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第六章

05-2

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 すっかり日が落ちて、冷え込む夜の気配に包まれた駐屯地内にある駐車場の、強力なライトに照らされながら退勤時の迷彩服姿で鷹栖が自分の車の近くまで歩いて来ると、かなり手前から、こちらを凝視して身じろぎもしない順平が見えた。
(……ったく、おっかねえな。見るからにやべえくらい、んじゃねえか……あの馬鹿野郎……)
 鷹栖がうんざりしたように胸の中で呟いたが、表面上は至って冷静に、微笑みすら浮かべると軽く手を振って見せた。
「よう。待たせて悪かったな」
「……」
 周囲に人がいないので隠す必要もなくなったのか、ライトから影になった顔にぎらぎらと白目を光らせて、順平は黙りこくったまま鷹栖を見つめている。その視線には明確な”殺意”が滲んでいるのが、鷹栖にはひりつくように感じられた。
 順平は課業後なので普段着のジャージ姿の上に、休日の外出によく着ているダークグリーンのプルジップパーカーを身に着けて、”珍しく”片手をポケットに突っこんだまま、その場に仁王立ちしていた。
 二メートルほど距離を取って足を止めると、うさんくさいほど爽やかな笑顔を貼りつかせた鷹栖が、わざと明るい声で順平に呼びかけた。
「おい、順平。そのまま、ゆーっくりと手をポケットから出せ。指一本動かさずに、だぞ。……出したら、こっちに手を開いて見せろ」
「……!」
 わずかに、順平が表情をこわばらせるのが見えた。睨みつけるように、鷹栖の顔を黙ってじっと見ている。
「落ち着け。別に、ボディチェックまでしようってんじゃねえよ。……たださ、安心したいだろ? 日頃、自衛官はポケットに手を入れないように指導されて律儀にそれを守っているのに、何故かそれを無視している奴と、これから狭い密室に入るんだからさ。……ほら、早いとこ手の中を見せろ。話がしたくねえのか?」
「……わかりました……」
 渋々といった様子で順平が、ゆっくりとポケットから握った片手を出した。それを鷹栖に向けて開くと、ボールペンの金属部分が鈍く光った。鷹栖が歩み寄りながら、手を伸ばしてさっとペンを取り上げる。にっこり笑って言葉を続けた。
「そっちの、足首に仕込んであるも預からせて欲しいんだけどな? ゆっくりと、だぞ……」
「……」
 順平は観念したのか、黙々とその場に屈みこむとジャージのズボンをまくり上げた。靴下に差し込んであったカッターナイフを抜くと、鷹栖の顔から目線を外さず無表情にそれを手渡した。鷹栖が受け取った物を自分の迷彩服のポケットに仕舞う。
「よし。こいつらは、話が終わってから返してやるよ。……じゃあ、始めるか」
 車のロックを解除しながら、鷹栖はちらりと順平の全身に視線を走らせた。
(……まだ、腰の辺りに何か隠してそうな気もするが。しかし、その気になれば指先だけでも「眼球をえぐる」くらいのことは、平気で仕掛けて来そうだからな、こいつのリーチなら……。あまり警戒し過ぎたところで意味は無いか……)
 とりあえず、すぐ”武器”になりそうな物は没収したので、ワンアクションの初動で即死させられる危険性は多少減らせたと言っていいだろう。服をまくって武器を取り出すならツーアクション掛かるので、少なくともその間に対応できる。
 これは例え相手が、決して手懐てなずけられない野生動物のような、恩知らずの問題児だとしても、監督の大事な教え子であり、自分にとっても後輩である若者を「犯罪者にしないよう守る」ための措置なのだ……と鷹栖は自分に言い聞かせていた。
 レッドクリスタル塗装のSUVに乗り込んだ後、鷹栖はエンジンをスタートさせて車をアイドリング状態にした。暖房をつけるため、というのはむろん表向きの理由で、本当の狙いは、順平が不測の動きをした時に、間髪入れずにアクセルをベタ踏みして車を前方に突っ込ませ、エアバックを作動させて相手を圧迫し拘束するためだった。
 普段から地域の情報収集用につけっ放しのカーラジオを切ってから、鷹栖が改めていつも通りの、物柔らかな口調で隣に座った順平に問い掛けた。
「……で? 何だって急にオレのこと殺したくなったの? 理由くらい教えろよ」
「……っ……」
 驚愕したように、順平が眼を見開いて鷹栖を見た。呆れ顔で鷹栖が続ける。
