半身転生

片山瑛二朗

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第3章 大公選編

第203話 転生の真実

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 アラタ・チバ、本名を千葉新という。
 東京都墨田区生まれ。
 中学校までを地元で過ごし、神奈川県横浜市、私立横浜明応高校にスポーツ推薦で進学。
 夏に2度の甲子園出場を果たし、後に明智大学に進学、今に至る。

 アラタの表向きの素性はこうなるが、実際には少し違う。
 大学進学後、彼は千代田区秋葉原の路上で通り魔に刺され、その際に魂が2つに分裂してしまう。
 魂という物の実在の有無については議論の余地があるが、とにかく彼はこうして異世界にやってきた。
 そこで生活するうちに、彼の中にはいくつもの疑問が生まれて、そして蓄積されて澱のように固まっていく。
 自分は本当に生きているのか。
 この体は自分の物なのか。
 魂とは何なのか。
 ここは本当に異世界なのか。
 ここに住む人間と自分は同じ生物なのか。
 魔力とは何なのか。
 クラスとは何なのか。
 スキルとは何なのか。
 魔物とは何なのか。

 彼はその答えを求め、時に求めることをやめていた。
 本当は知りたかったし、知るべきだと考えている。
 しかし、知れば知らなかった頃の自分には戻れない、あとでやっぱり知らなければよかったと思いたくなかったのだ。
 それに単純に忙しかったというのもある。
 自分探しをするには、彼はいささか面倒ごとに巻き込まれすぎていたから。
 しかし、異世界にやってきて半年以上、もう数ヶ月で1年が経過するという頃、その時は訪れた。

「私に答えられることなら」

 そう言った彼女の顔を、目を見た瞬間、彼は確信した。
 この人は、自分の知りたいことを知っていると。
 話してくれると、教えてくれるのだと、そう感じた。
 パンドラの箱を自ら開ける行為には違いない。
 そこには伝承と同じく、掛け値なしの絶望が封じられているのかもしれない。
 しかし、彼はそれを望んだ。
 そうなることを望んだ。

「エリー、君の本当の名前を、日本人の名前を教えてくれ」

 彼の優先順位はいつだって、他人の後に自分である。
 エリザベスは、一度アラタから視線を逸らした。
 引き返せないことを、彼女はもう知っているから。

「頼む。教えてくれ」

 鍵が…………開いた。

「私の名前は清水遥香。清い水で清水に、遥かな香りで遥香」

 クリスも呼んでやるべきだったか、そう考えているアラタは、自分が存外ショックを受けていないことに驚いた。
 もっとこう、『何ぃ!?』とか、『何だってぇ!?』というリアクションを取るだろうと、自分自身が想像していたから。
 あぁ、そう、といった反応しか返せないくらい低い自分の感情の揺らぎに、そっちにこそ驚いた。
 クリスと2人で仮説を立てていて、かなり信憑性の高い仮説だったからこそ、仰天することは無かったのだろう。
 しかし、まさか幼馴染が先に転生しているなんて、これはどんな確率だ? そう思うのが普通だろう。

「…………そっか」

 アラタの反応はたったこれだけ。
 ほぼ無反応に近い。
 自分から聞いたのだから、もっと他に言い返しが出来ないものかと言いたくなるが、これが彼の素のリアクションだ。

「じゃあ、エリーは異世界転生したの?」

「えぇ、そうよ。質問が重複しているわ」

「ごめん」

 訂正。

 やはり彼は、かなり驚いている。
 少なくとも、転生した事実を今聞いたところなのに、彼女に対して異世界転生の有無を問うくらいには気が動転していた。
 アラタはどうリアクションをしたらいいか、次にどんなことを聞けばいいか分からなくなる。
 知りたいことを知ることが出来た。
 だが、それを知ったところでどうにもならない、何も変わらない。
 彼は、この質問をするべきではなかったと思った。
 何も変わらないなら、知っても知らなくても変わらないなら、こんなことを聞くべきではなかったと、そう思った。
 この事実を彼女の口から直接聞いたことで、2人の距離が少し開いてしまった気がしたから。
 微風に煽られる炎が2人を温める。
 体の正面が温かくて、反対に後ろ側が冷たい。
 それはまるで、知りたいことを知ることが出来たという達成感と、それをもってしても埋まらない空虚な感情が同居している今のアラタそのものだった。

「ねえ」

「うん?」

「次は私が聞いてもいい?」

「どうぞ」

「アラタは、なんで異世界にやって来たの」

 なぜ、この世界にやって来たのか。
 それは彼こそ知りたいことだ。
 いや、そもそもなぜ来たのかと問われれば、それは魂が半分になったからだと答える以外にない。
 だって、魂が半分になると、2つの同じ魂は同じ世界に同居できないから。
 そう、あの神を自称するあいつに言われたから。
 アラタは、そのまま答えた。
 刺されて魂が半分になったからだと。

「……そう」

 それを聞いたエリザベスはとても悲しそうだった。
 シンプルでありきたりな表現だが、悲しそうだった。
 アラタはその場を離れると、彼女の隣に腰を下ろす。
 それらしいことを一度もしてやれたことは無いが、自分はこの人の恋人なのだという自負が、彼を駆り立てた。

「俺が隣にいるから。いつでも隣にいるから、だから言えないことは言わなくていい」

「…………ううん、今話すわ」

 アラタにとって、彼女の声色は聞いていて心地よい。
 その内容が何であっても、透き通るような声は彼の心を癒すのだ。
 だから、何を言われても、別れ話以外なら耐えられる、そう思っている。
 そして、彼女の視点から見た、千葉新転生の真実が語られることになる。

「アラタがこっちに来たのはね、私のせいなの」

「うん? エリーが俺を呼んだの?」

 酷く申し訳なさそうにするエリザベスの言葉に、アラタは矛盾を覚えた。
 当然そんなわけはなく、首を振る。

「だよね」

 辻褄が合わないのだ。
 アラタとクリスの調べでは、清水遥香が転生したのは3,4歳の頃。
 そして、その頃千葉新と清水遥香に接点はない。
 事故で両親を失い、祖父母の元に引き取られて彼の家の近くに越してきたのが出会いだから。
 つまり、それ以外に理由がある。

「何でエリーのせいだと思うの?」

「……キャスティング、だと思うの」

「キャスティングとは?」

「ほら、映画とかで配役を決めるでしょ。あれと同じ、私という物語にアラタが必要だと考えたあいつが、アラタをここに連れてきたの」

 あいつという人物に、アラタはピンときた。

「神様?」

 また無言で頷いた。
 あれこれ聞いていくうちに、また彼の中で疑問が生まれる。
 だと思うと言いつつ、キャスティングという妙に具体的な用語。
 彼に限らず言えることだが、こういった細かい違和感は見過ごさない方が賢明だ。
 虫の知らせということもある、気がかりなら潰しておくべきである。

「エリーは神と会ったことがあるの?」

 アラタは転生時に1回、死んでエクストラスキルを得たときに1回、合計2回奴と面会している。
 そんなとき、なぜ転生したのかについて、魂の分裂以上の説明は無かった。
 もしもまだ開示されていない条件や理由があるのなら、エリザベスから聞けるだけ聞いておきたいと思うのが本音だ。
 エリザベスの細く、しなやかで、白い指が3本、立てられた。

「3回、会ったの。事故に遭った時、物心ついた時、それから去年の8月頃」

 8月下旬、甲子園、それを秋葉原のテレビ売り場で見ていた男。
 そして、その後に起こった事件。
 彼の中で、整合性が取れた。

「8月の時、なんて言われた?」

「もうすぐクライマックスだねって。それで……」

 枯れ木を火にくべて、火加減を調節したアラタは、手に持っていた棒を投げ入れた。
 ぱちぱちと木の裂ける音は、揺らめく光と相まってリラックス効果があるかもしれない。
 ふと隣を見ると、彼女の眼からは紅涙が流れていた。

