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1章

あなたのために

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 翌日。

 ユリシーズ様から返事が届いた。
 どうやら律儀な方らしく、今日は砂糖菓子が一緒だった。

 変な毒が入っているかもしれない、と私たちが毒見役のところに持ってくと、それは正真正銘の砂糖菓子だった。

 私とクリスティーナ姫は死神伯の手紙を恐る恐る読み始める。

『クリスティーナ姫
 薔薇にひと手間を加えたことで、手紙の返事がいただけたのは嬉しい誤算でした。これからはずっと一緒にいることになるというのに、あまりに恵まれた事実が受け入れられずにいます。
 薔薇に掛けたのは、豚の血液です。
 昨日豚の生き血を使って腸詰を作ったのですが、あまりに美しい赤だったのでクリスティーナ姫を思い出し、薔薇にまぶしてしまいました。
 ワインのような色だったのですが、変色しておりましたでしょうか?
 血液は酸化が早いことを忘れておりました。
 腸詰は、我が家にいらした時にでも。
 ユリシーズ・オルブライト』

「……どうして豚の生き血を薔薇に掛けようと思ったのかしら?」
「腸詰の材料だったのですね。誰かを切ったわけではなくて良かったです」
「クリスティーナ姫を思い出し、薔薇にまぶしてしまいました、の下りが全然理解できないわ」
「やっぱり死神伯ともなると、価値観が独特なのでしょうか?」

 そんなことをクリスティーナ姫と話しながら、どうやらユリシーズ様はどこかずれていらっしゃる方らしいという結論に落ち着いた。

 私はあと3日後に実物の死神伯に会うわけだし、その方と婚姻……つまり夫婦になるわけだ。
 夫婦ってことは、一緒にいる時間もある程度長いだろうし、出会ってすぐに同じベッドで寝ることに……。

 不意に、父親に連れられた日の視線を浴び続けた記憶が蘇る。
 背筋に寒い感覚が走り、ぞくりと身体が震えた。

「アイリーン、大丈夫?」
「あ、はい……」

 クリスティーナ姫は私の表情が翳ったことにすぐ気づいた。
 これまで生きてきて、こんな風に心配されたことはない。

 家族でも何でもない、ただ顔が似ているだけのクリスティーナ姫。
 家族に話せないどんなことも、クリスティーナ姫になら話せる気がした。

「クリスティーナ様、私……実は、男の方が苦手なのです」
「死神伯どうこうではなく、世の中の男性が?」
「男性に見られることが嫌です……」

 クリスティーナ姫は、ああ、と納得した。

「アイリーンほど美しい女性が目の前にいれば、男性は目を奪われてしまうのでしょうね」
「クリスティーナ様も同じ顔をしているから分かるのですか?」
「いいえ、アイリーンは見たこともないほど美しいわ。作りはわたくしとよく似ているのに、なぜかしら? 色香があるのね」

 ユリシーズ様が贈ってきた砂糖菓子は、卵白と砂糖が混ぜられたお菓子。
 薄い黄色やピンク色といったかわいらしい色をしていた。
 クリスティーナ様は黄色のそれを一粒つまんで私に差し出すと、「このお菓子みたいよ」と笑う。

「とても儚くて脆い印象を受けるの。あなたは、わたくしよりも壮絶な人生を送ってきたのかもしれない。そう思わせる雰囲気をまとっているわ」

 クリスティーナ姫から渡された砂糖菓子を口に含む。メレンゲが使われているらしく、しゅわっと溶けるようになくなった。

「男性に見られることに堪えられない私が、ユリシーズ様と結婚などできるのでしょうか?」
「わたくしもあと数か月したらアイリーンとして嫁ぐわ。皇族になるの」
「……」
「……」
「一生を共にするって、もう次は無いということですよね」
「そうね……」

 私たちは、漠然とした不安を共有した。
 本来、クリスティーナ姫がユリシーズ様に嫁ぐことになっていたら私はここにいない。
 巻き込まれたのは私なのに、今はクリスティーナ姫と出会えてよかったと思っている。

