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3章
弟の来訪
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オルガさんが来てから1週間後、やはり弟がやってきた。
昼過ぎに着いたということは、途中で一泊してきたのだろうか。
やる気のない様子で玄関に立っていた赤毛の弟は、私たち夫婦を見て「姉上、義兄(あに)上、お久しぶりです」と形式的な挨拶をした。クリスティーナ妃の面影があって、お兄様よりは親しみがわく。
「お越しいただきありがとうございます、ローレンス様」
ユリシーズは公爵家の義弟に対し、膝をついて迎えた。
伯爵様と公爵家の令息って立場的にどういう感じなのかしらと思ったけれど、恐らく義理の弟に対する敬意をちゃんと示したのだと思う。
弟……ローレンス・フリートウッドは、目にかかりそうな髪を軽くかきあげて「姉上も、お久しぶりです」と挨拶を返していなかった私の方を見た。しまった。
「わたくしたちは、この間会ったばかりですね」
焦ったのを悟られないように、ドレスをつまんで腰を落とす。挨拶を忘れていたなんて思われたら公爵家の恥だと報告されてしまう。
ローレンスの後ろには、ずらりと護衛が並んでいた。軽く20人くらいはいる。
軍隊を引き連れた王子様なのね。
お兄様の時よりも人が増えているのは、公爵様なりの対策なのかしら。
こんなに護衛を連れて物々しく姉を訪ねる弟ってどうなの? 普通?
「護衛の数が、多いのですね」
ユリシーズは穏やかに、かつ鋭い目で言った。昼間の姿は人間と変わらないけれど、人狼らしく迫力はある。ローレンスも、これが死神伯だということはよく分かっているはずだ。
「私は武芸に秀でておりませんから、父上に心配されたのでしょう。道中で襲われる可能性がありますから」
「この家には、全員が入れる部屋があるかどうか……」
ユリシーズはぞろりと並んだ護衛を見て難しい顔をした。確かに、こんな人数がいっぺんに入れるような部屋はない。食堂ならなんとか入れそうだけれど……。
「そうだな。家に入るのは私と3名までとしておこう」
ローレンスがそう言うと、ユリシーズの口角がわずかに上がった。
公爵様の狙いは全員でこの屋敷を探ることだったのかしら。
相変わらずローレンスには意図を伝えていないらしい。大部分の護衛はあっさりと屋敷の外で待機する羽目になった。
「助かります。公爵家とは違い、なにぶん狭い家ですから」
ユリシーズは狭いと言っているけれど、この屋敷は狭くなんかない。
公爵家のお城に比べたら三分の一程度の大きさかもしれないけれど、私の実家の五倍くらいの部屋数と敷地がある。
この数の護衛を座らせておく部屋はないけれど、立たせておけばいいのなら廊下だって広い。
「ごめんなさいね、ローレンス。まさかこんなに大所帯で来られると思わなかったの」
白々しく微笑んで、後ろに控える護衛たちをちらりと見る。
動揺しているようには見えないけれど、置いて行かれることになって焦っているでしょうね。
私とユリシーズは4名の公爵家関係者を応接室に通すと、ローレンスは付き人らしき3名を横に従えて一人掛けのソファに座った。その動きには独特の気品があって、お兄様よりも弟の方がプリンスらしいと思ってしまう。
「ここまで、遠かったでしょう? どこかで一泊したの?」
「沿岸部を通っていくつかの町に立ち寄りながら、途中で一泊しました。戦後は治安や市政が荒れますからね」
