上 下
21 / 77
第一章 定食屋で育って

過去

しおりを挟む
 3人の男性は各々の携帯電話を出していじりはじめ、会話がなくなっていた。
 私は普段通り閉店作業をしているだけで、先程の衝撃的な話以外にナツさんの話は出ていない。

 人を、ひとり、殺しかけたーー。

 私の人生で、そんな犯罪めいた話は聞いたことがない。
 それに、あの穏やかなナツさんが人殺しなんて想像が付かない。

 けれど、今まで凄惨な事件が起きるとニュースに出てくるインタビューを受けた人たちが口々に言っていたのを思い出す。

『そんなことをする人だとはとても思えないような人で』『挨拶をしてくれる感じの良い人でした』

 ナツさんにはそんな過去があるのだろうか。
 でも、ああしてコーヒーショップの店長さんが出来ているくらいなんだから、犯罪者ではないのだろう。

 それに、私自身がナツさんは人を殺すような人だとはとても信じられなかった。
 そんな怖い人だったらここにいる3人もわざわざナツさんを頼ったりしないだろうし、これまでの言動を取ってみてもナツさんは優しかった。

 ただ、最後に私を拒絶した時に明らかに知られたくない過去に近付いた気配があって、もしかするとそれが……と思ってしまう。

 ナツさんがここにいる3人の話をした時に、私との距離感を間違えたと言ったのは……。

 そんな余計なことがぐるぐると頭を巡っていたら、店内で静かに携帯電話をいじっていた3人が「お会計お願いします」と声を上げる。
 どうやら、予定よりも早くお店を出ることにしたらしい。

「はーい」

 私は3人分の会計を済ませると、「ありがとうございました」と見送った。

「本当に美味しかったです」
「また来ます」

 そう言って出て行った3人は、その足でナツさんのお店に向かったようだ。

 私は今日、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと思う。
 人にはそれぞれ知られたくない過去や失敗があるものだけれど、そういうのとはまた次元が違う「前科」みたいなもの。

 そういうものを背負った人に会ったことがないから、私にはまだよく分からないけれど。
 ナツさんはこの町で新しい人生を歩み始めているのだから、それを妨害するようなことはしたくない。

 私はナツさんのことを知りたい。知った上で、一緒にいることができないだろうか。

 あの3人は、ナツさんの過去を知りながら一緒に仕事をしているに違いないし、ナツさんを頼っているようだった。

 ねえ、ナツさん。
 苦味の強い豆は、ミルクに合わせると甘みが増すじゃないですか。
 コーヒーは果実だからフルーティな酸味も魅力だって、今なら分かります。
 
 私は今のナツさんを知っているから、過去に何があったとしても、ナツさん自身を信じられると思うんです。

 どんな過去を語られたって、嫌いになったりしないのに。

  *

 ランチの営業は、相変わらず多忙だ。
 食事が終わると早々に店を出て、隣のコーヒーショップに向かう会社員も多い。

 1杯が決して安くないのに、よく買えるなあなんて思いながら。
 そういえば私にも、毎日あのコーヒーを飲みに行っていた日々があったのだ。

 今なら分かる。食というのは単純に空腹を満たすだけじゃなく、そこに体験や記憶、前向きになれる要素だったりが存在している。

 隣の店『The Coffee Shop Natsu』というのは、ナツさんのクリエイティブが詰まっていて、そういうものを体験できる場所なんだろう。単にコーヒーを飲むだけではなく、ナツさんのデザインしたカップやお薦めの豆があって、それが気持ちを上げたり刺激をくれたりする。

 1杯の値段は普通より高いかもしれないけれど、ナツさんが売っているのはコーヒーという液体だけではない。
 ナツさんが、前職を辞めてコーヒーショップの店長を始めた理由が分かった気がした。


 今週末、夏祭りがある。

 「定食まなべ」は店の前で鮭とばとエンガワの炙り焼を売りながらビールを販売することになった。なんというか、色気どこに置いてきたのだろうという品揃えが定食屋らしい。

 ナツさんのところでは、この日に限定のコーヒーフロートを出すらしい。祥太から聞いた。

 ああ、コーヒーフロートに合わせるアイスコーヒーって、どんな味なんだろうと気になってしまう。もしも今まで通り私がお店に通っていたら、ナツさんはそういうことも相談してくれたのだろうか。

