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【伍】射干玉の秘伝(終)
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身体の戻った梓乃が稽古を再開すると、にわかに浅利屋敷の射場が活気づいた。
「越後では皆慣れておったが、此の方では女の弓引きなぞ珍しいか。差し障るなら控えようぞ」
「阿呆どもに気遣い無用」
はじめ、郷士たちは乙女を好奇の目で見た。
しかし、梓乃の素引きを見て顔色を変えた。細身の女が八分の弓を軽々と開くなぞ!
そして骨合筋道寸分狂いない。
「お館様、あれは何者じゃ」
尋ねてきたものに、与一は言い渡した。
「天下に二人とない強弓の姫武者じゃ。尊べ」
そして数日ののち、夜の稽古場に、梓乃は与一とともにあった。
「一手、ご覧にいれましょうぞ」
月のない闇夜に、小指の先に乗るほどの漆黒の射干玉の実すら射抜くという、城氏の弓の技の極みだ。
女は、白の小袖に緋の袴をつけ、目の端に紅を刷いていた。
座射二矢。
甲矢は柔く優雅に、吸われるように的についた。
乙矢は離れの刹那、与一の肌が殺気に粟立った。疾く強く、初矢と全く同じ位置につき、筈から篦まで、真っ二つに割った。
弓はすなわち神事である。
与一は、この巫女に射殺されたいとまで思った。
何が宿っているのか、この世のものと思えない、神々しいものが、すっと立っている。
「満足か」
与一は惚けたように答えられなかった。
梓乃は思う。
この後、死罪か遠島か、なんにせよ、己の命数はとうに尽きている。
最後の日々の預かり人が与一であったのは、僥倖だった。彼は梓乃を一人の武人として、敬意を持って扱ってくれた。
梓乃が懐から短刀を取り出すと、与一ははっと息を呑んだ。
「介錯してたもれ、浅利与一義遠殿。家も臣下もなく、妾にもう生きる意味はない。城の秘伝を渡して、思い残すこともない。お前様の手で終わるなら、本望じゃ」
「御前。俺はまだ、満足できぬ…御身全て欲しい!」
「好きにせよ」
戦さ場に出た時から、いたずらに汚されるくらいなら死ぬ覚悟だった。だが、与一なら許せる。ただの女体でなく、梓乃という女そのものを欲しがっている、この男になら。
「ああ、そなた、生娘か。……やさしゅうする、力を抜いてくだされ」
「与一殿……ふふ……お前様は、強いのう……敵わぬ」
「お辛いか」
「構わぬ。加減してくれるな、思うがままに」
「愛い……愛いのう、梓乃……!」
巫女を人に引き戻そうと、与一は貪った。
いたずらに儚くなるくらいなら、全て、奪う気でいた。
「存分に検見されたろう? もうよいか」
「検見とな?」
「妾の身体つき、余さず確かめたかったからまぐわったのだろう」
与一は嘆息した。
「あれほど愛いと申したのに、なぜわかってくださらぬ」
「ああ……女らしく扱ってくれたこと、いかに男勝りと言われた妾とて嬉しかった。気遣い痛み入る」
「わからぬ御方だ。そろそろ恨めしくなってきた」
宵闇に白く浮く裸体を、小袖で包んで腕に抱いた。
「梓乃殿、俺は介錯など頼まれて、こらえられなかったのだ。さりとて後先になって悪かった。急ぎ祝言を挙げよう」
「戯言も大概にめされよ。叛逆の徒を娶ろうなど、鎌倉殿に二心ありと疑われましょうぞ。疾く始末をつけてくだされ」
「鎌倉殿には初めから話をつけてあるのだ。俺にこれまでの働きの褒美をとらすと仰せられたから、ならば板額御前を預けてくだされと」
梓乃は目を瞬かせて、男を見返していた。
「一目で惚れたのだ。鎌倉殿には、かの姫武将に子を産ませれば、余程優れた武人になろうと説いて許されておる。だから、頼む、梓乃殿、俺の妻となって、浅利の名を馳せる子を産んでくれ」
史書には板額御前は浅利与一義遠に嫁し、一男一女を設けたと伝わる。
与一は射干玉の秘伝を見知りはしたが、終ぞ成せなかった。
子らは十分に弓に巧みなれど人の域を出なかった。女の子の眦に紅を刷けども神懸かることはなかった。
唯一、与一自ら俗に堕とした妻、梓乃のみが、後も光を映さぬ眼を垣間見せた。されど彼女は生涯最後との言を違わず、二度と弓をとらなかったという。
(終)
「越後では皆慣れておったが、此の方では女の弓引きなぞ珍しいか。差し障るなら控えようぞ」
「阿呆どもに気遣い無用」
はじめ、郷士たちは乙女を好奇の目で見た。
しかし、梓乃の素引きを見て顔色を変えた。細身の女が八分の弓を軽々と開くなぞ!
