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初仕事に向けて

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 大雅が古雑誌と古新聞をまとめ終え、デスクの上の書類を全てファイリングしたところで外出していた恭祐が戻ってきた。

「おおおお。掃除検定1級並みだな!」
「ありませんよ、そんな資格」
「あるんだよ、掃除能力検定っていうのがな」
「所長とは一生縁がなさそうな資格ですね」

 軍手をしながら作業をしていた大雅は、久しぶりの肉体労働に軽く汗をかいている。髪は邪魔だったので後ろでまとめていた。

「うーん、いくら助手とはいえ、客前に出すとなったらジャケットは要るな。俺のを貸してもいいが……その髪もなあ……」
「客前?」
「明日、仕事に付いてきてもらおうかと思っている」
「はあ……」

 大雅は探偵事務所の助手というのが何をするのか分かっていない。

「大丈夫だよ、身辺調査だから」
「何が大丈夫なんですか?」
「特別なカウンセリングがいる客じゃないってこと」
「カウンセリング……?」

 大雅は軍手を外しながら、じっと恭祐の風貌を見る。
 切れ長の目、いわゆる塩顔の恭祐は、鼻が高く唇が薄い。
 パーマがかかった茶髪を見ていると、なんとなく「やから」っぽいなと大雅は思う。こんな風貌でもカウンセラーが務まるのだろうか。

「とりあえず、カツラは髪を切ってもらうか……」
「いや、美容室は……」
「大丈夫だ。信頼できる男がやっている完全予約制の店に連れて行く」
「……」

  ***

「ええー?! やだあ、恭ちゃんがワイルドになってるう」
「ちょっと仕事で、今だけですよ」

 事務所の近所にある美容室は施術用の椅子がひとつしか無く、シャンプー台も1台のみ、スタッフも店長らしき色黒茶髪の40代男性しかいなかった。

「あの……所長、この方は……」

 こっそりと大雅が恭祐に耳打ちすると、「心は乙女、見た目はオジサン、48歳のヘアメイクアップアーティスト『たけよさん』だ。美容師でもあるから俺も髪を切ってもらっている」と恭祐が笑顔を崩さないまま大雅に返す。

「たけさん、うちの助手なんですけど、さっぱりさせてやって欲しくて」
「あらー助手クン、随分とイケメン」

 大雅はあっけにとられつつ、そういえばヘアメイクさんのトランスジェンダー率は比較的高いと聞いたなと思い出す。大雅は専属のヘアメイクがついたことは無く、大抵自分でメイクをしていたのだが。

「たけさん、こいつ、女と目が合うと相手を惚れさせちゃうらしいんですけど」
「ええー? 恭ちゃんに操を立てておくからワタシは平気よ」

 ――いや、あんた男だろ。なんだよ操って。

 目の前で50歳手前の男性と恭祐に怪訝な目を向けながら、大雅は独特の空気に早くも疎外感を覚える。

「じゃあ、俺はここで家に帰る。帰り道は分かるだろ?」
「は?」
「会計は俺に請求が来るようになってるから大丈夫だ」
「いや、え? 僕、ここに残されるんですか?」
「美容室だぞ? 相手は女じゃないから平気だろ」
「えっ……」

 よく分からない状況に大雅は不安になりつつも、『たけさん』と呼ばれていた男性を恐る恐るうかがう。

 『たけさん』は恭祐を笑顔で見送ると、「おい、お前、恭祐の何?」と低い声で大雅に尋ねた。

「何って……助手として雇われただけです」
「こんな若くてイケメンを助手に……」
「えっ」

 表情を曇らせながら、たけよは鏡の前に置かれた椅子をくるりと回し、大雅に座るように促す。
 恐る恐る椅子に腰を下ろすと、たけよは大雅に白いケープをかけて椅子を回し、長い髪にくしを入れた。

「あの、『たけよさん』は所長とどういう……」
「どういう関係に見える?」

 髪をすく手がぴたりと止まり、鏡越しに笑顔が向けられる。
 何を言っても裏目になりそうで、とりあえず首を傾げておく。

「恭祐は恩人。昔から女っ気がないからそういうところも好きなわけ」
「ああ……」
「でもまさか、こんな男を連れて来るなんて……」
「いや、僕はそういうんじゃありません」

