半身転生

片山瑛二朗

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第3章 大公選編

第225話 もぬけの殻

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 初め、アラタもクリスも、ここは軽く見回りをしておく程度の気持ちだった。
 レイフォード家の重鎮となれば、まず間違いなく今回の大公選に関して取り調べを受けているはずで、本邸にいないことは容易に想像できたから。
 しかし、使用人や警備の者すらいないとはどういうことか、微かな違和感が2人を包む。
 貴族の家には金目の物が山のようにあって、見張りも立てずに家を空けることなんてありえない。
 実質空き家になっているアラタの物件にも、ノエルやリーゼ経由で警備が立てられているし、シルもそのつもりで巡回をしていた。
 レイフォード家本邸に寄ってから、本命の留置場を襲撃する。
 その心づもりが崩れたことを、アラタは察知する。
 何かがおかしいと。
 これだけ荒れた大公選、今ここで何が起こっても全く不思議ではない。

「気を引き締めろ。もしかしたらあるぞ」

「それなら好都合だ。邪魔が入らずに済む」

 やる気満々なクリスを伴って、アラタは敷地内に足を踏み入れた。
 構造は2人ともよく知っている、公爵家にふさわしい立派な造りをした大きな邸宅。
 庭に多くの敷地を割いていて、それでも尚あまりある土地に建てたこれでもかというくらい荘厳な建築物の数々。
 その中でも最も大きく、最も精細な造りをしているのが、当主の住まう本館だ。
 真上から見て、前後左右対称に見えるこの建物の内部、実は一筋縄ではいかない。
 航空写真があれば、特に何の工夫もないシンメトリーな建物なのだが、内部の造りがまるで違う。
 廊下の長さから、部屋の規格、天井の高さ、何から何まで統一されていない。
 これを建てた当時の施工業者はさぞかし難儀したことだろう。
 外から見た完成形は何の変哲もないと言われるのに、内部はこれだけ違いがある物を作らなければならなかったのだから。
 それでいて、そこに暮らす人間や来客が不快にならないようにしないといけないのだから、それはもう設計者から施工会社まで、四苦八苦したに違いない。
 ともかく、そうして完成したこの屋敷に家宅捜索に入った警邏機構の人間たちは、そのあまりに複雑で巨大な捜査対象に一瞬で心を打ち砕かれた。
 これはダメだと、自分たちだけでは手に負えないと応援を要請、すぐに倍の人数で捜査が開始された。
 そんなこんなでつい先日、ようやく参考資料の運び出しが完了したわけで、彼らは彼らの拠点で捜査資料とにらめっこを始めている。

 ——人、いない。

 ——了解。まず当主の部屋を抑える。

 ハンドサインを交わしながら、2人は影のように本館に潜入、次々と部屋をクリアリングしていった。
 来客用の寝室も、応接間も、ホールも、食堂も、全てがもぬけの殻。
 そこまでは予想通りだが、あまりにも予想通り過ぎるというか、ここまでくると想像を超え始めている。
 確かに家宅捜索で荷物はほとんど持ち出されているという予想は立てた。
 しかし、家の人間まで空っぽとは考えていないし、これはいくら何でも何もなさすぎる。
 ヒタヒタと廊下を進み、ついに敷地中央に位置する最重要個室に到着した。
 2人は目で合図をして、武器に手をかけて突入した。

「……ここも空か」

 刀から手を離すと、一度【敵感知】を起動した。
 反応は無し。
 当然だ、誰もいないのだから。

「クリス?」

「何もいないな。もう全て持ち出された後のようだし、無駄骨だったか」

「クリス、一応あれはやっておこう」

 あれ、という言葉が何を意味しているのかクリスにはしっかりと伝わったみたいだ。
 露骨に嫌そうな彼女の顔がそれを物語っている。
 しかし、エリザベスの部屋だし、適当なことは出来ないかとため息をついた。