「ねえ、アイリーン。わたくしたち、絶対にまた会いましょうね」
「はい。いつか必ず」

 再会の約束は、生き延びる約束。
 運命を諦めない約束。

 お互いを信じる約束だった。

  ***

「アイリーン……!!」
「違いますよ。今はあなたがアイリーン、わたくしはクリスティーナです」

 死神伯、ユリシーズ様の屋敷に向かう日。
 クリスティーナ姫は朝からずっと泣いていた。
 今日からは、彼女がアイリーン。私がクリスティーナ姫になる。

「やっぱり嫌よ、あなたが死神伯の元に行くなんて……! ずっとわたくしと一緒に暮らしましょう?」
「そう言っていただけるだけで、わたくしは幸せです」

 いつもは凛々しいクリスティーナ姫が、私の出発に取り乱している。

「これまでの人生で、わたくしのために泣いてくれたのは、あなただけです」
「……アイリーン」
「これからは、わたくしがクリスティーナとなって帝国のために死神伯の伴侶を務めます」
「ごめんなさ……ごめんなさいっ……」
「泣かないで。あなたのためになれて良かったと、本心から思っているわ」

 私の髪は真っ赤に染められていた。
 目の前のクリスティーナ姫も、真っ赤な髪をしている。

「わたくしたち、本当によく似ているわね」
「ええ、本当に姉妹だった気がする」

 二人で手を取り合って、お別れまでの貴重な時間を過ごした。
 一緒に庭を歩きながら、他愛もない話で笑う。
 この先になにが待っているかは口にすることも、考えることもやめにした。

 クリスティーナ姫はよく知った侍女が側にいた方が心強いだろうと、実家から侍女のエイミーを呼び寄せてくれていた。

 私の両親に取り計らってくれたらしい。
 あの人たちのことだ、きっとお金か何かを用意されて喜んでエイミーを手放したに違いない。

「お嬢様……」
「エイミー、わたくしはもうアイリーンではないわ。お嬢様でもないのよ」
「はい、クリスティーナ様」

 エイミーと一緒に馬車に乗り込む前、こちらをじっと見ていたクリスティーナ姫の元にもう一度駆け寄る。

「これからはアイリーンを、よろしくお願いします」
「任せて。あなたに負けないアイリーンを演じるのは難しそうだけど」

 私たちは抱擁して、そして離れた。
 クリスティーナ姫の水色の目が揺れたのに気付いたけれど、後ろは振り向かない。

 そのまま馬車に乗り込んで、死神伯の元に出発した。
 荷物は少なく、どう見ても公爵家の嫁入りには地味すぎる出発だった。

 何時間馬車に揺られたのか分からない。
 ユリシーズ様の屋敷に着いた時、すでに辺りは暗くなりはじめていた。
 夕暮れに、立派なお屋敷が監獄のように暗くそびえている。

 馬車から降りると、お屋敷の執事らしい年配の男性が私を迎えてくれた。

「ようこそおいでくださいました、クリスティーナ姫」
「はじめまして、クリスティーナです。ユリシーズ様は、お屋敷の中に?」
「はい、それはもう、楽しみにお待ちしております。わたくしが家の中で待っているように伝えたところ随分と睨まれましたよ」

 死神伯に睨まれると、金縛りにあうのではなかったかしら?
 執事の方は平気そう??

 さて、クリスティーナ姫に恋焦がれていたユリシーズ様が、私を見てどんな反応をしてくれるのか……。
 見破られたら、私の命はここで終わるわね。

 私の家より3倍くらいは大きなお屋敷。執事の方が入口を開く。
 そこには、黒い髪、銀色の目をした男性が立っていた。

「初めまして、ユリシーズ様。クリスティーナです」
「……クリスティーナ様」

 挨拶をして頭を上げると、銀色の目がこちらをじっと見ている。
 今のところ、私に金縛りは来ていない。

「こんなにお美しい方が、この世に存在したのですね……」
「……はあ」

 目の前の死神伯は、そう言ってポロポロと涙を流していた。
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