90 / 544
第3章 大公選編
第87話 重ねる想い
しおりを挟む
「おはようエリザベス! 今日も授業の見学?」
「おはよう。そうなの、大公選で忙しい時期だけど外せない仕事ってあるのよね」
エリザベスは寝不足なのかやや眠そうで、身だしなみを整えて誤魔化しているのかもしれないがアラタからすれば少しやつれているのでは? そんな風に見える。
大公選は授業でやったな。
確か今の大公が退位するから新しい人を選ぶって話だった気が……多分合ってるだろ。
「その、俺に手伝えることある? 大変そうに見えるから」
何気ない提案だったが、彼女からすれば嬉しいのか面白かったのか、とにかく笑っていて、そんな彼女の顔を見てアラタも嬉しかった。
「ふふっ、ありがとう。アラタさんは優しいのね」
「よく言われます」
「そうね……じゃあお言葉に甘えて、少しお手伝いをお願いしちゃおうかしら」
エリザベスの頼み事は全然少しではなかった。
体力には自信のあるアラタがへとへとになるくらいの仕事を彼女は振り分け、ヒイヒイ言っているアラタの隣でそれ以上の量の作業を捌き、それでいて『今日はアラタさんが手伝ってくれたから早く終わったわ』なんて言うものだから、公爵の仕事はなんてブラックなんだとアラタに固定観念を植え付けるのには十分すぎた。
彼に割り振られた仕事は主に書類の運搬、関係各所がエリザベスに宛てた書類に対する彼女の返答を送り、学園内の者なら自ら赴き返事を伝え、レイフォード家に関係のある者は執事らしき格好をした初老の男性に直接まとめて手渡した。
学校の内外を走り回り、彼女の手となり足となり奔走したアラタは下手なクエストを完了した後よりへとへとだったが、エリザベスの顔を見るとそんな疲れも吹き飛ぶというものだ。
「アラタさんがいてよかった。今日は本当に助かったわ、ありがとう」
なんて言われてしまうのだ、これがあればアラタは何日でも働くことが出来る。
それくらいアラタはエリザベスに対して特別な想いを抱いていたし、それ以上に恐ろしく仕事のできる彼女を尊敬の目で見ていたというのもある。
とにかくこの人の力になりたい、そんな思いを胸にアラタの一日は終了した。
「これ、今日のお礼。持って行ってみんなで食べて」
手渡されたのは木の箱、しかし残暑の厳しいこの季節にはありえないくらいの温度、これは――
「保冷バッグ!?」
「あら、物知りね。新鮮なお魚さんです。お醤油も入れておいたからまたお刺身が食べられるの」
「何で、いや、こんな高いものもらえませんよ!」
「いいの。アラタさんったらすごくおいしそうに食べるんですもの。それじゃあまた」
「あ、はい。お疲れ様でした」
アラタは学校の彼女の部屋から退出し、廊下を歩いて行く。
レイフォード家の執事とすれ違い会釈を交わし、建物の外に出ると日は落ち、まだ少し明るさを保っているもののすっかり夜になっていた。
恐らく彼女はまだやることがあるのだろう、アラタのいる場所からでは見ることが出来ないが、今日手伝っただけでエリザベスと言う女性がどんな人なのか感じることが出来た。
『アラタさんがいてよかった。今日は本当に助かったわ、ありがとう』
あの人以外にありがとうなんて言われたのはいつのことだろう。
そういやつい最近レオナルド君を助けて言われたな。
でも、うちの連中ときたら……やめよう、それは良くない。
別に感謝されたいからやっているわけじゃない、それは変だ。
アラタが屋敷に帰宅すると、台所から夕食の匂いが漂ってきて鼻腔を満たす。
自分がやらなくても誰か違う人が料理をしてくれるというのは彼にとっては極めて新鮮で、それでいてありがたい話だった。
「ただいま、シル」
「おかえりなさい。それは何ですか?」
シルは子供の見た目をしており、そのせいで厨房に立つには背が足りない。
そんな子が台の上に足を置いて自分たちの夕食を作ってくれている姿を見れば、世のお父さん方は涙してしまうだろう。
調理風景はともかくとして、アラタから知識と技術をある程度受け継いでいるシルの作る料理はしっかりと美味しく、手際も良かった。
「これも頼めるか?」
「アラタ様、これは何ですか?」
魚に関する知識もあるはず、そう思っていたアラタはあれ? と思ったがいい機会だとシルの隣に立ち魚の捌き方や調理方法を教える。