そして骨合筋道寸分狂いない。
「お館様、あれは何者じゃ」
尋ねてきたものに、与一は言い渡した。
「天下に二人とない強弓の姫武者じゃ。尊べ」
そして数日ののち、夜の稽古場に、梓乃は与一とともにあった。
「一手、ご覧にいれましょうぞ」
月のない闇夜に、小指の先に乗るほどの漆黒の射干玉の実すら射抜くという、城氏の弓の技の極みだ。
女は、白の小袖に緋の袴をつけ、目の端に紅を刷いていた。
座射二矢。
甲矢は柔く優雅に、吸われるように的についた。
乙矢は離れの刹那、与一の肌が殺気に粟立った。疾く強く、初矢と全く同じ位置につき、筈から篦まで、真っ二つに割った。
弓はすなわち神事である。
与一は、この巫女に射殺されたいとまで思った。
何が宿っているのか、この世のものと思えない、神々しいものが、すっと立っている。
「満足か」
与一は惚けたように答えられなかった。
梓乃は思う。
この後、死罪か遠島か、なんにせよ、己の命数はとうに尽きている。
最後の日々の預かり人が与一であったのは、僥倖だった。彼は梓乃を一人の武人として、敬意を持って扱ってくれた。
梓乃が懐から短刀を取り出すと、与一ははっと息を呑んだ。
「介錯してたもれ、浅利与一義遠殿。家も臣下もなく、妾にもう生きる意味はない。城の秘伝を渡して、思い残すこともない。お前様の手で終わるなら、本望じゃ」
「御前。俺はまだ、満足できぬ…御身全て欲しい!」
「好きにせよ」
戦さ場に出た時から、いたずらに汚されるくらいなら死ぬ覚悟だった。だが、与一なら許せる。ただの女体でなく、梓乃という女そのものを欲しがっている、この男になら。
「ああ、そなた、生娘か。……やさしゅうする、力を抜いてくだされ」
「与一殿……ふふ……お前様は、強いのう……敵わぬ」
「お辛いか」
「構わぬ。加減してくれるな、思うがままに」
「愛い……愛いのう、梓乃……!」
巫女を人に引き戻そうと、与一は貪った。
いたずらに儚くなるくらいなら、全て、奪う気でいた。
「存分に検見されたろう? もうよいか」
「検見とな?」
「妾の身体つき、余さず確かめたかったからまぐわったのだろう」
与一は嘆息した。
「あれほど愛いと申したのに、なぜわかってくださらぬ」
「ああ……女らしく扱ってくれたこと、いかに男勝りと言われた妾とて嬉しかった。気遣い痛み入る」
「わからぬ御方だ。そろそろ恨めしくなってきた」
宵闇に白く浮く裸体を、小袖で包んで腕に抱いた。
「梓乃殿、俺は介錯など頼まれて、こらえられなかったのだ。さりとて後先になって悪かった。急ぎ祝言を挙げよう」
「戯言も大概にめされよ。叛逆の徒を娶ろうなど、鎌倉殿に二心ありと疑われましょうぞ。疾く始末をつけてくだされ」
「鎌倉殿には初めから話をつけてあるのだ。俺にこれまでの働きの褒美をとらすと仰せられたから、ならば板額御前を預けてくだされと」
梓乃は目を瞬かせて、男を見返していた。
「一目で惚れたのだ。鎌倉殿には、かの姫武将に子を産ませれば、余程優れた武人になろうと説いて許されておる。だから、頼む、梓乃殿、俺の妻となって、浅利の名を馳せる子を産んでくれ」
史書には板額御前は浅利与一義遠に嫁し、一男一女を設けたと伝わる。
与一は射干玉の秘伝を見知りはしたが、終ぞ成せなかった。
子らは十分に弓に巧みなれど人の域を出なかった。女の子の眦に紅を刷けども神懸かることはなかった。
唯一、与一自ら俗に堕とした妻、梓乃のみが、後も光を映さぬ眼を垣間見せた。されど彼女は生涯最後との言を違わず、二度と弓をとらなかったという。
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