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2章

死神伯の記憶

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 私は、クリスティーナ姫のお父様である公爵様のことをほとんど知らない。
 あまりに無関心で冷たそうな人だという印象は持っていたけれど、特別何かをされたわけでも、何かを言われたわけでもなかった。

「ユリシーズは、公爵様を恨んでいるのですか……?」
「……」
「言いたくないのでしたら、無理にとは言いませんが……」

 帝都の宿、ソファに隣り合って座るユリシーズは膝の腕に肘を置いた姿勢で、腰を低くして顎を組んだ手に乗せている。

「アイリーンは両親を恨んでいますか?」
「……悔しい気持ちや、どうして私を愛してくれなかったのかという悲しさは常にありますが、考えることもやめています。あの人たちのことで人生の時間を使うのは……つらくて」

 私たちのいる場所の近くで「皇室入りをしたアイリーン嬢の親」として威張っているであろう両親のことは、なるべく考えたくなかった。
 きっと今頃、大きな声で自慢話をしていることだろう。

 ユリシーズはそんな私の身体を引き寄せ、肩を抱いてくれる。

「動物にもいるのです、家族の絆が強い人狼(ウェアウルフ)にも。親であっても、子を愛せない個体というのが、稀に出てくるのです。私たち一族は群れで子育てをするのが当たり前でした。子を愛せない親ごと受け入れて、子は群れで育てるのです」
「自然界でも、人狼(ウェアウルフ)でも、ですか?」
「はい。理由はよく分かりませんが、ただ一つ言えるのは、愛されなかったのは子どものせいではないということです」
「……」
「親を恨むというのは、辛いことなのですね。だから考えないようにする貴女を、私はいじらしく思います」

 そこで膝を抱えて言葉を失ってしまった私の頭と背中を、ユリシーズはゆっくり撫でてくれた。

「私の前では強がらないでください」

 ユリシーズの言葉に、うなずいていいのか分からない。強がっているのかも、こうして言われるまで意識したことが無い。
 頬を伝う涙を、ユリシーズは指で拭ってくれる。
 夜のノクスは私の涙を舌で舐めていたけれど、昼のディエスは人間的だった。

「アイリーン、私は、家族と一族が何よりも大切でした。強くて優しい両親や、私を愛してくれる一族の仲間。それと同時に……私の大事なものを踏みにじった者がいることをお話しなければなりません」
「踏みにじった……?」

 この流れで、それが公爵様であることは明らかだった。
 私は大切な家族と言われてもピンと来ないけれど、ユリシーズの両親や一族の人たちがユリシーズにとって大切な人たちだったことは分かる。

「少しつらい話になりますが、話してもいいでしょうか?」

 ユリシーズは悲しそうに微笑んでいる。

「はい」

 クリスティーナ姫を望んだ経緯までを、私は知りたい。
 つらい話、というのがどういうものか分からなくて不安だけれど……。

「まず、私の父親は……帝国が攻められたときに活躍した兵士でした」

 確か、戦死したという……。

「私は父の隊で戦い方を教わりました。周りには一族の仲間もいて、心強かったのです」
「一緒に戦場に?」
「父は、領地の人間が自分の下で働きたいと言っているのを公爵に伝え、隊員に加えていました。ですから、私の大切な仲間は常に私の近くにいて……私のすぐそばで亡くなっていったのです」
「ずっとそういう光景が記憶に残っていたりするの?」
「麻痺しそうになることもありましたが、いつまで経っても鮮明に残っています。目の前で父が私を庇って無数の銃撃に倒れた時のことが、何度も頭によぎるのです……」
「……」

 かける言葉が見つからない。
 私が大して戦争の被害を感じずに過ごしている間、ユリシーズはずっと戦場にいた。
 私の想像を絶する経験をしてきた人が目の前にいると、どんな言葉も軽くなってしまう。

「父を失うことは、母を失うこと。人狼(ウェアウルフ)の運命を呪いました……そして暫くして兄弟も次々に失ったのです」
「家族が、誰もいなくなったの……?」
「そうです。それでも前線に送られ続ける現状に、いつかは力尽きて死ぬのだと思いました。そこで私は誰よりも強くなろうと……もう一族の誰も失わせないと黒魔術に手を出したのです」
「それはどういったものだったのですか……?」
「敵国を退けた後、領地で自分の身に施した術です。『夜に変身する能力を封じ、生き血を身体に浴びるたび人狼(ウェアウルフ)の力を引き出す』というものです」
「一族の仲間を守るために?」
「はい。幸い、私はもともと人狼(ウェアウルフ)の中でも身体能力が高かった。銃撃というのは、距離がある上に動きが激しいと当たりにくいのです。人狼(ウェアウルフ)の瞬発力と動体視力、火薬のにおいを嗅ぎ分ける能力が役に立ちました」
「ユリシーズのお陰で帝国が勝利したと聞いたことがあります」

 私が見上げた銀色の目は、無言でそれを否定していた。

「私の噂が広まることで、敵国の戦意を喪失させるのには役立ったのかもしれません。
 私は戦場で誰よりも血まみれでした。人の生き血を浴びながら、人狼(ウェアウルフ)の能力を引き出し……人であれば嫌悪するはずの血の匂いで自分が湧きたつのを感じていた。本能が血を求めていることを知ると、私はもう、人ではなくなりました」
「そんなことを言わないでください。あなたは優しい人です」
「いいえ。同胞のためだと殺しを正当化し、ただ狂ったように戦いました。その様子が、味方であるはずの帝国軍からも恐れられるようになってしまった。そこで公爵は……私と同胞を葬ることにしたようです」

 ユリシーズは、思い出すのもつらそうにしていた。
 一旦言葉を区切った後で、歯を食いしばるようにして頭を振る。
 そんな様子を見せられてしまったら、無理して話さなくても良いと言うべきなのか迷ってしまうけれど。

 黙ってユリシーズを待っていると手を握られた。
 膝の上に、私の手を包むユリシーズの手。少しだけ、震えている。

「私は、どんな話をされてもずっとここにいます」

 正しくは、ここ以外のどこかになんて居場所が無いだけだった。
 本当は、ずっとここに置いていて欲しいと言うべきなのかもしれない。
 ユリシーズの妻という曖昧な場所に縋りつく私は、とんだ利己主義だ。

「あなたからどんな話をされても、絶対に逃げません」

 ユリシーズをちゃんと知りたかった。
 あらゆる違和感を、喉の奥に刺さった小骨のような印象の理由を。

「それは、終戦間際の……帝国の勝利が見えてきた最後の戦いの最中でした」

 ユリシーズは震えながら、ゆっくりと話を始めた。
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