」

 強引に手を引きながら問いかけるノエルの表情は、本気なのか冗談なのか読みにくい。
 多少笑みを浮かべているから冗談のような気もする。
 しかし、声のトーンは本気だ。
 前はもっと分かりやすい奴だったんだけどな。
 そうアラタは一年ほど前を回顧する。
 笑いたいときは笑い、怒りたいときは怒り、泣きたいときは泣き、喜びたいときは喜ぶ。
 単純で、シンプルで、分かりやすくて、扱いやすくて。
 ノエルも今年で18歳になる。
 この世代の成長はあっという間で、少し目を話せばすぐ別人のようになる。
 アラタは、少し年を取った気がした。
 彼女と2つしか違わないのに、自分も今年の誕生日が来るまではティーンエイジャーだというのに、年老いた気がした。
 そして、『いやいや、そんなわけあるか』とそれを否定する。
 自己否定でも、これくらいカジュアルなものなら問題ないだろう。
 生きる意味を考えていた先ほどまでと比べれば、随分と贅沢な悩みだ。

「大丈夫。転ぶから手を放して」

「本当か?」

「うん」

 中腹まで登り、照明のついていない階段は薄暗い。
 上下の入り口付近から漏れる光で目は見える。
 しかし走ったりするのは危ないかもしれない。
 そんな中でもノエルの赤い瞳はしっかりと光を保っていた。
 ノエルは彼をじっと見つめる。

「よし! さっさと進め!」

 そう言いながら、今度はアラタの後ろから背中を押す。
 押すな、と言いかけたものの、このままでいいかと思い、アラタは背中を押してもらいながら階段を上がっていった。

 階段を上がり、隠し扉を開けっぱなしにしたまま、2人は居間へと戻っていく。
 ダイニングキッチンには薄く微笑む老人が立っていて、アラタと目が合った。

「ちょろいのう」

「先生じゃ無理でしたよ」

「まあ良い。クリスを何とかせい。ノエル様はリーゼ様を」

「分かった」

 こうしてアラタはクリスを、ノエルはリーゼをそれぞれ迎えに行く。
 どうやらリーゼは家の前で待機させられていたみたいで、すぐ入ってくるらしい。
 それならノエルの方は心配無用だとして、問題はアラタの方だ。
 いつも彼は貧乏くじを引く。
 そういう星の元に生まれたのだから、受け入れるほかない。

「クリス」

 ドア越しに名前を呼ぶと、ガサガサと布がすれる音がした。
 足音が徐々に近づいてきて、そこからは多少のイラつきを感じることが出来る。

「何だ」

「俺、ノエルたちの所に戻るよ」

 そう言い終えるか終えないかというタイミングで、クリスは彼の両肩を掴んだ。
 顔は下を向いていて、表情を窺い知ることは出来そうにない。
 怒られるのかな、殴られるのかな、呆れられるのかな。
 そうクリスの感情を受け止める心の準備をしておく。
 一応【身体強化】をかけておいて。

「…………ぐぅ」

「ぐう?」

「わ……分かった。もう喧嘩するなよ」

 苦虫をかみつぶしたような顔で、それでも無理矢理笑顔を作って、クリスはそう言ってくれた。
 感情が表に出てしまっているから、特配課的には落第。
 でも、言葉は思っていたものを吐き出すことが出来た。
 これでいいはずだと、陽の当たる世界に仲間を押し戻す。
 それが自分に与えられた役割だと理解しているから。
 クリスは自身の表情が歪んでしまっていることも自覚していて、それを見た正面の男が何とも言えない表情をしていることも右目に映っている。
 でも、帰るべき場所があるなら、帰らせてやりたいと思うのがクリスという人間だ。
 それが、彼女の歩んできた人生から導き出された結論だ。

「じゃあ、お前もリーゼと和解しないとな」

「…………は?」

「だから、お前も来るんだよ」

「いや、お前たちは元々3人パーティーだろ! おかしいぞ!」

 自分はリャンやキィの所に行くか、ドレイクの所に残るか、そう思っていた。
 誘ってくれる可能性は頭にあったが、いざ実際に勧誘されるのは久しぶりだ。
 同じカウントをしていいか微妙かもしれないけども、それこそ奴隷としてエリザベスに買われた時以来かもしれない。