 恭祐の前で態度が違ったのはそういうことか、と大雅は必死に自分の立場を否定しておく。
 ハサミを持たれて背後を預けているこの状況では何をされるか分かったものではない。

「僕は、拾われたっていうか……」
「拾われた?」
「自殺しようとしてたところを、通りすがりの所長に止められて」

 周りに誰もいないとはいえ、大雅はこんなことを言うはずではなかった。
 たけよは何も反応せず、髪にハサミを入れ始めている。長い髪がパラパラと白い床に落ちていった。

「ほんとに恭祐は、後先考えないんだから……」

 背後に立つたけよは大雅のこめかみを左右から押さえ、鏡越しに見据える。

「恭祐が拾ったんなら、いけ好かない男だろうとワタシの養子みたいなものね」
「……いや、そんなことはないと思います」
「大丈夫、あんたはタイプじゃないから!」
「知りませんよ!」

 やっぱり美容室は鬼門だ、と大雅はうんざりする。
 これまでは女性関係のトラブルばかりだったが、相手が男でもろくなことが起こらない。

  ***

 手に持った名刺には『スタイリスト 相沢丈志たけし』と書かれている。
 大雅は「たけしなんだ……」と呟き、ポケットに仕舞った。

 美容室のあるビルを出ると、歩行者がひしめき合う商店街を歩く。
 短い髪は陽射しが眩しかった。こちらを見て目を見張った女性とすれ違っても、相手の意志が働く前に人の濁流に流されていく。
 
 焼肉店の煙が漂い、青果店に並ぶ南国のフルーツが強烈に鼻をつき、生魚の匂いが漂う独特な賑わいの商店街だ。

 東南アジアの街角だと言われても分からない雰囲気がする。
 道の両脇にずらりと並ぶ簡易的なテーブル席で、昼間から外国人観光客や日本人がお酒を飲んでいた。

 日本語だけではない言語があちこちに飛び交い、客寄せの声がする。
 渋谷の町は音が多いが、この商店街はあらゆる情報が多かった。

 一本脇の道に入り、「不忍しのばずの探偵事務所」のある黒い御影石が使われたビルに帰る。

 いつもであればどこかに入る前に後ろを確認する大雅だったが、この場所では一瞬の出来事の中で通り過ぎていく残像になった気がして、不思議と背後が怖くない。

「ただいま戻りました……」

 事務所の扉を開けると、物が無くなったグレーのデスクには、黒いストレートヘアで黒縁の眼鏡を掛けた男性の姿があった。
 男性は黒いTシャツの上に白いリネンのシャツを羽織った恰好で新聞を読んでいる。

「お、やっぱり短い方が似合うな」

 声を聞いて、ようやく恭祐だと分かった。

「髪もですが、さっきと全然雰囲気が違いませんか……?」
「さっきは渋谷に同化するために変装してたんだよ」
「変装?」
「普段はこうやってオフィス街に馴染む仕様にしてるが、日曜の宇田川町ではだいぶ浮くだろ?」
「確かに」

 大雅は改めて恭祐の顔を見る。整っているが、特段目立つパーツがない。
 それが余計に特徴を捉えづらく、印象に残りにくいのかもしれない。

「お目目パッチリのカツラは尾行には向かないが、事務所の業務とカウンセリングを任せたいと思っている」
「いや、僕にそんな専門的なこと……」
「うちの仕事はカウンセラーや弁護士からの紹介案件が多い。不安を抱えた依頼人が多いから、その顔で人を癒しながら話を聞いてやればいい」

 大雅は仕事の話が専門外で、恭祐の話にうなずくことができない。

「所長は、ホームズみたいな仕事をするんですか? 事件を解決したり……」
「残念ながら日本の探偵はイギリスと違って逮捕権を持っていない。主な仕事は調査関連だ」
「え……? 調査にカウンセリングが要るんですか?」
「まあ、そのうち分かる。デニムで仕事は出来ないから、仕事用の服を買いに行くぞ。幸い、すぐそこに百貨店がある」
「……はい」

 大雅の計画では既にこの世にいなかったはずなのだが、髪を切られてこれから必要な仕事服を買いに行くことになっている。
 やっぱり生きるのは面倒くさいな、と事務所を出る恭祐に続きながら大雅は下を向いた。
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