2 / 15
花の都 2
しおりを挟む
「いただきます」
二人でテーブル席に着き、朝食の時間。
丸いプレートにバゲット3切れのフレンチトースト、ハム、スライストマトが乗っていて、白いスープボウルにはオレンジ色のポタージュスープ、そしてミルクティーが並んだ朝食になった。
「ん、スープいける」
後頭部に寝癖がついた彼が言った。私もスープを飲んでみる。
玉ねぎと人参と……恐らくセロリの入った野菜のポタージュだ。
「ほんとだ。市販のスープなのに、なんだか手作りっぽい味でいいね」
「日本でもこういうの飲めるといいな。でも、いちいちあの大きな紙パックで液体を買うのは重いのかも」
「んーそうだね。日本で粉末のスープが主流なのってそういうのもあるのかなあ」
そして、スライストマトを口に含む。日本のトマトに比べて柔らかく、そして味は思ったより薄かった。
なんというか、トマトなのにきゅうりの風味を感じる。水分たっぷりだ。
「トマトはどれを買うのが正解なんだろ。このトマトどう思う? 私にとっては味が薄いんだけど」
「どれどれ……」
彼は私よりずいぶん大きな口を開けてトマトのひと切れを一気に頬張ると、「んー」と言いながら咀嚼してそのままごくりと飲み込んだ。
「そんなに違う? 普通のトマトって感じ」
「そう」
そして、メインのフレンチトーストにフォークを立てて、豪快に嚙みついた。
焼けたパンの繊維が崩れる音がする。そして、彼は「ん!」と言ってうなずいた。これは気に入ってくれたらしい。
「実はオレ、フランスパンで作るフレンチトーストを食べたのが昨日初めてでさ」
「うん、ラデュレね」
ラデュレは日本にも店舗があるけれど、世界で初めてティーサロンを開いたお店。マカロンの生みの親らしい。
パリのラデュレは朝食をやっていて、そこの「パンベルデュ」つまり、フレンチトーストが有名だった。
パンベルデュとは、失われたパン、という意味の料理。
固くなったパンを柔らかく食べるために生まれた。だからフランスではパンベルデュ。
日本ではフレンチトーストと呼ばれている。
フランスに来て思い知ること。フランスにあるパンは基本的にフランスパン。
考えてみれば当たり前なんだけど、日本のパンよりもともと硬いパンばかりだ。
日が経てばさらに硬くなるのだから、こうやってフレンチトーストにして食べる行為がすごく自然に感じられる。
彼のフレンチトーストと私のフレンチトーストには蜂蜜を最後にとろりとかけた。
お店では粉砂糖を使ったりもする。
「食文化って、それなりに理由があるんだろうね」
そんなことを私が言うと、彼は二つ目のフレンチトーストを咀嚼しながら分かったのか分かっていないのか、適当にうなずく。
続けざまに、プレートに丸めて盛りつけた大きな鶏胸肉のハムをナイフで切り、また口に含んだ。
「このハム、旨いね」
フランスでは鶏肉と言えば胸肉のことを指すらしい。だから私は、スーパーで鶏胸肉のハムを買った。
日本の鶏胸肉のハムよりも随分しっとりとして美味しく感じるのは何故なんだろう。
精肉は種類が豊富で、他にも、豚肉のハムだってあったし、ソーセージも種類が豊富だった。
有名な「ブータン・ノワール」は豚の血液と脂肪を腸に詰めたもので、普通にスーパーで売っていた。
お菓子のコーナーでは日本でも見慣れたものが多く並んでいたけれど、精肉とチーズ、バターの種類を見ると、日本とはまるで事情が違う。
特にチーズは種類が多すぎて、何を選んでいいのか分からなかった。
「さて、今日は初めての別行動だ」
彼はそう言ってフランス全土の地図を出す。
私はパリ、彼はここから約300kmほど離れたロンシャンという町にある礼拝堂に向かう。
「フランスの田舎って、英語が通じないって言うよね」
「昔はパリでだって通じなかったんだよ」
「へえ」
彼はロンシャン付近の地図を見ていた。
初めてパリに降り立った私とは違い、治安の悪いヨーロッパの乗り物にも一人で乗ることに慣れているし、別行動をとる間の私を心配していた。