「お前さ、そんな殺気ダダ洩れで、バレてねえとでも思ったのかよ。本気で馬鹿だな……まあでも、人前で実行しなかったことだけは褒めてやる……。そんで、理由は何だ? オレの記憶が確かなら、”お前の女”は別にってねえと思うが?」
 順平は憮然とした表情で視線を前方に戻すと、躊躇った後で重々しく口を開いた。
「……その前に、こちらからも質問させてもらってもいいですか? その後でお答えします」
「わかった。言ってみろ」
「昨日の昼間……K市の細い坂道の上にある、寺の敷地に隣接した一軒家にいらっしゃいましたよね? あの時は、何をされていたのですか……?」
「……は?」
 今度は、ハンドルに手を掛けた姿勢のまま、鷹栖がぽかんとして順平を見つめた。全く予想もしなかった方向からの質問に、一瞬思考が追い付いてこないようだった。いつも冷静な整った顔に、珍しく戸惑うような色が浮かんでいる。
「えっ? 昨日の昼間、坂の上の寺の……ってお前、あそこにいたのか……? マジで? じゃあ、もしかして……あの駐車場に置かれてた洋菓子店の紙袋って……お前が……?」
 順平が前を向いたまま、わずかに頬を赤らめて頷いた。
 数秒間、順平の横顔を見つめたまま黙って思考を巡らせていた鷹栖は、ある結論に至って、盛大に溜息をつきながらハンドルに突っ伏した。あやうくアクセルペダルの上で浮かせていた足を、驚きのあまり踏み込んでしまうところだった。
「マジかー……まさかお前が、本当に……? マジかよ……」
 聞こえないくらいの低い声で、順平がぼそぼそと答えた。
「昨日、家の裏から出て来て、二人で玄関に入って行くのを、目撃したものですから……」
「ああ……まさか、本当に、あの”弟のほう”狙いだったとはな……そりゃ、あの子も可愛いけどさあー……」
 目を覆ったまま何故か困ったようにぼやいている鷹栖を、可愛いという単語に反応して順平がまた睨みつけた。その視線の敵意を察したのか、鷹栖が顔を起こしてぱっと両手を広げて見せた。
「オッケーわかった。まず先に言っとくと、オレはあの弟とは何もしていない。無論つき合ってはいないし、として見たこともない。理解したな?」
「……本当ですか?」
「信じろよ! 上官の言うことを! ……そりゃ自業自得な面があるのは認めるが、オレの専門分野は女だけなんだ!」
「しかし……先日の新年会では、どっちでもイケると……」
「そういうのは、お前あれだよ……場の雰囲気に応えるっていうか……空気読めよ」
 まだ信じられないのか、警戒感を残したままの順平の顔を横目で見ながら、鷹栖がやれやれという表情でハンドルにもたれ掛かりながら言った。
「オレは、お前が誰かにのぼせ上がってることも、あの家の弟と友人なことも知ってはいたが……そこが同一人物だってことには不覚にも考えが至らなかったよ。だってあの子、可愛いけど、ものすごくノンケっぽいじゃねえか? オレのイメージとしては……いや、やっぱ専門外のことはわかんねえもんだな……」
 本当に鷹栖が自分と洋太の関係に気づいていなかったことは、彼が洋太をとして見ていないことの証明のように思われ、ようやく少し安心した順平だった。
 鷹栖は気まずそうに頭を掻くと、急に真面目な顔になって言った。
「だから、あの弟の線があるとしても、お前の片思いかと思ってたんだ。……いつから付き合ってて、どこまで行ってるんだ?」
「去年の……夏くらいから、です……。その、もう体の関係は……」
「もうってるかー……そりゃそうか……はあ……。それで、オレにあの子をられるかと思って、嫉妬して殺しちゃおうと思ったの?」
「それもありますが……あなたの女癖の悪さは知っていたので、過去の例と同じように、あいつを遊びで傷つけられるくらいなら……いっそ、今のうちにあなたを殺して、オレも死のうと……」
「うわあ、やっべえ思考してんなー……マジでお前、オレ以外にそういう事は、冗談でも絶対言うなよ……」
 それから一瞬、考え込むように目を閉じた後で、鷹栖が体ごと向き直って順平の眼をじいっとのぞきこんだ。緊張が解け始めていた順平が、逆にちょっと気圧けおされる。
「お前の質問には答えたから、オレのほうからも一つだけ、お前に訊いておかなきゃならんことがある。……いいか? これは極めて重要なことだから、正直に答えろよ?」
「? はい……」
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