家事に関することであれば何でもかんでも興味津々のようで、アラタが文字を習うよりシルが家事を習おうとする姿勢の方が前のめりだ。
一通りの手順を終え、人数分の料理が完成したところで配膳に移る。
「シル、ありがとうな」
「シルを生んだのはアラタ様ですよ?」
「だから俺のおかげ? シルキーは変な考え方をするんだな。後アラタ様はやめてくれ、アラタでいいよ」
「アラタさ、アラタは優しい、いい人、だから好き」
「あはは、褒めすぎだよ。でもありがとう」
ノエルとリーゼは今日、冒険者ではなく貴族としての用事があったようで夕食が完成した頃には既に入浴を終えていた。
目の前のご馳走に眼を輝かせながらパクパクと食べていく姿を見て、アラタは別に感謝を言葉で伝える必要なんてないじゃないかと思った。
目は口ほどにものを言う、口にしなくても分かることもあるからだ。
「アラタ、生の魚なんて珍味、高かったんじゃないか?」
「ああ、それな。エリザベスがくれたんだ、今日ちょっと一緒でね」
「エリザベス?」
「そういやこの前頼まれたの忘れてた。なんか仲良くしたいからよろしくって、こっちは歩み寄る用意があるとかなんとか」
「…………ご馳走様」
空気が変わった。
まだ料理は残っているというのにノエルは席を立つ。
「おい、まだ残って」
「いらない。アラタが食べれば」
「は? 意味わかんねえよ、急にどうした」
「…………裏切り者」
「ちょっとノエル、その言い方ではアラタも分かりませんよ。それにアラタにそんなつもりがあるわけが――」
エリザベスの名前を出した途端に雲行きが怪しくなった食卓、突然不機嫌になったノエル、それを嗜めるリーゼ、意味不明だがあまり気持ちの良くないアラタ、この空気感が何を意味するのかまだ分からない生後数日のシル。
「私の父上は大公選の候補者だ」
「は? だからなんで……あぁ、仲良くするなって言いたいのか?」
事情を察したアラタは少しイラっとする。
釘を刺されたと思い、僅かに圧がこもった声で聞き返すと、ノエルはそれを肯定した。
「そうだ。学校も辞めるんだ、文字なら私が教えるから」
「意味不明。俺が誰と仲良くしたって関係ないだろ」
せっかくの貰い物を、せっかく2人で調理したものを、気に入らない人からの贈り物だったからと言う理由で要らないと言い放ったノエルに対するアラタの心象は最悪だったし、日頃のストレスも相まって我儘な年下の少女はエリザベスと対照的に映った。
だがそれはいつもの事、それくらいで怒るアラタではないし、相手も明日になれば忘れるだろうとスルーすることにした。
「食べないならそれでいいよ。ただ、食べ物だってタダじゃない、食べずに捨てるなんて論外だからな」
それくらいの注意で済ませる、アラタはそのつもりだった。
「アラタだって、私たちの仲間なのにあいつと仲良くするなんてありえない」
「だから知らねえって。いい加減にしろよ、しつけえな」
「アラタに生き方を教えたのは私たちだ、あの女ではない。それにアラタは私たちに借りがあるはずだ」
「だから?」
「だから…………だから……」
それくらい彼も理解している。
ノエルが守ってくれなければ、リーゼが治療してくれなければアラタは既に何回か死んでいる。
だが、それを恩着せがましく言ってほしくなかったし、人の弱みにつけ込んで言うことを聞かせようとするノエルが酷く子供に見えた。
「はっ、だからなんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」
「ノエル、もうやめてください。今のはノエルが悪いです」
リーゼも止めに入り、ギスギスとした状況に変わりはないが、取り敢えずその場はそれで収まった。
言い方がアレなだけで、ノエルの言うことも全くの筋違いという訳ではなく、そしてアラタからすれば要領を得ない発言であり、神経を逆撫でされる話であっただけだ。
食事を片付け、風呂に入ろうと廊下を歩いていたアラタの前にノエルが立っている。
謝ろうとしているのかな、何か教えてくれるのかな、そう言った期待をアラタはした。
そしてそれなら自分も少し大人げなかったと謝ろうと、そう決めた。
しかしそんなに簡単に話が進むのなら人が争ったりすることは無い。
「アラタ」
「なに?」
「前に言っていたな、元の世界に帰りたいと、元の世界には恋人がいると」
「あ、あぁ。まあ、そうだな」
何の話だ?
