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第三幕

㉑ 殿下。受けて立ちましょう。

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 形式的な皇帝の言葉が終わり楽団が耳障りにならない程度に音楽を奏で始めると、ざわめきを残しながら人々の移動が始まった。

 年配の貴族は自らの格式にあったそれぞれの広間へ。
 社交界に出たての若い貴族達は中庭に残って、家格を越えた交流にいそしんでいる。

 夜半を回れば、未婚の貴族の最大の見せ場であるダンスタイムがやってくる。
 そのころには中庭の華やかさは最高潮に達するのだろう。

 その中心にいるのは、もちろんローランとレオンハルトに違い無い。

 皇帝に試練の突破の報告をすませているローランとレオンハルトの2人を遠巻きに眺めながら、リーズデールはうっとりとそんな光景を脳裏に思い描いていた。

「リズ。今日は妙にご機嫌が麗しそうだ。何か良いことでもあったのかね?」
「いいえ、旦那様。これから良いことが起こるのですわ」

 初々しい2人にあてられたせいか、ちょっと甘えたい気分のままリーズデールはそっと夫であるジルベール・アキテーヌ侯爵に身体を預けた。
 見上げた夫の表情はどこか照れくさそうで出会ったばかりの頃を思い出させる。

(レオがああなるのは予想の内でしたけれど、ローランまでああなるのは嬉しい誤算でしたね)

 いつもの魔術師姿からは想像も出来ない全力全開のローランの魅力にレオンハルトが戸惑うのは、リーズデールの計算通り。
 ローランが再び魔術師としての服装に戻っても、もう以前のようなお子様目線で彼女を見るのは難しいだろう。

 だが、ローランもローランで本来の年格好に戻ったレオンハルトに戸惑っているのは少し予想外だった。
 鈍いだけで、年相応の耐性はあると思っていたのだが……どうやらレオンハルトとどっこいどっこいのウブさだったらしい。

 結果として、2人を互いに意識させる試みはまず成功したと思って良い。
 あとはダンスタイムでのダメ押しを期待するだけである。

 とは言うものの、もう少し自分自身で手を入れたいところではある。

 さて、どうしたものかしらと思っているとまるで心を読んだように愛しい旦那様がリーズデールに助け船を出そうと見つめていた。

「リズ。何か忘れていることがあるんじゃないか?」

 ニコリと何かを催促するように微笑まれ、リーズデールは未だにローランと夫の面識が無いことを思いだした。

「そうですわね、旦那様。良い機会ですもの。可愛い甥の魔術師をご紹介いたしますわ」

※ ※ ※

「殿下、お疲れ様でございます」

 ようやく最後の貴族が中庭へと姿を消すと、貴公子然とした笑顔を振りまいていたレオンハルトをローランは背後からそっと労った。

 今代初の試練の証を手に入れ、皇帝陛下から直接お褒めの言葉を賜ったのだ。
 レオンハルトが貴族達から注目されるだろうとは覚悟していたが、その数はローランの想像を遙かに超えていた。

 それでも、難なく社交をこなしてみせるのだからやはり本物は違うなと思わざるを得ない。
 
「ああ。それよりも――具合はどうだ?」

 いつもと勝手の違う身体に戸惑うように身体を伸ばしながら、ローランを振り返ったレオンハルトが慌てたように視線を逸らした。
 もちろん、機嫌が悪いわけでも怒っているわけでもないことは自分を気遣う言葉からも明らかだ。

 いつになく着飾った自分に照れているのだということは、さすがのローランにも分かっているのであえて突っ込んだりはしない。

「え、ええ。今のところは大丈夫ですわ、殿下」
「そ、そうか。まあ、慰霊祭が終わるまでは何も無いとは思うが」

 むしろ、そうやって視線を逸らしてくれるのはローランにとってもありがたかった。

 いつものように軽く頭でも撫でられれば落ち着くのだろうが、今のレオンハルトの頭は背伸びをしないと届かない。

 どうにもこうにも勝手が違って、どう接して良いのかわからない。
 気恥ずかしいのはお互い様というわけだった。

「……なんですか、2人とも。みっともない」
「叔母上。それにアキテーヌ侯も」

 2人して挙動不審を振りまいていると、不意に呆れたような声がかけられた。
 見れば、この状況を生み出した張本人のリーズデールとローランの記憶に無い男性が仲良く寄り添ってニマニマと2人を眺めていた。

「それにしても、こうなるように飾ったわけだけど……予想以上ですね、ローラン。とても美しいですよ。ローラン、紹介いたしますわね。私の夫のジルベール・アキテーヌ侯爵です」
「初めまして、魔術師殿。妻からは何かと噂ばかりで、一刻も早くお目にかかりたいと思っておりました」

 そういえば、何度となくアキテーヌ侯爵家は訪れているのに肝心の主にはお目にかかったことが無かった。
 慌てて礼を返しつつ、これまでの厚遇の礼を述べる。

「なに。可愛い甥のな人ともなれば、粗略に扱わぬのは当然でございます」
「アキテーヌ侯までそのような……」

 な人、という言葉に帝冠継承候補者の魔術師という以上の意味を感じ取ったレオンハルトが渋面を浮かべてみせる。
 そんな顔も見慣れたはずなのだが、やはりこうして成長した姿ではいつもと印象が随分と違って見える。

 そんな落ち着かないローランとレオンハルト見てとったのか、笑いながらリーズデールとジルベールは2人を中庭へと誘った。

 夜気に冷やされた風が火照った顔に心地良い。

 自分より背の高いレオンハルトにエスコートされながら、アキテーヌ侯爵夫妻と談笑しながら中庭を泳ぐように巡っていると、そこかしこに祖霊たちが生者に混じって宴を楽しんでいることにローランは気がついた。

 魔力が低く気がついていない参列者も多いが、もちろん気がついている者も少なくない。
 それでも誰も騒いだりしないのは、いかにもこの帝国の貴族らしかった。

「不思議な夜会でございますね」
「そうだな」

 試練の場で生者と共に死人をも共に統治するのが皇帝の勤めであると聞かされていなければ、皇帝の真意は理解出来なかっただろう。
 単なる慰霊では無い。
 民の1人として、皇帝は祖霊をこの場に招いたに違い無かった。

「レオ。ローラン。私たちは他にご挨拶差し上げたい方もおりますので、この辺りで」
「承知いたしました。また、後ほど」

 しばらくそぞろ歩きを楽しんでいると、並んで歩いていたリーズデールとジルベールが暇を告げる。

 2人を見送っていると、ふとローランの視界に所在なげに周囲を見回している老婆の姿が飛び込んできた。

「どうした?」
「いえ。あのお婆さま、様子が気になりまして」

 胸の奥でチリチリと何かが疼いて、どうにも気になって仕方ない。
 レオンハルトは逆にそんなローランの様子が不思議でならないようだった。

「1人で来たということはないだろう。親族の方とはぐれたのではないか?」
「かもしれませんが、何かをお探しのようですわ」

 これだけ広い中庭でしかも夜間のことでもある。気がつけば連れとはぐれてしまってもおかしくはない。だが、ローランには老婆の振る舞いにははっきりとした目的があるように思えた。

「殿下。お声がけしてもよろしゅうございますか?」
「まあ、いいだろうが。あまり事情を詮索したりはしないようにな」
「心得ております」

 もちろん、あまり深く関わることは出来はしない。
 せいぜい事情を聞いて、巡回の役人に便宜をはかるように頼むのが関の山だろう。

 それでもなぜか、見捨てておけずローランはこちらに気がついたらしい老婆に声をかけた。

「もし。何かお困り事でございますか? お連れ様とはぐれられたというなら、私から役人の方にお声をかけてもよろしゅうございますが」
「い、いえ。そうではございませぬ。我が家のご先祖様がもしやこの場にお見えでは無いかと思いまして」
「まあ。そういうわけでしたか」

 それで何かを探すような素振りを見せていた理由が腑に落ちた。
 おそらく彼女の魔力では強い恨みも持たない死人の姿を見ることが出来ないのだろう。

 探すのを手伝いたいのは山々だが、さすがにそれは難しい。
 そもそも、彼女のご先祖様がこの場にいるかどうかも定かでは無いのだ。

 残念だが力にはなれない、ということを告げようとした時、クララの鋭い声がローランの耳朶を打った。

「それ以上、近づかないでくださいませ! 今宵この場は慰霊の夜会。杖をかざすは不敬でございます!」

 ざわりと中庭の空気が尖っていくのが肌に伝わって来る。
 見れば、スファレウス公国の魔術師団を従えたアマーリエとアウグストがじっとローランとレオンハルトを睨めつけていた。

「下がるのはそちらでしょう。一介の魔術師風情が帝冠継承候補者の道を塞ぐことが不敬。道を開けなさい」

 クララに対峙するように魔術師団から、1人の魔術師が前に出る。何かとクララと因縁のあるベアトリスだった。
 ただし、その顔にはいつものようなクララを揶揄するような余裕は無い。

「殿下。こちらへ」
「心配するな。俺とて帝冠継承候補者だ。それにまだ霊台に魔力を喰われてもおらんし、これもある」

 レオンハルトを庇おうと立ち上がったローランを逆に庇いながら、レオンハルトは軽く胸元を指さした。

「アマーリエ公女。社交と言うには少し物々しくは無いか? せめて、魔術師団ぐらいは下げるのが礼儀かと存じるが」

 アマーリエに真っ向から対峙したレオンハルトにアマーリエは挑むような笑顔で応えた。
 ようやくその時がやって来たとでも言うように全身から歓喜のオーラを立ち上らせている。

「韜晦は似合いませんよ、レオンハルト公子。妾の用など、とっくに察しておりましょう? 古の約定に従い、その証。ただ今、この場で貰い受けますわ。皆の者、下がりなさい。ただ今より、ここは——帝冠継承候補者の戦場いくさばとなりましょう」
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