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第一章『世界に生まれた最後の子』
【7】初めての学校生活
しおりを挟む「いつにも増して今日は機嫌が良いですね?」
入学式を翌日に控えた夜の時間。
私は中学校に持っていくものの最終チェックを鏡子にお願いしていた。
嫌々言いながらも、しっかり面倒を見てくれる辺り、彼女はやはり元の世界の鏡子に通ずる。
「私、機嫌が良いのでしょうか?」
「鼻歌歌ってましたよ? しかも何故か蛍の光。明日は入学式だってこと分かっています?」
……全然気づいていなかった。恥ずかしい。
蛍の光は卒業式で歌われる歌であることは知っていた。
「でも、あなたは変な人ですからね、突っ込みを入れても無駄なことはもう分かっています。ひとまず、昨日までヒーヒー言っていたのが落ち着いたようで……まあ何よりです」
「……私、ヒーヒーとも言っていたのですか?」
「入学準備で大分忙しかったようじゃないですか? 何とか間に合ったからこそ、こうして鞄とか制服が用意できているのだと思いますが」
私に与えられた部屋のハンガーラックに掛けられていたのは、黒のセーラー服。
本日引き取ってきたばかりのピカピカの新品だ。
この服が揃うまでの間は、確かにずっと忙しい時間を送っていた。
「──とりあえず、抜けはないようですね」
鏡子はそう言って、通学用の鞄を手渡してくれる。
この三日間で急遽購入した文房具とノート類が詰まっていた。
「ありがとうございます。鏡子が居てくれて助かりました」
「あたしが居なくてもあなたなら何とかしそうでありますが、お礼は素直に貰っておきましょう。あ、そうそう。昨日も言いましたが、あたしの叔母であることは絶対に、口が裂けても言わないでくださいね? あたしたちは親戚。ただの親戚、いとこですから」
そういう設定で通すことが、店主さん、鏡子、良司さん、私の四者会議で決まっていた。
いとこを名乗る以上、店主さんをお義父さんと呼ぶことはできず、店主さんと私双方も、『嬢ちゃん』『店主さん』がしっくりきていたので異論はなかった。
「分かっています。鏡子とはいとこですね。……うふふ」
前の世界では血縁関係が一切なかった鏡子だけれど、この世界では書類上とは言え、血の繋がりが存在している。私が歓喜しないはずがないのだ。
「ぶ、不気味な笑いはやめてくださいよ! あたしはもう寝ます! ……じゃあ、また明日です」
不気味な笑いと評されたことはショックだったけれど、部屋を出て行くときに鏡子が小さく手を振ってくれたので、差し引きゼロ、むしろ私は幸せの真っ只中に居るのではないだろうか?
その上、今日は学校の屋上で──うふふ。
私は念のため、自分でも荷物の最終チェックを行なう。
その上で、明日の学校での大まかなスケジュールをプリントを見て復習した。よし、問題なしだ。
準備は万端となったので、早めの時間であるが、鏡子を倣うことにしよう。
備え付けのベッドに入り込む。
学校の準備に追われて最低限の家具しか揃っていない部屋だったが、元の世界の部屋も似たようなものだったので、私にとっては落ち着く室内である。
だからなのか、眠気はすぐにやって来て、明日へと意識を飛ばすのであった。
店主さんに見送られて、昨日往復した通学路を歩き、中学校に到着する。
まだ肌寒い季節だったけれど、冬用のセーラー服は十分に温かく、日差しも差しており、天気予報でも本日は気温が高めになる予定だった。
絶好の入学式日和、というものがあるかは分からないが、前途を感じさせる天気にきっとなってくれるだろう。
真新しい上履きに足を通し、昨日上った階段を進む。
一年生の教室は最上階の三階に位置しており、私が配属された一組は最奥となる。
あの屋上扉に隣接している教室だった。
私は微笑を自覚しながら、白い扉をスライドする。
昨日は整然としていた教室内が、そわそわとした雰囲気と、ザワザワという音に埋め尽くされていた。
