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第二章

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 初めて待ち遠しかった休暇の日。順平は朝一で外出許可証を受け取るとJRと市電を乗り継いで、同じ県内にある有名観光地のK市に向かった。
 厚手の黒の長袖Tシャツにアースカラーのライトダウンのベスト、カーキ色のカーゴパンツのポケットには鷹栖からもらった観光用のK市の寺社マップが、防水用のジップ付きのビニール袋に入れられ、目当てのポイントが載っている箇所をすぐ広げやすいよう陸軍などで使う特殊な方法で折り畳んで方位磁石とともに仕舞われていた。
 背中のチェストバッグには少量の携帯食とペットボトルの水が一本入っている。観光地の値の張る飲食店に入るつもりは毛頭なかったので、これで一日しのぐ予定だ。
 いつもの陸上部の遠征などは部員の誰かが出す車に乗せてもらっていたので、順平は初めて乗る観光地の市電のあまりの人の多さに辟易した。遊びに来たらしい近隣の若者らや、様々な言語でおしゃべりする観光客の集団など、普段の順平があまり目にしない光景だったので、物珍しさ以上にうるさくて気疲れする。
 ガタゴト左右に揺れる狭苦しい車内に立ち、順平はポケットから折り畳んだ寺社マップを取り出して広げると、観光客の歓声とともに窓の向こうに広がる、陽光一杯の広々した海の眺めには目もくれず、真剣な表情で今後の行動計画を練り始めた。
(歴史のある観光地とは聞いていたが……にしても多いな……これが全部、寺?)
 広げたA4のコピー紙には、市街地の範囲にくまなくと言っていいほど、びっしりと印がされていた。マップによれば狭い盆地にあるK市には、合計すると120近い仏教系の寺院があるらしい。廃寺となったものを含めると更に多い。
 とりあえず、ガイドブックに写真が掲載されているような著名な大伽藍は除外して、比較的規模の小さそうな寺を一つずつ当たることにした。もちろん、レンタカーなど使わないので全て公共交通機関と徒歩だ。
(回る順序は、距離よりも標高の近いポイントで結んだほうが効率がいい……補給はここと、ここで……行軍ペースで歩けば一日で十分の一くらいは行けるか……?)
 その顔は、夢にまで見た想い人の自宅をこっそり探す若者というよりは、極秘任務を遂行する鍛え抜かれた若い下士官のそれだった。
 あちこちの大小様々な寺を観光客に混じって見て回り、時にはバスを待ちながら、道端の石に腰かけて携帯食のエナジーバーをかじりつつマップを確認し、一つ一つ、確認済みのポイントに×印をつけて行く。 
 さらに観光用のマップには記載のない山の中の獣道のような廃道を、補足用に携行してきた地理院地図の情報と周辺の地形から読み取って辿ったり、住宅地から離れて忘れられかけた昔の墓地をショートカットしたりしながら、着実に数を稼いだ。
 寺社や参道、古い邸宅などが多い古都は、冬でも常緑樹の緑が多く、大きな道路を少し入った先は大抵、落ち着きのある佇まいの日本家屋の家並みが続いていた。
 その中でも、車一台が通るのがやっとという細い車道が瀟洒な家々の間を所々曲がりくねりながら、ゆるやかな登り坂の奥のほうまでずっと延びている道を順平は一人で歩いていた。
 家並みの両側には山を切り通した高い崖が迫り、その上の生い茂る木々に挟まれた細長い空では、そろそろ日が傾きかけようかという時間帯だった。
(……随分、奥のほうまで来てしまったな。隊舎の夕食に間に合うよう帰路に掛かる時間を考えると、この次あたりが限界か……残りはまた来週以降の休暇の時に……)
 順平は本気で、百を超すK市のめぼしい寺を全て見て回るつもりでいた。休暇を全て回せば、時間は十分ある。ちょうど今年の駅伝のシーズンが終わったばかりであり、鷹栖からもトレーニングの合間にきちんと休みを取るように言われていた。
 ソールの堅牢さと透湿などの機能性を重視した質実剛健なデザインの、使い込まれた黒の不整地用ランニングシューズの下で、色鮮やかな落ち葉が乾いた音を立てる。
 坂の上に小さな寺の山門が見えてきて、手前の駐車場に差し掛かった時、敷地の縁に植えられた控えめな色合いの花々の小さな群れが順平の目に止まった。
 花に疎い順平には名前は分からないが、三つほどに分かれた扇のような形の葉と、すうっと伸びた細い茎の先に、くすんだピンク色のレースのような花弁が幾重にも重なって、わずかに俯きながら咲く姿がつつましい大人の女性を連想させた。
(こんな寒い時期に咲くなんて、珍しい花だな……)
 植え込みを横目に見ながら角度の急な短い石段を上がると、目の前にすがすがしい空間が広がって、思わず順平は、ほう……と小さく息を漏らした。
 こぢんまりとした庭は丁寧に掃き清められており、様々な種類があるが多すぎない植木にも、手入れが行き届いていて空間全体の見通しがいい。
 ゆるくカーブした敷石をなぞって歩くと、軒が深い苔むした瓦屋根に、柱や梁の色合いこそ古めかしいが、すぐに歩いて一巡り出来そうな可愛らしいサイズの本堂が、傾きかけた日差しの優しい金色の光を浴びて緑の木々の間にしん、と鎮まっていた。
 そこにいるだけで、吸い込む空気が浄化されているような心地よさを感じる。このところ若者らしい煩悩に悩まされてきた順平は、今までの人生でこういう静謐な雰囲気の場所を訪れたことは一度もなかったが、何故か不思議な懐かしさを覚えた。
(広くはないが、気持ちのいい庭だ……)
 海に面したK市を巾着袋のように取り囲む低山の中腹の、坂を上り切った奥まった所にあるのと、もうすぐ閉館時間が近いので境内には他に参拝客の姿はなかった。
 順平は本堂の裏手にも回ってみようと思い、ゆっくり植木の間を歩いて行った。
 その時、西日が射しこむ本堂の古い木製の縁側に一人の人影があるのに気づいた。それもどうやら背中をこちらに向けて、倒れているように見える。
 後頭部だけだが黒っぽい髪の短さと、横になっている墨色の上下の背格好から見て、比較的若い男性らしいと順平は判断した。
(何だ? 急病人だったら救助しないと……周りに協力を頼める人はいないか?)
 職業柄、災害現場での要救助者の対応なども叩き込まれている。順平は倒れている人に大股で近づき、まず肩を軽く叩いて声を掛け、意識の有無を確認しようとした。
「どうしました?! 大丈夫ですか?!」
(自発呼吸は? 顔色、脈拍は? 観光地ならどこかにAEDが設置してあるはずだが、オレ一人しかいないのに取りに行けるか? 先に119コールしてから――)
 その時、順平に背中を向けて倒れていた相手の肩が、急にぴくりと動いた。
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