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3章

日が暮れて

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 部屋でユリシーズとソファに座ってくつろいでいる間に、ディエスがノクスに変わった。

「ん? ここはどこだ?」

 自分のいる場所を見回して、何が起きているか分かっていないノクス。今日は新月前夜で昼と夜がはっきりと区別される日だから、ユリシーズ同士の記憶がうまく引き継げていないのかもしれない。

「公爵家から弟が来たのよ。それで、ユリシーズが領地を案内することになったの」
「領地のことはディエスしか分からない。俺は案内なんかできないぞ?」
「そうらしいわね。公爵家の弟と離れるとき、夜は別行動をしましょうと言っておいたけれど」

 ただ、向こうから来られてしまったらそうもいかない。
 ディエス曰く、ローレンスは夕食に私たちを誘うつもりらしい。その時に、護衛が雇った暴漢が襲ってくる段取りになっているんだとか。

「今、向かいの部屋で言い争ってるやつがその弟か?」
「何を言い争っているか分かる? 私は全然聞こえないのだけれど」
「若そうな男は『約束を守れ』と言っていて、他のやつに『閣下のご意向に沿ってください』となだめられている」
「私たちをはめようとしているのが『他のやつ』ね」

 全くもう。ローレンスの意見を聞こうとしないなんて。
 王子様の護衛や従者と言っても所詮は公爵様の顔色しか見ていないのだわ。
 ローレンスが公爵家にいたときに無気力だったのを思い出す。こういう環境にいれば無理もない。

「どんなのを雇ったのか知らないが、暗殺者を送り込んできてうまくいかなかった反省点をどう生かしたのかは気になるな」
「ノクスをあの人たちの前に出すのは反対だけど、ローレンスをあのままにして見過ごすのも癪だわ」
「ローレンスっていうのが公爵家の王子か」
「そう。彼はまだ公爵家に染まっていないのよ」

 昼間にユリシーズの話を聞きながらあんなに生き生きとしていたのだから、本当はちゃんと意思を持って生きているはずなのに。
 人は尊重されなくなったら希望を持たなくなる。
 私は実家にいたとき、現状がこれ以上よくなるかもしれないなんて全く思わなかったのだから。

「感情移入でもしたのか?」

 ノクスは不思議そうに私を見ている。

「分からない。そうなのかもしれないし、公爵様とその周りの人たちが気に入らないだけなのかもしれない」

 そのとき、部屋をノックされた。

「姉上、義兄上、よろしいでしょうか?」

 ローレンスが扉の所に来ている。部屋の中にいるのは、昼間のディエスよりも目つきが悪くて獣の耳と尻尾が生えたノクス。
 どうしよう、全然よろしくない。よろしくないけれど……。

「どうしたの?」

 とりあえず、何か答えなくちゃ。

「夕食を一緒にと思ったのですが」
「あら、どちらで?」

 扉の向こうで、ローレンスは気が進まないながらも周りに言われて私たちを誘っている。
 どうするのがいいのかしら。

「義兄上は、この町の店をご存じですか?」
「知らん」
「……!」

 全然ダメだわ。言葉遣いが違い過ぎるし、昼間とは別人としか思えない。
 ローレンスの前にノクスを出すのは絶対に無理。

「そうですか。執事の方でしたらどうでしょうか?」
「そうね、知っているのではないかしら。でもわたくしたちはご一緒できないわ。都合が悪いの」
「都合が悪い、ですか?」

 ああどうしよう、なんて言って切り抜ければ……。

「ユリシーズは夜になると体調が悪くなるのよ。持病で」

 ああ、勢いで病人にしちゃった。ものすごくピンピンしてるし。身体も耳も。

「義兄上は持病がおありなのですか?」
「ええ、そうなの」

 苦し紛れについた嘘に、ノクスが隣で「大丈夫なのか?」と言いたげな表情を浮かべる。
 だって旅先なのにあなただけ仮装しているなんて言ったらおかしいじゃないの。耳カチューシャと尻尾を持ってきていないし。

「それは心配ですね……。義兄上は非常にお身体の強い方だと父上から聞いていたのですが、そういうわけではなかったのでしょうか」
「日常生活に支障ない程度だから、心配しなくて大丈夫よ。でも、夕食は部屋でいただくことにするわ」
「それでは、私は執事の方に私たち一行が入れそうな飲食店の場所をうかがってまいります」
「わざわざありがとう」

 ローレンスは隣のバートレットの部屋に向かったのか、扉向こうから離れて行ったらしい。まずは、ノクスが見られなくてセーフ……かしら。

「おい、アイリーン。俺に持病があるってどういうことだ?」
「だって、ノクスが出て行ったら昼間と別人だと思われるでしょ」
「ローレンスってやつを知らないし昼間の会話を憶えていないから、おかしなことになるだろうな」
「あ、ところでバートレットは大丈夫??」
「あいつは昼と夜で人格が変わることもないし記憶もしっかりある。耳と尻尾さえ隠せばなんとかなるだろ」
「耳と尻尾を隠す……」
「今は、扉を少しだけ開けて顔を横に倒して対応しているようだ。耳と尻尾が隠れるだろ」

 ご、ごめんなさいバートレット……決してあなたを売ったわけじゃないのよ……。

「まあ、バートレットは危機回避能力が高い上、人との関りが多いポジションだ。大抵のことには対応できる」
「よかったわね、有能な執事で」
「そもそも、有能じゃなきゃ執事にはなれない」
「ああ、そうよね」
「ローレンスが部屋に戻っていったようだ。バートレットが飲食店の場所を書いて渡していた。向こうの自称護衛たちはどう出るんだろうな」

 ユリシーズは人狼の地獄耳で離れた場所の会話を聞くことができる。
 私たちが同行しないのに、護衛の方たちもわざわざ外に出たりはしないでしょうね。

「外出を諦めたみたいだな。雇ったやつを使って、この部屋を外から襲撃しようとでも思っているんだろう」
「やっぱり、そうなるの?」
「怖いか?」
「そりゃ……」

 これまで、部屋に人が侵入してきたことなんか……いや、あったわ。ノクスにも入られたしペトラにも入られたんだった。

「バートレットとシンシアも大体のことは把握している。人狼の怖さを教えてやろうか」

 暗い部屋でノクスがくすりと笑う。ロウソクの灯は頼りなく、黒い耳が闇に溶けている。
 確かに、夜であれば頭の上についているものが耳だとは分かりにくいかもしれない。でも、あなたの正体が知られないように全力を尽くしたいと思うのよ。
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