「地下鉄が分からなくなったら、タクシー捕まえてもいいよ。まあ、多分ぼったくられると思うけど」
「……そんな普通にぼったくる?」
「外国人だし、どう見ても観光客って思われるだろうし。お店でクレジットカードは持っていかせないように。見える前で使わないようだったら現金に切り替えて」
「はいはい」
昨日二人で行ったシャンゼリゼ通りは、凱旋門から放射状に延びている道のうちのひとつだった。
凱旋門には観光客しかいなかったけれど、私もその中の一人になって上まで登って写真も撮っている。
日本で一緒にいたときは知らなかったけれど、彼は相当に過保護だったらしい。
私のために服の中に隠せる貴重品入れのポーチを買って持たせてくれたし、言葉が通じなくて困ったときのためにと簡単な日常会話の本をくれた。
街で観光客がスマートフォンを使うとスリに遭う確率が上がるらしい。
そんなわけで、携帯電話はアパルトマンに置いて行動した。まさかそのためにデジタルカメラを新調することになるとは思わなかった。
日本にいるときはスマートフォンひとつでどこにでも行ける気がするのに、今は紙の地図を持って出かける。
治安って、持ち物や行動が制限されるんだってことを知った。
とはいえスマートフォンを使っている人にはしょっちゅう遭遇するから、狙われなければ普通に使えるんだろう……私は、間違いなく狙われやすい部類になるから止めておくとしても。
「気を付けてね、遠出」
「そっちこそ。自分がいいカモだと思われてるのを忘れないように」
私たちはそんな会話をして、拠点のアパルトマンを出る。
薄暗い階段を下りて正面入り口を出ると、すっかり明るい陽射しが差すパリの街にまた一歩を踏み出していい気分だ。
ここ、パリの15区は住宅街だった。
拠点にしたアパルトマンは二人暮らしにちょうどいい物件で、治安が良くて犯罪が少ないエリアにしたと彼が言っていた。
道路や歩道は日本と同じアスファルトだったり、でこぼこの石畳だったりする。
パリジェンヌはみんなおしゃれで高いピンヒールを履きこなしているのかと思っていたけれど、この石畳にピンヒールは合わないのか……東京よりピンヒールのパンプスを履いた女性は圧倒的に少なく見える。
そして、格好は日本人よりシンプルな服を好む人が多い。
隣を歩く彼が、自然に私の手を握る。
日本では決して手をつないで歩いたりしなかったのに。
この街のカップルが当たり前のように抱き合い、触れ合い、人前でも濃厚なキスをしている風景を見せつけられ続け、彼の中の羞恥心がどこかに行ってしまったのだろう。
日本にいたとき、彼が手をつないだりしてこなかったのは、単にそういう事情だったのだ。
二人でテーブル席に着き、朝食の時間。
丸いプレートにバゲット3切れのフレンチトースト、ハム、スライストマトが乗っていて、白いスープボウルにはオレンジ色のポタージュスープ、そしてミルクティーが並んだ朝食になった。
「ん、スープいける」
後頭部に寝癖がついた彼が言った。私もスープを飲んでみる。
玉ねぎと人参と……恐らくセロリの入った野菜のポタージュだ。
「ほんとだ。市販のスープなのに、なんだか手作りっぽい味でいいね」
「日本でもこういうの飲めるといいな。でも、いちいちあの大きな紙パックで液体を買うのは重いのかも」
「んーそうだね。日本で粉末のスープが主流なのってそういうのもあるのかなあ」
そして、スライストマトを口に含む。日本のトマトに比べて柔らかく、そして味は思ったより薄かった。
なんというか、トマトなのにきゅうりの風味を感じる。水分たっぷりだ。
「トマトはどれを買うのが正解なんだろ。このトマトどう思う? 私にとっては味が薄いんだけど」
「どれどれ……」
彼は私よりずいぶん大きな口を開けてトマトのひと切れを一気に頬張ると、「んー」と言いながら咀嚼してそのままごくりと飲み込んだ。
「そんなに違う? 普通のトマトって感じ」
「そう」
そして、メインのフレンチトーストにフォークを立てて、豪快に嚙みついた。
焼けたパンの繊維が崩れる音がする。そして、彼は「ん!」と言ってうなずいた。これは気に入ってくれたらしい。
「実はオレ、フランスパンで作るフレンチトーストを食べたのが昨日初めてでさ」
「うん、ラデュレね」
ラデュレは日本にも店舗があるけれど、世界で初めてティーサロンを開いたお店。マカロンの生みの親らしい。
パリのラデュレは朝食をやっていて、そこの「パンベルデュ」つまり、フレンチトーストが有名だった。
パンベルデュとは、失われたパン、という意味の料理。
固くなったパンを柔らかく食べるために生まれた。だからフランスではパンベルデュ。
日本ではフレンチトーストと呼ばれている。
フランスに来て思い知ること。フランスにあるパンは基本的にフランスパン。
考えてみれば当たり前なんだけど、日本のパンよりもともと硬いパンばかりだ。
日が経てばさらに硬くなるのだから、こうやってフレンチトーストにして食べる行為がすごく自然に感じられる。
彼のフレンチトーストと私のフレンチトーストには蜂蜜を最後にとろりとかけた。
お店では粉砂糖を使ったりもする。
「食文化って、それなりに理由があるんだろうね」
そんなことを私が言うと、彼は二つ目のフレンチトーストを咀嚼しながら分かったのか分かっていないのか、適当にうなずく。
続けざまに、プレートに丸めて盛りつけた大きな鶏胸肉のハムをナイフで切り、また口に含んだ。
「このハム、旨いね」
フランスでは鶏肉と言えば胸肉のことを指すらしい。だから私は、スーパーで鶏胸肉のハムを買った。
日本の鶏胸肉のハムよりも随分しっとりとして美味しく感じるのは何故なんだろう。
精肉は種類が豊富で、他にも、豚肉のハムだってあったし、ソーセージも種類が豊富だった。
有名な「ブータン・ノワール」は豚の血液と脂肪を腸に詰めたもので、普通にスーパーで売っていた。
お菓子のコーナーでは日本でも見慣れたものが多く並んでいたけれど、精肉とチーズ、バターの種類を見ると、日本とはまるで事情が違う。
特にチーズは種類が多すぎて、何を選んでいいのか分からなかった。
「さて、今日は初めての別行動だ」
彼はそう言ってフランス全土の地図を出す。
私はパリ、彼はここから約300kmほど離れたロンシャンという町にある礼拝堂に向かう。
「フランスの田舎って、英語が通じないって言うよね」
「昔はパリでだって通じなかったんだよ」
「へえ」
彼はロンシャン付近の地図を見ていた。
初めてパリに降り立った私とは違い、治安の悪いヨーロッパの乗り物にも一人で乗ることに慣れているし、別行動をとる間の私を心配していた。
「地下鉄が分からなくなったら、タクシー捕まえてもいいよ。まあ、多分ぼったくられると思うけど」
「……そんな普通にぼったくる?」
「外国人だし、どう見ても観光客って思われるだろうし。お店でクレジットカードは持っていかせないように。見える前で使わないようだったら現金に切り替えて」
「はいはい」
昨日二人で行ったシャンゼリゼ通りは、凱旋門から放射状に延びている道のうちのひとつだった。
凱旋門には観光客しかいなかったけれど、私もその中の一人になって上まで登って写真も撮っている。
日本で一緒にいたときは知らなかったけれど、彼は相当に過保護だったらしい。
私のために服の中に隠せる貴重品入れのポーチを買って持たせてくれたし、言葉が通じなくて困ったときのためにと簡単な日常会話の本をくれた。
街で観光客がスマートフォンを使うとスリに遭う確率が上がるらしい。
そんなわけで、携帯電話はアパルトマンに置いて行動した。まさかそのためにデジタルカメラを新調することになるとは思わなかった。
日本にいるときはスマートフォンひとつでどこにでも行ける気がするのに、今は紙の地図を持って出かける。
治安って、持ち物や行動が制限されるんだってことを知った。
とはいえスマートフォンを使っている人にはしょっちゅう遭遇するから、狙われなければ普通に使えるんだろう……私は、間違いなく狙われやすい部類になるから止めておくとしても。
「気を付けてね、遠出」
「そっちこそ。自分がいいカモだと思われてるのを忘れないように」
私たちはそんな会話をして、拠点のアパルトマンを出る。
薄暗い階段を下りて正面入り口を出ると、すっかり明るい陽射しが差すパリの街にまた一歩を踏み出していい気分だ。
ここ、パリの15区は住宅街だった。
拠点にしたアパルトマンは二人暮らしにちょうどいい物件で、治安が良くて犯罪が少ないエリアにしたと彼が言っていた。
道路や歩道は日本と同じアスファルトだったり、でこぼこの石畳だったりする。
パリジェンヌはみんなおしゃれで高いピンヒールを履きこなしているのかと思っていたけれど、この石畳にピンヒールは合わないのか……東京よりピンヒールのパンプスを履いた女性は圧倒的に少なく見える。
そして、格好は日本人よりシンプルな服を好む人が多い。
隣を歩く彼が、自然に私の手を握る。
日本では決して手をつないで歩いたりしなかったのに。
この街のカップルが当たり前のように抱き合い、触れ合い、人前でも濃厚なキスをしている風景を見せつけられ続け、彼の中の羞恥心がどこかに行ってしまったのだろう。
日本にいたとき、彼が手をつないだりしてこなかったのは、単にそういう事情だったのだ。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
夜更けのスイート・ロストガーデン~眠れぬ夜のおもてなし~
日蔭 スミレ
現代文学
長い交際から失恋したばかりの紗良は『よからぬ事』を考えつつ、真夜中の街を歩き回っていた。
ピアノの音に導かれるよう辿り着いたのは、こぢんまりとした洋館。
「日替わりケーキ、珈琲、紅茶、優しいディカフェにハーブティー、その他各種ご相談承ります」
そこは優しい時間の流れる温かなカフェだった。
静岡県沼津市を舞台としております。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
決戦の朝。
自由言論社
現代文学
こんな小説、だれも読んだことがないし書いたことがない。
これは便秘に苦しむひとりの中年男が朝の日課を果たすまでを克明に描いた魂の記録だ。
こんなの小説じゃない?
いや、これこそ小説だ。
名付けて脱糞小説。
刮目せよ!
いまそこにある媚肉
島村春穂
現代文学
絶対熟女宣言!胎を揺さぶる衝撃!これが継母の本気だ!憧れのAランク美熟女を知りたい。継母裏のウラの裏。ぜんぶ見せます!
「……もういいでしょ。気が済んだでしょ……ねえ」
爆乳の色仕掛け!?その肉房のど迫力。貫禄のかぐろい乳首。熟れた段腹。わがままなデカ尻。壺締めの奥義。一度味わっただけで、その味に誰もがイチコロ!これが継母のとっておき!
「いまここにある媚肉」好評連載中!!!
足りない言葉、あふれる想い〜地味子とエリート営業マンの恋愛リポグラム〜
石河 翠
現代文学
同じ会社に勤める地味子とエリート営業マン。
接点のないはずの二人が、ある出来事をきっかけに一気に近づいて……。両片思いのじれじれ恋物語。
もちろんハッピーエンドです。
リポグラムと呼ばれる特定の文字を入れない手法を用いた、いわゆる文字遊びの作品です。
タイトルのカギカッコ部分が、使用不可の文字です。濁音、半濁音がある場合には、それも使用不可です。
(例;「『とな』ー切れ」の場合には、「と」「ど」「な」が使用不可)
すべての漢字にルビを振っております。本当に特定の文字が使われていないか、探してみてください。
「『あい』を失った女」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/572212123/802162130)内に掲載していた、「『とな』ー切れ」「『めも』を捨てる」「『らり』ーの終わり」に加え、新たに三話を書き下ろし、一つの作品として投稿し直しました。文字遊びがお好きな方、「『あい』を失った女」もぜひどうぞ。
※こちらは、小説家になろうにも投稿しております。
※扉絵は管澤捻様に描いて頂きました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる