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●行軍訓練
友情と依存②
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頭が真っ白になるとはこういうことか。ぼうっとしているとヴェニーが慌てたようなそぶりを見せる。
「わ、悪い! 知っている者はほとんどいない! 軽率だった!」
「ほとんど……?」
「私とプロフェッサーくらいだろう」
血の契約はその存在自体がほとんど知られていない。使えるのがフサロアス家の血族のみで、しかも他者に影響を及ぼすことが少ない魔法だ。秘密にしようと思えば簡単にできる。それでも人の口に戸は立てられないから、こうして一部の魔導士や研究者の中には知っている人もいる。それはいい。
問題は、
「なんで、分かるの?」
「プロフェッサーが君を調べたようだ。勝手にすまない。謝罪が必要であれば私からプロフェッサーを説得しよう」
「調べて分かるようなものじゃ……!」
「消去法だ」
「へ……?」
ヴェニーはこう説明した。
僕からは、今までに感じ取ったことのない魔力の気配がするそうだ。ある程度の魔導士ならば、何か特殊な魔道具か魔法を使用していることはすぐに分かる。でも、その先を解明するのは難しい。魔法や呪いの種類を特定するのは、どんなに素晴らしい魔導士でもほぼ不可能だ。
「そこで、様々な魔法を検証した。その中で、例の契約である可能性が高いだろうと結論付けただけだ。一番の根拠は君の姿形に変化がないことだった」
「背が低いだけでそこまで疑われるとは思わなかった」
「すまない! 内容は分からないから安心して欲しい!」
当り前だ。契約の内容を知るのは当事者のみなのだから。
荒くなりそうな呼吸を整えて、一歩下がって微かに腰を落とす。服に仕込んでいる眠り薬にそっと手を添えた。
「それで?」
「なんだい?」
「何が言いたいの?」
「いや! 私が言いたいのは! 苦しいだろう! ということだ!」
「は?」
「詳しい情報が入っているわけではないが、あれは、普通は家族間で行うようなものではないだろう? 君が、何か苦しんでいるのではないかと思ってな」
開いた口が塞がらない。もしかして、この人ものすごくいい人なのかな。勿論、言い逃れの可能性も高いけど、必死に話している姿にサルを気にかけていた姿が思い出される。
「君、なんでわざわざ僕に言ったの?」
言わなければ、ヴェニーが血の契約を知っていることに気付かなかったかもしれないのに。
「それは……」
「それは?」
「き、君が好きなんだ!」
「はぁ?」
頭が真っ白になる。本日二度目だ。意識がとても遠いところに行ってしまっている気がする。ハッと我に返ってヴェニーを見る。彼は綺麗に整った顔を真っ赤にして爛々と輝いた目で僕を見ていた。
「え? 本気なの?」
「ほ、本気だ……」
「なんで? 会ったの、今日が初めてだよね?」
「シュテアン劇団」
微かに目を見開いた。それはこの国で最も有名な劇団の名前で、僕にとっては身近な名前。母が花形として在籍していたところだ。
「常設劇場のすぐ近くに生家があってね。子供の頃にあそこの子供たちと何度か遊んだことがあるんだ。覚えていないかと思うが、そこに君はいた。今思えば一目惚れだったのかもしれない。珍しいシルバーアッシュの髪で、後になってフサロアス家の当主筋だと分かった。楽しそうに遊んでいた。次に見かけたのは前首相がご存命だったころだ。私は、君の家に行ったことがあるんだよ、ルメル君。プロフェッサーの手伝いで一度だけ。その時の君も元気そうだった。そして今日だ。会って気付いたよ。ああ、私はずっと君が好きだったのだな、と」
「え、待って、じゃあ、僕が……」
「知っている。プロフェッサーが気付いているのかは知らないが、私はすぐに気づいた」
「ヴェニ」
「言わないさ。誰も信じないだろうし、何より下手をしたら職を失ってしまう」
ヴェニーは笑った。フサロアス家からすれば、いくらベストスコアでも、魔導士一人くらいなら社会的にどうにかするのは簡単だろう。「それに」と続ける。
「それに、君が嫌がることはしたくない」
ドッと体が熱くなった気がした。この人は、本当に僕を心配しているんだ。喉を唾が通る音がする。きっと顔は真っ赤だ。言い寄られることはあっても、こんな風に真剣に言われるのは初めてで、困る。
「すまない! こんな年上に言われても困るだろう! つい言ってしまった。すまない」
「……ヴェニーっていくつなの?」
「二十一になる」
「え!」
「なんだ?」
「そんなに若いの?」
「え……?」
「だって……。え?」
「っふ。アハハハハ!」
「ヴェニー?」
ヴェニーが声を出して笑っている。この人、本当に見た目と中身のギャップが激しいな。
「いや、すまない。君が僕に興味が無いのが、面白くてな」
「それは、その」
「これでも、キリセナの次に期待されている若き天才と呼ばれているんだ」
「そうなんだ……」
「ルメル君」
真剣な声が名前を呼ぶから、僕も真剣な顔で彼を見た。
「恋人になってほしいわけじゃないんだ。ただ、何かあったら頼って欲しい。それ以上を、私は求めていないから」
「ヴェニー……」
「話が長くなってすまなかった! 明日からの行軍訓練、頑張ってくれ!」
それだけを言うと、ヴェニーはヒダカの方へ向かった。
その背中を見送っていると、あちらこちらで色々な話声が聞こえてくる。仕事の話をする人、趣味の話をする人、ピザの話をする人、さっきのサルの話をする人。でも、誰も僕の話なんてしていない。分かっている。ヴェニーも言っていたじゃないか。血の契約のことを知っているのは彼と教授だけだと。女だと知っているのも、偶然が重なっただけだ。
でも――。
でも、私がしていることは、諸刃の剣なんじゃないかな?
そう思った途端、背中が寒くなって身を捩った。もし女だとバレたらどうなるのだろう。契約内容は『男として過ごすこと』なので、誰かにバレること自体は問題ないような気もする。でも、もしヒダカにバレることが契約違反になったら? その辺はひどく曖昧だ。
しかも、あの契約には期限がないのだ。てっきり西の国が勝つまでかと考えていたけど、あの内容ではそれは分からない。本当に、子供一人騙すのは楽で仕方なかったことだろう。シャリエのほくそ笑む顔が浮かんで歯嚙みした。
翌日からの行軍訓練は驚くほどすんなりと進んだ。キリセナが無言で協力するようになったのだ。まだ何かわだかまりが残っているみたいだけど、いい方に向かっているような気がした。
サルは少しずつ元気になっている。最初は少ししか食べられなかったご飯も今ではお代わりを要求するくらいだ。そうなった原因はエルウアだ。彼女は時間を見つけてはサルに話しかけている。
「おさるさーん! ご飯だよー。やっぱりこれ好きなんだねぇ。甘いもんね。こっちもあるよ? 食べる?」
ニコニコとしている姿は子供らしくてとても可愛い。少し離れたところからドリンクを飲みながらそれを眺める。視線に気付いたエルウアが手を振ってくれた。笑顔で返す。
訓練も明日で終わり。今日は恒例の打ち上げを兼ねて大きな獲物を狩って、解体の準備をしているところだ。不意に後ろから控えめな気配がして振り向いた。
「どうしたの? キリセナ」
「……でぃい」
「え?」
「セナで、いい」
「呼び方? でも」
「セナでいいっ」
それだけ言うと、彼女は走ってエルウアの元へ行ってしまった。
「なんだったの……?」
「あいつなりのお近づきのしるしってやつなんだろうな」
「ヒダカ……」
「何をどう感じたのか知らないけど、ま、俺の勝ちってことかな」
「勝負じゃないでしょ」
「俺らには似たようなものだったって」
そう言ってキリセナたちを見る横顔がひどく楽しそうで戸惑う。「あの二人が好き?」口を開きそうになってグッと飲み込む。当り前だ。友達として、仲間として好きになったのは間違いないだろう。じゃないと、ここまで彼が動くことはきっとない。
「よかった、よね」
「まだまだ先は長いけどな」
「ねぇ、ヒダカ。神試合って大体いつ頃なのか知ってる?」
「そりゃあ知ってる。三年後って言われてるだろ?」
「三年ってさ、意外に短いと思う」
「俺らが会ってから、もうそのくらいか」
「ね、あっと言う間。だから、早いことはないと思う」
きっと、神試合は思っている以上にすぐにやってくる。そして、僕はこの人の隣からいなくなる。
「大変だと思うけど、頑張ってね」
「だからさ、なんでお前はいつも、関係ないみたいに言うんだよ」
「ヒダカはやっぱり僕もパーティーにって思ってるの?」
「そうだけど……。やっぱりって何?」
「ヴェニーが、」
「あいつと何かあった?」
「え?」
「何か、あったよな?」
ヒダカが念を押すように繰り返す。訓練に集中することですっかり忘れていたというか、忘れようと努力していた色々なことが思い出される。無言でいると、段々横から刺さる視線が気になってきた。何か言わないとヒダカの機嫌が悪くなる気がする。でも、言えることと言ったら告白されたことくらいだ。
「え、っと、その……」
言いたくない。言ってどうするのか。言って何が変わる。僕は鉄の笑顔を貼り付けて、小首を傾げた。
「なにも、ないよ?」
「誤魔化せると思ってるのか? それで」
「思ってはいないけど、言いたくない……」
「は?」
ヒダカの声が低くなる。ああ、やっぱり不機嫌にさせてしまった。でも、仕方ない。ペラペラ話すことでもない気がするし、どうにも言いたくないのだ。
「僕もサルに餌やってく」
「言って」
「ヒダカ……」
立ち上がろうとしたのを、腕を掴んで引き留められる。
「言いたくないって言ってるでしょ」
「俺は聞きたいって言ってるだろ?」
黙って睨みあった。こういうときは僕が譲ることが多いけど、今回はそうはいかない。そっとヒダカの手から腕を抜く。
「言えない。ヴェニーに悪いから。ごめんね」
ヒダカの眉間に皺が寄る。
「ヴェニーの話の方が大切?」
「なにそれ? どういう意味?」
「もういい。聞かねぇよ」
顔を逸らして呟かれたから、ヒダカがどんな顔をしているのかは分からなかった。
「わ、悪い! 知っている者はほとんどいない! 軽率だった!」
「ほとんど……?」
「私とプロフェッサーくらいだろう」
血の契約はその存在自体がほとんど知られていない。使えるのがフサロアス家の血族のみで、しかも他者に影響を及ぼすことが少ない魔法だ。秘密にしようと思えば簡単にできる。それでも人の口に戸は立てられないから、こうして一部の魔導士や研究者の中には知っている人もいる。それはいい。
問題は、
「なんで、分かるの?」
「プロフェッサーが君を調べたようだ。勝手にすまない。謝罪が必要であれば私からプロフェッサーを説得しよう」
「調べて分かるようなものじゃ……!」
「消去法だ」
「へ……?」
ヴェニーはこう説明した。
僕からは、今までに感じ取ったことのない魔力の気配がするそうだ。ある程度の魔導士ならば、何か特殊な魔道具か魔法を使用していることはすぐに分かる。でも、その先を解明するのは難しい。魔法や呪いの種類を特定するのは、どんなに素晴らしい魔導士でもほぼ不可能だ。
「そこで、様々な魔法を検証した。その中で、例の契約である可能性が高いだろうと結論付けただけだ。一番の根拠は君の姿形に変化がないことだった」
「背が低いだけでそこまで疑われるとは思わなかった」
「すまない! 内容は分からないから安心して欲しい!」
当り前だ。契約の内容を知るのは当事者のみなのだから。
荒くなりそうな呼吸を整えて、一歩下がって微かに腰を落とす。服に仕込んでいる眠り薬にそっと手を添えた。
「それで?」
「なんだい?」
「何が言いたいの?」
「いや! 私が言いたいのは! 苦しいだろう! ということだ!」
「は?」
「詳しい情報が入っているわけではないが、あれは、普通は家族間で行うようなものではないだろう? 君が、何か苦しんでいるのではないかと思ってな」
開いた口が塞がらない。もしかして、この人ものすごくいい人なのかな。勿論、言い逃れの可能性も高いけど、必死に話している姿にサルを気にかけていた姿が思い出される。
「君、なんでわざわざ僕に言ったの?」
言わなければ、ヴェニーが血の契約を知っていることに気付かなかったかもしれないのに。
「それは……」
「それは?」
「き、君が好きなんだ!」
「はぁ?」
頭が真っ白になる。本日二度目だ。意識がとても遠いところに行ってしまっている気がする。ハッと我に返ってヴェニーを見る。彼は綺麗に整った顔を真っ赤にして爛々と輝いた目で僕を見ていた。
「え? 本気なの?」
「ほ、本気だ……」
「なんで? 会ったの、今日が初めてだよね?」
「シュテアン劇団」
微かに目を見開いた。それはこの国で最も有名な劇団の名前で、僕にとっては身近な名前。母が花形として在籍していたところだ。
「常設劇場のすぐ近くに生家があってね。子供の頃にあそこの子供たちと何度か遊んだことがあるんだ。覚えていないかと思うが、そこに君はいた。今思えば一目惚れだったのかもしれない。珍しいシルバーアッシュの髪で、後になってフサロアス家の当主筋だと分かった。楽しそうに遊んでいた。次に見かけたのは前首相がご存命だったころだ。私は、君の家に行ったことがあるんだよ、ルメル君。プロフェッサーの手伝いで一度だけ。その時の君も元気そうだった。そして今日だ。会って気付いたよ。ああ、私はずっと君が好きだったのだな、と」
「え、待って、じゃあ、僕が……」
「知っている。プロフェッサーが気付いているのかは知らないが、私はすぐに気づいた」
「ヴェニ」
「言わないさ。誰も信じないだろうし、何より下手をしたら職を失ってしまう」
ヴェニーは笑った。フサロアス家からすれば、いくらベストスコアでも、魔導士一人くらいなら社会的にどうにかするのは簡単だろう。「それに」と続ける。
「それに、君が嫌がることはしたくない」
ドッと体が熱くなった気がした。この人は、本当に僕を心配しているんだ。喉を唾が通る音がする。きっと顔は真っ赤だ。言い寄られることはあっても、こんな風に真剣に言われるのは初めてで、困る。
「すまない! こんな年上に言われても困るだろう! つい言ってしまった。すまない」
「……ヴェニーっていくつなの?」
「二十一になる」
「え!」
「なんだ?」
「そんなに若いの?」
「え……?」
「だって……。え?」
「っふ。アハハハハ!」
「ヴェニー?」
ヴェニーが声を出して笑っている。この人、本当に見た目と中身のギャップが激しいな。
「いや、すまない。君が僕に興味が無いのが、面白くてな」
「それは、その」
「これでも、キリセナの次に期待されている若き天才と呼ばれているんだ」
「そうなんだ……」
「ルメル君」
真剣な声が名前を呼ぶから、僕も真剣な顔で彼を見た。
「恋人になってほしいわけじゃないんだ。ただ、何かあったら頼って欲しい。それ以上を、私は求めていないから」
「ヴェニー……」
「話が長くなってすまなかった! 明日からの行軍訓練、頑張ってくれ!」
それだけを言うと、ヴェニーはヒダカの方へ向かった。
その背中を見送っていると、あちらこちらで色々な話声が聞こえてくる。仕事の話をする人、趣味の話をする人、ピザの話をする人、さっきのサルの話をする人。でも、誰も僕の話なんてしていない。分かっている。ヴェニーも言っていたじゃないか。血の契約のことを知っているのは彼と教授だけだと。女だと知っているのも、偶然が重なっただけだ。
でも――。
でも、私がしていることは、諸刃の剣なんじゃないかな?
そう思った途端、背中が寒くなって身を捩った。もし女だとバレたらどうなるのだろう。契約内容は『男として過ごすこと』なので、誰かにバレること自体は問題ないような気もする。でも、もしヒダカにバレることが契約違反になったら? その辺はひどく曖昧だ。
しかも、あの契約には期限がないのだ。てっきり西の国が勝つまでかと考えていたけど、あの内容ではそれは分からない。本当に、子供一人騙すのは楽で仕方なかったことだろう。シャリエのほくそ笑む顔が浮かんで歯嚙みした。
翌日からの行軍訓練は驚くほどすんなりと進んだ。キリセナが無言で協力するようになったのだ。まだ何かわだかまりが残っているみたいだけど、いい方に向かっているような気がした。
サルは少しずつ元気になっている。最初は少ししか食べられなかったご飯も今ではお代わりを要求するくらいだ。そうなった原因はエルウアだ。彼女は時間を見つけてはサルに話しかけている。
「おさるさーん! ご飯だよー。やっぱりこれ好きなんだねぇ。甘いもんね。こっちもあるよ? 食べる?」
ニコニコとしている姿は子供らしくてとても可愛い。少し離れたところからドリンクを飲みながらそれを眺める。視線に気付いたエルウアが手を振ってくれた。笑顔で返す。
訓練も明日で終わり。今日は恒例の打ち上げを兼ねて大きな獲物を狩って、解体の準備をしているところだ。不意に後ろから控えめな気配がして振り向いた。
「どうしたの? キリセナ」
「……でぃい」
「え?」
「セナで、いい」
「呼び方? でも」
「セナでいいっ」
それだけ言うと、彼女は走ってエルウアの元へ行ってしまった。
「なんだったの……?」
「あいつなりのお近づきのしるしってやつなんだろうな」
「ヒダカ……」
「何をどう感じたのか知らないけど、ま、俺の勝ちってことかな」
「勝負じゃないでしょ」
「俺らには似たようなものだったって」
そう言ってキリセナたちを見る横顔がひどく楽しそうで戸惑う。「あの二人が好き?」口を開きそうになってグッと飲み込む。当り前だ。友達として、仲間として好きになったのは間違いないだろう。じゃないと、ここまで彼が動くことはきっとない。
「よかった、よね」
「まだまだ先は長いけどな」
「ねぇ、ヒダカ。神試合って大体いつ頃なのか知ってる?」
「そりゃあ知ってる。三年後って言われてるだろ?」
「三年ってさ、意外に短いと思う」
「俺らが会ってから、もうそのくらいか」
「ね、あっと言う間。だから、早いことはないと思う」
きっと、神試合は思っている以上にすぐにやってくる。そして、僕はこの人の隣からいなくなる。
「大変だと思うけど、頑張ってね」
「だからさ、なんでお前はいつも、関係ないみたいに言うんだよ」
「ヒダカはやっぱり僕もパーティーにって思ってるの?」
「そうだけど……。やっぱりって何?」
「ヴェニーが、」
「あいつと何かあった?」
「え?」
「何か、あったよな?」
ヒダカが念を押すように繰り返す。訓練に集中することですっかり忘れていたというか、忘れようと努力していた色々なことが思い出される。無言でいると、段々横から刺さる視線が気になってきた。何か言わないとヒダカの機嫌が悪くなる気がする。でも、言えることと言ったら告白されたことくらいだ。
「え、っと、その……」
言いたくない。言ってどうするのか。言って何が変わる。僕は鉄の笑顔を貼り付けて、小首を傾げた。
「なにも、ないよ?」
「誤魔化せると思ってるのか? それで」
「思ってはいないけど、言いたくない……」
「は?」
ヒダカの声が低くなる。ああ、やっぱり不機嫌にさせてしまった。でも、仕方ない。ペラペラ話すことでもない気がするし、どうにも言いたくないのだ。
「僕もサルに餌やってく」
「言って」
「ヒダカ……」
立ち上がろうとしたのを、腕を掴んで引き留められる。
「言いたくないって言ってるでしょ」
「俺は聞きたいって言ってるだろ?」
黙って睨みあった。こういうときは僕が譲ることが多いけど、今回はそうはいかない。そっとヒダカの手から腕を抜く。
「言えない。ヴェニーに悪いから。ごめんね」
ヒダカの眉間に皺が寄る。
「ヴェニーの話の方が大切?」
「なにそれ? どういう意味?」
「もういい。聞かねぇよ」
顔を逸らして呟かれたから、ヒダカがどんな顔をしているのかは分からなかった。
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