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1章

ディエスからノクスに

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 宿の壁は石造りで歴史のあるお部屋のよう。
 海が見える格子のついた小窓から陽の光が差している。

 そんな空間には静かに衣擦れの音が響き、私たちはお互いを背に着替えをしていた。

 私が民宿で借りたのは、この村の伝統衣装だという素朴な綿のドレス。
 白が基調なのに、胸の下からは茶色の生地になっている。
 胸元が開いているし強調されるデザインだわ。まあ、かわいいけれど。

「着替え終わりました……」
「はい、私も終わっています」

 ユリシーズは、白いシャツにグレーのスラックス。タイは、乗馬服にも付けていたものを使っている。

「シンプルでいいですね」

 私がそう言って褒めると、ユリシーズはなんだか困っていた。

「クリスティーナ様は、別人のようですね」
「素朴になったかしら?」
「なんというか、随分と妖艶な……」
「妖艶?!」

 驚いて部屋にある姿見の前に急ぐ。全身を確認してみた。
 普段より胸元が開いているからかもしれない。

「これは、妖艶ですか?」
「それはその、スタイルが良いから……」
「そうでしょうか?」

 これまで私を見た男たちは、「上物だ」と褒めているのか見下しているのか分からない言葉で私を評した。

 父に連れ回され品評され、本当に家畜同然だったのだと思い出す。

「じろじろとすいません、自分の妻だというのに、いつ見ても美しいので」
「嬉しいです。ユリシーズも素敵よ」
「自分の妻だなんて、生意気に……申し訳ございません」
「どうして? わたくしはあなたの妻です」
「……幸せです」

 ユリシーズと一緒にいると穏やかな気持ちになるのに、視界に入ってくるひとつしかないベッドが私の気持ちをかき乱してくる。
 夫婦で一つの部屋を取ればこういう部屋を案内される予感はしていた。

「ディエスからノクスに切り替わる時間は決まっているのですか?」
「基本的には陽が沈んだらノクスの方が優位になるのです」
「へえ……いつも夕食の時間が早かったのはそれで?」
「鋭いですね」

 夜はノクスに切り替わるけれど、ディエスはどんな風に制御するのかしら。

「ディエスがノクスの行動を制限できるの?」
「理性を働かせますから。あとはクリスティーナ様の命令が効きます」

 そういうことね。
 ……ディエスって単にノクスに嫉妬しているだけじゃないわよね?

「絶対に手出しさせません。獣にクリスティーナ様を任せる時間があるだけでも許せませんが」
「大丈夫よ、ノクスはノクスでかわいいから」
「それは悔しいです。あんな品のない私がかわいいと言われるなんて」

 む、難しい。
 でもまあ、今夜はノクスと添い寝をする時間があるってことだわ。

「暫く外に出て海を見たら、部屋でゆっくり過ごしませんか? この辺は、夕方以降にぐっと冷えるのです」
「はい、では夕陽を眺めたら部屋に戻りましょう」

 ユリシーズは、暗くなるとディエスからノクスに変わり人狼の姿になる。

 部屋の中にあるキルトを持ち出し、一緒にキルトを背にかけて、夕陽に染まるまでの海を見た。

「ユリシーズは、匂い以外でわたくしのどこが好きですか?」
「えっ? どこが、ですか?」

 私はディエスの好きなクリスティーナ姫をちゃんと演じなければ。
 最近どんどん素が出てきてしまっているから、ちゃんとクリスティーナ姫らしさを演出しなくてはいけない。

「ええと、見た目ですとか」

 まあ、クリスティーナ姫と同じ見た目だから、私の見た目も好きってことになるのかしら。

「こうして突然誘った旅行先を楽しんでいただけるところにも、感謝しています。乗馬ですらあんなに楽しんでくださって」
「……そうですか」

 ディエスの理由には、「公爵家のクリスティーナ姫なのに」という前提が入っている。

 やっぱり、ディエスが好きなのは私じゃないのだと、夕陽が寂しげだから余計なことが浮かんでしまった。

「暗くなる前に、部屋で食事をいただきませんか?」

 ディエスに誘われて、軽い食事をとった。広くない部屋で食べる食事は、席が近くて普段よりも温かかった。


「あ、この本は……」

 食後になると、部屋の書棚からディエスが本を出してくる。

「こんな珍しい本がありました。この地方の民話です」
「うわあ、素敵」
「クリスティーナ様の家にも、こういった本がいっぱいあったのではないですか?」

 地方の民話だという本はカラフルな挿絵が描かれた写本で、この手の高価な子ども向けの本を買ってもらった経験のない私は初めて見る綺麗な本に驚いてしまった。

「そうですね。本はたくさんありました」

 公爵家の書棚には、確かに色々な本が収まっていた。
 私には自由時間が与えられていなかったし、私の居候していた部屋に公爵家の物を持ち込んではいけない決まりになっていたから、読ませていただくことも叶わなかったけれど。

「そうやって、なんでも無邪気に喜んでくださるところが好きです」
「そうですか」

 恥ずかしい。
 本当にこういうものを知らなくて驚いただけだった。
 ユリシーズは、こんな風に育った子爵令嬢がこの世に存在するなんて、理解が及ばないに違いない。

「もうすぐ陽が沈みますが、読書でもしますか?」
「はい」

 ユリシーズは、部屋の燭台に乗ったろうそくに火をつけながら私に読書を勧めてくれる。

 ここにいるユリシーズはディエスからノクスに変わるはずだけれど……。
 そう思いながら、幻想的な絵が描かれた本を眺めるように読んだ。

「どうやら昔、この土地に大きな蛇が現れたみたい」

 私が本を読みながら顔を上げると、向かいに座るユリシーズはこちらをじっと見つめて「よお、アイリーン」と笑う。

「ノクス」

 いつの間にか陽は沈み、目の前のユリシーズはディエスからノクスに変わっていたらしい。
 黒い耳が頭から生えている。
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