 ナツさんと話をしなくなって、もう2ヶ月が経っている。
 今日くらい、お店にコーヒーを買いに行ってもいい頃かもしれない。
 会話は出来ないかもしれないけれど、ナツさんの元気な姿が見たかった。

 挨拶だけでも、できたらいい。
 隣同士なんだから、自然に……。

 そう思っていた私は、どれだけ自分が楽観的で何も考えていなかったのかを思い知らされることになる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈 
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

そうして、誰かの一冊に。

浅野新
ライト文芸
「想像だけどこの本は国を移動してるんじゃないかと思う」 一冊の本を手にかつて弾んだ声で友人が言った。 英会話サークルが縁で出会い、親しくなった「僕」と年上の「友人」。 ある日友人は一冊の変わったらくがきのある本を僕に貸し出す。 大人になってからできた親しい友人とこのまま友情が続いていくと思っていたが__。 三月の雪深い北海道を時に背景に絡めながら大人の友情と別れを静かに書き出す。 一部実話を元に書いた、静かな喪失と再生の物語。

恋もバイトも24時間営業?

鏡野ゆう
ライト文芸
とある事情で、今までとは違うコンビニでバイトを始めることになった、あや。 そのお店があるのは、ちょっと変わった人達がいる場所でした。 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中です※ ※第3回ほっこり・じんわり大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます。※ ※第6回ライト文芸大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます。※

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

薪割りむすめと氷霜の狩人~夫婦で最強の魔法具職人目指します~

寺音
ファンタジー
狐系クール女子×くまさん系おおらか男子。 「旦那が狩って嫁が割る」 これは二人が最高の温かさを作る物語。 分厚い雪と氷に閉ざされた都市国家シャトゥカナル。極寒の地で人々の生活を支えているのが、魔物と呼ばれる異形たちの毛皮や牙、爪などから作られる魔法具である。魔物を狩り、魔法具を作るものたちは「職人」と呼ばれ、都市の外で村を作り生活していた。 シャトゥカナルに住む女性ライサは、体の弱い従妹の身代わりに職人たちが住む村スノダールへ嫁ぐよう命じられる。野蛮な人々の住む村として知られていたスノダール。決死の覚悟で嫁いだ彼女を待っていたのは……思わぬ歓待とのほほん素朴な旦那様だった。 こちらはカクヨムでも公開しております。 表紙イラストは、羽鳥さま(@Hatori_kakuyomu)に描いていただきました。

ムーンライトセレナーデ 〜あなたに寄り添いたい〜

友坂 悠
ライト文芸
80年代風アイドルの栗宮まみ。デビュー曲が月の降る夜に。いまいち売れてない。 事務所の先輩春野やよいさんの曲、スプリングバケーションは大ヒット、とは行かないまでもそこそこヒットしてるのに。 そんな時水害に被災した街に慰問に行くことを提案する事務所社長。 公民館での炊き出し屋台。 お掃除の手伝いボランティア。 そして夜の慰問ライブ。 「あんな田舎の街、テレビだって取り上げてくれないわ。あたしはパス」 先輩やよいが断る中、お仕事があまりないまみに白羽の矢がたち、そして…… ※別サイトからの転載に加筆したものです。 ※歌、歌詞は全てオリジナルです。

大自然の魔法師アシュト、廃れた領地でスローライフ

さとう
ファンタジー
書籍1~8巻好評発売中!  コミカライズ連載中! コミックス1~3巻発売決定! ビッグバロッグ王国・大貴族エストレイヤ家次男の少年アシュト。 魔法適正『植物』という微妙でハズレな魔法属性で将軍一家に相応しくないとされ、両親から見放されてしまう。 そして、優秀な将軍の兄、将来を期待された魔法師の妹と比較され、将来を誓い合った幼馴染は兄の婚約者になってしまい……アシュトはもう家にいることができず、十八歳で未開の大地オーベルシュタインの領主になる。 一人、森で暮らそうとするアシュトの元に、希少な種族たちが次々と集まり、やがて大きな村となり……ハズレ属性と思われた『植物』魔法は、未開の地での生活には欠かせない魔法だった! これは、植物魔法師アシュトが、未開の地オーベルシュタインで仲間たちと共に過ごすスローライフ物語。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです

処理中です...