私と同じ新入生らしき生徒が、机の半数を既に埋めている。
頭に叩き込んでいた私の席は、最前列廊下側であった。
後ろの扉からではなく、前から入ったほうが良かったかもしれない。
「あ! ミナちゃんだ! おはよー!」
手前から二つ目の最後列に伊吹さんが座っており、大きく手を振ってくれた。
ぱぁーっと明るい笑顔が広がって、一目で彼女だと分かる。
「おはようございます、伊吹さん。同じクラスになれたようで嬉しく思います」
実をいうと、私だけは席配列の書かれたプリント用紙を貰っていたので、彼女と同じクラスであったことを事前に知っていた。
本来なら最前の黒板に書かれた配置を見て、初めて自分の席を知るらしい。担任教師の言である。
「わたしもミナちゃんと同じクラスでほんと安心したよ~。でも、なんとなくミナちゃんとは同じクラスになれると思っていたんだぁー。えへへ」
赤く頬を染めている様子が、たまらなく可愛い。
鏡子の若干ひねくれた反応とは違う、純真な反応に私の心がどこまでも癒されていく。
今の感想を聞かせれば「キーッ!」と言いそうな鏡子は、小学校時代の友人と通学するとのことで、最初から行動は共にしていない。
多分、その友人というのは『須藤さん』だったりすると思うので、私としても別行動なのは都合が良かった。
ちなみに、鏡子は隣のクラスの二組配属である。
「あっ!」
天使のような伊吹さんは、私の後ろに視線を向けて何かに驚いた様子だった。
私が振り返るのと同時に、伊吹さんが立ち上がり、教室扉に向かう。
扉の向こう、廊下側から女子生徒がこちらの様子を伺っていた。
胸のリボン色が赤なので二年生だ。一年生は青、三年生は緑である。
「お姉様! 来ちゃダメって言ったでしょー! もう!」
「わ、ワタクシは伊吹のことが心配で──」
「ダメったらダメなのー!」
どうやら伊吹さんのお姉さんが心配になって、こっそり一年生の教室を覗きに来ていたようだ。
私に姉妹は居ないけれど、前の世界の鏡子が心の母であり、姉でもあったので、伊吹さんの気持ちは共感できる部分がある。
心配してもらえるのは有難いことなのだが、時に過保護に感じて、むしょうに恥ずかしくなる瞬間があるのだ。
お姉さんは名残惜しそうな様子だったけれど、伊吹さんには勝てないのか、あっさりと教室扉から引いて行った。
「もー! お姉様ったらー!」
プンプンしながら伊吹さんが帰ってくる。怒っていても可愛いのは反則だと思う。
「優しいお姉さんですね」
「うー、お姉様はやさしいけど……今日は恥ずかしいからダメって言っていたんだよ?」
私も幼い頃に、どうしても譲れない部分があって、鏡子を遠ざけてしまった時期がある。
きっと、今の伊吹さんも同じような気持ちなのだろう。
「それでも、お姉さんのことは好きなのですよね?」
「……うん。お姉様のことは大好き」
「きっと、伊吹さんのお姉さんも伊吹さんのことが大好き過ぎて、少しだけ過保護になってしまったのだと思います。良いお姉さんがいらっしゃって羨ましい限りです」
「……えへへ~」
膨れていた頬はすぐに元に戻り、伊吹さんらしいニッコリ笑顔が浮かぶ。
伊吹さんに掛けた言葉は全て私の本音だった。そのため、心の母である鏡子が恋しくなってしまったのは内緒の話。
伊吹さんと会話をしていると時間の進みがとても早くて、気付けば担任が教卓前に立っていた。
「皆さん、おはようございます。そして、初めまして。私は一年一組の担任の戸石早紀です。今からホームルームを始めますので、全員席に着いてください」
私は「またお話しましょう」と伊吹さんと別れて、廊下側最前列の席に着く。
通学鞄を提げていたことに気付き、伊吹さんとずっと会話を続けていたのだなと、微苦笑する。
同時に、友人との会話がこれほど心安らぐ時間であることを初めて知った。
名残惜しいとまで思ったくらいだ。……友達って凄い。
「今年は素直な生徒が多くて助かりますね。それではホームルームを始めましょう。まずは連絡事項ですが──」
昨日顔を合わせた際にも思ったが、学者っぽい見た目と雰囲気の担任なので、一言一言に隠すことのできない威厳が滲んでいる。
私の勝手な印象だが、連絡伝達の台詞でさえ、出来る女史から講義を受けている気分になるのだから不思議なものだ。
「入学式前に皆さんの自己紹介を済ませておきましょう。出席番号一番の方から順に行っていきます。では、赤柱さん、自己紹介をお願いできますか?」
アイコンタクトが飛んでくる。
昨日担任に頼まれていたのだ。
生徒の自己紹介の潤滑化のために、私にはソツなく自己紹介を行って欲しいと。
小さく頷き、立ち上がる。身体ごと私は振り返った。
二十余名の生徒たちの顔が視界に映る。
彼らが、彼女たちが、今後一年間の私のクラスメイト。一人一人の顔を頭に焼き付ける。
「赤柱未奈と申します。赤い柱の未来の奈良県と覚えていただければ、漢字が当てはまります。趣味は、そうですね、ホームセンターをまわるのが好きです。あとは、最近だとパソコンで行うチャットでしょうか。不慣れな部分は多々見受けられると思いますが、これから何卒よろしくお願いいたします」
最後にペコリと頭を下げて、自己紹介は終わる。
本当はもう少し長い文章を考えていたのだが、教師に『長すぎても続く生徒が困るだけです』とご忠告いただいていたので、先ほどの台詞とした。
すぐに、パチパチという音が聞こえてくる。
母から継承した直感が、担任と伊吹さんの位置から最初の拍手が鳴ったのだと教えてくれた。
──ありがとうございます、二人とも。
拍手は一気に広がり、教室内で波となる。
小気味良い音が胸に染み込んできて、何だか泣きそうな気分になってくる。
悲しいわけじゃなくて、これは嬉しいのだ。
私はジンとくる感情を抱えて、そのまま席に着いた。
拍手が止み、ホッとしながら後ろの席の生徒の自己紹介を聞く。
担任の目論見通り、特に支障がなく次々と自己紹介は流れていく。
伊吹さんの番もすぐやって来た。
「せ、千里伊吹です! 二年生に姉の氷雨お姉様が居ます。とっても優しいです! お姉様は頭も良くて生徒会にも入っています! よ、よろしくお願いします!」
どちらかといえばお姉さんの他己紹介だったかな?
気さくな性格の私の唯一の友達は、その気質とは裏腹に、大勢の前だと恐縮してしまうらしい。
そんなところも可愛らしい伊吹さんだった。
ただ……。
──氷雨お姉様……千里氷雨さん、ですか?
余程の記憶違いでなければ、その名前は戸羽さんから送られてきたメールの添付ファイル、『WE』の小説内の端役と同姓同名だった。
──単なる偶然でしょうか? ……いえ、切り捨てられるはずがありませんね。
『WE』は船泉町に隣接する鷹泉町を舞台にしており、鷹泉町は私の生まれ育った町の名称である。
この段階で意味深しかないと思う。
それに加えて、『WE』の添付されたメールが届いていること自体が異常だった。
ここは二十年前の世界。
私のケータイは電波不通で通話不可、ネット環境もオフライン。
スマホに使われている規格からして、この時代には存在していない様子。
それなのに、戸羽さんからメールが一通だけとはいえ確かに届いていた。
だから、あのメールに関する全ては、当初から意味深であることを念頭に置いている。
現状三分の一程度しか目を通せていない『WE』だが、疑念深まった今、入学準備が終わった今であれば、本腰を入れて読み進めていくことは可能だろう。
そして、読破を果たしたなら、彼、戸羽さんに問いたいのだ。
『どのような意図があって、私を過去の相対世界へと送ったのでしょうか?』と。
その答えが、伊吹さんのお姉さんの姓名一致と、WEの未読部分に存在しているような気がしてならなかった。
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