半身転生

片山瑛二朗

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第2.5章 過去編 case Arata:

第68話 最後の夏

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 カナン公国、首都アトラ。
 その冒険者ギルド所属、Eランク冒険者アラタがダンジョン内で死亡。
 のちに生き返り、日本への帰還を望みながらも仲間と共に冒険者を続ける選択をした日から1年と少し前に話は遡る。

※※※※※※※※※※※※※※※

 夏の風物詩。
 全高校球児たちの憧れ。
 全国4000校の頂点を決める戦い。
 兵庫県西宮市甲子園町、阪神電気鉄道本線甲子園駅を下車し徒歩2,3分の所にそれはあった。
 阪神甲子園球場、全国高等学校野球選手権大会、その会場である。
 日本の高校生を主役とする催しでは規模、知名度共に一番であることに疑いの余地はないが、その舞台に立つためには幼い頃から当然のように野球に打ち込み強豪と呼ばれる高校に入学し、そしてその中でのメンバー争いに勝ち抜かなくてはならない。
 類稀なる才能と弛まぬ努力でベンチ入りメンバーの座を勝ち取ったとして、そこからようやく各校の看板を背負った甲子園出場枠をかけた戦いが始まるのだ。
 多くの球児の夢を踏みつぶし、粉々に粉砕して、そうしてうず高く積み上げられた夢の残骸の上に彼らは立っている。
 2017年8月25日、本日も朝から長蛇の列を築き上げ観客たちは球児たちの熱闘を見に来ている。
 うだるような熱気の中、汗だくになりながら、それでも観戦しに、応援しに球場まで足を運んでいる彼らのような存在が高校野球を支えているのだ。
 今年の大会もあと僅か、本日は大会14日目、準決勝である。
 第一試合開始時刻である9時よりも前の時点で既に気温は30度に迫る勢い、夏の蒸し暑さも相まってグラウンド内はさながらサウナのようになっている。
 そんな過酷な環境の甲子園だが、その中では比較的楽に試合観戦を出来る場所と言うものが存在する。
 ――銀傘、そう呼ばれる内野席についている日よけの覆い、ここであれば気温は高くとも直射日光にさらされることなく試合観戦を楽しむことが可能だ。
 甲子園での試合を一日中中継し、その内容を実況、解説するための席、文字通り放送席はそんな銀傘の内側に設置されている。

「さあ本日夏の全国高等学校野球選手権大会、14日目の準決勝は非常に注目が集まっております。一年生時に甲子園を沸かせた世代No.1ピッチャー千葉新を擁し、不祥事による出場辞退や昨年県予選決勝での劇的なサヨナラ負けを乗り越えて再びこの舞台に戻ってきました横浜明応、対するは今大会最高のチーム打率を誇る超攻撃型チーム大阪太陰高校、今試合開始です!」

「集合!」

「「行くぞぉ!」」

「「おおっ!」」

 審判の合図を皮切りに両校の選手はホームベース前に整列する。
 高校生とは思えない迫力の体躯を持つ選手が合わせて36名、美しく統率の取れた礼で試合が開始された。
 先攻は大阪太陰高校、名門中の名門、今大会優勝候補はここまで危なげなく駒を進め準決勝まで来ている。

「解説の古谷さん、この試合は特にどこに注目したいですか?」

「そうですね、両校とも非常に見どころの多いチームですから迷いますねぇ。ですがやはり明応の千葉選手が大阪太陰打線を抑えられるのか、ここですよね」

「明応の千葉は今年のドラフト候補筆頭でもあります。最速155km/hを誇るストレートに変幻自在の変化球、まさしく世代No.1ピッチャーと言えます」

 実況によるスターティングメンバ―紹介をしている間、後攻の先発投手は投球練習を行っている。
 今日も朝から強い日差しでグラウンド内の選手たちは既に何度かアンダーシャツを着替えている。
 甲子園出場に当たりテレビ映りも重視されるため、特にテレビ露出の多い投手はそのほとんどが新しいグローブを無償提供される。
 それを使うかどうかはあくまでも選手に委ねられるわけだが、千葉のグローブはある程度柔らかくなっているものの新品同様の輝きを放っていた。

「この試合、明応バッテリーの千葉と曽根は中学硬式クラブのチームメイト、対する大阪太陰にも4番遠藤と7番渡辺という元チームメイトがいるという何とも豪華な対決です」

「この中で千葉選手だけが中学生の時控えだったというのも高校野球らしさがあって面白いですよね」

「はい、古谷さんはU15日本代表のコーチとして彼らと行動を共にしたこともあるんですよね?」

「そうですね、私も太陰の遠藤選手を見に行ったんですけど、千葉選手には申し訳ないけど少し印象には残っていませんでしたね」

「さあここでキャッチャーが2塁へ送球しいよいよ試合が始まります。注目の千葉、さあ第一球……ひゃ、153km/h! いきなりトップギアです!」

「スピード以上に速く見えます。これはバッター相当嫌だと思いますねぇ」

 興奮気味に実況するアナウンサーと苦笑いするしかない解説、そんな中試合は淡々と進行し互いにゼロ行進が続いた。
 ここは一塁側横浜明応ベンチ、現在4回裏、明応の攻撃中である。