「アラタはレイフォードに対して特別な気持ちを持っている、違うか?」
「……持っていたら? ダメなのか?」
「ダメだ」
彼とて一人の人間、キャパシティと言うものは存在する。
「さっきからうるせえな。なんでお前に指図されなきゃいけねえんだよ。なんだよ、エリザベスと仲良くしたっていいだろ」
「アラタは恋人の姿を重ねているだけだ、レイフォードそのものが好きなわけじゃない」
「てめえに何が分かるんだよ。ダメなのかよ」
「ダメだ」
「はぁ? …………お前」
彼女を見ていると在りし日の思い出がよみがえってくる。
幼き日の思い出が、再会した後の思い出が。
何気ない日常が、暗闇の中から引っ張り出してくれた手を、顔を、口を、思い出す。
それくらい大きな存在、離れ離れになって、瓜二つな見た目の人間と知り合いになれば、アラタが遥香の影を重ねるのは仕方ない、責めることではない。
「そんなことしても無意味だ」
「黙れや!!!」
屋敷に響き渡るほど大きな声、何事かとシルとリーゼが様子を見に来た。
ノエルはビクッと反応して黙りこくっている。
それでもアラタの怒声は止まらない。
「てめえみたいな我儘な奴が指図するんじゃねえよ! ああ!? エリザベスが今日何してたのか知ってんのか!? 今頃まだ仕事してんだよ! 夕方には帰ってきて、俺が用意しておいた風呂入って、シルが作ってくれたメシ食って、挙句いらないから残す野郎が……知った風な口きくんじゃねぇ!」
「何を言ってもダメダメ言いやがって、家族がいるのに家出して冒険者するような奴には理解できるわけねえよなぁ! 重ねたっていいだろ! こっちはもう二度と会ねえんだよ! 帰りたくても帰れねえんだよ! ウッぜえなぁ! そんなに嫌なら俺を元の世界に返してくれよ、帰らせてくれよ! てめえにそれが出来んのかよ!」
「……そんなの、そんなつもりじゃ」
「じゃあどういうつもりなんだよ! 意味わかんねえんだよ! そんなんだからいつも泣いてばかり、泣けば解決すると思うなよ!? このクソ泣き虫ボンボンが!!!」
「アラタ!」
ノエルはとうの昔に泣かされている。
アラタがとどめを刺して、なおも攻撃しようという所でリーゼの一喝により空気が凍り付いた。
「チッ、言い過ぎた」
「えっえぅっ……グスッ、スン、スン」
せっかくの一日も、終わりが最悪ならその日一日が最悪の物になってしまう。
出会って初めて本気でアラタはキレた。
異世界人とこの世界の住人、思った以上に溝は深いのかもしれない。
深くなってしまったのかもしれない。
「おはよう。そうなの、大公選で忙しい時期だけど外せない仕事ってあるのよね」
エリザベスは寝不足なのかやや眠そうで、身だしなみを整えて誤魔化しているのかもしれないがアラタからすれば少しやつれているのでは? そんな風に見える。
大公選は授業でやったな。
確か今の大公が退位するから新しい人を選ぶって話だった気が……多分合ってるだろ。
「その、俺に手伝えることある? 大変そうに見えるから」
何気ない提案だったが、彼女からすれば嬉しいのか面白かったのか、とにかく笑っていて、そんな彼女の顔を見てアラタも嬉しかった。
「ふふっ、ありがとう。アラタさんは優しいのね」
「よく言われます」
「そうね……じゃあお言葉に甘えて、少しお手伝いをお願いしちゃおうかしら」
エリザベスの頼み事は全然少しではなかった。
体力には自信のあるアラタがへとへとになるくらいの仕事を彼女は振り分け、ヒイヒイ言っているアラタの隣でそれ以上の量の作業を捌き、それでいて『今日はアラタさんが手伝ってくれたから早く終わったわ』なんて言うものだから、公爵の仕事はなんてブラックなんだとアラタに固定観念を植え付けるのには十分すぎた。
彼に割り振られた仕事は主に書類の運搬、関係各所がエリザベスに宛てた書類に対する彼女の返答を送り、学園内の者なら自ら赴き返事を伝え、レイフォード家に関係のある者は執事らしき格好をした初老の男性に直接まとめて手渡した。
学校の内外を走り回り、彼女の手となり足となり奔走したアラタは下手なクエストを完了した後よりへとへとだったが、エリザベスの顔を見るとそんな疲れも吹き飛ぶというものだ。
「アラタさんがいてよかった。今日は本当に助かったわ、ありがとう」
なんて言われてしまうのだ、これがあればアラタは何日でも働くことが出来る。
それくらいアラタはエリザベスに対して特別な想いを抱いていたし、それ以上に恐ろしく仕事のできる彼女を尊敬の目で見ていたというのもある。