「この部屋だけなら、仕方ないか」

 そう言いながら彼女は床に腰を下ろして、短剣の柄で床を叩き始めた。
 アラタは空になった本棚を見つめたり、触ったりしている。
 今度はカーテンの裏、カーテンそのものを陽に透かして見たり、いろいろと不可解な行動を繰り返す。
 残された机の引き出しを開けたところで、2人が何か残されているものが無いか探していることが明らかになったのだが、この部屋だけ念入りに調査するのは、クリスの発言もとい、失言があったからなのだ。

 エリは忙しくなってから、連絡事項を伝える為によく暗号や隠し鍵を使っていた。

 そんなことをアトラに来るまでの道中で溢したものだから、彼だって無視はできない。
 その結果彼女は今こうしてあるかもわからない暗号探しをさせられている。
 武装メイドや特殊配達課にわざわざ人目を忍んで情報を受け渡していたことを考えると、レイフォード家内部も一枚岩ではないというか、当主に忠誠を誓えていない連中が多かったというか、この結果は必然だったのではないかとすら思えてくるのはアラタだけだろうか。
 そして、彼女の部屋を隅々まで探す事20分。
 クリスが何かに気づいた。

「ちょっといいか」

「見つけた?」

「絨毯を広げてほしい」

 クリスの視線の先には部屋の端に放置された赤い絨毯が転がっている。
 元はこの部屋に敷かれていたものだが、捜索の際に剥がされたのだろう。
 持っていかれていないということは、怪しくなかったということでもある。

「オッケー。そっち持って」

 恐らく特注物だろうそれは、この部屋にぴったり収まるサイズをしている。
 机や本棚がある以上、綺麗に敷きなおすことは難しい。
 捜査員たちは、さぞ苦労してこれをはがしたことだろう。

「机もどかす?」

「いや、いい。アラタは本棚の背板が見えるようにしてくれないか」

「見えるように?」

「そうだ」

 本が押収されていてよかったと、彼は棚を持ち上げて思った。
 【身体強化】ありなら一人で余裕な重量。

「これでいい?」

「ありがとう。次は……やっぱり全部の本棚でやろう。私も手伝う」

 こうして合計4つの大型の本棚が、壁際から動かされた。
 絨毯も広げてしまったし、中々に散らかっている。

「魔力を広げてくれないか。こう、ブワーッと」

「適当だな。こんな感じ?」

 自分の体を中心に、球体状に魔力を展開する。
 魔術を使うつもりは無いから、放出したとたんに霧散して消えてしまう。

「どう?」

「……仮にあるとしても、もう少し正確な手順が必要だということか」

「どういうこと?」

「アラタ、お前【暗号貫通】持っていたな?」

「うん」

「そのスキルでどこまで見通すことが出来る?」

「暗号だと認識したもので、自分が手を動かして解読できる範囲内」

 レイフォード家を出奔する決定打となったエリザベスの不正証拠は、彼の身に着けたスキル【暗号貫通】によるものだった。
 その後、能力の把握に努めた彼は、自らの能力をこう表現した。
 まず、それが暗号だと認識する必要がある。
 次に、スキルなしでも自分の頭で解除できるような簡単なものでなければならない。
 そして最後に、鍵付き暗号なども解除の対象となることから、自分の知識と暗号解除に関係性は無い。
 これはどういうことかというと、コンピュータを必要とするような暗号は彼のスキル対象外となる。
 紙とペンを使って解けるような範囲のものである必要がある。
 そして、何らかの鍵がなければ、ノーヒントなら構造的に解除不可能なものでも、スキルホルダーがその鍵を知らなくても、暗号は解除できる。
 この部分が【暗号貫通】の肝になる。
 そう言った内容の説明をアラタはしたのだが、相手がクリスでよかった。
 諜報系の能力に明るい彼女だからこそ、アラタの短い説明で理解できた部分もある。
 常日頃からそうだが、彼は少しクリスの物分かりの良さに甘えている節がある。
 誰も指摘しない彼の受け答えは少し言葉足らずになりがちな気がする。

「分かった。今から私の言う通りにしてくれ」

 クリスはアラタの肩を掴み、広げた絨毯の前に立たせた。

「この柄を出来る限り正確に覚えてほしい。出来る限りでいい、【暗号貫通】を起動しながら」

「覚えきれないから適当なところで切っていい?」

「それでいい。出来たら言ってくれ」

 待つこと2分、覚えたというより、彼の集中力が音を上げた。

「多分覚えた」

「じゃあ次だ」

 再度アラタを操作して、今度は本棚の前に立たせる。
 元の位置から動かされたそれは、端の方が少し絨毯に噛んでいた。
 アラタを本棚の側面に立たせると、次の指示が出る。

「さっきの模様と似た部分は無いか? 全部の本棚で探してほしい」

「木の本棚で?」

 視線が絨毯に戻り、それから目の前の本棚に戻る。
 赤い絨毯には植物なのか幾何学模様なのか、とにかく木目とは似つかない柄が刻まれている。
 絨毯を見て、本棚を見て、そしてまた絨毯を見て、その繰り返し。
 本棚を切り替えて、向きを変え、ものを変え、少しずつ移動していく。

「わっかんねえなあ」

「どこかにあるはずなんだ。……多分」

「多分って。まだ他の建物も探してないんだし、そろそろ——」

 ふと顔を上げたとき、何となくそれが目に付いた。
 一目ぼれした時のような、目が釘付けになった感触。
 ピースがぴったりとはまり、謎が解けた快感。
 今アラタの脳内では、快楽物質がありえないほど分泌されている。
 それほど、この合致感は確信的だった。

「あった…………」

「どれだ?」

「ここ、絨毯のここと一緒」

 彼の声のトーンや表情からして、嘘を言っているわけではなさそうだ。
 しかし、隣で同じ部分を見てみても、クリスには同じ柄をしているようには見えない。
 本棚の方はそもそも柄と呼べる部分が無いようにすら思える。
 塗装の下に木目が浮かびあがっている場所はいくつかあったが、ここはそうではない。
 しかし、クリスは自分とアラタの感じ方の違いに、光明を見た。
 スキルの有無が、両者の違い。
 なら、スキルに反応があったのかもしれない、ということだ。
 アラタが指さしたのは、入り口から見て左側奥の本棚。
 そこの背板の断面部分だった。
 後ろから接着された板は、側面の一部にまで入り込んでいて、アラタはその部分に違和感を覚えたという。
 彼が指摘した部分に、クリスはそっと手を触れた。

「……おぉ。アタリだな」

「エリはこういうことが好きだったんだ」

 少し寂しそうな横顔でそう言うと、クリスは露になった工作部分に手を触れた。
 背板の断面部分は二重になっていて、それを外すと背板にはわずかな空洞があった。
 指が入らないくらい、下敷きなら余裕で入るくらいの薄いスペース。

「持ち上げてみよう」

 クリスの提案で、本棚を横向きにして中身を取り出そうとする2人。
 せーので持ち上げて、開かれた口が下を向いた時、そこから白くて薄い何かが大量に零れ落ちたのと、アラタの感覚に何かが引っかかったのはほぼ同時だった。

「クリス、緊急事態だ。何かいる」

「全部出してからだ」

「あーもう、分かったから急ぐぞ」

 白くて薄い何かとは、紙だった。
 全部で100枚以上。
 紙の中でも、より正確には手紙。
 全てにしっかりと封がされていて、中身は空けて見ないことには分からない。
 それをクリスが回収している間、アラタは部屋を出て、窓から離れを見た。
 一見何も変化がないようだが、アラタの感覚にはビンビン来ている。
 誰か、何かがいる。
 もし、ユウだったら。
 今の自分で勝てるのか。
 そんな考えが、汗となって額を滑り落ちていく。

 敵討ちこそが、俺の生きる意味。

「クリス、行くぞ」

「待たせた。行こう」

 エリザベスの執務室を後にした2人は、そのまま北側にある離れへと向かって走り出した。
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