紙杯の騎士

信野木常

文字の大きさ
上 下
55 / 63
最終話 テイクアウトのスープカップ

4. 神性移植者

しおりを挟む
 黒く強固な装甲に覆われた腕を上げ、指を動かしてみた。いつも扱ってきた丁種ヨロイより、少しだけ重いような気がする。メイハはコンゴウの傀体越しにそう告げた。何せ界獣と戦うなど初めてのことだ。少しの不安要素も解消しておきたかった。
「甲種と言っても20年前の傀体ですからね」
 アヤハが立ち上がったコンゴウを見上げて言った。その隣でマキが不安げにこちらを見上げている。マキには悪いことをしてしまったな、とメイハは思う。今はそんなゆとりはないが、みんな終わったら謝らねば。
「宿曜炉の出力は今の丁種ヨロイでも比べものになりませんが、繰傀レスポンスは幾分劣ります。が」そこで言葉を切ると、アヤハは星図の円柱を出して見せる。「わたしが書いたこっちの星図を使えば、カバーできます。現行の甲種方術甲冑平均のおおよそ三・八倍の出力を出して、余剰分の星辰出力で擬筋組織を構成する星辰伝導繊維を賦活。伝導効率を上げてレスポンスをカバー。結果的には、後継傀体コンゴウ改の三倍程度の傀動力を引き出せます」

 一般に、方術甲冑の動力源たる星図の記述は宿曜書士の職能範囲、方術甲冑本体の製作・整備・改装は甲冑技士の職能範囲とされる。アヤハはその双方の知識に通じていた。双方ともに、中等部生には学習困難な知識とされているのに。どうしてそんなことができるのか。かつてメイハが訊いた時、アヤハは言った。

 わたしには、強いて言うなら星々の音が聞こえるんです。姉さん。

「ただ星辰伝導繊維の耐久性は、純粋に素材に左右される部分なのでどうにもなりません。昨夜も言いましたが、高出力で動かす間は、常に繰傀者に負荷がかかり続けます。姉さん以外の人間がこれを扱えば、全身の筋繊維が千切れ関節から骨が砕ける。汎人でも、恐らくは正しく発現した遺伝子調整者でも」
 アヤハがこのコンゴウに施したのは、強大な力と引き換えに、それを繰る者の肉体を破壊する調整。常人がこれを扱うのは自殺行為でしかない。しかし異常なまでの頑健さと回復力を持つメイハだけは、これを扱える。
 御幡ケイを取り戻すため、彼が戦う理由を無くしてしまうため、新トウキョウ湾に現れた〈大きく、強く、底知れぬほど深く、臨めぬほど高いモノ〉を、界獣どもを殺すにはどうすればよいのか。
 二人の力で、界獣以上の怪物を造り出してしまえ。
 それが、玖成姉妹の出した結論だった。
 メイハは傀体内の時刻表示を見た。現在15時52分。再突入作戦が開始される一六時まで、あと僅か。調整に思っていたより時間がかかってしまった。さっさと行かねばケイが出る。メイハはコンゴウの右手で、脇に置いておいた大剣の柄を掴むと肩に担ぐ。りぃんと澄んだ音を鳴らすその緋色の刀身は、甲種方術甲冑であるコンゴウのおおよそ倍、十メートル近くあった。
「傍にあった以上、これがこのコンゴウの主武装だったのでしょう」アヤハがノートPCのモニタを見る。「このPCでの解析だけでも、高い星辰伝導率がわかります。これに比べれば、そこらに散らばった武装の類はそれこそガラクタです」
「そろそろやってくれ、アヤハ」
 時計が進む。時間がない。
 アヤハが手にした円柱をコンゴウ腰部のスリットに装填した。途端に、傀体内モニタ下部に赤い警告文が走り出す。『不正な星図の利用を直ちに停止してください。不正な星図の利用を直ちに――』鬱陶しいことこの上ない。
「何とかならないのかアヤハ」
「この機能だけロックが解けませんでした。諦めて我慢してください」
 なら仕方ないか。メイハは気にするのを止め、膝を曲げてコンゴウを前傾させた。その動作だけで、レスポンスが向上したのがわかる。
「あ、あのさメイ」それまで黙っていたマキが、意を決したように顔を上げて言った。「ミハタっちに何かあったんだろうなとは思うんだけどさ。帰って、くるよね?」
「ああ、必ず」そのために行くのだから。メイハは告げると駆け出し廃屋を抜け、湾の廃ビル目掛け跳躍する。「!?」
 メイハは驚愕に目を見張る。少し距離を稼ごうと軽く跳んだだけのつもりが、コンゴウの傀体は軽く中空を舞っていた。
 しかし重力に従ってすぐに下降する。即座にメイハは落下先を見据え、湾に出る最短の経路を頭に描く。緋色の巨剣を持つ武者は、鉄筋の廃屋の屋根に着地した。即、これを踏み砕いて跳び、次は傾いた廃ビルの壁面を蹴って先へ。更に先へ。目指す場所は、中空に出ればひと目でわかる。晴れた新トウキョウ湾の空の中で、市街に迫る暗雲がある。
 全身が、特に足が痛み出し、訴えるように痙攣した。ばつん、と右腿で何かが切れる感触にメイハは顔を顰める。右腿の痛みはすぐに消えたが、次は左足首が痛みをもって止まれと訴えてくる。しかし止まってなどやらない。どこぞの金持ちが愛人の胎を使って造った、無駄に丈夫なこの身体、今は大いに利用させてもらう。
 回復したての右脚で、ビルを蹴ってまた壊して。自身の身体を壊し、直してを繰り返して。
 メイハは緋色の巨剣を携え、空を翔ける。



* * * * *



 行ってしまった。数秒前まで目の前にいた親友は、既にはるか先の空の下。そのヨロイの後姿はもう、豆物サイズにしか見えない。
「メイ、大丈夫だよね」
 空に向かって、マキは言った。誰にともなく願うように。アヤハは、コンゴウ改の三倍の力が出せる代わりに、繰傀者にとんでもない負荷がかかるとか言っていた。いかにメイハが頑丈でも、そんなヨロイに乗って無事で済むとも思えない。
「もっと強力な調整でも、姉さんだけは死にはしません。マキさんのお蔭で、あれだけ食べられましたし」マキのすぐ傍らから、アヤハの言葉が聞こえてきた。姉妹故の信頼なのか。ひと欠片の疑念も心配も感じさせない声で。「実は三倍の傀動力云々も、ここだけの話、割と適当というか……もっと出てます、たぶん」
「ちょ、アヤっち。一体全体、何しようとしてるのさ?」
 マキは問う。他にもメイハの目のこととか、訊きたいことはあったけれど。そもそも避難もしないで姉妹揃って、こんな廃墟で、とんでもない改造ヨロイを組み立てて何をしようとしているのか。
 マキが隣に目を向けると、アヤハが膝を折って崩れるところだった。
「アヤっち!」地面にぶつらかぬよう、マキは慌てて抱き留める。「ちょ、すごい熱あんじゃん!」
 触れた肌が常人にありえないほど熱い。額に手を当てるともっとだ。四〇度近くあるんじゃないのこれ? 医者、じゃなくて救急車。ってここは封鎖区画の上に、今は緊急事態宣言下だ。呼べもしないし来るわけない。
「大丈夫ですよ、マキさん」あうあうと慌てるマキに、アヤハは言った。「ちょっと全力で星をみたので……すぐに治まります。水だけ少しください」
 本当かな。マキは訝しむものの、今は他に何かできるわけでもなかった。傍にあったブルーシートにアヤハを横たえて、ミネラルウォーターの入ったボトルを持ってくる。
 上体を起こしたアヤハにボトルを渡すと、彼女はおいしそうに一口飲んで
「何をしようとしてるのか……そうですね」メイハが飛んでいった空を見上げて、言った。「悪い魔女に攫われた騎士さまを、昔、助けられた怪物が助け出そうとしている。そんなところです」
 ああ、アヤっちってやっぱり不思議系だと、マキは思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

(完結)お姉様を選んだことを今更後悔しても遅いです!

青空一夏
恋愛
私はブロッサム・ビアス。ビアス候爵家の次女で、私の婚約者はフロイド・ターナー伯爵令息だった。結婚式を一ヶ月後に控え、私は仕上がってきたドレスをお父様達に見せていた。 すると、お母様達は思いがけない言葉を口にする。 「まぁ、素敵! そのドレスはお腹周りをカバーできて良いわね。コーデリアにぴったりよ」 「まだ、コーデリアのお腹は目立たないが、それなら大丈夫だろう」 なぜ、お姉様の名前がでてくるの? なんと、お姉様は私の婚約者の子供を妊娠していると言い出して、フロイドは私に婚約破棄をつきつけたのだった。 ※タグの追加や変更あるかもしれません。 ※因果応報的ざまぁのはず。 ※作者独自の世界のゆるふわ設定。 ※過去作のリメイク版です。過去作品は非公開にしました。 ※表紙は作者作成AIイラスト。ブロッサムのイメージイラストです。

五年目の浮気、七年目の破局。その後のわたし。

あとさん♪
恋愛
大恋愛での結婚後、まるまる七年経った某日。 夫は愛人を連れて帰宅した。(その愛人は妊娠中) 笑顔で愛人をわたしに紹介する夫。 え。この人、こんな人だったの(愕然) やだやだ、気持ち悪い。離婚一択! ※全15話。完結保証。 ※『愚かな夫とそれを見限る妻』というコンセプトで書いた第四弾。 今回の夫婦は子無し。騎士爵(ほぼ平民)。 第一弾『妻の死を人伝てに聞きました。』 第二弾『そういうとこだぞ』 第三弾『妻の死で思い知らされました。』 それぞれ因果関係のない独立したお話です。合わせてお楽しみくださると一興かと。 ※この話は小説家になろうにも投稿しています。 ※2024.03.28 15話冒頭部分を加筆修正しました。

【短編】最愛の婚約者の邪魔にしかならないので、過去ごと捨てることにしました

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「ディアンナ、ごめん。本当に!」 「……しょうがないですわ。アルフレッド様は神獣様に選ばれた世話役。あの方の機嫌を損ねてはいけないのでしょう? 行って差し上げて」 「ごめん、愛しているよ」  婚約者のアルフレッド様は侯爵家次男として、本来ならディアンナ・アルドリッジ子爵家の婿入りをして、幸福な家庭を築くはずだった。  しかしルナ様に気に入られたがため、四六時中、ルナの世話役として付きっきりとなり、ディアンナとの回数は減り、あって数分で仕事に戻るなどが増えていった。  さらにディアンナは神獣に警戒されたことが曲解して『神獣に嫌われた令嬢』と噂が広まってしまう。子爵家は四大貴族の次に古くからある名家として王家から厚く遇されていたが、それをよく思わない者たちがディアンナを落としめ、心も体も疲弊した時にアルフレッドから『婚約解消』を告げられ── これは次期当主であり『神獣に嫌われた子爵令嬢』ディアンナ×婿入り予定の『神獣に選ばれた侯爵家次男』アルフレッドが結ばれるまでの物語。 最終的にはハッピーエンドになります。 ※保険でR15つけています

処理中です...