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第6章 新生活は、甘めに
嫌な予感
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カイは一日を終えて家に着く時、笑顔で出迎えてくれるレナの姿に、幸せとはこういうものを指すのかもしれないと思うようになっていた。
だからその日、レナの姿よりも先に執事のオーディスが屋敷から現れた時、カイは酷く嫌な予感がしたのだ。
「レナは……どうした?」
カイが尋ねると、オーディスは少し震えているように見える。
「ご主人様……それが……勤務時間中に現れたライト様に、連れられて行ったとのことで……既にどこにも姿がなかったのでございます……」
オーディスが頭を下げると、周りの使用人達も頭を下げながら暗い雰囲気が漂っている。
「何だと……? ロキが来たのか?」
まさかこんな形でロキにレナの生存を知られ、連れ去られるようなことをされるとは想像もできなかった。
カイは自分の見込みの甘さに苛立ち、同時に、レナは自分の意志でロキに付いて行ったのだからそこを怒るのはおかしいのだと思い改める。
ロキが相手で、レナがロキを想っているのだとすれば、もうこの家には帰ってこないのかもしれない。
毎日レナが家にいることに慣れ過ぎていたのか、身が引き裂かれるような痛みにカイは顔を歪めた。
自室に入ると、いつもの部屋がずっと冷たく暗く見えた。
今頃、レナはロキと共に幸せそうに笑っているのかもしれない。
もしそうなら、祝福してやらねばならない。カイにとって、レナもロキも大切な存在には違いなかった。
項垂れながら、カイは淡々と着替えを済ませる。
カイは久しぶりにひとりきりになった食卓で、無言の食事をしながら向かいの席をじっと見つめた。
食事というのは同席者がいないだけでこうも味気ないものになってしまうのだと、目の前の空席にレナの姿を探してしまう。
少し前までは当たり前だった習慣も、あっという間に景色が変わってしまっていたのだと、カイは味のしない夕食を取りながら思い知った。
あのロキが、レナの生存を知って素直にこちらにレナを渡すとは思えない。今日はもう、レナは帰ってこないのかもしれない。
いよいよ現実を見始めると、カイは身体の奥底から湧いて来る、自分の知らないどす黒い気持ちに支配されそうになった。
レナが、ロキのものになってしまう――。
自室でカイはじっとレナの帰りを待ったが、夜が更けても帰ってこないレナを想いながら、そんな不安が現実味を帯びてくると、嫌だ、と頭の中で認めたくない気持ちが全てを否定しようとした。
カイの家にはレナの姿があることが普通になっていた。
レナが部屋から顔を出してカイを探している姿も、時折自分を訪ねて来る時に見せるいたずらっぽい笑い方も、抱きしめるとそれに応えるようにしがみついて来る細くて頼りのない小さな腕も、昨日まで当たり前だったその全てを愛していたのだと気付かされる。
「行くな……」
カイは小さく呟いて、自室の机で再度項垂れた。
2度と失いたくないと側に置いていたはずだった。カイなりに、大切にしたいと真心を尽くしたつもりだった。それでも、終わる時はこんなに簡単に終わってしまうのだ。
使用人達は、半ば諦めているようだった。相手が悪すぎる。
女性を前にしたロキに、カイが敵うはずもない。もはやレナの幸せを願うしかないのだと気持ちを切り替え始めていた。
その時、屋敷に近付く馬車の音がした。こんな時間に誰かが訪ねて来るとは考えにくい。
カイは自室を飛び出して急いで玄関から外に出る。そこには、ロキの馬車から降りるレナの姿があった。
「遅くなってごめんなさい。ちょっと話し込んでしまったわ」
レナがそう言って笑うと、隣に立っていたロキはカイを睨んでいる。
「帰って……来たのか」
カイが振り絞ったのはその一言だった。ロキの視線は確実にカイに対する敵対心がある。
もはやそれは、カイにとっては大したことではなかった。
「お姫様がここに帰るって言うんだから、無事に送り届けるのが紳士の務めだと思ったんだよ。よくも彼女の生存を隠してくれたな」
ロキはそう言って、カイに嫌悪の表情を向ける。
「ロキの周りにいると、好奇の視線に晒されると思ったんだ。勿論、生存を知らせたい気持ちはあった」
カイが早くレナをこちらに寄越せと苛立ち始めると、ロキはレナの手を掴んだ。
「よく言うよ。そんなものから守る方法なんて、いくらでもある。醜い言い訳だね」
ロキはそう言いながら、レナの様子をじっと見ていた。早くカイの元に駆け付けたそうな様子が、ハッキリと分かる。
まだ焦る必要は無い、とロキはレナの手を開放した。
レナは小走りでカイの元に駆け付けた。
足取りが急に軽く、カイを一直線に見つめる視線と全身から溢れる嬉しそうなその様子に、はっきりと彼女の好意や愛情が見える。
ロキは小さな溜息をつくと、コケにされたような悔しさに顔を歪めた。
あろうことか、レナがカイの側に駆け付けるとカイはその小さな肩を抱いていた。
その行為を当たり前のように受け取って頬を染めるレナは、カイへの恋心を隠せずに、ひとりの女性として幸せそうに笑っている。
(目障りなやつだな……)
ロキはつい先日まで信頼していたカイ・ハウザーという男を、忌々しく見つめた。
まるで自分の物のようにレナを迎え入れている。大して女性に興味も示さなかった男が、急にどうしたというのか。
「おやすみ、今日は帰るけど……またね」
ロキはレナにだけそう言うと、馬車に乗り込みあっさりと帰っていく。
その様子を2人は見送りながら、ゆっくりと屋敷に戻ることにした。
レナの手を、カイが握っている。レナは、繋がれた手からカイの体温を感じ、その行為に口元を緩めて幸せを噛み締める。
「疲れているか?」
「いいえ? 今日は、仕事も早く終わったし」
レナが何気なく言うと、「今日の夕食は誰かがいなくて味気なかった。良ければ、部屋で酒でも飲まないか」と、カイは少し熱を帯びた目でレナを見て言った。
だからその日、レナの姿よりも先に執事のオーディスが屋敷から現れた時、カイは酷く嫌な予感がしたのだ。
「レナは……どうした?」
カイが尋ねると、オーディスは少し震えているように見える。
「ご主人様……それが……勤務時間中に現れたライト様に、連れられて行ったとのことで……既にどこにも姿がなかったのでございます……」
オーディスが頭を下げると、周りの使用人達も頭を下げながら暗い雰囲気が漂っている。
「何だと……? ロキが来たのか?」
まさかこんな形でロキにレナの生存を知られ、連れ去られるようなことをされるとは想像もできなかった。
カイは自分の見込みの甘さに苛立ち、同時に、レナは自分の意志でロキに付いて行ったのだからそこを怒るのはおかしいのだと思い改める。
ロキが相手で、レナがロキを想っているのだとすれば、もうこの家には帰ってこないのかもしれない。
毎日レナが家にいることに慣れ過ぎていたのか、身が引き裂かれるような痛みにカイは顔を歪めた。
自室に入ると、いつもの部屋がずっと冷たく暗く見えた。
今頃、レナはロキと共に幸せそうに笑っているのかもしれない。
もしそうなら、祝福してやらねばならない。カイにとって、レナもロキも大切な存在には違いなかった。
項垂れながら、カイは淡々と着替えを済ませる。
カイは久しぶりにひとりきりになった食卓で、無言の食事をしながら向かいの席をじっと見つめた。
食事というのは同席者がいないだけでこうも味気ないものになってしまうのだと、目の前の空席にレナの姿を探してしまう。
少し前までは当たり前だった習慣も、あっという間に景色が変わってしまっていたのだと、カイは味のしない夕食を取りながら思い知った。
あのロキが、レナの生存を知って素直にこちらにレナを渡すとは思えない。今日はもう、レナは帰ってこないのかもしれない。
いよいよ現実を見始めると、カイは身体の奥底から湧いて来る、自分の知らないどす黒い気持ちに支配されそうになった。
レナが、ロキのものになってしまう――。
自室でカイはじっとレナの帰りを待ったが、夜が更けても帰ってこないレナを想いながら、そんな不安が現実味を帯びてくると、嫌だ、と頭の中で認めたくない気持ちが全てを否定しようとした。
カイの家にはレナの姿があることが普通になっていた。
レナが部屋から顔を出してカイを探している姿も、時折自分を訪ねて来る時に見せるいたずらっぽい笑い方も、抱きしめるとそれに応えるようにしがみついて来る細くて頼りのない小さな腕も、昨日まで当たり前だったその全てを愛していたのだと気付かされる。
「行くな……」
カイは小さく呟いて、自室の机で再度項垂れた。
2度と失いたくないと側に置いていたはずだった。カイなりに、大切にしたいと真心を尽くしたつもりだった。それでも、終わる時はこんなに簡単に終わってしまうのだ。
使用人達は、半ば諦めているようだった。相手が悪すぎる。
女性を前にしたロキに、カイが敵うはずもない。もはやレナの幸せを願うしかないのだと気持ちを切り替え始めていた。
その時、屋敷に近付く馬車の音がした。こんな時間に誰かが訪ねて来るとは考えにくい。
カイは自室を飛び出して急いで玄関から外に出る。そこには、ロキの馬車から降りるレナの姿があった。
「遅くなってごめんなさい。ちょっと話し込んでしまったわ」
レナがそう言って笑うと、隣に立っていたロキはカイを睨んでいる。
「帰って……来たのか」
カイが振り絞ったのはその一言だった。ロキの視線は確実にカイに対する敵対心がある。
もはやそれは、カイにとっては大したことではなかった。
「お姫様がここに帰るって言うんだから、無事に送り届けるのが紳士の務めだと思ったんだよ。よくも彼女の生存を隠してくれたな」
ロキはそう言って、カイに嫌悪の表情を向ける。
「ロキの周りにいると、好奇の視線に晒されると思ったんだ。勿論、生存を知らせたい気持ちはあった」
カイが早くレナをこちらに寄越せと苛立ち始めると、ロキはレナの手を掴んだ。
「よく言うよ。そんなものから守る方法なんて、いくらでもある。醜い言い訳だね」
ロキはそう言いながら、レナの様子をじっと見ていた。早くカイの元に駆け付けたそうな様子が、ハッキリと分かる。
まだ焦る必要は無い、とロキはレナの手を開放した。
レナは小走りでカイの元に駆け付けた。
足取りが急に軽く、カイを一直線に見つめる視線と全身から溢れる嬉しそうなその様子に、はっきりと彼女の好意や愛情が見える。
ロキは小さな溜息をつくと、コケにされたような悔しさに顔を歪めた。
あろうことか、レナがカイの側に駆け付けるとカイはその小さな肩を抱いていた。
その行為を当たり前のように受け取って頬を染めるレナは、カイへの恋心を隠せずに、ひとりの女性として幸せそうに笑っている。
(目障りなやつだな……)
ロキはつい先日まで信頼していたカイ・ハウザーという男を、忌々しく見つめた。
まるで自分の物のようにレナを迎え入れている。大して女性に興味も示さなかった男が、急にどうしたというのか。
「おやすみ、今日は帰るけど……またね」
ロキはレナにだけそう言うと、馬車に乗り込みあっさりと帰っていく。
その様子を2人は見送りながら、ゆっくりと屋敷に戻ることにした。
レナの手を、カイが握っている。レナは、繋がれた手からカイの体温を感じ、その行為に口元を緩めて幸せを噛み締める。
「疲れているか?」
「いいえ? 今日は、仕事も早く終わったし」
レナが何気なく言うと、「今日の夕食は誰かがいなくて味気なかった。良ければ、部屋で酒でも飲まないか」と、カイは少し熱を帯びた目でレナを見て言った。
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