とにかくこの人の力になりたい、そんな思いを胸にアラタの一日は終了した。
「これ、今日のお礼。持って行ってみんなで食べて」
手渡されたのは木の箱、しかし残暑の厳しいこの季節にはありえないくらいの温度、これは――
「保冷バッグ!?」
「あら、物知りね。新鮮なお魚さんです。お醤油も入れておいたからまたお刺身が食べられるの」
「何で、いや、こんな高いものもらえませんよ!」
「いいの。アラタさんったらすごくおいしそうに食べるんですもの。それじゃあまた」
「あ、はい。お疲れ様でした」
アラタは学校の彼女の部屋から退出し、廊下を歩いて行く。
レイフォード家の執事とすれ違い会釈を交わし、建物の外に出ると日は落ち、まだ少し明るさを保っているもののすっかり夜になっていた。
恐らく彼女はまだやることがあるのだろう、アラタのいる場所からでは見ることが出来ないが、今日手伝っただけでエリザベスと言う女性がどんな人なのか感じることが出来た。
『アラタさんがいてよかった。今日は本当に助かったわ、ありがとう』
あの人以外にありがとうなんて言われたのはいつのことだろう。
そういやつい最近レオナルド君を助けて言われたな。
でも、うちの連中ときたら……やめよう、それは良くない。
別に感謝されたいからやっているわけじゃない、それは変だ。
アラタが屋敷に帰宅すると、台所から夕食の匂いが漂ってきて鼻腔を満たす。
自分がやらなくても誰か違う人が料理をしてくれるというのは彼にとっては極めて新鮮で、それでいてありがたい話だった。
「ただいま、シル」
「おかえりなさい。それは何ですか?」
シルは子供の見た目をしており、そのせいで厨房に立つには背が足りない。
そんな子が台の上に足を置いて自分たちの夕食を作ってくれている姿を見れば、世のお父さん方は涙してしまうだろう。
調理風景はともかくとして、アラタから知識と技術をある程度受け継いでいるシルの作る料理はしっかりと美味しく、手際も良かった。
「これも頼めるか?」
「アラタ様、これは何ですか?」
魚に関する知識もあるはず、そう思っていたアラタはあれ? と思ったがいい機会だとシルの隣に立ち魚の捌き方や調理方法を教える。
家事に関することであれば何でもかんでも興味津々のようで、アラタが文字を習うよりシルが家事を習おうとする姿勢の方が前のめりだ。
一通りの手順を終え、人数分の料理が完成したところで配膳に移る。
「シル、ありがとうな」
「シルを生んだのはアラタ様ですよ?」
「だから俺のおかげ? シルキーは変な考え方をするんだな。後アラタ様はやめてくれ、アラタでいいよ」
「アラタさ、アラタは優しい、いい人、だから好き」
「あはは、褒めすぎだよ。でもありがとう」
ノエルとリーゼは今日、冒険者ではなく貴族としての用事があったようで夕食が完成した頃には既に入浴を終えていた。
目の前のご馳走に眼を輝かせながらパクパクと食べていく姿を見て、アラタは別に感謝を言葉で伝える必要なんてないじゃないかと思った。
目は口ほどにものを言う、口にしなくても分かることもあるからだ。
「アラタ、生の魚なんて珍味、高かったんじゃないか?」
「ああ、それな。エリザベスがくれたんだ、今日ちょっと一緒でね」
「エリザベス?」
「そういやこの前頼まれたの忘れてた。なんか仲良くしたいからよろしくって、こっちは歩み寄る用意があるとかなんとか」
「…………ご馳走様」
空気が変わった。
まだ料理は残っているというのにノエルは席を立つ。
「おい、まだ残って」
「いらない。アラタが食べれば」
「は? 意味わかんねえよ、急にどうした」
「…………裏切り者」
「ちょっとノエル、その言い方ではアラタも分かりませんよ。それにアラタにそんなつもりがあるわけが――」
エリザベスの名前を出した途端に雲行きが怪しくなった食卓、突然不機嫌になったノエル、それを嗜めるリーゼ、意味不明だがあまり気持ちの良くないアラタ、この空気感が何を意味するのかまだ分からない生後数日のシル。
「私の父上は大公選の候補者だ」
「は? だからなんで……あぁ、仲良くするなって言いたいのか?」
事情を察したアラタは少しイラっとする。
釘を刺されたと思い、僅かに圧がこもった声で聞き返すと、ノエルはそれを肯定した。
「そうだ。学校も辞めるんだ、文字なら私が教えるから」
「意味不明。俺が誰と仲良くしたって関係ないだろ」
