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第8章 戦場に咲く一輪の花

水浴び

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カイの愛馬、クロノスの上ではカイとレナがひたすら言い合いをしている。クロノスは2人の会話に耳を傾けながら、いつも通りに歩みを進めていた。

「今日は大人しく戻ってきたが、戦場に出なければならないのは変わらない。スウの言っていたことは気になるが、こんな風に離脱するようなことは本来ならありえないんだぞ」
カイは溜息交じりでハッキリと伝えた。

「分かってるわよ。でも、あんなことをスウから聞かされたら・・私、カイを前には進ませられないわ。あなたを失いたくない・・」

自分の前で密着しているレナが涙声で主張する様子に、カイはどうしたら良いのか分からなくなる。このまま駐屯地に戻ったとして、何をしろというのか。カイは頭が痛くなった。

「戦地に行く以上、死の淵に立つのは・・当たり前のことなんだぞ?」
「知ってるけど、でも、あなたならきっと大丈夫なんだろうって、どこか安心していたのかもしれない。それが・・スウの言葉で我に返ったの。あなただって、命のある人だもの・・失うリスクだってあるんだわ」
「だが、それが仕事だ」

2人の主張は平行線をたどる。どこまで話し合っても決着はつかないだろう。

駐屯地に近付いて来ると、川のせせらぎが聞こえ始めた。
(そういえば、レナは身体が洗えていないんだったな・・)

「川の上流まで行こう。今日は身体を清めるのが良いかもしれない」
「・・あなたも?」
「ああ。レナは、姿を消していればいい。いつかの温泉も・・レナは姿を消していれば良かったのかもしれないな」
「そんなの・・あなたと一緒にいる感じがしなくて嫌だわ」

レナの言葉に、カイは自分の耳を疑った。

(あんなに見られたくないと大泣きしたくせに、よくそんなことが言えるな?)

カイは呆れながらクロノスを川上に向かって進めた。上りで足場が悪い山道に、時折クロノスも苦戦している。
その背に大人2人分の重さが加わっていることに、カイは愛馬を気遣って下馬することにした。手綱を引いてカイはクロノスの顔の横を歩く。

「俺は・・自分の命がどうなるかなど、本当は何とも思っていないのかもしれない」

ボソリと放たれた一言に、レナは目の前が真っ白になった。ゆっくり隣を歩くカイを見て、それが本意なのだと分かると余計に心が痛い。

「だから、自分の人生に大切な他人の存在など要らなかったんだ。レナに逢うまでは、それで完結していた・・」
「出逢わなければ良かった?」
「分からない。出逢わなければこんな気持ちにはならなかった。でも、もう、惹かれてしまったものは仕方ない」

「仕方ない・・」

レナはカイの言葉を繰り返し、妙に後ろ向きな響きに視線を下げた。
相変わらず前に進もうと足場の悪い道を試行錯誤に進むクロノスが目に入る。馬鎧の鉄が歩く度にガシャガシャと重そうな金属音を立てていた。

「仕方なく、私と一緒にいるの?」
「いや、それはまた違う。レナといたいのは間違いない」
「でも、あなたの人生に私が必要だったのかは、疑うところなのね」

カイは、すぐ否定をしなければいけないことは分かっていた。人生に必要なパートナーとしてレナを選んだ自覚があるのに、それが今、揺らいでいる心地がする。

「なんと言ったら伝わるのか・・本来、俺は誰かと共に生きるような人生を送っていない。だから、選ぶべきではなかったのかもしれないと、レナのために思う」
「一緒にいたいからいる、でいいでしょ。そんなに難しく考えないで」

上流に向けて山を登るにつれ、足場の石も大きなものが目立つようになってきた。クロノスは時折苔むした石に足を滑らせながら、なんとか障害物を上るように歩く。レナは、その背で不安定な動きに何度か落馬しそうになっていた。

「レナ、クロノスの手綱を持っていてもらおうか。この先にレナが乗るのは、クロノスでなく俺の方がよさそうだ」

カイはそう言ってレナをクロノスから降ろし、自分の背におぶった。レナはその背でクロノスの手綱とカイの肩を一緒に握る。
カイにしがみついて本来なら浮かれてしまいそうなところが、その背中に拒絶されている心地がして、レナは泣きたくなっていた。

 *

「この辺まで来れば、誰も来ないだろう。まあ、レナは姿を消していれば大丈夫だ」

カイが足を止めたのは、周りから細かい滝が合流する池のような場所で、ぐるりと崖に囲まれていた。流れは比較的緩く、水は澄んでいて川底がよく見える。近くに見える場所の深さでも、レナの腰上ほどまでありそうだ。

カイはクロノスの馬鎧を外し、手綱や口元のハミさえ取って裸馬の状態で放した。クロノスは目の前の川に水を飲みに行くと、そのうち川に入って水遊びを始める。

「今日は、クロノスと混浴?」
「暫く経ってから入れば、クロノスの汗を浴びることもないだろう。あの通り、水が好きなんだ。あれで長い間泳げたりするんだぞ」
「かわいいわね・・」

レナは、クロノスが深さの浅い場所を選んで寝転んでバシャバシャと高い水飛沫を上げている様子に目を細めた。

「さて、人間も汗を流すか」
「そうね」

カイは川辺でそのまま服を脱ぎ始めるが、レナは焦って横を向く。自分も着ている綿のドレスを脱ごうとした。

「・・こんなに明るいのに、姿を消さないのか?」

カイは、ドレスの前ボタンを外し始めたレナに焦って声を掛ける。恥ずかしがってすぐに姿を消すと思っていたら、これだ。

「姿を消した方がいい?」
「・・いや、今俺は、何を聞かれている?」

別に恥ずかしくないのであればレナの好きにすればいいのだが、堂々と服を脱ぐとは思えない性格から出た意外な質問に、カイの方が動揺する。

「なんだか、悔しいの。私だけがあなたを心配して、まるで我儘を言っているみたいでしょ。私だけが恥ずかしがって姿を消そうとするのも、子どもじみていて」
「いや、それとこれは根本が違うだろう・・」

恥ずかしさを悔しさが超えたのかとカイは納得するが、本気なのかと信じられず、思わず息を呑んでレナの方を窺う。

レナのドレスが肩から抜けて足元に下がった時、
「すまない、やっぱり姿を消して欲しい」
と口に出さずにいられなくなった。レナは、下に着ていた薄布のアンダードレス姿を晒していたが、ふっと姿を消す。

レナが姿を消すと、カイはようやく落ち着いて下半身だけ下着を付けたまま川に入った。レナは気配も消えていて、様子が分からない。

川辺に置かれた衣類から、下着まで全て脱いだのだろうと何となく把握できる。あまりそちらに意識を向けてはいけない気がして、水深のある場所を見つけて肩まで水に浸かると優雅に泳ぐクロノスに視線を移した。クロノスは主人の視線に気付いたのか暫くカイの方を見ながら泳いでいた。

冷たい水に身体を浸し、カイはレナに対してどう説明して戦地に向かえばよいだろうかと悩む。レナの言いなりのようにカイが前線を外れた際の、マルセルの怪訝な表情が忘れられない。
カイは顔を洗って髪まで水に浸けた。冷たい水が心地よく、急に泳ぎたくなる。

その時、何かがカイの背に触れた。気配もなく、音もしない。

「レナか?」

驚いて尋ねるが、術のせいで全く何も聞こえなかった。
が、はっきりとした感触がある。間違いなく、しゃがんだ背中に抱き付かれている。

「すまない、声と気配を消す術だけでも解除してくれないか・・」
カイは動揺しながら、背にいるであろうレナに呼びかけた。

「一緒にいるのに、触れ合っていないのは寂しいわ」
「いや、そういうことを言うな・・」

すぐに声を上げさせたことを後悔した。今、姿を現されたら危うい、とカイは深い息を吐く。

クロノスでも見て気持ちを落ち着かせようと黒い愛馬の姿を探すと、割と近くからこちらを見ているクロノスと目が合った。愛馬にはどこまで見えているのだろうか。何となく、頑張れよと言われている視線だなとカイはクロノスの意図を感じる。馬はメス主導で交配する生き物だ。主人にも繁殖期がきたのだろうと思われている気がした。

(違う・・クロノス、これは違うやつなんだ・・レナは行動と意図が伴っていなくてだな・・)

カイは自分にしがみついている透明の腕を探って掴むと、レナの身体を外す。しゃがんでいた体勢から立ち上がって、レナがいるであろう後方に語り掛けた。

「この状況で抱き付かれるのは困る」
「私だって・・恥ずかしいわ」
「そうだろう、だったら・・」
「今なら他に人もいないし・・」
「何を言って――」

カイの腹部に、レナがいるのが分かる。次の瞬間、レナは姿を現していた。
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