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閑話

番外編・料理長とメイド長のお祝い

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 オルブライト家の一日が始まった。
 ただ、今朝は普段とは違う。ようやくオルブライト家当主のユリシーズ・オルブライトと、その妻であるアイリーンーー本来はクリスティーナと呼ばなければならない身代わりの花嫁だったのだがーーが晴れて結ばれた朝だ。

「ご主人様、良かったですね」

 キッチンで鴨を捌いている料理長のザッカリーに、部下で調理人の男が皿を拭きながらしみじみと言った。主人が昨日の昼間からずっと自室に籠りきりなのは屋敷の誰もが知るところだ。

「ようやく奥様を受け入れる覚悟をされたのだ。私たちはご主人様の選択を喜ぼう」
「最初、偽物が来たときはどうなるかと思いましたもんね」
「偽物だと分かりながらご主人様がのぼせ上がられていて、尚更どうなるかと思ったな」

 丁寧に鴨の羽を剥いでいき、内側にハーブを詰めていく。
 この状態でゆっくりと火を入れればうま味が凝縮して美味しくなる。

「奥様、良い人で良かったですね。ご主人様もすっかり元気になって」
「奥様がさらわれていた間は、昔のように無気力になられていたしな」
「あんなに奥様のために猪を狩ると言ってウキウキしていたのに、寝たきりになって結局狼化しましたからね」

 二人は手を止めずに話していたが、目の前にいた本人を見て一瞬動きが止まった。

「おはようございます、ご主人様」
「……さっきから言いたい放題じゃないか」
「いえ、私たちはただ、ご主人様がお幸せそうで良かったと話していただけです」

 ユリシーズという主人は、族長のため一族の序列に厳しい。
 昼のディエスは厳しい姿を比較的隠しているが、上下関係をハッキリさせたい性分だ。

「私はアイリーンがこの屋敷に来た日からずっと幸せだったが?」
「はい、そのようでいらっしゃいました」
「別に、昨日の今日で特別何かが変わったりはしない」
「……これは大変失礼いたしました」
「パンか何かを。これ以上の空腹には耐えられない」
「はい、こちらに」

 先ほどからずっとバックコーラスにユリシーズの腹の虫が鳴いていたが、責められていたためザッカリーは何か召し上がりますかとは言い出せずにいたのだ。

 白パンをくわえながら、ユリシーズは突然ニヤリと笑った。

「?」

 ザッカリーは何がおかしいのかとユリシーズの顔を覗き込むが、パンを飲み込んだユリシーズが「思い出し笑いをしただけだ」と大真面目に言ったのでザッカリーはコメントに困る。

「奥様がお美しいと、さぞ毎日が楽しいのでしょうね」

 部下がそう言うとザッカリーが複雑な顔をした。ザッカリーの妻であるメイド長は美人なタイプではない。まるで批判されている気分だ。

「まだ若いから、分かるまいな」

 ふっと笑うユリシーズには何故か余裕がある。昨日はこの世の終わりのように落ち込んでいたのに現金なものだ。

「はい、私も奥様のような美しい妻が欲しいです」
「口を慎め。妻は私のものだ!!」
「申し訳ございません! そういう意味ではございませんでした!」

 どこに地雷があるか分からない。
 普段以上にやりづらい。料理長のザッカリーは頭を抱えた。
 今日一日を無事に乗り切らなければならない。

  ***

「ザック、ご主人様がまた自室に籠られてしまったの」

 メイド長のジュディが夫である料理長の元に報告に来た。
 ザッカリーとジュディはこの屋敷で一番厚みのある身体をしているので、二人が話している姿は威圧感が出る。

「まさか……?! まずい、奥様は人間なんだぞ??」
「奥様は寝ていらっしゃるわよ。昨日の昼間から今朝の明け方までは……どうやらそういうことだったみたいだけど」
「大丈夫だろうか」
「大丈夫ではないでしょうね」

 ジュディが何かを思い出しながら渋い顔をする。
 ザッカリーは若い頃の自分を回顧して額に手を当てた。

「ご主人様はこれまで大変だったんだ。心を癒して下さる奥様と出会えて幸せを噛みしめていらっしゃるんだろう」
「人狼は加減を知らないから心配」
「……」

 ザッカリーは何となく妻のジュディに責められている気がする。
 ジュディは人間のため、人狼のザッカリーとの生活で思うところがあるのかもしれない。

「参考程度に教えてもらいたい。夫が人狼だと大変なのだろうか」
「浮気や不貞の心配がないのは良いと思うのよ」
「うむ」
「遠吠えは止めて欲しいわ」
「よし、善処しよう」

 ザッカリーは満月の夜や新月の夜に遠吠えをしてしまう癖がある。
 家では大型犬を飼っているので、隣近所にはその犬が遠吠えをしていることにしていた。

「さあ、変なことを気にしていないで、ご主人様と奥様の食事がどうなるか分からないから、命令されたらすぐに用意できるようにしておいて頂戴ね」
「うむ。そこは分かっている」

 既に丸鶏の仕込みが終わったので、これから低温でじっくりと火を通すつもりだった。
 いつ声をかけられてもいいように、ユリシーズの好きな果実酒も地下室から運んできている。