えっ。もしかしてこの人、国内を見ながらここまで来たの? お兄様よりもずっとまともじゃないの。
「何か発見はございましたか?」
ユリシーズが穏やかに尋ねる。そういえば、私、自分の夫の能力や実力をあまり知らない。
「やはり沿岸部は港があると治安が悪くなりがちですね。不法な取引や独自の税金が生まれていて、整備が必要だと考えさせられました。伯爵の領地は治安がよかったのですが、何か特別なことをされておりますか?」
「各地にいる部下が優秀なのだと思いますが、住民から出た要望はなるべく聞くようにしています」
ユリシーズと小旅行に行ったときに思ったけれど、領民の方たちとユリシーズの関係は親し気で良い雰囲気だった。
「実は妻を迎えてから家に籠りがちなのですが、もともとは領地を周るのが好きでして」
それって、私と結婚してから悪い領主になったってことじゃないの。
「姉上、伯爵を家に閉じ込めているのですか。感心しませんね」
私だって初耳です。感心しませんね。
「嫌だわ、ローレンス。わたくしが家にいてと言ったわけではないのよ?」
「そうなのです。私が妻の魅力に抗えないのが悪いのです」
あなたは黙っていて。思春期の男の子に堂々と話すことじゃないでしょ。
「姉上も伯爵と共に領地内を周れば良いではないですか。私としては、領主を助ける妻として名を馳せていただきたいものですが。悪女の噂が立つのではなく」
ぐさりと来たわ。正論過ぎて何も反論できない。薄々気付いていたけれど、私って世間的な見え方としてはユリシーズにとってちっとも良い妻じゃないのよね。領民に恨まれたりしていないかしら。
「ローレンス様、妻を責めないでください。彼女の魅力に溺れてしまうのも、私が至らないだけなのです。私は、他のすべてを投げ出しても、妻に笑っていて欲しいと思ってしまうのです」
お願い、今は惚気ないで。その発言で、どんどん私が悪女になっていくのよ。
ローレンスの目がヒヤリとした温度で私の方を見ているじゃないの。
「姉上……?」
「ご、ごめんなさい。別にそんなつもりじゃなかったの。ただ夫が四六時中わたくしを離して下さらないからっ……」
しまったあああ、私、何を言ってるの?! 下手に弁解しようとして墓穴を掘っているじゃないのっ。
ローレンスがいよいよ軽蔑した目でこちらを見ているし、ユリシーズが嬉しそうに照れているから真実味が増してしまって頭が痛いわ。
昼過ぎに着いたということは、途中で一泊してきたのだろうか。
やる気のない様子で玄関に立っていた赤毛の弟は、私たち夫婦を見て「姉上、義兄(あに)上、お久しぶりです」と形式的な挨拶をした。クリスティーナ妃の面影があって、お兄様よりは親しみがわく。
「お越しいただきありがとうございます、ローレンス様」
ユリシーズは公爵家の義弟に対し、膝をついて迎えた。
伯爵様と公爵家の令息って立場的にどういう感じなのかしらと思ったけれど、恐らく義理の弟に対する敬意をちゃんと示したのだと思う。
弟……ローレンス・フリートウッドは、目にかかりそうな髪を軽くかきあげて「姉上も、お久しぶりです」と挨拶を返していなかった私の方を見た。しまった。
「わたくしたちは、この間会ったばかりですね」
焦ったのを悟られないように、ドレスをつまんで腰を落とす。挨拶を忘れていたなんて思われたら公爵家の恥だと報告されてしまう。
ローレンスの後ろには、ずらりと護衛が並んでいた。軽く20人くらいはいる。
軍隊を引き連れた王子様なのね。
お兄様の時よりも人が増えているのは、公爵様なりの対策なのかしら。
こんなに護衛を連れて物々しく姉を訪ねる弟ってどうなの? 普通?