「千葉、まだいけるか」

「はい、行けます!」

「無理するなよ。後ろの準備はできている」

「はい! いいえ!」

「どっちかにしろ」

「はい!」

 ミシミシ、ギリギリと音を立てて千葉新の肘に終わりが近づいてくる。
 …………だが、

「千葉新止まりません! 5回終了で既に今日10個目の三振ッ! 大阪太陰なす術なし!」

 幸か不幸か、この日の千葉は完全に入っていた。
 スポーツの世界でゾーンと呼ばれる領域にまで足を踏み入れていたのだ。
 まるで自分以外の全てが脇役に感じるような万能感、やろうとしてできないことなど何もないと思えるだけの自信、精神的余裕。
 そしてそれはピッチングだけでなく攻撃でも遺憾なく発揮された。

「カウント2-2、ピッチャー投げた、打った、打った、打ったァァァァァアアアア! 6番千葉、値千金のツーランホームラァァァアアアンッ! ついに均衡が破れた! 2対0で横浜明応が先制しました! 左中間スタンドに深々と突き刺さるホームラン! そして打った千葉は今ホームイン! 雄たけびを上げています!」

「ははは、凄いですねー。もう何でもありです」

 優勝候補の大阪太陰にまさかの先制、中盤にして明応の勝ちが見えてきた。
 だが誰もが知っている、甲子園には魔物が棲んでいるのだ。
 7回表、無死2、3塁のピンチ、そこでも明応はエースと心中する道を選び千葉続投、その日最速の156km/hを含む全開の投球で打者を打ち取りバックも好守でサポート、この回0点で切り抜ける。
 この時点で千葉の肘は異常な熱を持ち腫れていた。
 だが千葉は押し通し次のイニングもマウンドに上がる。
 平凡なサードゴロを悪送球しヘッドスライディングで滑り込んだ一番打者が出塁、ここで完璧なスタートを切ったランナーは2球目で2塁ベースに到達する。
 続く2番はバントミスの後ライトフライに倒れたがその間に俊足のランナーはタッチアップで3塁に到達、3番に死球を与え1死1、3塁となる。
 そして相対するは中学のチームメイトにして名門大阪太陰の4番打者遠藤、千葉からすればずっと雲の上の存在だった相手との対決である。

「……ふぅ、勝つ」

 10球以上の勝負の末遠藤は高めのストレートを空振り三振、1、3塁のままツーアウトとなった。
 そして後続の5番をショートゴロに討ち取りチェンジかと誰もが思ったその時、まるで何かに足を取られたかのようにビタリと足が止まったショートはファンブルしオールセーフ、サードランナーは生還し2対1、なおも1、2塁のピンチが続く。
 正午が近づくにつれ太陽の位置は上へ上へと昇っていきフィールド内は灼熱地獄に変貌していく。
 熱と湿気が着実に選手の体力を奪っていく中グラウンド中央の選手は暑さなんて忘れるほどの肘の激痛と戦っていた。

 ――もう痛すぎて肘の感覚なんてねえ。
 ――だけど、甲子園優勝まで、あと少しなんだ、もってくれ、頼むから。

「満身創痍の千葉、このピンチを乗り切れるか!?」

 初球は高めのボール、そこからスライダーでカウントを取り1-1、次の内角を抉るようなストレートはボール、そして第4球、

「打った! 打った! 入るか!? ポールを撒くか!? ……ファール! 判定はファールです!」

「本当にギリギリですね、千葉選手間一髪、逆に太陰は本当に惜しい」

 ――まだだ、ここで全部、もうこの後どうなってもいいから……全部絞り出せ。

「三振! 見逃しの三振です! 今日最速タイの156km/h! 15個目の三振です!」

 命を燃やすような投球、そんな姿に人は心奪われる。
 だがそんなプレースタイルが奪うのは人の心だけではない。

「大阪太陰、先ほどの回も危なげなく抑えました。いよいよ最終回、現在2対1で横浜明応がリード、千葉の奪三振はどこまで伸びるのでしょうか」

 最終回、9回表、先攻の大阪太陰の攻撃を0点に抑えれば千葉達横浜明応の勝利が確定する。
 この試合のクライマックス、だが甲子園には魔物が棲んでいる。
 …………クライマックス、そこに千葉の姿はなかった。

「どうしたんでしょうか、エース千葉、肘を押さえてうずくまりました。大丈夫でしょうか?」

「あーこれは。もしかしたら……とにかく交代でしょうね」

「明応ベンチ、選手の交代を告げることになりそうです。千葉は大丈夫でしょうか」

「彼は今年ドラフト候補でもありますからね、きっちりと治療してほしいです」

 夏の高校野球には都道府県予選から球場に必ず理学療法士の資格を持ったスタッフが常駐している。
 千葉は引きずり降ろされるようにマウンドを降り彼らの手当てを受けるために1塁側ダグアウトへ運ばれた。

「これは……救急車だ! すぐに119番してください!」

 千葉は彼らの手当てを受けることなく救急車で近隣の病院に搬送された。
 多少のアクシデントはあったものの試合は投手を交代し続行される。
 彼はそのライブ映像を救急車の中で見ていた。
 相手の7番、元チームメイトの渡辺がツーベースヒットで出塁する。
 それを皮切りに大阪太陰の猛攻が明応ナインに襲い掛かりエース不在の明応になす術はなかった。
 攻撃は千葉が病院に到着してからも続き彼が緊急MRI撮影を終えた時……試合はすでに終わっていた。
 7対2、それが試合結果である。
 9回表に一挙6得点した太陰は裏の守備を完璧に守り切り一人のランナーを出すことなく試合を終えた。

 ――涙は出なかった。
 悔いがなかったとかそう言うことじゃない、泣くっていう選択肢が俺の中には一切なかった。
 神奈川県代表、横浜明応高校、その背番号1、千葉新、甲子園14日目、準決勝で敗退。
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