「相当浮かれていらっしゃるようだったから、お祝い仕様にしたさ」
「ご主人様はお喜びになるかもしれないけれど、奥様はどうかしら」
「丸鶏だ。じっくりと火を入れる」
「人狼の価値観でご馳走を定義するのは良くないわよ。奥様は人間なのに」
「お前も丸鶏好きだろ?」
「……そうね。いつの間にか人狼寄りになったかしら」

 ふむ、と小首を傾げるジュディの肩にザッカリーは手をかけて頬に口づける。
 ザッカリーは若いころから白髪で、見た目は実年齢よりもずっと年上に見えるのだが、ジュディよりも年下だった。

「また動きがあったら、報告するわ」
料理こちらは任せてくれ、ハニー」

 人狼は伴侶に対する愛情が変化せずに年を取る。
 屋敷内に勤める人間の使用人は、たびたび二人のやり取りを見て「ああ見えて料理長は若いし夫婦仲が良い」と驚くらしい。

 人狼は生涯で一人のパートナーを選び、その伴侶以外を愛することは無い。
 人間と違って愛情が冷めることは無いため、倦怠期など存在しないのだ。

「ザック、奥様がお目覚めになったわ。これから食事をお持ちすることになったけれど、大丈夫かしら?」
「任せておけ。すぐに盛り付ける」

 ザッカリーは手にミトンを付けて窯に入れた丸鶏を取り出すと、銀色の盆に載せて茹でた野菜と共に盛りつける。
 そして、パンを籠に盛って果実酒と共にジュディ率いる女性陣に託した。

 健闘を祈る、とザッカリーが目線を送れば、ジュディは任せておきなさい、とウィンクを返す。
 そして、ジュディは食事を運びながら部下で娘のシンシアに視線をやった。
 4名体制で食事を運んでいるが、自分の娘が圧倒的に若い。他の3名はジュディも含めて既婚者ばかりだ。

「シンシア。ご主人様と奥様に失礼のないようにするわよ」
「失礼のないように、ですか? 普段と何か違うのですか?」

 職場での母娘は上司と部下の立場を絶対に崩さない。もちろん家ではもっと親子らしい会話をしている。

「そうね、あなたが普段通りにしてくれるのなら、そのままでいいわ」

 男女の間に起きたことの空気を感じても、シンシアのような恋愛を知らない女性がうまく流せるのかジュディは心配だ。

 女性の使用人4名はユリシーズの部屋に入り、指示されたとおりにソファ前のローテーブルに食事を並べる。
 ソファには距離感のおかしいユリシーズとアイリーンが並んで座っていた。ユリシーズの身体はべったりとアイリーンに寄りかかるようになっている。あれは重くないのだろうかとジュディは心配になった。

 丸鶏は色とりどりの野菜が一緒に盛りつけられており、華やかで祝いにふさわしい仕上がりになっている。夫の仕事に嬉しそうに目を輝かせているユリシーズを確認すると、素早く部屋を退出した。

「ふう」

 とりあえず、一旦はこれで大丈夫だろう。
 ジュディは全員を持ち場に戻らせる。各自、部屋の掃除や洗濯に向かった。


 シンシアはジュディとアイリーンの部屋に向かう。
 奥様が大好きなシンシアは、アイリーンの匂いが残る服を洗濯のために抱えると、ほわんと顔を緩めた。幸せを感じてしまう。

「こら、シンシア。ボケッとしてないで」
「失礼しました」

 上司のジュディに叱られて我に返ると、慌てて服を持ったまま1階に向かおうとする。
 そこで、ユリシーズとアイリーンの会話が聞こえてきた。シンシアは人狼のため、耳がとてもいい。部屋の中でされている会話も、基本的に全部聞こえてしまう。

「族長と夫人が仲良くしていたら、群れが祝うのは普通です」
「あなたは恥ずかしいとか思わないの?」
「なぜ恥ずかしいのですか?」

 どうやら、お祝いを差し入れたことで奥様が恥ずかしがっている。
 ただ、ご主人様は全く恥ずかしくないらしい。これは価値観の違いで喧嘩に発展するのではないかとハラハラした。

「何故か恥ずかしいのよ!」

 アイリーンが言い切って怒っている。シンシアはその様子が思い浮かぶと、なんて可愛らしいお方! といつになくドキドキした。
 ああ、ご主人様のことがお好きなのに恥じらっていらっしゃるのだわと考えると、抱えている洗濯物に向かって叫んでしまいたくなる。

「ワン!」

 言葉にならなかったので、つい鳴いてしまった。
 上司で母親のジュディが睨んできているのが見えて、頭を下げて逃げるように階段を降りて行く。

 あああああ! 奥様!
 目の前に居たらまた抱き着いてしまいそう、とシンシアは悶える。

 現在、人狼界のトップはユリシーズということになっているが、実質はアイリーンがユリシーズの上に君臨していた。
 ユリシーズは気付いていないが、シンシアのようにアイリーンを序列トップの存在として崇めている者もいる。

「ジュディ、さっき鳴いたのはシンシアだな?」
「そうなの。やっぱりあの子には刺激が強かったかしらね……」

 職場内結婚の二人は、そんなシンシアを見て彼女にもそろそろ婚約者が必要だろうかと考えている。
 当の本人が、奥様に夢中だとは知らない。


<完>
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