「護衛の数が、多いのですね」
ユリシーズは穏やかに、かつ鋭い目で言った。昼間の姿は人間と変わらないけれど、人狼らしく迫力はある。ローレンスも、これが死神伯だということはよく分かっているはずだ。
「私は武芸に秀でておりませんから、父上に心配されたのでしょう。道中で襲われる可能性がありますから」
「この家には、全員が入れる部屋があるかどうか……」
ユリシーズはぞろりと並んだ護衛を見て難しい顔をした。確かに、こんな人数がいっぺんに入れるような部屋はない。食堂ならなんとか入れそうだけれど……。
「そうだな。家に入るのは私と3名までとしておこう」
ローレンスがそう言うと、ユリシーズの口角がわずかに上がった。
公爵様の狙いは全員でこの屋敷を探ることだったのかしら。
相変わらずローレンスには意図を伝えていないらしい。大部分の護衛はあっさりと屋敷の外で待機する羽目になった。
「助かります。公爵家とは違い、なにぶん狭い家ですから」
ユリシーズは狭いと言っているけれど、この屋敷は狭くなんかない。
公爵家のお城に比べたら三分の一程度の大きさかもしれないけれど、私の実家の五倍くらいの部屋数と敷地がある。
この数の護衛を座らせておく部屋はないけれど、立たせておけばいいのなら廊下だって広い。
「ごめんなさいね、ローレンス。まさかこんなに大所帯で来られると思わなかったの」
白々しく微笑んで、後ろに控える護衛たちをちらりと見る。
動揺しているようには見えないけれど、置いて行かれることになって焦っているでしょうね。
私とユリシーズは4名の公爵家関係者を応接室に通すと、ローレンスは付き人らしき3名を横に従えて一人掛けのソファに座った。その動きには独特の気品があって、お兄様よりも弟の方がプリンスらしいと思ってしまう。
「ここまで、遠かったでしょう? どこかで一泊したの?」
「沿岸部を通っていくつかの町に立ち寄りながら、途中で一泊しました。戦後は治安や市政が荒れますからね」
えっ。もしかしてこの人、国内を見ながらここまで来たの? お兄様よりもずっとまともじゃないの。
「何か発見はございましたか?」
ユリシーズが穏やかに尋ねる。そういえば、私、自分の夫の能力や実力をあまり知らない。
「やはり沿岸部は港があると治安が悪くなりがちですね。不法な取引や独自の税金が生まれていて、整備が必要だと考えさせられました。伯爵の領地は治安がよかったのですが、何か特別なことをされておりますか?」
「各地にいる部下が優秀なのだと思いますが、住民から出た要望はなるべく聞くようにしています」
ユリシーズと小旅行に行ったときに思ったけれど、領民の方たちとユリシーズの関係は親し気で良い雰囲気だった。
「実は妻を迎えてから家に籠りがちなのですが、もともとは領地を周るのが好きでして」
それって、私と結婚してから悪い領主になったってことじゃないの。
「姉上、伯爵を家に閉じ込めているのですか。感心しませんね」
私だって初耳です。感心しませんね。
「嫌だわ、ローレンス。わたくしが家にいてと言ったわけではないのよ?」
「そうなのです。私が妻の魅力に抗えないのが悪いのです」
あなたは黙っていて。思春期の男の子に堂々と話すことじゃないでしょ。
「姉上も伯爵と共に領地内を周れば良いではないですか。私としては、領主を助ける妻として名を馳せていただきたいものですが。悪女の噂が立つのではなく」
ぐさりと来たわ。正論過ぎて何も反論できない。薄々気付いていたけれど、私って世間的な見え方としてはユリシーズにとってちっとも良い妻じゃないのよね。領民に恨まれたりしていないかしら。
「ローレンス様、妻を責めないでください。彼女の魅力に溺れてしまうのも、私が至らないだけなのです。私は、他のすべてを投げ出しても、妻に笑っていて欲しいと思ってしまうのです」
お願い、今は惚気ないで。その発言で、どんどん私が悪女になっていくのよ。
ローレンスの目がヒヤリとした温度で私の方を見ているじゃないの。
「姉上……?」
「ご、ごめんなさい。別にそんなつもりじゃなかったの。ただ夫が四六時中わたくしを離して下さらないからっ……」
しまったあああ、私、何を言ってるの?! 下手に弁解しようとして墓穴を掘っているじゃないのっ。
ローレンスがいよいよ軽蔑した目でこちらを見ているし、ユリシーズが嬉しそうに照れているから真実味が増してしまって頭が痛いわ。
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