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3章

突然のステイ

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 なるべく早く帰って欲しいと願っていたクリスティーナ妃の乳母、オルガさんがこの家に泊まると言い出した。
 咄嗟に首を振りたくなってしまったけれど、ユリシーズは苦笑して「おもてなしができるかどうか」とほんのり渋る。

「いえ、おもてなしなど不要ですわ」
「オルガ、図々しいのではなくて?」

 こうなったら私が頑張って「クリスティーナ様」からの命令で追い返さなくちゃいけないわ。

「んまああ、クリスティーナ様。そんな風に遠くから来たものを追い返すような言い方を教えた覚えはございませんわ」

 んまあああ、オルガさんこそ、この嫌がり方が分からないなんて。
 ……って言えたらいいのに。

「クリス様、折角ですから泊まっていただくのが良いのではないでしょうか? ゲストルームは空いておりますし」

 本気なの?! という顔をユリシーズに向けてみたけれど、ディエスはいつもの様子で笑っている。これがノクスだったら「ふっざけんなよ!」と言って追い返しそうなものなのに。

「オルブライト伯爵は、お話の通じる方のようで良かったわ。それでは、本日はわたくしと侍女でこちらに泊まらせていただきます」
「はい、ごゆっくりなさってください」

 どうするのよ。陽が暮れた途端、この屋敷内の人狼はみんな耳が頭の上に生えて尻尾がふさふさしちゃうのよ?!

 オルガさんの狙いが分からないのもあって、ここまで頑なに泊まろうとされるのは不気味だ。
 私を教育し直すためなのか、単に興味なのか、それとも公爵様の思惑おもわくどおりなのか。

「ではシンシア、メイド長にゲストルームを整えるように伝えてきてください」
「はいっ!」

 シンシアは頭を下げて部屋を出て行った。
 ジュディに伝わったら、泊まってもらう流れは止められない。

 声に出さずに「どうするのよ?!」と口だけを動かしてユリシーズに伝えると、なぜかウィンクを返された。いやいやそうじゃないでしょ。
 外を見ると、既に陽が沈みかけている。この屋敷の人狼が人でいられる残り時間も僅かしかない。

「ご主人様、お部屋の準備が整いました」

 部屋の前でジュディの声がする。ああ、もう逃げられないわ。いや、なんで私が逃げなきゃいけないのかしら。ここが家なのに。

「それではオルガ様、行きましょう」

 ユリシーズはジュディと一緒にオルガさんと侍女の女性を1階のゲストルームに案内した。私も渋々ついて行っているけれど、不本意極まりない。
 部屋に着いたオルガさんはゲストルームが豪華だと言ってちょっと驚いていて、この方は公爵家でどんな暮らしをしているのかしらと不思議になる。

 オルガさんと侍女を部屋に案内した後、私はユリシーズを責めたくてうずうずしながら我慢した。
 ここ最近ずっと一緒に過ごしているユリシーズの部屋に二人で到着すると、私の口から深くて長い息が漏れる。

「どうしてこうなっているのかしらあああああ」
「アイリーン、そんなに青筋を立てないで下さい。美しい顔が崩れてしまいそうです」
「この状況が分かっているの?! 相手は公爵家から来ていて、この家の中は人狼だらけなのよ??」
「そうですね、ノクスがどうやって危機を回避するか見ものですね」
「どうしてそんなに他人ごとなのよ!?」
「たまにはノクスにも頑張ってもらいましょう。いつかこういう日が来ると思っていました」

 昼のディエスはそう言ってにこやかに笑う。
 そうか、記憶も完璧に引き継げるわけじゃないんだわ……ってことは……?

「もしかして、ノープランってこと??」
「まあ、平たく言うと」
「さっきからやけに余裕だから、何か策があると思ったじゃないの!」

 冗談じゃないわ。完全に予想外の方向に向かっているし、肝心のユリシーズが全然頼れそうにない。
 あのノクスが上手に嘘をつけるとは思えないし、人格変わり過ぎてしまうし、もうすぐ陽が暮れるのに!!


 ああどうしよう。ノクスが解決させればいいという考えで、目の前のディエスは完全に思考を放棄しているように見える。
 何かあれば結局困るのはユリシーズだって言うのに、どうしてそんなに悠長にしていられるのか理解に苦しむのですけれど??

