半身転生

片山瑛二朗

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第3章 大公選編

第177話 果てしなく高い壁

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 一撃、剣を刀で受けた。
 たったそれだけで、俺の手はしびれて動かなくなった。

 これは推測、というより予想だが、もしもアラタの武器が普通の物だったら。
 もし、神に渡された規格外の逸品ではなかったら。
 剣聖の攻撃をまともに受けた時点で、刀は真っ二つに裂け、彼の体ごと粉々になっていただろう。
 そしてそれはそれだけの力が発散されたことを意味する。
 では、刀が折れず、攻撃を防いだ場合、その力はどこへ向かうのか。
 それは当然、壊れるはずだったものだろう。
 壊れるはずの刀を持ち、壊されるはずの身体の持ち主。
 つまりアラタの身体には、文字通り身に余るほどの過負荷がかかっていた。

 ……こいつ、ただの工作員ではないな。

 追撃をかわすために、クリスが牽制し、その間にアラタは距離を取る。
 剣聖を受け持っただけで、彼らもキングストン商会の敷地内に逃げ込めば勝ちなのだ。
 馬鹿正直に戦う必要などどこにもない。

 ——土棘を使え。

 ——いや、さっきから使ってるんだけど効果が消えてる。

 ——本物の剣聖か。

 意思疎通を相手に悟られないこのスキルは非常に有用だが、相手に脅威度はそれを上回る。
 土棘、敵の足元からの石弾、遠隔起動の結界術。
 先ほどからアラタは何度もそれらを試みているが、今のところ一度もうまくいっていない。
 理由は彼らの推察通り、剣聖の能力によるもの。
 【剣聖の間合い】、その効果だ。
 魔術、結界術、スキル、クラス、それらすべての効果を減衰させるという固有の能力。
 ノエルのそれは多少の動きづらさを生み、戦いを有利に運ぶためのものでしかないが、完成された剣聖は違う。
 彼にとってこの能力は、戦いを純粋な斬り合いへと強制的に昇華させる。
 魔術の効率的な無効化、スキル効果の減衰、果てにはクラスの力まで抑え込む。
 つまり、先ほど一撃受けたアラタは、【身体強化】なしでその力を浴びたに等しい。
 近接戦闘においては勇者をも上回るクラス、それが剣聖だ。

 ——1人でどれくらい耐えられる?

 ——敵の斬撃2回。

 ——ぶっ放す。5秒抑えろ。

 相手との距離、約10メートル。
 アラタのバックステップと共に、クリスが突っ込む。
 剣聖の絶対領域の中へと、盗賊が挑んだ。
 手には短剣をそれぞれ持ち、指にはビー玉くらいの何かを持っている。
 剣聖は待ち構え、両者の距離が5メートルになった時、クリスは右手を振った。
 斬るにはまだ距離が遠い。
 もう一歩踏み込んでようやく届くかどうか、そう考えるとこの動作は剣を振りかぶったようにも見える。
 石材で舗装された道に、空の薬莢が落ちたような音が響いた。
 剣聖の視線がほんの一瞬そちらに移る。
 だが暗くてよく見えない、彼は【暗視】を持っていないから。
 彼の視線はすぐに元に戻り、その間クリスの距離はほとんど縮まっていない。
 それほど刹那の時間、たった少しの時間、剣を振りかぶったクリスの攻撃が先に入る。
 まず初撃、クリスの身体は左側に半身はんみになっていて、右手の攻撃が振り抜かれた。
 これは外れる。
 姿勢を低くして避けた剣聖は大剣を斬り上げるように振る。
 これを捌かなくてはクリスの胴体は真っ二つになってしまう。

 これはっ……! くっ……そ……ぉ。

 命を懸けたポールダンス。
 ただし、何を使ってもいい。
 剣を使ってポールならぬ大剣の軌道を変えてもいい。
 異常なしなやかさを見せたクリスの肢体は、ぐんにゃりと曲がって何とか剣聖の攻撃を受け流した。
 まともに受ければ待っているのは死。
 アラタと剣聖の攻防を見て、そう考えていた。
 このたった一合の打ち合いで、左手に握る短剣は曲がり、使い物にならなくなる。
 そして、受け流したとは言っても彼にとっては一連の動きの最中。
 斬り上げれば、当然斬り下ろしが待っている。
 完璧なまでに無防備な姿をさらし、転ばないようにバランスを取ることしかできないクリス。
 彼女に凶刃が迫った。
 まだ、5秒経っていない。

「おらぁ!」

 街灯に照らされていたクリスの姿が陰る。
 つまり、光源と対象の間に光線を遮る何かが配置されたということだ。
 彼女の上を飛び越え、繰り出された突き。
 一刻も早く届けと念を込められたそれは、差し出されるように右手で繰り出されている。
 アラタと剣聖オーウェン・ブラック、両者の間に再び火花散る。
 攻撃をキャンセルして刺突を防御する。
 剣を縦向きに構え、自分の外側にアラタの刀の鋒が向かう。
 左手でも柄を握り、そのまま鍔迫り合いを挑むアラタ。
 共に大柄な体型。
 しかし、より偉丈夫なのは剣聖のようだ。
 クリスが下がり、逆に距離を詰めすぎてしまったアラタは、スキルも魔術も碌に使えない。
 先ほどまであれほど克明に映っていた夜の街も、【暗視】を持っていないオーウェンと同じようにしか見えない。
 剣聖はクラスの補助に加え、身体強化までかけているのに、アラタはそれが使えない。
 結果形勢はみるみるうちに悪くなり、今にもし斬られんばかり。

「お前のような使い手がそう何人もいるとは思えん。これで終いだ」

「だったらさっさとそうしてみろや!」

「なっ!」

 暗闇に石の礫が舞う。
 自傷も厭わない数、角度の攻撃に、剣聖は不意を突かれた。
 しかしそれでも剣聖、躱し、撃ち落とし、彼の身体にはただの一発も攻撃は掠りすらしない。
 その一瞬、剣圧の緩んだ隙にアラタは窮地を脱した。
 その場から飛びのき、いくつか自分の攻撃を貰ってしまったが骨に異常はない。
 両者に距離が空き、アラタは仮面を取る。
 この相手に隠密効果は効きが弱く、顔を晒したところで今更だ。

「効果半径を知っていたのか?」

 ポーチから瓶を取り出し、一気飲みすると、空になったそれをポーチに仕舞う。

「剣聖は口数が多いな」

「……気をつけるとしよう」

 スキルを再起動させ、魔力を練り続けるアラタだが、いよいよ限界が近い。
 今までの任務に比べれば、この戦闘は1ラウンドにも満たない程度の短時間。
 それでもポーションを摂取するほど、彼は疲労していた。
 先ほどの石弾も、通常であれば100発弱使える量の魔力を注ぎ込んでいる。
 それであの威力、あの数なのだ、剣聖の間合いは伊達ではない。
 ノエルとの付き合いや、この戦闘でスキルの効果が消えた自分と剣聖の相対的な位置取り。
 それらからはじき出した剣聖の能力の効果半径は約8メートル。
 その範囲内では魔力は弱まり、魔術を起動しようとするとそれはそれで妨害される。
 10メートルの位置で魔力を地面に流し込み、術式を待機させる。
 それだけで十分神業だが、それでは剣聖には届かない。
 剣聖の間合いに入りながら、ギリギリまで弱められた魔力で魔術を遠隔起動する。
 外部からの物理攻撃は剣聖の能力対象外。
 これがアラタの考えだ。

 ——クリス、弓。

 ——無い。

 ——だよね。

 状況的に、剣聖の間合いの外側から擂り潰すのが最適解であることは分かる。
 ただ、それが簡単にできるのなら剣聖のクラスは尊敬の対象足り得ない。

 ——もう一度私が引き受ける。お前はその隙に魔術を放て。

 ——今度は4秒あれば十分だ。

 アラタは下がり、クリスはステイ。
 剣聖が距離を詰める。
 その巨体でどうしてそんなに速いのか不思議だが、短距離限定ではこのくらい余裕なのかも、とアラタは見た。
 倍くらい体重が違いそうな両者は、互いに剣を振りかぶる。
 ギィンッ、とこれまた嫌な音が鳴った。
 粗い金属面同士を擦り合わせたような、黒板を爪で引っ掻く音に通ずる嫌悪感だ。
 剣聖の大剣には変化なし。
 クリスの短剣は、先の方が折れている。
 一度まともに打ち合っただけでこれ。
 クリスのメイン武器はこれで2つとも損壊、予備は短剣よりもさらに短いナイフのみ。
 後ろ腰から短剣を逆手に引き抜くと、それを顔の前で構える。
 右手は柄に添えられ、折れた短剣は地面に捨てられた。

 03:89

 ——よくやった。

 炎槍!

 煌々と燃える紅蓮の槍が地面と水平に放たれた。
 ロケット花火を横向きに打ち出したように高速で飛翔する魔術は、クリスと剣聖の方向へと一直線に飛んでいく。
 【以心伝心】のタイムラグは人間が感じることはほぼない。
 背面から飛んでくる魔術に対し、クリスは綺麗に躱した。
 そして彼女が死角となり、剣聖に炎槍が迫る。
 魔術効果の減衰は今のところなし。
 これは刺さる、アラタはそう確信した。

「惜しかったな」

「魔力の斬撃…………」

 この戦闘でまだ一度も使っていなかった攻撃。
 マリーナ闘技場で見せていた、魔力で実現した『飛ぶ斬撃』。
 威力は最低でも人間を切り裂く程。
 上限は分からない。
 だが、今最低ラインは更新された。
 人体を切り裂く程にとどまらず、高威力高難易度魔術、炎槍を相殺するほど。
 向こう側にいるクリスやアラタに何もないことを見ると、魔術を相殺してその上彼らを倒すには至っていない。
 しかし、クリスは剣聖の間合いの中だ。

 145km/h。
 一般的に、この球速を投げる高校生や大学生は速球派、剛腕に分類される。
 野球の練習をしていないマイナス。
 身体強化によるプラス。
 それらが合わさって、最速156km/hのアラタの身体から放たれた。
 街灯では野球はできない。
 暗闇でのボールの視認能力は著しく低下し、プレーに支障をきたす。
 一度目、剣聖は反応できなかった。
 身体強化があっても、暗視がなければ意味がない。

 ——あと少し、もう見えてる。

 ——クリスは先に逃げ込め。俺がもう一撃入れて時間を稼ぐ。

 第2球、投げた。
 今度は先ほどより遅い。
 コントロールミスで外れた先ほどに対して、少し置きに来たのだろうか。
 否、そうではない。
 精密に造形された石弾は特殊な回転を描いている。
 魔球、カーブ。
 変化球の歴史でも特に古くから使われ、今に至るまで基本として扱われている。
 アラタから見て、剣聖の右上に向かってスローイングされた球は、ギリギリでブレーキをかけたように減速、潜り込むように変化する。
 頭部死球で病院送り。
 今度こそ、そう思いながらアラタは剣聖を背に走り出していた。

 これを使うのは恥だな。

「……天地てんち…………裂断れつだん!」

 真上から振り下ろされた一撃は、アラタの放った石弾を掠っただけで消し飛ばし、土砂崩れのような音を立てながら2人に迫った。

 ——アラタ!

 ——分かっている!

 刀を頭の上で斬撃に対して垂直に構える。
 これで受ければ理論上問題ない。
 問題なのは、身体が負荷に耐えられるのか、受けきれるのかだ。
 通常の剣の攻撃範囲を遥かに超えた攻撃。
 間違いなく魔力を飛ばして斬撃を拡張している。
 【剣聖の間合い】の範囲外、スキルはフル稼働している。
 極限の集中状態の中、スローモーションのように攻撃を視るアラタ。
 攻撃が刀に到達し、抵抗感を感じた。
 その次のフレームで、アラタが手に感じたものは、山だった。
 およそ人類の出せる力ではない運動エネルギー、それが天地裂断てんちれつだんと唱えた剣聖によって放たれた。
 その攻撃に耐える刀も大概だが、持ち主はそうもいかない。
 右手は負け、左手にはピキッと音が鳴る。
 最低でもヒビは入っているだろう。
 そんな状態で攻撃を防ぎきれるはずもなく……

「仕留め損なったか」

 粉塵が晴れると、アラタの身体はキングストン商会の敷地内にあった。
 数十メートル吹き飛ばされたことになり、彼の身体が心配だ。
 先に到着していたクリスはアラタの前に立ち、剣聖と対峙する。

「今日はここまでか」

「…………ぁ」

 乾いた口から出たのは、その単音だけだった。
 大剣を担いでその場を後にする剣聖。
 クリスはただ、その姿を安全圏から見送ることしかできなかった。
 その背後には、正面玄関の扉にもたれかかるようにして倒れている男。
 刀は扉に深々と突き刺さり、足を伸ばして座るようにうな垂れているアラタの意識は喪失している。
 左の肩口からは血が流れ、黒装束を濡らしていた。
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