半身転生

片山瑛二朗

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第0章 始める為の終わり

第0話 始める為の終わり

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「この度は、選手の怪我に気付かず、選手本人やご家族の皆様、並びに関係者や高校野球を応援してくださる方々に多大なるご迷惑をご心配をおかけしまして、誠に申し訳ありませんでした」



 僅かに薄くなった頭を深々と下げる中年の男性、彼は横浜明応高校の体育教諭、硬式野球部の監督である。

 選手同様赤黒く日に焼けている彼にスーツはあまり似合わない。



「本当に怪我に気付いていなかったんでしょうか?」



「千葉選手の容体はどうなんでしょうか!」



「指導者としての責任はどうなさるおつもりですか!」



「もうすぐ始まる秋の県大会には出場するんですか!?」



「監督指導者の退任を求める声もありますがその辺りいかがお考えでしょうか」



 そこはこの世の地獄を体現したかのような有様だった。

 確かに彼に監督責任が無いと言えば嘘になる。

 だが彼は昨日甲子園敗退しまだ地元に帰ることすらできていないのだ。

 ここは明応が宿泊しているホテルのホール、そこを会見用に借りてこうして緊急の会見を開いているのだ。



「えー、当校の千葉ですが、医師の診断結果といたしましては右腕の内側側副靭帯の損傷、そこに離断性骨軟骨炎も併発しており明日緊急の手術を行う予定であります」



 そんなこと報道陣は既に知っている。

 彼の入院する病院に押しかけて無理やり取材と称して情報を奪い取ったのだから。



「そのような重傷を負わせた責任はどうするおつもりでしょうか!」



「辞任するのが世間に対する責任の取り方と言うものではないのですか?」



「今後も監督業を続ける資格があるようには思えませんがそこに関してはどのようにお考えでしょうか」



 彼らはどのように考えているのか、どうするつもりかと疑問を投げかけているがその実、彼に言っていたのだ。

 責任を取れ、そのほうが記事になるから、さっさとやめて記事の肥やしになれと迫っていたのだ。



「えー、私の進退につきましては後日またお時間を頂戴できればと思います。ではこれで」



「質問に答えてください! 千葉選手の今後は!? プロ野球に進むことはできるのでしょうか!」



 記者の叫び声が響き渡る会場から姿を後にした男は車に乗り込み病院へと向かう。

 病院にも野次馬はいるだろうがここよりはましなはず、ここと同じような状況になる前に千葉に直接会って話しておきたいと考えたのだ。

 表も裏も報道陣が待ち構えていて彼らにばれずに院内に入ることは不可能だ。

 だとすればせめて堂々と、男は表玄関から院内に入り面会へと向かう。

 当然の権利とばかりについていこうとする記者たちともみあいになったが警察の尽力により院内には報道関係者はおらず静かなものだった。

 一般の病院来院者もいるのだ、モラルの欠片もない記者たちが我が物顔で闊歩していたら逆に問題になる。

 男は横開きの扉をノックして病室に入る。

 4人部屋だが病院側が気を利かせてくれて、というより他の患者の迷惑だと思われたのだろうが千葉新の病室には彼だけが入院患者としてベッドに寝ていた。



「辻先生」



「千葉、調子はどうだ」



 辻、そう呼ばれた男は背広を脱ぎ雑に畳むとベッドの隣にあった椅子の上に置いた。

 彼は野球部の監督であり千葉の体育教諭でもある。



「千葉、俺が――」



「隠していてすみませんでした」



「は?」



「今年に入ってから少しやばいかなと思っていたんです。でも冬練の間セーブすれば治るかなって、それで結局こうなって。本当にすみませんでした」



 千葉はそう言うと少し笑った。

 明るい性格の彼だがその千葉が本気の笑顔で笑っていないことくらい2年以上一緒に歩んできた辻にはすぐにわかった。



「千葉……」



「監督辞めないでください。センバツ出るんですよね? なら監督は辻先生じゃなきゃ」



「あ、ああ。俺たちは一足先に横浜に帰る。お前も落ち着いたら帰ってこい。プロがあるんだ、リハビリは厳しくしなきゃな」



「自分インターバル走は苦手なんで、ナシでお願いします」



「バカ野郎、お前のインターバル走は2倍用意してやる」



「……言うんじゃなかった」



 辻はそのまま病室を後にした。

 たったあれしか、謝ることすらまともにできなかった。

 俺は、俺は指導者失格だ。

 確かにあいつがここまで深刻な状態にあることは知らなかった。

 大会前のメディカルチェックでも問題はなかった。

 だが、それがどうしたというのだ、俺がもっと他のピッチャーを使っていれば、あいつが出たいと言おうが何しようが出さなければよかった。



「くっ、ぐぅう、ぐっ」



 男は静かに廊下でうずくまった。

 壁にもたれかかりながら声を押さえて泣いた。

 零落していく最中だった明応をもう一度甲子園へと導き数々の困難を乗り越えてきた教え子の未来を奪ってしまった。

 あの時、2年の県決勝で出たいと叫ぶあいつの願いを却下しておけば、あの時、もっと俺の意志が強ければあいつに頼ることもなかった。

 後悔は先に立たない。



 翌日、千葉は大学病院に転院し即日手術を受けた。

 肘を切開し中で暴れる遊離体を取り除き代わりの骨を移植する。

 さらに手首の腱を肘に移植して固定する。

 こうすれば長く苦しいリハビリの先に選手として復活する未来が見えてくる。

 10月のドラフト会議には間に合わないが千葉ほどの選手であれば投手にしろ打者にしろ指名される可能性は大いにある。

 最悪育成選手枠でも高卒から長い目で育てるだけの逸材であることは明らかだった。



 ――だが世間は簡単にはそれを許さなかった。

 くしくももこの頃は体罰やいじめなど前時代の悪習を排除し新しいクリーンな環境に移行しようとしていた過渡期にあたる。

 昔よりも、もしかしたら今よりも指導者による選手の使い潰しに対して厳しく、まるでアレルギー反応のように関係者を叩いた。

 自らは野球などやったこともないというのに。

 関係者と話したことすら見たこともないのに。

 これも時代の流れか、SNSを通じた選手や監督、果ては高校野球と言うシステム自体への誹謗中傷、更に昔から続く学校への抗議や嫌がらせの電話。

 明応の選手は全寮制であり携帯電話を持ち込むことはできない。

 だからSNSの誹謗中傷は本人たちまで届くことはなかった。

 だがその親は、兄妹は、友人たちはそんな人の悪意に晒され続けた。

 学校関係者も疲弊し監督である辻に早く辞任してくれと願うものさえ出た。



 明応って携帯持ち込み禁止ってマ? 前時代的すぎひん?

 ワイ明応の曽根見たことあるけど人殺したことありそうな顔してた。あれは絶対やってるね。

 千葉野球やめたらしい。まあこんな騒ぎ起こしておいて続けることなんて許されんわなwww

 つーかいい加減監督辞めねーかな。あのおっさん正直不快、早く消えてほしい。

 高校No.1ピッチャーって大したことないのな。156km/hくらい俺でも投げれる。

 それは流石に草生えるwww

 草に草を生やすな。

 ………………



 学校敷地内にある寮にまで押し寄せた報道関係者、野次馬たちは学校が警察を呼び退去させられたが結局野球部の監督である辻智治は辞任、学校教諭の職も依願退職した。

 ほとぼりが冷めるまで千葉の実家である工場にまで人が押し寄せた。

 これも業務妨害に当たるとして排除したが、世間的に横浜明応高校野球部は一人の選手におんぶにだっこで選手を壊れるまで使い続ける悪しき組織であり、そんな組織に対してであれば何をしても許されるのだと声高に主張する有名人まで出る始末だった。

 流石に著名人がそんな発言をすることは許されずこれもネットで叩かれ活動自粛に至ったわけだがどちらの問題も本質的な違いなどない。

 何もしていない一般人に発言権を許した結果、その道の先頭を走る者たちの足を引っ張り、道を塞ぎ、走ることそのものをやめさせるに至ることになったのだ。



 同年10月上旬、2017年新人選手選択会議、通称ドラフト会議が開かれたわけだがそこで千葉の名前が呼ばれることはなかった。

 12球団すべてが何らかの形で千葉の獲得を描いていたがそれは現実になりえなかった。

 彼はプロ志望届を提出しなかったのだ。

 どんなに優れた評価をされ将来を嘱望されていたとしても届け出を提出していない選手を選択することはできない。

 指名1巡目には相棒だった曽根慎太郎や大阪太陰の遠藤の名前があった。

 彼らはこれから化け物の巣に足を踏み入れ自らも化け物になるか、それともただの人として選手生命を終えるのかと言う競争に身を投じることになる。

 そんな多くの人の人生を変える会議から1週間、そろそろいいだろうと帰省許可が下りた千葉と曽根の2人は地元である東京への帰りの電車の中にいた。



「新、本当に良かったのか。お前なら大学とか社会人からでも」



「いいんだ。俺はお前と違って頭いいからな。大学でやりたいこと探す」



「……そっか。そうだな、今まで地獄みたいな日々だったんだ、少しくらい休んでもいいだろ」



 東京メトロの地下鉄は大きな音を鳴らしながら乗客を目的地まで運ぶ。

 一つ一つの駅の間隔は非常に短くそのたびに多くの利用客が乗り降りを繰り返す。



「この前のドラフト見た? マジウケるよな!」



 先ほど停車した駅からの乗客が2人の近くに座る。

 大きな荷物を持っている2人は立ったままだが三人組は空いている席に詰めて着席した。

 公共交通機関の中だというのに周囲の視線を一切気にせず今の野球界に関してご高説を垂れ流す彼はさぞかし評価の高い選手なのだろう。

 そんな彼の垂れ流す雑音の中に聞き覚えのあるフレーズがあった。



「そういや明応の千葉な! 結局指名されなかったな! 言ったべ? 怪我人なんかどこも欲しがらないんだって!」



「おい、声が大きいよ」



「結局あいつも大したことなかったんだよなぁ。世代No.1だか知らねえけど俺が投げ合ってたら絶対勝ってたね。間違いない」



「…………ふぅー。てめ――」



 ドラフト一位指名選手と至近距離にいながら全く気付かない彼がどれだけの野球通なのか定かではないが我慢の限界に達した曽根は男に詰め寄ろうとしてその肩を掴まれた。

 曽根は肩を掴む握力の強さに驚いたがそんな彼と入れ替わるように三人組に近づく少年がいた。



「ねえ、ちょっといい?」



「な、なんですか?」



「ケータイ貸して」



「は? なんで? 意味わかんねえんだけど」



「お、おい。それ……」



「あ……ち、ちち千葉、新…………」



「ケータイ、貸して」



 185cm、84kgの堂々たる体躯に立たれ有無を言わさない彼の雰囲気に圧倒された男は言われるままスマートフォンを差し出す。



「ロック解除して。SNSも」



「い、いやぁ、それは流石に」



「………………」



「か、解除しました」



 ネットの掲示板には曽根が人を殺していそうな人相をしているというものがいたがどちらかと言うと今の千葉の方がそんな風に見える。

 普段全く触らない現代の電子機器に多少もたつきながらも千葉はアプリを起動し慣れない手つきで画面をスクロールする。

 しばらくすると千葉は取り出した紙に何かを書き込むとスマホを持ち主に返した。



「はい、ありがとう」



「あ……どうも」



 2人の会話はそれっきり交わされることはなかった。

 のちに1件、千葉新や辻智治並びに明応高校関係者への誹謗中傷及び名誉棄損として刑事告訴される事例があったがそんなことは些末な問題でしかない。

 刑事事件になろうがなるまいが、彼が野球をやめたという事実は変わることがないのだから。



※※※※※※※※※※※※※※※



 灼熱の甲子園から一年後、再び球児たちの熱闘が繰り広げられている頃、JR電気街口を出て秋葉原の雑踏の中を一人で歩いていく一人の男がいた。



「……部活ならしょうがないよ。俺はとりあえずパソコン見て回るから。……俺だってそれくらいできるよ。うん、うん、用事できたのはそっちじゃん。……うん、俺も好きだから、はい、じゃあまたね」



 大学に入学して早4カ月が経過しようとしていた。

 そんな彼は今更個人用PCを購入するため秋葉原を訪れたのだがどうやら待ち合わせ相手に急用が出来てこれなくなったらしい。

 この少し後、物語は再び始まる。



 この物語が終わる時、もう一つの物語の歯車は廻り始める。

 これは終わりの物語、そして次の物語は、





 ――――――再び立ち上がる物語だ。



※※※※※※※※※※※※※※※

プロローグはこれで完結となります!
プロローグと第1章 1話を同日掲載、それ以降は最新話に追いつくまで1日2話掲載していきますのでどうか応援よろしくお願いいたします!
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