せっかくの貰い物を、せっかく2人で調理したものを、気に入らない人からの贈り物だったからと言う理由で要らないと言い放ったノエルに対するアラタの心象は最悪だったし、日頃のストレスも相まって我儘な年下の少女はエリザベスと対照的に映った。
だがそれはいつもの事、それくらいで怒るアラタではないし、相手も明日になれば忘れるだろうとスルーすることにした。
「食べないならそれでいいよ。ただ、食べ物だってタダじゃない、食べずに捨てるなんて論外だからな」
それくらいの注意で済ませる、アラタはそのつもりだった。
「アラタだって、私たちの仲間なのにあいつと仲良くするなんてありえない」
「だから知らねえって。いい加減にしろよ、しつけえな」
「アラタに生き方を教えたのは私たちだ、あの女ではない。それにアラタは私たちに借りがあるはずだ」
「だから?」
「だから…………だから……」
それくらい彼も理解している。
ノエルが守ってくれなければ、リーゼが治療してくれなければアラタは既に何回か死んでいる。
だが、それを恩着せがましく言ってほしくなかったし、人の弱みにつけ込んで言うことを聞かせようとするノエルが酷く子供に見えた。
「はっ、だからなんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」
「ノエル、もうやめてください。今のはノエルが悪いです」
リーゼも止めに入り、ギスギスとした状況に変わりはないが、取り敢えずその場はそれで収まった。
言い方がアレなだけで、ノエルの言うことも全くの筋違いという訳ではなく、そしてアラタからすれば要領を得ない発言であり、神経を逆撫でされる話であっただけだ。
食事を片付け、風呂に入ろうと廊下を歩いていたアラタの前にノエルが立っている。
謝ろうとしているのかな、何か教えてくれるのかな、そう言った期待をアラタはした。
そしてそれなら自分も少し大人げなかったと謝ろうと、そう決めた。
しかしそんなに簡単に話が進むのなら人が争ったりすることは無い。
「アラタ」
「なに?」
「前に言っていたな、元の世界に帰りたいと、元の世界には恋人がいると」
「あ、あぁ。まあ、そうだな」
何の話だ?
「アラタはレイフォードに対して特別な気持ちを持っている、違うか?」
「……持っていたら? ダメなのか?」
「ダメだ」
彼とて一人の人間、キャパシティと言うものは存在する。
「さっきからうるせえな。なんでお前に指図されなきゃいけねえんだよ。なんだよ、エリザベスと仲良くしたっていいだろ」
「アラタは恋人の姿を重ねているだけだ、レイフォードそのものが好きなわけじゃない」
「てめえに何が分かるんだよ。ダメなのかよ」
「ダメだ」
「はぁ? …………お前」
彼女を見ていると在りし日の思い出がよみがえってくる。
幼き日の思い出が、再会した後の思い出が。
何気ない日常が、暗闇の中から引っ張り出してくれた手を、顔を、口を、思い出す。
それくらい大きな存在、離れ離れになって、瓜二つな見た目の人間と知り合いになれば、アラタが遥香の影を重ねるのは仕方ない、責めることではない。
「そんなことしても無意味だ」
「黙れや!!!」
屋敷に響き渡るほど大きな声、何事かとシルとリーゼが様子を見に来た。
ノエルはビクッと反応して黙りこくっている。
それでもアラタの怒声は止まらない。
「てめえみたいな我儘な奴が指図するんじゃねえよ! ああ!? エリザベスが今日何してたのか知ってんのか!? 今頃まだ仕事してんだよ! 夕方には帰ってきて、俺が用意しておいた風呂入って、シルが作ってくれたメシ食って、挙句いらないから残す野郎が……知った風な口きくんじゃねぇ!」
「何を言ってもダメダメ言いやがって、家族がいるのに家出して冒険者するような奴には理解できるわけねえよなぁ! 重ねたっていいだろ! こっちはもう二度と会ねえんだよ! 帰りたくても帰れねえんだよ! ウッぜえなぁ! そんなに嫌なら俺を元の世界に返してくれよ、帰らせてくれよ! てめえにそれが出来んのかよ!」
「……そんなの、そんなつもりじゃ」
「じゃあどういうつもりなんだよ! 意味わかんねえんだよ! そんなんだからいつも泣いてばかり、泣けば解決すると思うなよ!? このクソ泣き虫ボンボンが!!!」
「アラタ!」
ノエルはとうの昔に泣かされている。
アラタがとどめを刺して、なおも攻撃しようという所でリーゼの一喝により空気が凍り付いた。
「チッ、言い過ぎた」
「えっえぅっ……グスッ、スン、スン」