「エリー? 大丈夫?」

 優しく声をかけるが、しまったと思った。
 こんな時、優しくされる方が辛かったり、涙が止まらないこともある、ということを彼は知っている。
 すすり泣く彼女を見て、アラタはおろおろ、おたおたしてしまう。
 これは不可避の事態だろうと、どうやったら正解だったのかと、答えのない問題にぶち当たった男は右往左往する。
 とりあえず手を握って、落ち着くのを待つことにした。
 これは流石に外さないだろうと、そう考えたアラタだったが、どうやら不正解の悪手だったみたいだ。

「ごめんね。私のせいで、ごめんね。苦しい思いさせて、ごめんね」

「どどど、どどど、どういう……意味?」

 泥沼に嵌ったフォローミスに、アラタはこれでもかというほど動揺した。
 出来る限り穏便に、落ち着くように行動選択をしたはずなのに、結果はこのざま。
 おかしいなと首をひねりつつ、女心は難しいと諦めて相手の流れに身を任せることにした。
 しかし、そのあと彼女の口から語られた内容は、彼一人では到底受け止め切れるようなものでは無い、明らかに一個人の身に余るほど巨大で、醜悪で、劣悪で、衆愚なものだった。

「私は、この世界が嫌いだった」

 そう切り出した彼女の眼には、まだ涙が溜まっている。
 そして時折それは流れ落ち、口元を通って地面に落ちていく。

「悪戯も、意地悪も、仲間外れも、ありったけのことをされた。そんな私がレイフォード家の当主になったとたんに、周りは私を持ち上げたの」

 彼女にそんな過去があったのだと、憤る自分と、それくらいなら別にない話ではないと冷静な自分が彼の中に同居している。
 酷く冷たいと思われるかもしれないが、彼自身そういう目に遭ったこともあるし、自覚は無いがそういったことに加担してしまったかもしれないことはある。
 アラタという人間は、いじめが階層的に行われていることを知っているから。
 最上層と最下層以外は、いじめいじめられを繰り返していることを知っている。
 自分もそんな愚かな生物の仲間であることを、彼はとうに知っている。
 そのうえで、アラタは話を聞き続ける。

「私は世界を恨んだ。この国を、この国に生きる人間全員、死んでしまえばいいと思った。だから、ウル帝国と手を組んだの」

「うん、そうだね」

「計画は大詰め、あとは大公選本番になれば勝てる。そんな時だったわ。あなたがこの世界にやって来たのは」

「それで、オークション会場に来たの?」

 以前、フレディ・フリードマンという貴族を捕まえるために自ら潜入した人身売買オークション。
 そこで、2人はこの世界で初めて出会った。

「もうわかっているでしょ。私は競りを潰しに行ったんじゃなくて、参加者だったのよ。冒険者の突入があると早めに分かったから立場を切り替えただけ」

 また一つ、謎が明らかになった。
 あれほどの規模で開催されていたオークション掃討戦で、捕縛者や死亡者が少なかった理由。
 誰かが漏らした情報により、ギリギリで裏切る参加者が続出、何も知らない間抜けだけが泥をかぶったという真実だ。
 分かってしまえばなんてことない、とても1時間持ちそうにないチープな種だった。
 分かったことと言えば、エリザベスが真っ黒な人間だということくらい。

「この世界であなたに出会って、世界が変わったわ。今まで散々やって来たっていうのに、今更になって普通の女になりたいなんて、虫が良すぎたの」

 再び涙腺は決壊し、特大の涙が零れ落ちていく。

「どうにかならないか必死に足掻いたわ。どうにかして大公選から降りることが出来ないか、貴族から降りることが出来ないかってね。でも……私には無理だった。私の行動は、もう私一人の意思じゃ決められなかった」