「というかね、先生から連れてくように言われてんのよ」

「は!? なぜ?」

「食料が、すさまじい速度で消えていくんじゃよ」

 アラタの陰から家主が現れて、現実的な問題を突き付けた。
 好き放題に台所から食べ物を強奪していく彼女は、彼から出ていくように命じられたのだ。
 実際、大食い一人いたところで、ドレイクの負担はそこまで気にするほどじゃない。
 たかが人一人、彼の収入から考えればほぼゼロ。
 でも、何事にも限度という物は存在する。
 彼女に、アラタと一緒に行く以外の選択肢はなかった。

「まあ、まずはリーゼと仲直りしてね」

 アラタの選択とセットで決まった自らの今後の身の振り方について、クリスは納得できないようで、納得するほかなかった。
 経緯に思うところはあっても、結果自体は悪くない。
 何より、エリザベスからアラタを託されたのだ。
 出来る限り傍に居た方がいいに決まっている。

「……また一緒だな」

「あぁ。よろしく」

 久しぶりに笑ったアラタを見て、こんな顔が見られるのなら冒険者も悪くないと思うクリスだった。
 そんな彼女に訪れた第一の試練。
 取っ組み合い、キャットファイトまで演じた相手との和解である。

「連れてきた!」

「久しぶりにその顔を見た気がします」

「迷惑をかけた」

「いいんですよ。ノエルが教えてくれましたから」

 意地の悪い笑みを浮かべている彼女の背後で、明後日の方向を向いて目を逸らすノエル。
 もう二度とこいつの前で醜態は晒さないと心に誓ったアラタは、クリスを部屋から引きずり出してリーゼの前に立たせる。

「クラーク伯爵家長女、リーゼ・クラークです。先日はすみませんでした」

「…………」

「クリス」

「分かっているっ」

 口をへの字にして向かい合っている彼女に、アラタは優しく先を促す。
 クリスとてそれは分かっている。
 この状況で謝らないという選択肢が、どれくらい『ナシ』であるかを。

「………………った」

「クリス」

「……悪かったな。突っかかったりして」

「はい! おしまい!」

 ノエルが手をパンと叩き、締めくくる。
 これで過去の遺恨は水に流して、一緒に頑張ろうと。

「何とかなったようだな」

「叔父様」

「ハルツさん……お手数をおかけしました」

 クリスの後ろから出てきた彼は、すでにボロボロだ。
 暴れる彼女の相手をしてこうなったのだから、アラタの謝罪もしておくに越したことは無い。

「いや、体を張った甲斐はあったようだ。よしとしよう」

「冒険者アラタ、また一からやり直そうと思います」

「それがいい。これでやっと城門を解放できるな」

 うっかり、最後の詰めが甘い。
 それがハルツ・クラークという男だ。

「叔父様!」

「……あっ」

 しまった、という顔をしたのはハルツ一人ではない。
 リーゼも、ついでにノエルもまずいという顔をしている。
 負のオーラを纏いかけている男の横顔を見て、クリスはこういうのも悪くないと思った。
 張り詰めるばかりでは心が保たない。
 普段はこれくらい砕けていた方が、案外いいのかもしれない、と。

「さ、さあアラタ。一応父上の所に報告に行かないか?」

「…………いやまあ知ってたけどさ」

「あ、あのー。まだ私たちどんな距離感が良いか図っている最中ですから……そのー……」

「いつもいつも、お前らは大掛かり過ぎるんだよ! 人の迷惑も少しは考えろ!」

「「痛ぁ!」」

 ほんの少しだけ加減した脳天チョップが炸裂して、2人は頭を押さえて悶絶する。
 そして後ろを振り向いたアラタの顔は、今までに見たことないくらい爽やかだった。

「こんな奴らだ。クリスはしっかりしてくれよ」

「善処しよう」

 男性1、女性3。
 ハーレムと言えないことも無いパーティーの実情は、トレーナー1、猛獣3という構成に近い。
 誰がトレーナーで誰が猛獣か、それを口にしたら命はない。
 しかしそうなる時点ですでに自覚症状がある分、まだましかもしれない。

「痛ぁ~。もー行くぞ!」

「結構ヤバいことしてる自覚を持て」

「口うるさいなぁ」

「これが俺の仕事だ」

「…………泣いてたくせに」

 ギロリとにらみを利かせると、ノエルは視線を逸らして逃げてしまう。
 そんな後姿を見守る賢者は、最悪は免れたことを安堵する。

「これでいいのじゃ」
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