「乳母に夕食を案内するときは、ノクスになっているわけでしょう? シンシアだって人狼化してしまうし、どうしたら……」
「給仕や案内には人間の使用人が当たればいいだけです。ジュディだってその辺は心得ているでしょうから、使用人の方は任せましょう。私がノクスになったところで、耳と尻尾を隠せば何とかなるのでは?」
「何言っているの? 言葉遣いも雰囲気も全然違うわ」

 ユリシーズは自分のことがあまり分かっていないらしい。
 ディエスとノクスじゃどうしてここまで雰囲気が変わったのかを説明しなくちゃ納得してもらえない。

「あの乳母は眼が悪そうなので何とかなりそうですが……」
「何とかなるわけないでしょう?」
「隣にいた侍女という方はどう考えても毒を盛りに来ていますしね」
「毒を盛りに??」
「様々な薬品の匂いがプンプンしています。まあ、人狼相手に毒殺など……つい笑ってしまいますが」

 ディエスはそういってくすくすと笑っている。

「だから、そんな風に笑っていられる余裕がどうしてあるのよ?!」
「今、ジュディが使用人たちと作戦を練っていますから。きっと楽しい夜になりますよ」

 ユリシーズはそう言って私の額にキスをする。
 絶体絶命な気がするのに、そんな風に余裕ぶられても笑えないわ。

「乳母とあの侍女に人狼の秘密がバレたらどうするつもり?」
「そうですね。消しますか?」
「物騒なことを言わないで」
「冗談ですよ。そんなことをしたら公爵閣下の思い通りになります。私は牢獄行きで一生出てこられないでしょう」
「だったらどうするつもり?」
「まあ、夜になってみたら分かりますよ」

 ユリシーズは全く焦っていない。私としては、あなたが一番心配なのに。

  ***

「よし、アイリーン。支度はできたか?」
「……できたわ」
「アイリーンは耳と尻尾が付いていても最高に綺麗だ」
「こんなので誤魔化せる??」

 私の頭の上には、カチューシャが付けられていて白い耳が乗っている。そしてドレスにはふさふさの白い尻尾が。これは羊の毛を使ってミレイさんが作ってくれたものらしい。

「いいだろ? 今日はアイリーンも俺も人狼同士、仲良くやろうぜ」
「……いつも仲良くしてるでしょ」

 ノクスは堂々と黒い耳と尻尾を生やしたまま、仮装をした私をエスコートしている。
 スリーピースのスーツは黒にダークブラウンのストライプが入っていて、部屋の中だというのに懐中時計を下げ、片眼鏡をかけていた。
 彼のこだわりはよく分からないのだけれど、貴族の男性らしい雰囲気が増しているようにも見える。ノクス曰く、小道具は仮装に重要な要素らしい。

 腕を組んでいる隣の顔を見上げると、にこりとこちらに微笑みをくれた。見慣れたはずの無邪気な笑顔に、今日は胸が高鳴ってしまう。それどころじゃないのにと首を振って浮かれる気持ちを押さえつけた。
 夜に会うノクスはくつろいだ服装が多いから、フォーマルな装いは意外性があってドキドキしてしまう。ユリシーズって魅力的な男性だと思うのだけれど、それは単に私が彼に恋をしているからなのかしら。

 階段を降りて食堂に着くと、そこには先ほど我が家に泊まるとごねた初老の婦人が頭に耳を付けて背中を向けた席に着いていた。

「こんばんは。オルガ。夕食の時間は同じ仮装で参加していただいたけれど——」

 正面に着た途端、皺の深い顔が灰色の耳を付けてじろりとこちらを睨んできたので吹き出しそうになって堪える。睨んだ顔に獣の耳が付いていると中和されてしまうわね。

「今夜は全員、獣スタイルだな。無礼講で楽しもう」

 ノクスが野性的な犬歯を覗かせてにこりと笑う。
 こういうぶっきらぼうな物言いでも、あなたが言うとそれっぽくて威厳を感じてしまうから不思議ね。

 さて、オルガさんと侍女はどういう態度で来るかしら。
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