「それでわざわざばれるように取引を増やしたの?」

 泣きながら頷く彼女を見て、今までの快進撃のからくりが分かった気がした。
 要は八百長だったのだ。
 本人が気付いているか知らないが、シャノン・クレストが勝てるように、敵であるはずのエリザベスから働きかけがあったのだ。
 それを何も知らない八咫烏たちはせっせと証拠集めに奔走し、用意された証拠を持ってカナンに戻ってきた。
 今彼の隣で泣いている彼女がその気なら、今頃カナンには帝国軍が入っていたかもしれないのだ。
 初め彼女はそれを、公国の滅亡を望み、そしてアラタと出会い、公国の延命を望んだ。
 全てはエリザベスの意思一つ。
 国の脆さを、垣間見た。

「私、やっぱりアトラに戻る」

 彼女がそう言いだすのに、さほど時間はかからなかった。

「向こうは他の貴族がうまくやるって。気にしなくていいよ」

「でも、私の犯した罪は消えない」

「まぁ、そうだけど…………」

 どうしたものかと、アラタは左手を見つめる。
 この手も清潔ではない。
 幾度となく血に濡れ、命を奪ってきた忌むべき手。
 それでも、そのうちの片方はエリザベスの手を握っている。
 こんな汚れた手でも、何かを握って怒られないのなら、嫌がられないのなら、男は左手を動かした。

「俺、遥香と付き合ってたんだ」

「聞いたよ」

「でも、エリーがその……キスしてくれた時、重ねるのはやめようって、そう決めたんだ」

「それも聞いたよ」

「なら分かるでしょ。俺がエリーのことめっちゃ好きってことくらい、何してても関係なく、好きなんだってことくらい」

「近いよ。それにそんな言葉、恥ずかしいわ」

「でも嫌じゃないでしょ?」

 少し時間をおいて、今度も彼女は頷いた。
 アラタは満足げに笑うと、左手でエリザベスの黒髪を撫でる。

「何回でも言うよ。エリーのことが好きだ。だから、どれだけ多くの人から恨まれても、疎まれても、俺だけはエリーのことを愛してる」

「……引き返せなくなっても、知らないんだからね」

 半年ぶりの口づけ。
 遠距離恋愛もここまでくると、見上げたものである。
 距離的にはさほど遠くで暮らしていたわけでもないのに、この久々感。
 それほど、両者の間には障害があった。
 身分も、能力も、役割も、周りも、ありとあらゆる環境がそれを邪魔していた。
 でも、垣根は全て消えた。
 もう、2人を邪魔するものは何もない。
 焚火の炎に照らされる影が一つに重なり合ってしばらく経つが、まだ影は別れない。
 このまま永遠に1つになってしまったのかと疑うほどに、それは長かった。

「アラタ、いつまで、するの?」

「エリーが満足するまで」

「それ、んっ、やめるつもり……ないでしょっ」

「ばれたか。痛っ!」

 蜂蜜のように甘い空気を切り裂いたのは、鉄の如き拳骨げんこつ
 アラタに対してそんなことが出来る人間と言えば限られてくるわけであって。

「長い」

「クリス、おま……リャンとキィも」

 どうやら途中から一般公開されていたみたいで、クリスは魚を手にしたまま戻る機会を失い、リャンはキィの眼を隠している。

「その、こういったのは教育的にまだ早いかと」

「いや、これこそ子供に必要な……分かったよ、もうおしまい!」

「さっさと夕食にするぞ。準備しろ」

 ぶつぶつ文句を言いながら、名残惜しそうに食事の準備をするアラタの背中を見て、エリザベスは口に残る余韻を堪能していた。
 そして、そこに僅かながら血の味が滲んでいることにも、彼女はきっと気づいていた。
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