せっかくの一日も、終わりが最悪ならその日一日が最悪の物になってしまう。
出会って初めて本気でアラタはキレた。
異世界人とこの世界の住人、思った以上に溝は深いのかもしれない。
深くなってしまったのかもしれない。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
腐った伯爵家を捨てて 戦姫の副団長はじめます~溢れる魔力とホムンクルス貸しますか? 高いですよ?~
薄味メロン
ファンタジー
領地には魔物が溢れ、没落を待つばかり。
【伯爵家に逆らった罪で、共に滅びろ】
そんな未来を回避するために、悪役だった男が奮闘する物語。
悠々自適な転生冒険者ライフ ~実力がバレると面倒だから周りのみんなにはナイショです~
こばやん2号
ファンタジー
とある大学に通う22歳の大学生である日比野秋雨は、通学途中にある工事現場の事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまう。
それを不憫に思った女神が、異世界で生き返る権利と異世界転生定番のチート能力を与えてくれた。
かつて生きていた世界で趣味で読んでいた小説の知識から、自分の実力がバレてしまうと面倒事に巻き込まれると思った彼は、自身の実力を隠したまま自由気ままな冒険者をすることにした。
果たして彼の二度目の人生はうまくいくのか? そして彼は自分の実力を隠したまま平和な異世界生活をおくれるのか!?
※この作品はアルファポリス、小説家になろうの両サイトで同時配信しております。
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
元勇者パーティーの雑用係だけど、実は最強だった〜無能と罵られ追放されたので、真の実力を隠してスローライフします〜
一ノ瀬 彩音
ファンタジー
元勇者パーティーで雑用係をしていたが、追放されてしまった。
しかし彼は本当は最強でしかも、真の実力を隠していた!
今は辺境の小さな村でひっそりと暮らしている。
そうしていると……?
※第3回HJ小説大賞一次通過作品です!
公国の後継者として有望視されていたが無能者と烙印を押され、追放されたが、とんでもない隠れスキルで成り上がっていく。公国に戻る?いやだね!
秋田ノ介
ファンタジー
主人公のロスティは公国家の次男として生まれ、品行方正、学問や剣術が優秀で、非の打ち所がなく、後継者となることを有望視されていた。
『スキル無し』……それによりロスティは無能者としての烙印を押され、後継者どころか公国から追放されることとなった。ロスティはなんとかなけなしの金でスキルを買うのだが、ゴミスキルと呼ばれるものだった。何の役にも立たないスキルだったが、ロスティのとんでもない隠れスキルでゴミスキルが成長し、レアスキル級に大化けしてしまう。
ロスティは次々とスキルを替えては成長させ、より凄いスキルを手にしていき、徐々に成り上がっていく。一方、ロスティを追放した公国は衰退を始めた。成り上がったロスティを呼び戻そうとするが……絶対にお断りだ!!!!
小説家になろうにも掲載しています。
ちっちゃくなった俺の異世界攻略
鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた!
精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!
「お前のような役立たずは不要だ」と追放された三男の前世は世界最強の賢者でした~今世ではダラダラ生きたいのでスローライフを送ります~
平山和人
ファンタジー
主人公のアベルは転生者だ。一度目の人生は剣聖、二度目は賢者として活躍していた。
三度目の人生はのんびり過ごしたいため、アベルは今までの人生で得たスキルを封印し、貴族として生きることにした。
そして、15歳の誕生日でスキル鑑定によって何のスキルも持ってないためアベルは追放されることになった。
アベルは追放された土地でスローライフを楽しもうとするが、そこは凶悪な魔物が跋扈する魔境であった。
襲い掛かってくる魔物を討伐したことでアベルの実力が明らかになると、領民たちはアベルを救世主と崇め、貴族たちはアベルを取り戻そうと追いかけてくる。
果たしてアベルは夢であるスローライフを送ることが出来るのだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる