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第3章 大公選編
第209話 Hit, Away and Hide(烏鷺相克3)
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プールの水が鼻に入った時のような、得も言われぬ不快感。
リャンはそれを体験している真っ最中だった。
水泳用プールなんてものを見たことも聞いたことも無いリャンには縁のない話だが、多くの日本人は子供の頃にこの経験をしたことがあるだろう。
リャンは胃液の味がする唾液を吐き出しながら、状況把握に努める。
アラタとクリスが戦っていて、その相手は見た事の無い白髪の一般人風の男。
真っ白な髪の毛をしていることからそれなりの年齢に見えないことも無いが、頭髪や眉以外は非常に若々しく映る。
そして、今度は自分の記憶を探ってみる。
河原で煮沸用の水を汲んでいた時に、こう視界がグルンッと回転したような気がして……男の記憶はここで途切れている。
「エリザベス殿、指示を」
リャンは、状況把握を後回しにして動くことにした。
おそらく自分よりこの状態を深く理解しているであろう、自分を解放してくれた人に対して、意見を求めた。
「キィを抱えて脱出します。行けますね?」
「頑張ればなんとか」
「頑張りなさい」
「はい」
とんとん拍子に話がまとまり、リャンは隣で倒れている少年を抱える。
初めはお姫様抱っこ、それがきつかったのでおんぶ、それもなんかしっくりこなかったので、ヤギを抱えるように背中に乗せた。
ファイヤーマンズキャリーと呼ばれる、効率的な方法でだ。
気を失っている分、始めはもたついてしまったが、一度ポジションが固定されればそれなりに安定する。
今はエリザベスが補助を手伝ってくれたこともあり、軽くなら走ることだってできる。
「集合地点4だ!」
「了解!」
敵と撃ち合いながらアラタは集合場所のオーダーを出す。
集合場所4は、ここから南に移動したところにある、未開拓領域直前のベースキャンプのことである。
そして、リャンはまず、未開拓領域を背にして東へと向かった。
直線的に目的地を目指せば、敵に悟られる可能性が高いから。
いくら敵が追跡能力に長けていたとしても、アラタとクリスという2人の猛者を相手に自分たちのことまで捕捉し続けるのは難しい。
そうなればあとは自分の創意工夫次第で何とでもなる、とリャンは移動の痕跡を出来る限り消していく。
「頼りにしているわ」
「他ならぬアラタの頼みですからね。寝ていた分は仕事をしませんと」
こうして3人は、戦線からの離脱に成功した。
※※※※※※※※※※※※※※※
「手ェ痺れた」
「私もだ」
3人の離脱成功直後、両者は一度距離を取った。
アラタたちは明確に距離を取りたがっていたが、多分ユウに明確な理由はない。
このまま攻め続けても良かったが、特にそうする動機もないから。
突然だが、野球やソフトボールにおいて、打撃時に手が痺れることがある。
これはボールとバットのインパクトの衝撃を吸収しきれず、手に衝撃が残る現象を表しているわけだが、これが武器になるとどうなるのか。
答え、バットよりも遥かに痺れやすい。
バットと違って、武器には芯が無い。
日本刀の物打ちのように、攻撃におけるホットスポットはどの武器にも明確に存在する。
しかし、それはあくまでも攻撃の為に優れた部位であり、金属同士を打ち合わせることは別の問題を孕んでいるのだ。
刀剣同士の衝突は常に、芯を外したバッティングと同義、綺麗な受け流しや相応の握力で持って衝撃を相殺しなければ、衝撃で手が痺れたり最悪骨が折れる。
2人の手が痺れてきたということは、衝撃吸収の為に消費していた握力が追いつかなくなり、ユウの攻撃を受けきれなくなってきていることの証明に他ならない。
もう一押しで均衡が崩れる、そんなところまで、たった数分の攻防で状況が変化しつつあった。
並ぶ2名の黒装束、その片方、男の方が前に出た。
片手に剣を持ち、片手を空けておくのは魔術発動の為か、いや違う。
クリスの視線が、少し下に下がった。
後ろ手に隠されたアラタの手が、目まぐるしく動いている。
ハンドサイン、それもかなり高度で情報量の多い類の物。
指示されたアクションは多くあるが、大別すると3つになる。
攻撃、後退、潜伏。
この3種類だ。
あとはあれこれと注文が付き、並大抵の使い手では何が何だか訳が分からなくなってしまうだろう。
これは純粋な戦闘力というより、戦闘IQと呼ぶことが出来るかもしれない。
勉強が出来なくても、プロ野球選手やバレーボール選手、バスケ、アメフト、多くのプロ選手がサインを丸暗記している。
細かいプレーの動きから、球種、コースまで、数える気も起きないくらい多くのサインを彼らは頭の中に収納している。
しかもそれらは1種類ではない。
敵にサインがばれることを防ぐために、常に何通りかの伝え方がある。
英単語一つまともに覚えることのできない人間が、それらを極限の緊張感の中、正しく受け取りそれを実行するのは、偏に競技に対する愛情と、ミスすることに対する恐怖心だろう。
そしてそれは、アラタにも当てはまる話だった。
勉強はからきしな彼が、文字を覚え、サインを覚え、連携を覚えたのは何の為か。
ただひたすらに、エリザベスの為である。
彼女の隣に立ちたいから、見合う男になりたいから、彼は必死にそれを頭に叩き込んだ。
そして、心に刻み込まれたサインは、もはやもう一つの言語そのものと言えるかもしれない。
「了解」
短い返事がクリスから返ってきて、アラタは両手で刀を握る。
アル中の手のように、ブルブルと震える手は、きっと緊張も含んでいるだろう。
だが、疲れているからと言って、危険だからと言って、ここで引くわけにはいかない。
生き残るため、護るため、彼はまだ倒れるわけにはいかないから。
特配課、2番の連携でアラタとクリスは再接近した。
アラタが前衛、クリスがその陰に隠れる。
【気配遮断】と黒装束の効果を発動させるところまでは3番と同じ。
違うのは、攻撃を仕掛ける順番。
真っ直ぐに突っ込むアラタに対して、ユウは剣を合わせる。
間合いに入り、あとは斬るか斬られるかといった世界観で、アラタは左に飛びのいた。
空間的余裕はギリギリもギリギリ、あと少しでバッサリいかれるところだ。
こんな危ない命の架け橋を平然と渡る彼の頭はきっとおかしい。
そして、危ない特攻野郎は1人ではない。
この手の人間は、1人いたら100人いると考えるのが鉄則だ。
2人目、発見。
アラタに合わせて繰り出した攻撃が外れ、そこから半テンポ遅れて間合いに入ったのは体格差の大きいクリス。
タイミングもわずかに違うし、体の大きさが違う分、パワーも異なればウイングスパンも異なる。
当然的の大きさも違ってくるわけだが、ここまで違う物尽くしだと、流石のユウも立て直しを余儀なくされるはず。
そんな計算あっての2番連携。
ついに、念願の、初めての、被弾を拝む。
短剣の鋒が、ユウの左脇腹を捉えた。
「チッ」
小さくともはっきり聞こえる舌打ちは、男の思い通りに事が運んでいないことを意味している。
傷は浅く、ほとんど出血もない。
血が出るにしても、本格的な出血は斬撃からワンテンポ遅れる。
だからまだ彼のダメージを推し量るのは時期尚早だと言わざるを得ない。
しかし、たとえ時期尚早だったとしても、これは記念すべき快挙だった。
クリスの短剣の先には、確かに赤いものが付着している。
そして、クリスが通り過ぎたとき、服の上にシミが出来ていることに、アラタは気づいた。
彼はというと、飛びのいた先でクリスと2人で彼を包囲する形を取っている。
いいとこなしのアラタだが、彼の存在なくして今の攻撃が成功しないことくらい、クリスも十分わかっている。
「流石私。いいセンスだ」
言葉の上ではこんなだが、こいつも本心では分かっているんだよとアラタは考える。
いつもなら口に出してクリスから軽い攻撃が飛んでくるところまでがワンセットだ。
緊急事態の現在では自粛するとしても、案外クリスもノリがいい。
「やるぞ」
「おう」
その言葉を最後に、両者はユウを中心として、背を向けて藪の中に飛び込んだ。
ここは未開拓領域近くの森の中、見晴らしは決して良くない。
風に吹かれて木々が声を上げる。
まるで八咫烏を応援するかのように。
ガサガサと至る所で音が鳴り、どれが人間の動きによるものなのか見当がつかない。
アラタの2個目のアクション、後退、そして3つ目、潜伏が実行されたのだ。
気配遮断と黒装束の効果を使い、その上徐々に陽は傾きつつある。
レイテ村の一件や、ダンジョン内での動きから考察するに、ユウもスキル【暗視】もしくはそれに準じる能力を保持している可能性が高い。
しかし、だからと言って藪の向こうまで見通せる視力を持つとは考えにくい。
「…………ふむぅ」
わざとらしく音を立て、あからさまに誘っている音を、ユウは無視する。
こういう時、必要以上に敵の手に乗るのは下策だ。
相手にどんな思惑があるか読めない上、敵の内1人は何度もボコボコにしている。
いわば、『分からせてやった』相手なのだ。
そんな彼が打ってきた手に、やすやすと乗ることはないと、ユウは判断する。
彼は判断が速く、行動も早い人間だ。
意思決定を下したその瞬間、男の体は弾かれたように飛び出した。
——やっぱりな。
夕闇に紛れて、堂々と直立する影が2つ。
ちゃんと探せば見つかる、しかし探さねば見つからない。
そんな視覚的優位性を持った彼らが、スキルと魔道具まで使っている。
ユウの反応が遅れるのも致し方なかった。
銀色の光が軌跡を描いて交差した。
それはユウの鼻先を掠め、片方は木に突き刺さり、もう片方は草むらの中に消えた。
放たれた2本の矢は、走り出したユウの動きを牽制、彼らの意図を明確にする矢文の役割を果たす。
無視すんな、射殺すぞ。
背中を向けて逃げるようなら、ハリネズミになるまで矢を撃ち続ける。
そういった確固たる意志と、深く濃密な殺意が籠められていた。
矢の軌道からある程度敵の位置を推測したユウは、2か所、目星をつけて辺りを見渡した。
しかし、それらしい影は見つからず、彼のスキルにも反応がない。
移動したな、当然か。
敵のすることながら、彼が少し感心していた時、アラタは木の陰に隠れて息を整えている最中だった。
矢を撃つにはそれなりの集中力と体力と、ついでに魔力を必要とする。
本気になればなるほど、拘れば拘るほど、一射の消費は大きくなる。
まあいーや。
これで計画通り。
戦場に、夜がやってくる。
リャンはそれを体験している真っ最中だった。
水泳用プールなんてものを見たことも聞いたことも無いリャンには縁のない話だが、多くの日本人は子供の頃にこの経験をしたことがあるだろう。
リャンは胃液の味がする唾液を吐き出しながら、状況把握に努める。
アラタとクリスが戦っていて、その相手は見た事の無い白髪の一般人風の男。
真っ白な髪の毛をしていることからそれなりの年齢に見えないことも無いが、頭髪や眉以外は非常に若々しく映る。
そして、今度は自分の記憶を探ってみる。
河原で煮沸用の水を汲んでいた時に、こう視界がグルンッと回転したような気がして……男の記憶はここで途切れている。
「エリザベス殿、指示を」
リャンは、状況把握を後回しにして動くことにした。
おそらく自分よりこの状態を深く理解しているであろう、自分を解放してくれた人に対して、意見を求めた。
「キィを抱えて脱出します。行けますね?」
「頑張ればなんとか」
「頑張りなさい」
「はい」
とんとん拍子に話がまとまり、リャンは隣で倒れている少年を抱える。
初めはお姫様抱っこ、それがきつかったのでおんぶ、それもなんかしっくりこなかったので、ヤギを抱えるように背中に乗せた。
ファイヤーマンズキャリーと呼ばれる、効率的な方法でだ。
気を失っている分、始めはもたついてしまったが、一度ポジションが固定されればそれなりに安定する。
今はエリザベスが補助を手伝ってくれたこともあり、軽くなら走ることだってできる。
「集合地点4だ!」
「了解!」
敵と撃ち合いながらアラタは集合場所のオーダーを出す。
集合場所4は、ここから南に移動したところにある、未開拓領域直前のベースキャンプのことである。
そして、リャンはまず、未開拓領域を背にして東へと向かった。
直線的に目的地を目指せば、敵に悟られる可能性が高いから。
いくら敵が追跡能力に長けていたとしても、アラタとクリスという2人の猛者を相手に自分たちのことまで捕捉し続けるのは難しい。
