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第一章 定食屋で育って

ブレンドコーヒー 3

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 ブレンドコーヒーの試作も早いもので7回目、昨日までで12杯もの試作品を飲んでいる。
 私はブレンドコーヒーというものを理解し始めていた。

「今日のは、どうかな?」

 ①ー7を飲んだ私は、コメントに困っている。

「悪くはないんです。コクがあって香りもいいし、酸味と苦味のバランスもいい……だけど、なんていうのかな」

 これまでの試作品に比べてバランスが良く飲みやすい。恐らく、本来のブレンドコーヒーとはこういうものを言う。

「もしかして、特徴がなくてこれといって感動もしないノーマルな味?」

 カウンターの向こうで私の言葉を待つナツさんが、まるで私の心を読んだかのように言う。
 ここで取り繕っても仕方がない。私は頷くことしかできなかった。

「分かるよー……。まとまりすぎてて、これはこれで美味しいんだけど……どこかで飲んだような味で感動がないんだよなぁ」

 ナツさんは、がっくりしながら②ー7の方も試飲を勧めるように手を広げて隣のカップをどうぞ、と示した。

 私は申し訳ない、と思いながら、もうひとつの試作品に口をつける。

「ん?」

 ひと口飲んで、感想がわかない。
 こんなことは初めてだったから、もうひと口飲んだ。

「不思議……ですよね? これ」
「不思議?」
「酸味も苦味も感じるのに、味の感想が浮かんでこない……」

 そう、味の感想が難しい。だって……。

「香りが強い?」
「はい。最初にふわぁっと香るコーヒーの香りが、ひと口飲み終わったらコクの余韻を残すんですけど……なんだろう、不思議」
「で、それって利津さんにとってはどう?」

 そうだ、味の感想がうまく湧かなくても、肝心なことを言っていない。

「美味しい、です。とても」
「ホント?!」

 ナツさんはお客さんがいる店内で、今まで聞いた中で一番の声を上げた。
 それまで談笑していた店内のお客さんが、その声に驚いたのか急にしんとした。

「他の……シングルオリジンのコーヒーに比べて味の特徴はないんですけど、香りと余韻が美味しいっていうか」
「うん」
「ブレンドコーヒーだから、酸味や苦味が目立たなくても正解なのかも」
「うわぁ、すごいな、プロのコーヒーブレンダーのコメントみたいだ」

 ナツさんが私に感心している間、私の頭の中にはお父さんに言われた味覚と味の記憶の話が浮かんでいた。

 プロのコーヒーブレンダーって、こういう風にブレンドコーヒーを作る人のことを言うのだろうか?

 でも、私は焙煎や豆の配合なんかは全く考えていない。そこはナツさんに任せっきりで、やっぱり大したことはしていなかった。

 そう思ったら、いくら味の感想を言えたところで私のやっていることなどお客さんが感想を言っているのと大差ない。

「これで、ブレンドコーヒーが出来ましたね。最初のブレンドは、ナツブレンドですか?」

 これから、このお店でどんな評価をされるか分からないブレンドコーヒーを想像してドキドキしながら尋ねた。

「うーん、なんか抵抗があるなあ。このコーヒーが出来たのは利津さんのお陰なんだから、利津ブレンドでしょ?」
「私、ただの客ですってば」

 ナツさんは、自分の店の名前が『The Coffee Stand Natsu』であることを忘れたのだろうか?
 店名を付けたブレンドコーヒーなら分かる。隣の店の定食屋にいる女の名前が付いたブレンドコーヒーなど意味が分からない。

「利津ブレンドがこの店にあったら変です」
「じゃあ、カタカナで書こうか? リツブレンド。ナツブレンドと殆ど変わらないから違和感なく……」
「違和感しかありませんよ」

 私が呆れていると、ナツさんは残念そうに眉を下げた。
 メニューに『リツブレンド』なんて書いてあったら、お客さんから誤植だと思われるに違いない。
 店長、このメニュー間違ってますよ! なんて指摘されて、その度に私のことを話されるなんて。
 いや、控え目に言っても勘弁してほしい。

「この味が作れたのは、利津さんがいたからなんですよ?」
「私はただの客ですってば」
「前も言いましたけど、僕にとっては救世主だって……」

 ナツさんは当たり前のように言うけれど、世の中そう簡単に救世主など現れない。まして、下町の定食屋なんかにいるわけがない。

「変なこと言ってないで、折角ブレンドコーヒーが完成したんですから、フードメニューも考えた方が良いんじゃないですか?」
「ああ、確かに……」
「何でしょうね、このコーヒーに合うのは。甘みの強いものではなさそう……」 

 ナツさんがブレンドコーヒーの完成ですっかり浮かれているので、まだブレンドコーヒーが1種類メニューに加わっただけではないか、と息を吐く。この店にはコーヒー以外のメニューが少なすぎる。

「えっ?! 利津さん、フードメニューも協力して下さるんですか??」

 さっきの「ホント?!」に引き続き、ナツさんは大きな声を上げた。ナツさん、今日はテンションが高いのだろうか。

「ここまで協力しておいて、あとはご勝手になんて薄情なことを言うつもりは無いですよ。余計なお世話でしたら、やめておきますけど」

 残念ながら私の中に流れる血は、下町製だ。
 お節介を焼かずにいられるほど、乗りかかった船を放ってはおけない。

「稲荷神社通り商店会、ちゃんとナツさんの力になります。ナツさん、お祭りのポスターの制作とか破格で請けて下さってるって……」
「あはは、祥太くんに聞きました? 看板のデザインを納品したら、ポスターまで頼まれてしまいました。僕、デザイナーじゃないんで自分で手を動かすとあんまりバリエーションないんですけど、気に入ってもらっちゃって」

 ナツさんはすっかり祥太と仲良くなったのか、お互い呼び方まで変わっている。

 祥太のお母さんが経営する『美容室 前田』は、もともと祥太のお祖母さんのお店だった。お店は昭和アンティークな雰囲気そのものだ。
 ほんのりレトロな書体の看板に変わり、新規で学生さんの利用者が増えたらしい。

 内装は町の美容室にしては祥太のお母さんのセンスは良かったし、昔からある由緒正しい喫茶店のような雰囲気があった。

 私の年代の女の子たちが好きそうなインテリアで、祥太はまだキャリアは浅いけど専門学校時代も成績優秀だったらしいし、腕も提案も良い。

 多分、ナツさんのデザインした看板で美容室の注目度が増して、この辺に住む学生さんの来店に繋がったのだろう。

「ナツさん、無理してません? この商店会の仕事なんか請けなくったって誰も恨みませんよ?」

 やっぱり気になるのは、ナツさんはもう前の仕事は辞めたってことだ。コーヒーショップの店長なのに、辞めた仕事に近いことをさせるなんて。

「無理しているのは、むしろコーヒーショップの方ですから。デザイン関係の仕事は、それぞれ1、2時間でできる範囲での提案しかしていないんですけど、それを気に入っていただいているんで全く労力なんか掛かってなくて」

 無理をしているのは、コーヒーショップ。
 その言葉が引っかかってしまって、私はその後の内容はちゃんと聞いていなかった。

 ナツさんがこのお店を開いたのは、自分の夢ではなかった?
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