そうなればあとは自分の創意工夫次第で何とでもなる、とリャンは移動の痕跡を出来る限り消していく。
「頼りにしているわ」
「他ならぬアラタの頼みですからね。寝ていた分は仕事をしませんと」
こうして3人は、戦線からの離脱に成功した。
※※※※※※※※※※※※※※※
「手ェ痺れた」
「私もだ」
3人の離脱成功直後、両者は一度距離を取った。
アラタたちは明確に距離を取りたがっていたが、多分ユウに明確な理由はない。
このまま攻め続けても良かったが、特にそうする動機もないから。
突然だが、野球やソフトボールにおいて、打撃時に手が痺れることがある。
これはボールとバットのインパクトの衝撃を吸収しきれず、手に衝撃が残る現象を表しているわけだが、これが武器になるとどうなるのか。
答え、バットよりも遥かに痺れやすい。
バットと違って、武器には芯が無い。
日本刀の物打ちのように、攻撃におけるホットスポットはどの武器にも明確に存在する。
しかし、それはあくまでも攻撃の為に優れた部位であり、金属同士を打ち合わせることは別の問題を孕んでいるのだ。
刀剣同士の衝突は常に、芯を外したバッティングと同義、綺麗な受け流しや相応の握力で持って衝撃を相殺しなければ、衝撃で手が痺れたり最悪骨が折れる。
2人の手が痺れてきたということは、衝撃吸収の為に消費していた握力が追いつかなくなり、ユウの攻撃を受けきれなくなってきていることの証明に他ならない。
もう一押しで均衡が崩れる、そんなところまで、たった数分の攻防で状況が変化しつつあった。
並ぶ2名の黒装束、その片方、男の方が前に出た。
片手に剣を持ち、片手を空けておくのは魔術発動の為か、いや違う。
クリスの視線が、少し下に下がった。
後ろ手に隠されたアラタの手が、目まぐるしく動いている。
ハンドサイン、それもかなり高度で情報量の多い類の物。
指示されたアクションは多くあるが、大別すると3つになる。
攻撃、後退、潜伏。
この3種類だ。
あとはあれこれと注文が付き、並大抵の使い手では何が何だか訳が分からなくなってしまうだろう。
これは純粋な戦闘力というより、戦闘IQと呼ぶことが出来るかもしれない。
勉強が出来なくても、プロ野球選手やバレーボール選手、バスケ、アメフト、多くのプロ選手がサインを丸暗記している。
細かいプレーの動きから、球種、コースまで、数える気も起きないくらい多くのサインを彼らは頭の中に収納している。
しかもそれらは1種類ではない。
敵にサインがばれることを防ぐために、常に何通りかの伝え方がある。
英単語一つまともに覚えることのできない人間が、それらを極限の緊張感の中、正しく受け取りそれを実行するのは、偏に競技に対する愛情と、ミスすることに対する恐怖心だろう。
そしてそれは、アラタにも当てはまる話だった。
勉強はからきしな彼が、文字を覚え、サインを覚え、連携を覚えたのは何の為か。
ただひたすらに、エリザベスの為である。
彼女の隣に立ちたいから、見合う男になりたいから、彼は必死にそれを頭に叩き込んだ。
そして、心に刻み込まれたサインは、もはやもう一つの言語そのものと言えるかもしれない。
「了解」
短い返事がクリスから返ってきて、アラタは両手で刀を握る。
アル中の手のように、ブルブルと震える手は、きっと緊張も含んでいるだろう。
だが、疲れているからと言って、危険だからと言って、ここで引くわけにはいかない。
生き残るため、護るため、彼はまだ倒れるわけにはいかないから。
特配課、2番の連携でアラタとクリスは再接近した。
アラタが前衛、クリスがその陰に隠れる。
【気配遮断】と黒装束の効果を発動させるところまでは3番と同じ。
違うのは、攻撃を仕掛ける順番。
真っ直ぐに突っ込むアラタに対して、ユウは剣を合わせる。
間合いに入り、あとは斬るか斬られるかといった世界観で、アラタは左に飛びのいた。
空間的余裕はギリギリもギリギリ、あと少しでバッサリいかれるところだ。
こんな危ない命の架け橋を平然と渡る彼の頭はきっとおかしい。
そして、危ない特攻野郎は1人ではない。
この手の人間は、1人いたら100人いると考えるのが鉄則だ。
2人目、発見。
アラタに合わせて繰り出した攻撃が外れ、そこから半テンポ遅れて間合いに入ったのは体格差の大きいクリス。
タイミングもわずかに違うし、体の大きさが違う分、パワーも異なればウイングスパンも異なる。
当然的の大きさも違ってくるわけだが、ここまで違う物尽くしだと、流石のユウも立て直しを余儀なくされるはず。
そんな計算あっての2番連携。
ついに、念願の、初めての、被弾を拝む。
短剣の鋒が、ユウの左脇腹を捉えた。
「チッ」
小さくともはっきり聞こえる舌打ちは、男の思い通りに事が運んでいないことを意味している。
傷は浅く、ほとんど出血もない。
血が出るにしても、本格的な出血は斬撃からワンテンポ遅れる。
だからまだ彼のダメージを推し量るのは時期尚早だと言わざるを得ない。
しかし、たとえ時期尚早だったとしても、これは記念すべき快挙だった。
クリスの短剣の先には、確かに赤いものが付着している。
そして、クリスが通り過ぎたとき、服の上にシミが出来ていることに、アラタは気づいた。
彼はというと、飛びのいた先でクリスと2人で彼を包囲する形を取っている。
いいとこなしのアラタだが、彼の存在なくして今の攻撃が成功しないことくらい、クリスも十分わかっている。
「流石私。いいセンスだ」
言葉の上ではこんなだが、こいつも本心では分かっているんだよとアラタは考える。
いつもなら口に出してクリスから軽い攻撃が飛んでくるところまでがワンセットだ。
緊急事態の現在では自粛するとしても、案外クリスもノリがいい。
「やるぞ」
「おう」
その言葉を最後に、両者はユウを中心として、背を向けて藪の中に飛び込んだ。
ここは未開拓領域近くの森の中、見晴らしは決して良くない。
風に吹かれて木々が声を上げる。
まるで八咫烏を応援するかのように。
ガサガサと至る所で音が鳴り、どれが人間の動きによるものなのか見当がつかない。
アラタの2個目のアクション、後退、そして3つ目、潜伏が実行されたのだ。
気配遮断と黒装束の効果を使い、その上徐々に陽は傾きつつある。
レイテ村の一件や、ダンジョン内での動きから考察するに、ユウもスキル【暗視】もしくはそれに準じる能力を保持している可能性が高い。
しかし、だからと言って藪の向こうまで見通せる視力を持つとは考えにくい。
「…………ふむぅ」
わざとらしく音を立て、あからさまに誘っている音を、ユウは無視する。
こういう時、必要以上に敵の手に乗るのは下策だ。
相手にどんな思惑があるか読めない上、敵の内1人は何度もボコボコにしている。
いわば、『分からせてやった』相手なのだ。
そんな彼が打ってきた手に、やすやすと乗ることはないと、ユウは判断する。
彼は判断が速く、行動も早い人間だ。
意思決定を下したその瞬間、男の体は弾かれたように飛び出した。
——やっぱりな。
夕闇に紛れて、堂々と直立する影が2つ。
ちゃんと探せば見つかる、しかし探さねば見つからない。
そんな視覚的優位性を持った彼らが、スキルと魔道具まで使っている。
ユウの反応が遅れるのも致し方なかった。
銀色の光が軌跡を描いて交差した。
それはユウの鼻先を掠め、片方は木に突き刺さり、もう片方は草むらの中に消えた。
放たれた2本の矢は、走り出したユウの動きを牽制、彼らの意図を明確にする矢文の役割を果たす。
無視すんな、射殺すぞ。
背中を向けて逃げるようなら、ハリネズミになるまで矢を撃ち続ける。
そういった確固たる意志と、深く濃密な殺意が籠められていた。
矢の軌道からある程度敵の位置を推測したユウは、2か所、目星をつけて辺りを見渡した。
しかし、それらしい影は見つからず、彼のスキルにも反応がない。
移動したな、当然か。
敵のすることながら、彼が少し感心していた時、アラタは木の陰に隠れて息を整えている最中だった。
矢を撃つにはそれなりの集中力と体力と、ついでに魔力を必要とする。
本気になればなるほど、拘れば拘るほど、一射の消費は大きくなる。
まあいーや。
これで計画通り。
戦場に、夜がやってくる。
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